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ちょっと、これはない… [┗エンタメへの想いとか薀蓄とか]

かしちゃんこと、元宙組トップスター貴城けいの夫で、新派俳優の喜多村緑郎(二代目)の不倫が発覚した。


まあ、私は、宝塚ファンなので、かしちゃんの方を主語にしているが、喜多村さんだって、押しも押されもしない、劇団新派のトップスターである。主演男役という意味ではね。
新派といえば、長いこと、水谷八重子(二代目)と、波乃久里子の二枚看板でやってきていたが、4年前に喜多村(当時は市川月乃助)、河合雪之丞(当時は市川春猿)ら、猿之助一門の一部の俳優が移籍したことで、大きく若返った。現在は、喜多村を主演にした、明智小五郎シリーズや金田一耕助シリーズは人気の演目になっている。


かしちゃんとは、月乃助時代に結婚。新派に移籍してからも、自主公演の際は、かしちゃんが共演して、売上に協力、夫唱婦随ぶりをアピールしていた。
まあね、段治郎(月乃助の前の芸名)時代から、浮名を流し続けてきたし、今回のことで、それらの噂が事実だったんだことが裏付けられたのかもしれない。


お相手の女優さんの釈明コメントによると、「お相手から独り身になるつもりでいるというお話があり…」とのこと。でも事実は、別居とか離婚前提なんていうことはなく、かしちゃんには、寝耳に水の出来事だった…と。
そこで、脳裏に浮かぶのは、かしちゃんが出演していた、「イノサン」のパリ公演中止のこと。
パリ公演は、2月9日に行われる予定だった。たった1日だけの公演だが、なんだかんだで、出演者は最低でも一週間は国外に居ることになっていたはず…。
こういう、二股野郎は、基本、「別れの修羅場」を避ける傾向にある。修羅場をうまく逃げるから、たくさん恋愛できるんだろうと思う。
かしちゃんが留守の隙を狙って、一切合切持ち出して、音信不通にすることで、「独り身」になろうとしていた[exclamation&question]


劇団新派の新しい路線は結構好きで応援していたので、けっこうショック。
奥さんがかしちゃんでなければ、芸とプライベートは別…という割り切りもできるけど、今はしばらく、公演を観てかっこいい金田一さんを応援する気にはなれないかな…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


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あたらしい予感 [┣写真ネタ]

昨年夏くらいから始動しているプロジェクトの打ち合わせに行ってきた。


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打ち合わせと言いながら、がっつり食べている…[わーい(嬉しい顔)]


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こちら、ブラックサンダーとコラボしたフレンチトースト。


時間はかかるかもしれないけど、本気で、この企画に付き合うつもり。
どうか、うまくいきますように。


(食べ物企画ではありません…[わーい(嬉しい顔)]


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世の中のいろんなことがつながる… [┣かんがえごと]

「フェミニスト」というと、女性が通る時にドアを開けてくれたりする男性のこと…だと、ずっと思ってきた。ここ十年くらいで、あ…そういう意味じゃないのね…と理解するようになったのだけど、そもそも差別を受けた歴史が長すぎるせいか、いろんなことに、(当たり前すぎて)無関心すぎたかも…と、この一年すごく反省している。
結局、我々の世代は、つまり男女雇用機会均等法という先人たちの努力によって生まれた法律が傍らにありながら、その運用について強く要請してこなかったり、セクハラやパワハラについて真摯に取り組んでこなかったり…言い出しづらいとか、周囲の雰囲気が悪くなるかもと考えたりとか、やっぱり、色々ぼーっと生きていたと思う。
そういう積み重ねが、ここに来て、#MeToo や、#KuToo の運動を起こさせているのかな…と思うと、私たちの世代、平成の30年を無駄に生きちゃったよね…と、感じる。


#MeToo を知って以来、女性を取り巻く問題について、しっかり見聞きするようになった。すると、以前、こてんぱんに否定したこの芝居が、変なリアリティをもって、よみがえるようになった。(もちろん、あの演出はダメだと今でも思っているけど。)
この芝居は、「いかなる理由があっても堕胎が禁止されたディストピア」が舞台になっている。しかも、「堕胎が禁止されている」以外は、今の日本となにひとつ変わっていない。許可されている避妊方法も同じだし、妊娠がわかると男が逃げ、すべての責任を女が背負うという構図も同じ。だからディストピアだと感じたのだが、もしかしたら、日本はずっと前からディストピアなのかもしれない…と、ハッキリと気づいてしまったのだ。


そもそも、この「堕胎」という行為、海外と日本では大きな違いがある。
日本では、堕胎といえば、掻爬(子宮口を無理やり広げて、鉗子などを使用して子宮内の胎児を引っ掛けて掻き出す)というイメージが強いが、海外では、経口中絶薬(人工的に流産を起こさせる薬)が主流だという。でも、これは、日本では認可されていない。
日本では、事後避妊薬(アフターピル)も、産婦人科等で処方してもらう必要があるが、海外ではドラッグストアで購入できるのだという。価格も全然違うんだとか。
ついでに、避妊具に関しても、ほぼコンドームに依存している日本に比べ、海外(欧米)では、女性が装着する避妊具が多数認可されている。
妊娠・出産するのは女性なのに、女性が自分の意志で、避妊・中絶することが、阻まれている。どうにもならなくて、出産したものの、死なせてしまって逮捕されたり…という事案は後を絶たない。
望まない妊娠をした場合、女性に残された道は、自らの身体に大きな代償を背負う覚悟で掻爬手術を受けるか、少し早まったかもしれない…と思いながら結婚して出産するか、シングルマザーになるか…。でも、相手の男性に逃げられたら…、いやそもそもレイプの結果だったら…、まさに女性ディストピア[exclamation×2]


なんで、世の中、こんなに女性ディストピアなんだろう…と、あらためて考えてみる。
男性の側からしたら、これはとっても住みやすい世の中なんだろうな…と。
妊娠するのは女性だから、結婚したければプロポーズすればいいし、したくなければ逃げればいい。てか、レイプのあげく(多くのレイプは知り合いによる犯行らしいので)妊娠したから、結婚する…という手段もあるし。
結婚する時には、氏を変えることを女性に強要し、そうすれば、女性がそれまでの人生で獲得してきたものをリセットできる。その結果、いろんなことが女性に不利に働く可能性があり、子供を産めば、さらにキャリアは分断され、保育園もなかなか入れないし…仕事の出来ない時間が増えれば増えるほど、離婚したくてもできない人が増える…。
あれ…これ、本当に男性天国[exclamation&question]
こんなことを、すべての男性が望んでいないことは、火を見るより明らか。だって、女性は不幸になるけど、だからって男性が幸福にもなっていない。


女性ディストピアを望んでいる人…っているんですよね。
それは性別に限らず。自分の幸福を他人の不幸でしか測れない人が居て、そういう人は、女性であっても、他の女性の不幸を喜ぶから。
そして、人よりちょっとだけ上の暮らしをしている…と自負している人々の中に、他人の不幸によって自分の幸福度がアップする人々が一定数存在している。
士⇒農⇒工⇒商という身分制度は存在しなかった、ということが最近は言われているが、それでも、士⇒農・工・商⇒それ以下という身分構造が江戸時代260年をうまく支えたのは、間違いないと思う。
現代日本でも、エリート男性+その妻+名誉男性⇒普通の男性⇒普通の女性⇒底辺の男性⇒底辺の女性みたいな身分構造が水面下に生きていて、下の不幸を見て、自分の現在に甘んじるってのは、あるんだろうな…。
そして、たまに、普通の女性と底辺の男性の間で、認識の齟齬が起きている…というのが、女性専用車両問題みたいなところで、表面化しているのかもしれない。それが、ネットでは、#MeToo #KuToo へのいやがらせのような反応になっているのかも。(※底辺っていうのは、自己肯定感の低いと言い換えてもいいかな…)
で、<エリート男性+その妻+名誉男性>の枠の方達は、この体制を維持することが大事(自分の保身になるから)なので、「選択制夫婦別姓」とか、上記した避妊・中絶に関する色々な薬の認可を拒否しているわけですね。
自分達以外の女性が、文句言わずにたくさん子供を産んでくれるために、いろんなことを早くから諦めるように。


女性として生きることは、それだけで、あれこれあるけど、いっこいっこ正しく怒りながら乗り越えて行かないとね。これから心を入れ替えます。そして、名誉男性を含むすべての女性が手を握ったら、この世の中は大きく変わる、ってことを考えながら、残りの人生を少し真面目に生きて行こうと思います。


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2020年公演ラインアップ(花組) [┣宝塚情報]

2020年 公演ラインアップ【梅田芸術劇場メインホール公演】


2020/02/06


2020年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、【梅田芸術劇場メインホール公演】の上演作品が決定しましたのでお知らせいたします。   


花組公演


主演・・・柚香 光、華 優希


梅田芸術劇場メインホール:2020年7月25日(土)~8月10日(月・祝)


ブロードウェイ・ミュージカル 『NICE WORK IF YOU CAN GET IT』
Music and Lyrics by George and Ira Gershwin Book by Joe DiPietro Inspired by Material by Guy Bolton and P. G. Wodehouse
潤色・演出/原田 諒


2012年にブロードウェイで初演されたミュージカルを上演するようです。
ガーシュウィン兄弟(すでに脳内で、たそ&キキちゃんの姿が…)の音楽を使用して描かれるロマンティック・コメディとのこと。
昨年上演された「20世紀号に乗って」の好評を受け、原田先生が、またまたブロードウェイ・ミュージカルに挑戦…といったところでしょうか。しかし、禁酒法時代のアメリカが舞台って…「ONCE…」の年にやらなくてもとは、思います。


2020年 公演ラインアップ【宝塚バウホール公演】


2020/02/06


2020年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、【宝塚バウホール公演】の上演作品が決定しましたのでお知らせいたします。   


花組公演


主演・・・聖乃 あすか


宝塚バウホール:2020年7月30日(木)~8月10日(月・祝)


バウ・ミュージカル 『PRINCE OF ROSES-王冠に導かれし男-』
作・演出/竹田 悠一郎


英国の王位継承をめぐった内戦、薔薇戦争(1455~1485年)を集結させた、ヘンリー・テューダー(のちのヘンリー7世)を主人公にした、竹田先生のバウホールデビュー作、そして、聖乃あすかバウ初主演作。
Wのおめでとう作品だし、内容的にもすごく興味がある。
観られるものなら、ぜひ観たいと、今から楽しみにしております。
しかし…聖乃あすかくん単独初主演…って、ひりゅんの主演はあの微妙なW主演でスルーなの[exclamation&question]なんか…釈然としない…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


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「メアリー・ステュアート」観劇 [┣演劇]

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『メアリー・ステュアート』


作:ダーチャ・マライーニ
翻訳:望月紀子
演出:大河内直子
美術:石原敬
照明:大島祐夫
音響:早川毅
衣裳:小林巨和
音楽:鈴木光介
振付:前田清実
擬闘:栗原直樹
ヘアメイク:武井優子
舞台監督:齋藤英明
企画・製作:unrato/アイオーン


同時期に東京で同タイトルの芝居が2本上演されるというのは、とても珍しい。
間違わないように…ということか、世田谷パブリックのシラー作のものは、「メアリ・スチュアート」というタイトルで、本作は、「メアリー・ステュアート」というタイトルで上演された。こちらは、イタリアの劇作家ダーチャ・マライーニの脚本による二人芝居。
ややこしいのは、マライーニの脚本がシラーの戯曲を基に書かれているということ。(史実をシラーとは別の視点で描くのではなく…)
なので、先にシラー作の世田パブ版を観ておいたのは、とても良かったと思う。
いきなりモーティマーのメアリー救出劇の話が出てきても、ああ、りょん(三浦涼介)のアレね…とか、ポーレットの悪口が止まらなくても、ああ、あのおっさん(山本亨)のことね…と思えて、事前の勉強をしなくても、問題なく物語の中に入れた。


メアリー・ステュアート(霧矢大夢)と、エリザベス1世(保坂知寿)は、同じような生成りのドレス姿。現代から見ると骨董品の山に囲まれた化粧前に座り、開演の時を待っている。この、それぞれの化粧前と狭いフリースペースが彼女たちの演じる空間だ。
二人芝居ではあるが、彼女たちは本役だけでなく、それぞれの侍女など、会話の相手役をも演じる。男役も、女役も。メアリーの侍女・ケネディは、シラー版にも出てきたが、母親の愛に飢えているメアリーにとって、母親を思わせるような存在。一方、エリザベスの侍女・ナニーは、エリザベスの無理難題に耐え、いささか同性愛めいた接触も持つ。また、エリザベスの寵臣、ウォルター・ローリーが女官と結婚した時には、その女官を呼び出し、折檻する。
そんな女性同士の様々な関係が、とてもセクシーに見えた。


シラー版を底本にしながら、大きな違いがあったのは、処女王と呼ばれるエリザベス1世を「本当の処女」に設定したことだろう。歴史研究家の間では、結婚こそしなかったものの、エリザベスは、多くの愛人を持っていたと認識されているし、シラー版でも、1幕の終わりに、激しいラブシーンが用意されている。
しかし、マライーニ版では、それらの寵臣たちを「精神的な恋愛の相手」とし、肉体的には処女であったエリザベスの、それだからこそ…の性への興味、恐怖、国家への責任もなく、自由に結婚できる者達への憤りなどが、端的に伝わり、史実とは違ったとしても、ドラマとしての面白みが増したと思った。
そして、このマライーニという現代女性の脚本を、女性が翻訳し、女性が演出した、女性二人による二人芝居だからこそ、この禁断ともいうべき、エロティックな空気感が伝わったのかな…と思った。在団中、どちらかというと健康的なキャラだった霧矢が、まさか、このようなエロティックな空気感を纏うようになるとは…[あせあせ(飛び散る汗)]


メアリーの最後を語るケネディ(保坂)の姿は、鬼気迫るものがあり、素晴らしい独白だった。処刑を異常なまでの興奮を帯びて語る冒頭のナニー(霧矢)を思い出すと、霧矢の演じるメアリーの斬首シーンなので、皮肉な感じ。
当時の斬首の残酷な場面を聴くにつけ、ギロチンって、本当に人道的な処刑道具だったんだな…と思ったりして。三度も斧を振り下ろされたメアリーの残酷な最期に胸が痛くなった。


観ることができて、本当によかった。素晴らしい舞台でした[黒ハート]


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「RED&BEAR」の謎 [┣演劇]

七海ひろき、退団後の初舞台ということで、「RED&BEAR」を観劇し、感想を書いた(こちらです)のだが、実は、全然腑に落ちてないので、ちょっとモヤモヤを書いてみたい。


まず、犯人の側からこの物語を振り返ってみたい。
犯人は、ヒア・カム・ザ・サンという人気バンドのメンバー4人全員を確実に殺害したいと考えていた。
そのために、彼らは、犯行をクルーズ船の船内にすることを思いついた。
メンバーの連続殺人が始まれば、二人目あたりで、ヒアカムのメンバーが狙われていることは確定するだろう。当然、残りのメンバーには護衛が付く。そんな状況にしないためには、
[1]全員まとめて殺害する[パンチ]か、
[2]隔離した場所で犯行を行う[爆弾]
しかない。
しかし、全員まとめて殺害する」では意味がない。
犯人は、ヒアカムのメンバーに、自分達がなぜ死ななければならないか、を知らせたかった。少なくとも、次に狙われるのは自分だ、という恐怖を味わってから、殺したかった。
(だから、最後に自分の代わりに加入したダイキが最初の死者に選ばれたのかもしれない。死ななければならない理由が(犯人にとって)少ないから。)
そうなると、最後まで犯行を続けるためには、警察の目の届かない、そして逃げ場のない密室空間を犯行場所に選ぶしかない。


ということで、クルーズ船が犯行現場に選ばれた。
そのために、犯人は、ヒアカムの事務所とクルーズ船運営会社双方に就職し、機会を待った。
ここは、納得である。しかし…[爆弾][爆弾][爆弾]


今回のヒアカムのステージは、
[1]ヒアカムファンクラブ抽選[ぴかぴか(新しい)]
[2]スポンサーであるセサミン愛用者の抽選[ひらめき]
を勝ち抜いたファンが招待されている、という設定になっている。


図らずも、昨今のコロナ騒ぎで、我々一般の社会人もクルーズ船というものが、どんなものであるかを知ることとなったが、今回のクルーズ船、クイーン・サンシャイン号も、世界各地を航行している。直近の経由地は香港。
ヒアカムは日本のバンドだから、ファンの大半は日本人と推定できる。
愛するヒアカムのステージを観る為とはいえ、彼女たちは、どこからクルーズ船に乗ったのか。
クルーズ船内の劇場のチケットだけを提供するというのは、いくらなんでも失礼なので、当選内容は、クルーズ船の航海+ヒアカムのステージとなるべきで、とすれば、「香港ー東京乗船券+ヒアカムステージ」[exclamation&question]
じゃあ、日本のファンの皆さんは、おのおの香港まで自力で到着した上で、クルーズ船に乗ったのだろうか[exclamation&question]
もちろん、ファンだったら、そこまでするかもしれない。
しかし…
忙しい警視庁の刑事であるBEARこと熊田が、チケットが当たったからとはいえ、わざわざ香港まで行って、クルーズ船に乗って、そしてこのステージを観るか[exclamation&question]しかも、チケットを当てた奥さんが一緒じゃないのに。海外旅行だよ[exclamation&question]
しかも、彼は、今乗り込んだような体で劇場に現れた。
世界周遊型が基本の豪華クルーズ船であるが、フィクションとして、東京⇔香港のクルーズだったと仮定しても、熊田の行動は、謎だらけだ。


それに、クルーズ船の上は、日本国内ではないので、警視庁の刑事には、何の捜査権もない。
BEARがえらそうに、REDに指示することはできないのだ。


メンバーを殺害するための時間、密室状態の劇場が必要なのであれば、竹島桟橋から出ているディナークルージング船とかでいいんじゃないの[exclamation&question]東京湾内であれば、当然警視庁の管轄なので、BEARの態度も納得できるし。
ディナークルージング船だと、客席は劇場じゃなくて、DS形式にはなってしまうんだけどね。それに短時間で効率よく犯行を行う必要がある。第一の事件が起きた段階で、船は出発地へ戻ろうとするからだ。
と、ここまで考えたところで、ふと、想像したのは、昨年末に行われた七海ひろきのDSのこと。
もしかしたら、最初のアイデアは、DSを芝居形式にすることではなかったか。それで、林誠人さんに脚本をお願いしたものの、結局、DSはDSとしてやることになり、林さんの脚本は、別途舞台劇として再生させることになった。設定の変更部分や出演者・公演時間の増加等に対応するため、天真みちるさんのスーパーテクニックが必要になった…とか。
いや、ここまできたら、妄想か[あせあせ(飛び散る汗)]


あ、大島とか八丈島まで行くクルーズ船だったら、時間もけっこうかかるので、こっちの方が現実的かな。遠いけど東京都だから警視庁の捜査権は保持されるし。


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「ダウントン・アビー」 [┣本・映画・テレビその他エンタメ紹介]

NHKのドラマは、ほとんど見ていないのに、映画「ダウントン・アビー」を観てきました。


20世紀前半のイギリスの田舎を舞台に、貴族社会のあれこれが、当の貴族と使用人社会の両面から描かれている。
今回の映画は、テレビシリーズの2年後、ダウントン・アビーに国王夫妻が訪れる、という事件を描いている。
登場人物たちをよく知っていたら、さらに楽しめるのだろうけど、単独の映画としても楽しむことが出来た。当時の国王は、ジョージ5世。宝塚で上演した「エドワード8世」では、磯野千尋さんが演じていた、あの役ですね。そう思うとなんとなくついて行けるような…[るんるん]
国王訪問という一大事を前に、邸を取り仕切る後継者のメアリーは、引退した元執事のカーソンにカムバックを要請する。ひとつの邸に執事は二人必要ないため、現役執事のトーマスは、カーソンがカムバックしている期間は休暇を取ると言って出て行ってしまった。拗ねてます…[あせあせ(飛び散る汗)]
さらに、国王夫妻が滞在する間は、自分達が取り仕切るのだ、と王室直属の使用人たちが大挙してダウントン・アビーに到着、我が物顔で振る舞い始め、使用人たちは憤慨する。料理どころか、食材まで持ち込むのだから、料理長のパットモアや助手のデイジーは、怒りを通り越して戸惑いを隠せない。村のグローサリーでは、国王陛下のお口に我々の食材が…と感動の極みで、邸は使うあてのない食材の山になってしまう。
伯爵家の皆さんは…というと、亡くなった三女の夫で、領地の管理人となったトムは、かつてアイルランド解放の戦士だったため、ジョージ5世暗殺計画に巻き込まれる。
メアリーの祖母、バイオレットは、メアリー王妃の侍女となっている従妹のモード・バッグショーと十数年ぶりに再会するが、彼女が自身の家督をメイドのルーシーに継がせるつもりと知って激怒する。
そんな間も、邸では、これでもか[exclamation]という小さな問題が積み重なっていく。そして、とうとう、使用人たちは、国王付きのスタッフから仕事を取り戻す決意をする。
一方、休暇を取ったものの行くあてのないトーマスは、パブで時間を潰していたが、そこで出会った男性に秘密クラブに案内される。…が、そこに警察の手入れが…[がく~(落胆した顔)](当時、ゲイは病気とか犯罪の扱い)
国王夫妻の長女、メアリー王女が強権発動する年上夫との関係に悩んで落ち込んでいるのを慰めたり、国王暗殺を阻止したり、ルーシーとラブラブになったり、トムが大活躍[exclamation×2]していて、切っても切ってもトムだなーとも思ったが、たぶん、彼の人気がすごいんですよね[exclamation&question]
トーマスには、なんだか新たな愛の予感が[exclamation&question]国王側スタッフの案件もなんだかんだで収束し、国王夫妻もメアリー王女も満足して邸を去った。いろいろめでたしめでたし…の中、(実は、ルーシーはモードの実の娘だということも判明し、モードとバイオレットも和解[ひらめき])バイオレットは、自分の死期が近いことをメアリーに告げ…と、なにやら、このままでは終わらない雰囲気を醸し出しつつの終了。
イギリスの田舎風景が美しくて、ステキな映画でした。


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「弁当屋の四兄弟ー令和二年版ー」 [┣演劇]

令和二年版
「弁当屋の四兄弟」


脚本・演出:澁谷光平
音楽:まるやまたつや
舞台監督:本郷剛史
照明:たなか一絵
音響:竹田雄
音響オペ:閏野奈生人
宣伝美術:志村佳彦
宣伝写真:konn
制作:河嶋浩介、井手昭仁
当日制作:美音
企画・製作:スプリングマン


以前観た時(平成二十九年版)の感想はこちら
あら、もう、三年前になるのか…[あせあせ(飛び散る汗)]


今回の令和二年版が本作のラスト公演となり、もう再演はしないそうなので、あらすじも書いてみようと思う。
最初のシーンは、新しい場面。初めての子供が生まれるのを機に、父の仕事を継ぐことを決意する吾郎(藤波瞬平)と、その妻・五月(さかいかな)の場面。
が、次のシーンでは、源家の父親・吾郎はすでに亡く、母親はだいぶ前に家を出て行ったきり。今は、長男の信秀(日南田顕久)が家業の弁当屋を継いでいる。独身なので、周囲から見合い話を持ち込まれている。次男の龍盛(竹下健人)は大学卒業後電気メーカーに就職、現在はハワイ支社に勤務している。結婚しているが、妻をハワイに残して帰国中。三男の清朝(関修人)はニート。でも、ラブラブの恋人、ねね(大竹ココ)がいる。四男の瑠宇玖(久保優二)は大学生。実はモデルやタレントを目指している。
ほかに、お店のアルバイトを長年続けている春日さん(あきやまかおる)が、店だけでなく、男ばかりのこの家の面倒も見ている。
店には、大手グルメサイトの営業マン、平将一郎(狩野翔/小林大紀)が何度か訪れており、50年以上続く老舗の弁当屋ということで、全国展開の話を持ち掛けてくる。
ここで、源VS平という名前が登場するのが、くすぐりだったりするわけね。
最初は、サラリーマンの龍盛が話を聞いて、ビジネスとしての可否を判断しようとするのだが、ニートの清朝は違うことを考えていた。
一方、信秀の見合いは実施され、相手の宇多桜子(木村はるか)は、信秀を気に入ったようだったが、相当貧しいようで、近所で摘んできたキノコを土産にするような女性だった。
ところどころ挿入される過去の父の物語は、過去の父母の物語になっている。平成二十九年版を観た時は、なんとなーく吾郎さんは、奥さんが出て行ったからやさぐれちゃったのかな~と思っていたが、そもそも、彼の職人気質が周囲との軋轢を生み、それを諫める奥さんとの関係まで悪くなっていった結果、奥さんが出て行くことになったようだ。奥さんは、「スプライト買って来る」と言ったまま出て行ったので、源家では「スプライト」は禁句である。
信秀は、兄として、三人の弟、中でも、社会人になっていない清朝と瑠宇玖の心配をしているが、弟たちは、兄の心配をよそに、仲が良くない。特に、清朝は、瑠宇玖を“本当の兄弟とは思えない”と感じている。
(名前が戦国武将風からスターウォーズ風になってるのは、吾郎の趣味が変わったから…らしい。)
で、実際、兄弟じゃないってか、清朝が考えるように瑠宇玖がもらいっ子なのではなく、清朝がもらいっ子だったという事実が、やがて明らかになる。高校を卒業してからニートだったからこそ、戸籍謄本を見たことがないわけで、よくよく考えてみたら、これは当然の帰結。
けれど、吾郎が料理人としての才能を感じていたのは、子供だった清朝の方で、彼は、兄が作る弁当が本当にまずいと思っていたので、手伝わなかった…という、いささか残酷なバックグラウンドは、清朝が中心となって、リスクを取った弁当事業を展開していくことを、信秀が支持することによって、収束していく。
そして、信秀は、春日さんを伴侶に選び、桜子のことは、清朝の同級生で郵便居に勤める板垣春人(浦尾岳大)が気になっているようで、全体的にちゃんとすべてが収まっていく、心温まるストーリー。


物語を知っているので、平成二十九年版ほど「よかったー、感動した―」みたいな気分にはなっていないが、(吾郎の物語が増えたことで、若干の重苦しさが増大したこともあり)やはり、秀作だな、と思う。
俳優によって、場の雰囲気は変わるが、俳優によって、芝居自体のイメージは変化しない。この作品が、戯曲として優れていることの証だと思う。
瑠宇玖役で出演した久保優二に注目していたのだが、ああ、ほんと、瑠宇玖だわ、と思う好演。信秀に貸したような服装も実際着てたっておかしくないと思う。ルックスが端正だし、映像にも興味があるようだし、実際にCM等でも見かけるが、やはり、舞台で観たい俳優だと思う。背景まで(この役の人、こんな生活してるんだろうな…みたいな)想像させる俳優は稀有。また、どこかの舞台で会えますように。
吾郎さん(藤波)も相変わらずのキャラで堪能できました[わーい(嬉しい顔)]
あきやまさん、木村さん、さかいさん…なにげに、私、けっこうな本数観ている気がする。特に、あきやまさんについては、もはや、ファンの域に入っているような[わーい(嬉しい顔)]たぶん、また別の舞台で会えますね。


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「メアリ・スチュアート」観劇 [┣演劇]

「メアリ・スチュアート」


作:フリードリヒ・シラー
上演台本:スティーブン・スペンダー
翻訳:安西徹雄
演出:森新太郎


美術:堀尾幸男
照明:佐藤啓
音響:藤田赤目
衣裳:西原梨恵
ヘアメイク:鎌田直樹
演出助手:平井由紀
舞台監督:瀬崎将孝
技術監督:熊谷明人
プロダクションマネージャー:福田純平


NHKのBSプレミアムで放映されていた「クイーン・メアリー」というドラマに嵌まっていたので、これはぜひ観たいと思っていた。
行ってみたら、フリードリヒ・シラーの戯曲なんですね、これ[ひらめき]
昨年、観劇した、宝塚の『群盗』を書いた、あのシラーが、英国の王位継承争いを書いていたのか…と、その辺も興味深く観た。


冒頭、照明の暗い中、ポーレット(山本亨)とハンナ(鷲尾真知子)、二人だけのセリフの応酬。ここで、まずガツンとやられる。胆力のある深いセリフ回しに、演劇だな…[exclamation]と深く感じ入る。そして、たぶん、こういう部分が、18世紀文学なんだろうな…[たらーっ(汗)]なんて勝手に考えたりもする。
ただ、この胆力のあるセリフを聞かされた後、タイトル・ロールであるメアリ・スチュアート(長谷川京子)が登場すると、さすがにセリフの力が違って、残念さを感じる。8年ぶりの舞台とのことなので、仕方ないのかも。もちろん、姿形の美しさを含めて…のヒロインなのだが。メアリの衣装は、基本、喪服だが、その黒が彼女の美貌を際立たせる。
あと、演劇的である、ということは、若干(やりすぎという意味でなく)時代がかっているのかもしれない。その辺が、ハセキョーとのバックボーンの違いでもあるのかな。
さて、冒頭に登場したポーレット(幽閉されている城の領主)の甥、モーティマー(三浦涼介)は、実は、カトリックに改宗していて、メアリを逃がそうと計画している。この若者の暴走と死に、シラーのバックボーンである“シュトゥルム・ウント・ドランク”(疾風怒濤)を感じた。美しい若者の暴走は、それだけでドラマなのね[黒ハート]
一方、メアリを幽閉した張本人のエリザベス(シルビア・グラブ)は、白を基調としたエリザベス朝を意識したドレス姿。(襟は大きく開いていたが、首の後ろ側がスタンドカラーになっている。)顔は白塗りをしている。
エリザベスは、メアリに対して対抗心を持っていて、どちらが美しいか…などと聞いては重臣を困らせていたらしい。そういうことを考えると、美への執着はすごかったんだろうと思うが、エリザベスだけを白塗りにしてしまうのは、それが当時の最先端のファッションだったとしても、気の毒な気がした。
白塗りの持つ、道化っぽさ(志村けんのせい[exclamation&question])を一身に背負ってしまい、実は主役なんでは[exclamation&question]というくらいの複雑な心理描写が、隠されてしまう。これはすごくもったいないな…と思った。
メアリは、とてもドラマチックに人生を駆け抜けるが、彼女の信念は、揺るがない。それに比べて、エリザベスは、メアリの死刑を執行すべきか、というひとつを取ってみても、めちゃくちゃ悩む。悩んだ挙句、秘書(黒田大輔)に責任をなすりつけたりしている。その人間臭い魅力を、シルビアが大熱演しているのに、白塗りのせいで、滑稽に見えてしまう。
滑稽さもまた、表現のひとつかもしれないが、私は、そういう手法は気に入らないな、と思う。


エリザベスの恋人でもある、レスター伯役は、吉田栄作。最近、ほんとにはずさないな~[黒ハート]エリザベスの忠実な家臣である一方で、メアリへの同情は、単純に同情だけ[exclamation&question]と思わせる色気と狡猾さ、そして1幕終わりのエリザベスとのラブシーンなど、見どころは多い。
山崎一、藤木孝、池下重大など、みんないい仕事、してたな~[ぴかぴか(新しい)]そんな中で、気の毒すぎる秘書(黒田)が忘れられない。
ラストシーンでは、メアリも白いドレスになっていたが、二人の女王が同じ白いドレスというのも、シルビアへの意地悪[exclamation&question]な気がした。史実通りの赤いドレスでよかったのでは[exclamation&question]


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