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合意書締結… [┣生徒・演出家・劇団論]

宝塚歌劇団宙組劇団員の逝去に関するご遺族との合意書締結のご報告並びに再発防止に向けた取組について


2024.03.28


このたびの宝塚歌劇団宙組劇団員の逝去を受け、ご遺族の皆様には心よりお詫び申し上げます。
阪急阪神ホールディングス株式会社、阪急電鉄株式会社及び宝塚歌劇団は、このたびの劇団員の逝去につきまして、本日、ご遺族との間で合意書を締結いたしましたことをご報告申し上げます。また、再発防止に向けての取組の状況についても併せてご報告申し上げます。


2024年3月28日 宝塚歌劇団


詳細はこちら


 


昨年9月に歌劇団宙組生徒が死去し、その死因をめぐって対立していた歌劇団(阪急阪神HD)と遺族の間に合意書が締結されたとの発表があった。歌劇団側はパワハラの事実を認め、何人かの現役生徒からの謝罪文を遺族側に送ったとのこと。この合意書の締結により、ようやく止まっていた宙組の時が動き出すこととなった。
この半年の間、ファンの間でも、事件をめぐって意見が対立し、修復不可能なほどにこじれてしまったり、宝塚に失望してファンをやめてしまったり…と、取り返しのつかない出来事が次々と起きてしまった。


そもそもの発端は、2023年の初めごろの“文春砲”だった。
あの記事、ディープな宝塚ファンであればあるほど、それが問題であることに気がつきにくかった。「上級生の厳しい指導」が宝塚の文化だと、21世紀になって信じて疑わない部分があったからだ。その時点で、歌劇団側、あるいは阪急阪神HDがなんらかの手を打っていれば、事件は未然に防げていたはずだが、文春側への怒りの方が強くて、そんなことは思いもしなかった。
歌劇団側の悪手を指摘するのは簡単だが、自分自身の思い込みを思うと、初動の悪さを責める気にはなれない。
が、今、このような合意書が締結されたことを鑑みると、少なくともあの時の文春砲と、その後の週刊女性をはじめとする週刊誌報道も事実をもとにしたタレコミがあったんだろうな…と思ってしまうし、それを否定だけで終わってしまったファンとしての自分も相当終わってたな…と、思った。


これから、宝塚歌劇団は生まれ変わらなければならないし、ファンの一人として、私自身の意識もアップデートの必要がある。これからも、時々内省する時間を設けたいと思います。


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宝塚歌劇団の一件について [┣生徒・演出家・劇団論]

ご無沙汰しています。


ご無沙汰だったのは、夜野側の事情によるもので、エンタメ好きが高じてとうとう舞台の制作のお仕事を始めたのが原因でしたが、宝塚がこのような状況の中、一言二言書き散らかして仕事に行くことはできないな…と思い、しばらくブログを書けずにいました。


宝塚のことを愛して、その感想をブログに書いたり、Xやインスタグラムに書いているファンの方は数多くいらっしゃると思います。そのすべての方が、多かれ少なかれ今回のことに影響を受け、これまで通りの発信をできなくなっているのを感じています。


発信するのがすべてだとは思いませんし、これを機に、宝塚や観劇から少し距離を置くのもまた、ひとつの方法だという気もします。
そんな中、今日は少し時間ができたので、私自身のことを少し書いてみようと思います。


ブログという発信手段が全盛期だった頃に、宙組トップスターだった大空祐飛(現・ゆうひ)さんのファンとして、たくさんのアクセスを稼いでいた自分の過去を振り返ると、このまま、何も言わずに、感想を書き連ねていくのも違うのかな、と思いました。


初めて宝塚に触れたのは、初演の「ベルサイユのばら」です。当時小学生だった私は、「将来、宝塚に入る!」と無邪気に言っていたそうです。
しかし、いつの間にかそんなことも忘れ、普通の人生を送っていた私は、「ベルサイユのばら」再演のニュースに再び目を覚ましました。既に社会人になっていた私は、「宝塚に入る」ことはなくても「宝塚を愛する」ことはできるのだな、と知り、1990年2月月組公演「大いなる遺産/ザ・モダーン」以来、一公演も欠かさず、東京宝塚劇場の公演を観劇し続けてきました。33年半ですね。こんな長い趣味、あるでしょうか。
そんな中で、大空祐飛さんの存在に出会い、それがこんにちまで続いているわけで、ご縁だなーと思います。
私の人生と宝塚は、今更、切っても切れない関係なのだろうと。


今回、宙組東京公演が12月14日まで上演中止となり、私の33年続いた記録も途切れることになりそうです。
長いファン生活の中では、現役生の死去という悲しみも何度か経験してきました。
卒業生の中には、自ら命を絶たれたスターの方もいらっしゃいます。
しかしながら、現役生が「自殺と見られる」形で亡くなられたのは、初めての経験で、さらに遺族から「パワハラ」「過剰労働」についての責任を問われる状況は、長年、無批判に宝塚を愛してきた自分自身の責任までも問われているようで、言葉に詰まるとは、このことか、と思いました。
さらに連日繰り広げられているワイドショーでの宝塚批判の厳しさには、こちらが病んでしまいそうで、コメンテーターの方々が、いちいち「あり得ない」と言っている事柄は、実は、私たちファンならよく知っていることで、「厳しいんだな、大変だな」くらいしか思っていなかった自分の想像力のなさが恐ろしくなりました。


そうなんですよ、知ってましたよね、ファンなら。
娘役が初日前夜、完徹でアクセサリーを仕上げること。そもそもそれが「自前」なこと。
新人公演の香盤が発表されたら、本役さんにご挨拶に行かなければならないこと。(これなんか、NHKの番組でそのシーンを放映されてましたもんね。)
新人公演長の期への負荷がものすごいこと。
音楽学校の上下関係の理不尽とも思えるあれこれ。(これもテレビ番組で紹介されることが多かったですよね。ただ、これに関しては、95期から下は、下級生指導をほぼしていないそうですので、以前のテレビで見たあのイメージは、だいぶ違うということで。)
秘密でもなんでもなくて、グラフや歌劇で生徒さん自身が、ごく普通の話として語っていましたよね。
だから、少なくとも、グラフや歌劇で発言されている生徒さんも、それが、「パワハラ」とか「過剰労働」とかいう認識がなかったわけです。めちゃくちゃ根が深いなーと思います。


舞台上のことではありますが、昨今、再演ものなどで、「男性が女性をビンタする」「黒塗り」「ジプシー」「差別的な歌詞」など、過去の公演では「ステキ」だったものが、世界的に許容されないものになってきていて、宝塚も変革を迫られているな~と感じる部分はありました。
それは舞台上に留まらないんだなという、当たり前のことが、自分の中で欠落していたことは、反省しなければ…と強く自戒しています。


今後、宝塚では第三者委員会により、他の組の生徒や音楽学校生からも聞き取り調査をして、宝塚歌劇団全体の問題点を洗い出し、是正していくことになるそうです。
最初からそうすればよかったのに…とワイドショーでは言っていましたが、丁寧な外部弁護士による宙組生徒への聞き取り調査の報告書自体は、公平でしっかりとしたものだったと思います。(黒塗りについては、亡くなられた生徒さんのプライバシーに関する部分で、公表しないのは当然だと思いました。)
しかし、ご遺族の主張と相反する部分も多く、納得を得られなかった、というプロセスを経て、両者の意見交換の中で、「やはり第三者委員会」ということになったのは、仕方がないことなんだろうと、思っています。
(夢を売る宝塚なので、すべてを白日の下に晒すというのは、躊躇があったとしても、それは、隠蔽や改ざん目的ではなかったと思います。秘すればこその花なのですから。)


ある意味「知っていた」ことは多くても、もちろん「知らない」ことの方が多い外部のファン。
今は、憶測でものを語る時ではないーと思いながらも、ひとつだけ、宙組のいびつさを感じることがあります。


宙組ができて25年。
現在のトップスターは、全員、初舞台の時から「宙組あり」の状態で育ってきています。
なのに、なぜ、宙組では「生え抜き」のトップスターが一人もいないのでしょうか?
トップスターどころか、「生え抜き」2番手すら、今回の桜木みなとさんが「初」です。トップ娘役も、星風まどかさんがなっただけで、その彼女も、途中で異動しました。
(もちろん、各組トップスターも生え抜きだけではありませんが。)
そして、組替え。宙組から出て行ったスター達は、その後、異動先でさらにステップアップすることなく退団する例が多く見られます。
(もちろん、退団は、本人の意思です。)
ここに居ても、使い捨てられる…そんな意識が現役生の中に育っていないか、ちょっと気になるところです。


あと、週刊誌のネタになった時に、生徒をどうして異動させなかったのか、ということが気になっています。
それは、宝塚において組替えの機会が少なく、たいていは、スター生徒が半年から一年先に組替えする発表が、年に一度あるかないか、というところだからでしょう。
そんな中、突然、急な異動があったら、ファンが動揺するのは間違いありません。
もっと、普通に人事異動の機会を作る。スターじゃなくても、その他大勢でも、本人の適性を見て、どんどん異動させる、ということが活発になれば、組の中で息苦しく感じている生徒も、「逃げ場がない」ということにはならないと思います。


宝塚が、新しい時代を生き抜いていけるように、改革すべきところは改革して、生徒さんたちの心と体をしっかりと守ってあげてほしいと切に願います。


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静かな劇場 [┣生徒・演出家・劇団論]

3月1日、月組を観劇した。
この日は、イープラスの貸切公演。当選者本人が電子チケット「スマチケ」をダウンロード(分配不可)して観劇するため、全員が「申し込み枚数1枚」として抽選に参加し、当選して、ここにいる。隣の席は、当然、見知らぬ他人だ。友人知人が当たったという人もいるだろうが、席まで隣ということはあり得ない。
休憩時間、終演後の規制退場の順番を待つ時間、今まで体験したこともないほど、静かだった。


本当に感染防止を第一義的に考え、観客が喋らない世界を作りたいならば、チケットをすべて1枚単位で発売すればいい、と、言われていたが、本当にその通りだった。
かつては、一人観劇の時に、お隣の方から話しかけられ、話が弾んだこともあったが、このご時世で、わざわざそんなことをしようと思う人もいないだろうから、本当に静かになる。
「お客様同士の会話はおやめください」というアナウンスは、あいかわらずなされていたが、(そういえば、お連れ様とは言っていなかった。今回の貸切の販売方法は伝わっていたのかも…)静まり返った劇場にむなしく響くだけだった。


このブログでは、もう3~4回ほど書いているが、そういうチケット販売方法に踏み切っていないということは、宝塚歌劇団は、こういう静かな客席を目指しているわけではない、ということに、いい加減、みんな、気づいてほしい。
ああいうアナウンスがなされるのは、それが、宝塚歌劇団と東京宝塚劇場の「感染症対策」であるからだ。
5000人以下の「観客が上演中に発声をしない公演」は、対策を講じ、それを公表することで、キャパマックスの公演を行うことができる。
対策とは、たとえば、
「アルコール消毒液を用意する。入場者の体温を測る。開演前、休憩時間の換気を行う。座席と床の除菌を毎日行う。観客に対して“マスクの着用、飲食の禁止、観客同士の私語厳禁”を呼びかける」
みたいなもの。
対策は、主催者ができることを記載するので、「観客がしゃべっていない」状態を保全する必要はない。
ぶっちゃけ、呼びかければいい、だけ。


それでも、トラブルになるくらい呼びかけてくる理由は、別の観客からのクレームに対応しているのだと思う。
観客といっても、2000人いれば、色々な観客がいる。
毎日劇場通いをしている猛者もいれば、この日のために何ヶ月ぶりに東京に来て、感染の不安に怯えながら、それでも宝塚を観たくて、息を詰めるように舞台を見つめている人もいる。不安で不安で、それでも宝塚を観たい気持ちが勝って劇場に来てみれば、休憩時間に大きな声でしゃべっている人がいて、怖くてたまらない。ここに来たせいで、感染して、家族にうつしたら…と涙が止まらない人だっていると思う。
そういう人が、劇場スタッフに訴えてくるとしたら、それは対応せざるを得ないだろう。


なので、猛者の皆様も、猛者以外の観客に配慮してあげてほしいな…とは思う。


しかし、一方で、「なんで静かにできないんだろう」と、毎回ツイッターに書くのは、どうかと思う。
なぜなら、上記の「感染対策」が形骸化していることを宣伝しているようなものだからだ。
「公演を最後まで継続するために、お客様同士の会話はお控えください」という、アナウンスを行う側も、ちょっと感情的になっていると思うが、それを真に受けて、「こう言われているのに、みんなが喋っていた!」とツイッターで全世界に発信するのは、それこそが公演を最後まで継続することへの足枷になりかねない。
それは、本人的には、劇場のアナウンスを聞かないダメなファンがいるという告発であっても、世間的には、劇場が公表している感染対策が不完全であるという告発になっているから。それによって、公演が継続できなくなったら、「あの人たちが喋っていたから」って思うのかな、それでも。


私には、ちょっと、そういう正義は理解できないな。


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「桜嵐記」と「fff」 [┣生徒・演出家・劇団論]

今年、上田久美子先生は、望海風斗と珠城りょう、二人のトップスターのために、ふたつの物語を書いた。「fff」と「桜嵐記」。どちらも歴史上の人物が主人公だが、作品の構成の仕方が正反対で、久美子先生が、色々な作劇を試しているのかな…と興味を持った。


歴史上の人物とはいえ、ベートーヴェンと楠木正行には大きな違いがある。
18世紀の生まれとはいえ、膨大なスコアを残しているベートーヴェンに対して、楠木正行の史料は少ない。また、その人を主人公とした先行作品の存在も膨大なベートーヴェンに対して、正行はほとんどない。


そんな対照的な二人の人物を主人公に、サヨナラ公演というプレッシャーも受けながら、上田先生はどのように作品作りをしたのだろうか。


「fff」はベートーヴェンおよび彼と同時代に生きた人々の人生、そして、彼らが生きた市民の台頭する時代を、一度バラバラのピースにして、再構築したような、観念的な作品に感じられた。ベートーヴェンの人生を一言で言い表そうとした時、誰もが思いつく「不幸」という「概念」を「相手役」に、「不幸」から生まれ「歓喜」を歌う「物語」に昇華する。そこに、観客のカタルシスが生まれる。
ラストがカタルシスに昇華するのは、すべて、望海風斗と真彩希帆という稀代のシンガーコンビが率いる、最高にチームワークの高まった雪組メンバーによる、歌と踊りによる「第九」(歓喜の歌)あればこそ。最後の部分を、出演者と観客に委ね、その力を信じることで、舞台を成功へ導く。上田先生の演出家としての円熟を感じる部分だった。


一方、「桜嵐記」には、観客への疑念が最初にある、と感じた。
冒頭の解説は「太平記」知ってる観客は少ない、という前提に立っている。それも、「聞いたことがある」「大体は知ってるけど細かいことは知らない」というレベルではなく、「太平記、ナニソレおいしいの[exclamation&question]」レベルだと侮っているとしか思えない。
「fff」での絶大な信頼からの手のひら返しがなぜなのか、今の私には、想像することもできないが、そのせいか、なんなのか、「桜嵐記」は、非常にオーソドックスな展開を見せる。
登場人物は、相変わらず、パズルのピースのように配置されているものの、物語の進み方は、体感時間を計算したものになっている。(「fff」は、エピソードのひとつひとつが、ベートーヴェンの生涯の「どこ」に当てはまっているかを、わざと曖昧なものにして、自分より年上の友人の子供が生まれる…という出来事から、自身の死までがほんの数年の出来事のように感じさせることで、彼の生涯に疾走感を与えている。)
登場人物の感情の発露も、十分に間を取って表現され、前回置いて行かれたかもしれない観客を、大事に拾っているのを感じる。
それでいて、一番大事な、「正行がなぜ挙兵したのか」の理由を、出演者と観客に委ねている。
それを観客に委ねて大丈夫だと判断したかのように。
そして、おそらく大丈夫という上田先生の読みは当たったんだろうと思った。そして、その読みは、冒頭の疑念と鏡合わせの位置にあるのだと。


結果的に、私には「fff」が刺さり、「桜嵐記」はそうではなかったが、これは逆の人も多いだろうし、どちらも楽しんだという人もいるだろう。
一人の脚本家の中に、これほど真逆のアイデアが詰まっていることはすごいことだし、今後、上田久美子という作家(演出家)がどう変化していくか、ますます興味津々。


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誹謗中傷? [┣生徒・演出家・劇団論]

SNSやインターネット上における誹謗中傷等への対応について

2021/03/01

いつも宝塚歌劇にご愛顧を賜り、ありがとうございます。
昨今、TwitterやInstagram等のSNSやインターネット上の掲示板等において、出演者やスタッフに対する誹謗中傷や、事実に基づかない悪意ある憶測を流布する行為などが多くみられており、例えば現在、以下のようなものを確認しております。
・特定の出演者やスタッフを名指しのうえ、事実ではない情報をもとに、非難、攻撃をすること。
・特定の出演者やスタッフの技量、成果物その他に対し、本人を傷付ける意図を持って、批評や個人的感想を超えた言葉で攻撃すること。
・特定の出演者の人事情報について、あたかも事実であるかのような表現を使い、事実ではない情報を拡散すること。
宝塚歌劇団といたしましては、お客様よりいただく様々なご意見や叱咤激励を有難く拝見し、より良い舞台をお届けするための励みとさせていただいておりますが、上記のように、特定の個人を攻撃するような行為によって、出演者やスタッフが万全な状態で公演に邁進できない事態になりかねない状況は大変遺憾であり、非常に危惧すべき状況であると考えております。
なお、今後上記行為を確認しました場合には、弁護士等と協議のうえ、しかるべき法的措置を検討させていただくとともに、発信者情報開示請求を実施するなどインターネット上の誹謗中傷等にも対応してまいります。
何卒、ご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。


※太字、カラー、文字サイズ変更は、夜野が強調を目的として行っております。
突然、劇団HPに掲載されたこの記事、どのように受け止めればいいのだろうか[exclamation&question]


劇団から発表された3つの例示は、公式HPに掲示板があった時代からずっと続いているものだったりする。
特定の生徒がビッチであるかの記事が繰り返し掲示板に掲載されたり、抜擢された生徒に対して「へたくそ、やめろ」の罵詈雑言が浴びせられたり、集合日の前日に、退団者名とおぼしき名前の羅列が出たり…もう20年以上、そんな状況に生徒もファンもさらされてきた。
ここにきて、このような、記事が出るということは、よっぽどひどいことがあって、劇団もそれは許せないと思うようなことがあったのだろうか。であれば、本当に由々しき事態ということになる。


一方、この記事が出て以来、主にツイッター上で、自分の舞台感想は大丈夫だろうか、という呟きが散見される。
でも、それは大丈夫だと思う、というか、大丈夫じゃなきゃいけない。「批評や個人的感想の表出」は、我々観るものの権利だ。
とはいえ、原田先生から訴えられるかしら[exclamation&question]とは、私もちょっとだけ思いました。受けて立つけどね。


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開演アナウンスへの拍手と雪組公演(追記あり) [┣生徒・演出家・劇団論]

以前、開演アナウンスへの拍手についての記事を書き、反響をいただいた。
そして、今回、雪組公演で新たな問題を見たと、思ったので、再び書かせていただくことにした。


※前回書いたことについては、重要な部分は繰り返しますが、詳細については、こちらをご覧ください。


開演アナウンスは、ただの案内放送である。他の劇場では、劇場スタッフによる生放送(数分前の注意事項と同様)、録音されたものを使っているところもある。わが宝塚では、このアナウンスを「トップスター」が務める、という慣例があるが、長らくトップさんが氏名を名乗ったくらいでは拍手しないことになっていた。
ところが、100周年を過ぎた頃から、開演アナウンスに拍手が入ることが多くなった。
その理由について、前回記事では推測してみたが、今回は割愛する。


そんな中、前回の月組公演「カンパニー」において、先にバレエ「白鳥の湖」の幕が上がり、ダンサーたちが踊り始めたところへ静かに開演アナウンスがかぶる…という新スタイルにより、どうにもこうにも拍手できない状況になっていた。
これを見て、どうしても拍手が入るのを防ぎたければ、こういうやり方があるんだな…と思った。


そして、今回の雪組公演「凱旋門」。
このプロローグは、まさしく「拍手しないでほしい」パターンの始まり方だ、と思った。
開演5分前に緞帳が上がり、指揮者の塩田さんは、開演前に登場して拍手をもらう。
いよいよ大戦に飲み込まれる寸前のパリ。静かに登場した通行人の動きがダンスになっていく、まさにそこに開演アナウンスが入ったから。
しかし、「専科の轟悠です」とアナウンスが入った途端、客席から大きな拍手が起こった。


なんか、これって、どうなんだろう…[爆弾][爆弾]


そう思った時、舞台センターでライトを浴びる望海風斗にも大きな拍手が入る。


あ、そうか、ここで今作で2番手役を務める雪組トップスターに拍手が入るから、主演で、理事のには、それより前に拍手をする場所を設けなければならない…のか[exclamation×2]


てか、どんな作品も主演の人から舞台が始まるとは限らない。そのためにも、開演アナウンスで拍手しておく、という保険なのだろうか。


実は、望海には、役として登場する前にこうして歌い踊る場面がある。
しかし、は、最初からラヴィック(役名)として登場する。
役として登場する場合でも、スターが登場するたびに拍手が起こる芝居もないことはない。「ベルサイユのばら」なんかは、登場音楽に乗って現れる歌舞伎仕様なので、遠慮なく拍手していい。
しかし、「凱旋門」は、シリアスなミュージカルプレイなので、主役といえども、拍手がそぐわない。


そんなこんなで、開演アナウンスで拍手しなければ、拍手の場所がない…ということか[exclamation×2]
今回は、ショーにも出ないし。


でも…あのオープニングのアナウンスに拍手は、そぐわない[爆弾]
私が観た回だけなのかもしれないが、これは、けっこう深刻な問題になりそうな予感がする。
だって、「カンパニー」が再演されたら、今度は絶対拍手起きるってことだもんね…。(再演されるのか、は置いておいて)


※開演アナウンスへの拍手は日によって大きさが違う。もしかしたら、拍手しない…というのが、FC的には正解なのかも。そして、轟への拍手は、芝居の最後にハケる時の大拍手一回というのが正解かもしれない…と思ってしまった。


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開演アナウンスへの拍手と月組公演 [┣生徒・演出家・劇団論]

宙組20周年イベントの感想などは、ちょっとお時間をいただいてからアップしたいと思います。
(ずんこさんの口から、生で寅組の話と、空組だと縁起悪い話が聞けて、嬉しかったです。)


さて、ここ1年くらい、とても気になっているのが、開演アナウンスに拍手が入る件だ。
もちろん、拍手の入り方や手拍子の入り方は、時代によって変わり得るものではあるのだが、経緯を知らずに拍手を先導している方が多数派になりつつあるのかな…という気もして、オールドファンとしての自分は、どんな立ち位置で対応すべきなのだろう、と考えている。
で、一応、経緯だけは、皆さんに読んでいただくのもいいかもしれない、と思い、書いてみることにした。


そもそも。
開演アナウンスは、ただの案内放送である。
通常の劇場では、開演アナウンスは、劇場スタッフによる生放送(数分前の注意事項と同様)であるところもあれば、録音されたものを使っているところもある。録音しているものも、出演者による工夫を凝らしたものもあれば、なんの変哲もない普通のアナウンスもある。
そして、わが宝塚では、このアナウンスを「トップスター」が務める、という慣例がある。とはいえ、開演直前のアナウンスなので、稽古中に録音したものが使われている。
そんなこともあって、長らくトップさんが氏名を名乗ったくらいでは拍手しないことになっていた。トップさんに最初の拍手を送るのは、生でその姿を拝めた時。
しかし、ここに、少し例外がある。
トップさんのお披露目公演の初日のアナウンスには、拍手を入れるのだ。
それは、トップにならないとやれない開演アナウンスを聞いたファンが、いよいよ名実ともにトップだね、おめでとう!という気持ちをこめて温かい拍手を送り、それが緊張の中、スタンバイしている新しいトップさんに、「私にはこんなにたくさんの味方がいる」と伝える手段になる。(実際、公演によっては、拍手の聞こえない場所でスタンバイしていることもあるが、そういう時は、出番のない組子がスタンバイ場所まで拍手のことを伝えに行くらしい。)
そしてもうひとつ、新人公演のアナウンス。これも、初めて新公で主演をする人のアナウンスには、「新公主演おめでとう!」の拍手を入れる習慣が生まれた。これは、そもそも、新人公演の開演アナウンスを主演者が務めることになった歴史が浅い(と言っても30年以上はやっている)ので、後付けの習慣だろう。
(シメさん(紫苑ゆうさん)が、現役時代、なにかのインタビューで、昔は新人公演の開演アナウンスは、劇場のスタッフさんがやっていたので、トップお披露目が本当に最初の開演アナウンスになるので、その感動は大きかったみたいなことをおっしゃっていたので、シメさんの現役中に変わったんだと思う。)


さて、ここでひとつ問題が生まれる。
宝塚大劇場の初日は、(1/1以外は)すべて金曜日と決まっている。
多くの企業は土日休みなので、これだと、長年、応援してきたファンの全員が観に行ける日とは限らないことになる。ゆうひさんのお披露目の時も、実際、初日には来れずに翌日の土曜日から参戦したファンは多かった。
そういう場合、人情として、My初日は拍手したいよね…みたいな気分が生まれる。
最初は、初日から3日間は、みたいなささやかなお約束でも、そのうちに、一公演、毎日が誰かのMy初日だよね…みたいになっていく。拍手のインフレですね。
そうこうするうち、お披露目関係なく、組総見やDVD収録日なども拍手を入れるようになった昨今、何も知らずに観劇して宝塚ファンになった人は、「開演アナウンスでは拍手を入れるもの」と誤解するようになるのは当然のことだ。
新公だって初主演に限らず、毎回開演アナウンスには拍手が入るようになる。
2017年には、自分が観劇する公演の8割くらいの公演で拍手を聞いた気がする。


生徒さんの滑舌の関係か、氏名を名乗ってから、公演名に移るまでの「間」が長めな人が居る、ということもあるかもしれない。
あと、こちらもここ10年くらいに変化してことなのだが、“指揮・●●により開演いたします”というフレーズが増え、そこで指揮者がお辞儀をするので、名前+拍手という部分で、こっちにするなら、こっちもしようよ、みたいに考えるのも、なんとなくわかる。


これも、時代の流れなのかな…と思っていたら、今回の大劇場公演の冒頭、どうやったって拍手入れられないような構成になっていた。
そっか、この方法があったか、と思った。石田先生、これは偶然でしょうか[exclamation&question]
これを各組で続けて行けば、開演アナウンスの拍手は収まるかもしれない。劇団が拍手をどう思っているかも含め、拍手のインフレの今後に注目したい。


拍手のインフレの一番の問題点は、トップお披露目初日に拍手があっても、緊張している新トップさんが、その拍手を自分への大きな後押しに感じない…くらいかもしれないけど。


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龍真咲と大空祐飛 [┣生徒・演出家・劇団論]

9月4日、月組トップスター龍真咲が宝塚を卒業しました。

2003年、大空祐飛のDS「SPARK!」に研3で抜擢された龍真咲。2005年の「SPARK!2」に参加した同期生の白鳥かすがと榎登也がそれでも最下だったことを考えると、超大抜擢といえる。そもそも、龍の下級生時代の愛称「まさお」も大空祐飛が命名したそうだし、可愛がっていた下級生の一人だったんだろうな…ということは容易に想像ができた。
以下、今は、「まさきさん」と呼ばれているそうだが、一度も呼んだことがないので、下級生時代の愛称「まさお」でしばらく書いていきたい。
祐飛さんの月組最後の大劇場公演「マジシャンの憂鬱」では、二人の小芝居を見るのが、日々の楽しみだった。
いつから、苦手になったのかな…[爆弾]
たぶん、きりやんのトップ時代じゃないかな…と思う。決定的に苦手意識を持ったのは。原因は、いわゆる「まさお節」。あの台詞の高低差が、ジェットコースターに乗っているようで、耐えられなかった[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
苦手なまま、まさおくんはトップになり、でも月組は、ずっと観ていた。
で、退団が決まった辺りから、これは、これで極めているってことなんだろうな、と納得するようになった。
トップを極めるということは、どこか求道者っぽくなることでもある。方向性は違うけど、祐飛さんもそうだった。きっと、そんな祐飛さんを苦手だと思っていたファンも多かったんだろうなーとか、今は思う。
求道者になると、自然体ではなくなる。だいたいにおいて。(中には、自然体であろうとする求道者もいて、そういう場合は不自然なくらい、自然体になる。)
祐飛さんが何を求めていたのか、当時は全然わからなかった。なんか、求道者だ、と思っただけで。
退団して数年してから、メディア等で語っていることを咀嚼するに、つまり、男性になろうとしてたんだな、と気づいた。もちろん、普通の男性に、という意味でなく、宝塚にしか生きられないかりそめの男性に。退団するということは、その男性が死んでしまうことだ、と思っていたとかなんとか…。このブログで、あれやこれや書いた架空発言も、自分を男性だと思っていたのなら、そりゃ架空以外の何ものでもない、と、それを聞いて驚きつつ、変に納得した。
(最近は、死んだのではなく、表から裏に引っ込んで、女優・大空祐飛をサポートしてくれている、と感じているらしい。)
一方、まさおくんは、自分を男性だと思っているようには見えない。なんつーか、フェアリー…かな[exclamation&question]千秋楽の最後に歌う歌を「タカラジェンヌに栄光あれ!」にしたらしいし。
宝塚が好きで好きでたまらなくて、その世界でトップになって、自分のやりたいことができるようになった時、誰もが求道者になるわけじゃない。ただ、この二人に共通してるのは、「踊れない」ってこと[爆弾]今や、宝塚において、「踊れない」というのは、何にも増して大きなハンデなんだな…[爆弾]
てか、歌・芝居・ダンスの三要素のうち、ひとつが壊滅的で、もうひとつも決して褒められるレベルになくて、最後のひとつ(頼みの綱)さえ、好き嫌いが分かれるものだったら、求道者になるしかないってことか[ひらめき]
100周年の頃はかなり苦手でした、正直。
でも、今は、お疲れさまでした、と笑顔で言える。
タイプは違うけど、もうひとつ、共通点。
やんちゃ[わーい(嬉しい顔)]
どんな女優さんになるか、楽しみにしています!女優さんとしてなら、文句なくあの歌声は、大きな魅力になるしね。

“今日は何の日”
【9月4日】
大村益次郎が元長州藩士らに襲われて、重傷を負った(1869=明治2年)。
(←旧暦。新暦では、10月8日となる。)


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入江先生死去 [┣生徒・演出家・劇団論]

宝塚歌劇団名誉理事で作曲家の入江薫先生が15日、老衰のため亡くなられたそうです。95歳という記事と96歳という記事がありましたが、どっちなんでしょう[exclamation&question][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]

1950年に宝塚歌劇団に入団。以来、「ジャワの踊り子」「君の名は」「ノバ・ボサ・ノバ」「風と共に去りぬ」など270以上の宝塚作品で作・編曲を担当されたそうです。

「ノバ・ボサ・ノバ」では、『ソル・エ・マル』の作曲を担当。寺田瀧雄先生の『アマール・アマール』、吉崎憲治先生の『カルナバル』と、それぞれの先生の個性が出た楽曲ですね。
[るんるん]うーみが、あおーく~~~うぅ[るんるん]という突き抜けた歌で始まるからこそ、その後のドラマが甘く切なく進んでいったように思います。

「風と共に去りぬ」では、『故郷は緑なり』を作曲。この曲が出てくる場面は全部泣ける~[もうやだ~(悲しい顔)]

中でも、「ベルサイユのばら」のバスティーユ場面の音楽を担当したことは、特筆したい。「ラ・マルセイエーズ」をモチーフに、マイナーコードで進行する音楽は、岡正躬先生の振付と共に、40年間これなくしてはベルばらではない名シーンとなってる。
あの音楽がなければ、あのバスティーユのシーンがなければ、私はこんなにも「ベルばら」を愛していなかったかもしれない。

入江先生、本当にありがとうございました[黒ハート]


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カレンダー論 [┣生徒・演出家・劇団論]

2015年の卓上カレンダーの掲載月が決まった。

宝塚卓上カレンダー
10月17日(金)発売 A5判/13枚(表紙とも、両面仕様) 850円(税込)

表紙 コラボレーション

1 月 愛月ひかる
2 月 壱城あずさ・天寿光希・十碧れいや・麻央侑希
3 月 彩凪翔
4 月 瀬戸かずや・鳳真由
5 月 珠城りょう
6 月 澄輝さやと・凛城きら・蒼羽りく・桜木みなと
7 月 彩風咲奈
8 月 礼真琴
9 月 鳳翔大・蓮城まこと・香綾しずる・真那春人・月城かなと
10月 芹香斗亜
11月 宇月颯・紫門ゆりや・煌月爽矢・鳳月杏
12月 柚香光

2015年の卓上カレンダーは、サイズだけでなく、すべてが大きく変容するようだ。
これまで、卓上カレンダーは、1枚に1名掲載、それが裏表あるので、24名、表紙含めてだいたい24-26名位の掲載者となっていた。(ズレは表紙で調整し、表紙のみ、複数掲載がありだった。)
過去の変更点は、

  1. 娘役の掲載をなくし、路線男役の掲載数を増やした(1999年版~)[ひらめき]
  2. A面>B面と、掲載面によって序列を明らかにした(2003年版~)[ひらめき]
  3. A面とB面の向きを変え、A面は全身写真、B面は顔写真的な構成にした(2004年版~)くらいかなー?[ひらめき]


なので、今回は、私の知っている限り、最大の変更となる。
裏表掲載なのは変わらないのに、1月に1名の月が7カ月もある。表と裏が同じ人ということだ。
と、ここで、気になるのは、今回から創設された「ポスターカレンダー」の存在だ。
こちらは、表裏1枚ずつ同じスターの写真で、素顔と舞台写真がそれぞれ選ばれているとか。
…とすれば、同じことを卓上カレンダーでやるのかもしれない。

つまり、1月に1名掲載の7人(芹香斗亜・柚香光・珠城りょう・彩凪翔・彩風咲奈・礼真琴・愛月ひかる)は、ミニ・ポスターカレンダー扱いということなのだろう。

この一人写りになっているメンバーは、バウホール単独主演を果たしたメンバーだ。ただ学年が若い等で、ポスターカレンダーを見送られた…ということなのだろう。
それ以外のメンバーは、若手路線枠に入っているメンバーで、おそらく組ごとに勝手に選出されている[爆弾]全体としての統一したコンセプトは、“95期以上”なのだろう。(卓上カレンダーは、一度入った凰稀かなめが抜けた年に、学年制限が設けられたのでは?疑惑がある。こちら。)
だから、新公主演していないメンバーが入っている組もあるし、人数もバラバラ。
しかし、いくらなんでも5人写りって…一人当たりのスペースは何センチよ[exclamation&question]

このメンバーは、組ごとに固まってひとつの月に掲載される…ということは、グループショットでの撮影となるのだろう。裏側が舞台写真だとしたら、そこは画面分割かもしれないが、いずれにしても、表と裏で人を分けたりはしないだろう。そうすると、花組が一人写りになって、ミニポスターの七人と差別化できないからだ。

こうやって、スターを、

  1. パーソナルカレンダーと、パーソナル卓上カンレンダーが発売されるトップスター[ぴかぴか(新しい)]
  2. パーソナルカレンダーが発売される2番手以上のスター[ひらめき]
  3. ポスターカレンダーが発売される中堅スター[かわいい]
  4. 卓上カレンダーでミニ・ポスターカレンダー状態となる期待の若手スター[どんっ(衝撃)]
  5. 卓上カレンダーに掲載された若手スター[あせあせ(飛び散る汗)]

に差別化する、というのが今回のカレンダーの主旨[exclamation&question]

これって、特に3・4・5の分けって意味ある?

私は、過去、ご贔屓がいたときも、いない時も、基本的にカレンダーは、その月のものを開いている。
しかし、ファンの中には、自分の好きなスターの月で12カ月を過ごす人もいるとか。
そういうファンに向けての商品であれば、ポスターカレンダーの発売範囲を拡大し、この7人も含めるべきだ。そうすることで、誰のポスターカレンダーが売れたか、ということも客観的にわかるわけだし。

一方、卓上カレンダーは、そもそも、スターカレンダー、ステージカレンダーと同じ、ごった煮のカレンダーだから、幅広いファンが購入するという性質を帯びている。
今回、ここから、パーソナルやポスターカレンダーが発売されるスターを抜いたことで、そちらが発売されるスターのファンは買い控えることになるだろう。つまり、そもそも去年までほどは、売れない。
そして、カレンダーのもう一つの販路であるファンクラブ経由、が期待したほど売れないだろうと推察できちゃう[あせあせ(飛び散る汗)]のだ。
なぜなら―
ファンクラブ経由で販売する場合、ファンクラブならではの特典が付く。
初めてカレンダー入りした生徒なら、1冊でも多く売るため、サイン入りにする、なんてことは容易に想像ができる。
ところが[爆弾][爆弾][爆弾]
1枚に5人の写真が掲載されたカレンダーなら、サインはほかの人にかぶらないように小さく書かなければならない。宛名書きをするなら、なおのこと、バランスは大事だ。
結果、ハイスピードでサインすることはできない。
サインを付ける条件を厳しくせざるを得ない。(10冊に1冊とかね…)

も…もったいない…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]

今回、5に分類されるスターのファンクラブこそが、このカレンダーの購買数の底上げを担っているのに、そこで買い控えが起こってしまっては、販売数の減少は歯止めがきかない。一人一枚写りであれば、多くのFCでサイン入りカレンダー販売作戦をとれるのに…。

さらに言うなら、こうして、キャトルレーヴや、FC経由で購入したカレンダーで、自分の贔屓は小さくグループショットなのに、やたらでかく一人写りになっているスターがいたら、そのスターのことをよく知らなくても、あまりいい感情を持てなくなってしまうかもしれない。
将来のトップスター候補なのに、他の組の若手のファンから理不尽な悪感情を持たれるなんて、バカバカしい話だ。
そして、将来のトップスター候補なのに、ポスターカレンダーと違って、ハッキリとファンの総数がわかるアイテムではない。ポスターカレンダーはファンクラブの会員以外も購入し、それは劇団側で販売数を管理できるのに、卓上は、キャトルやネットで売られたものは、誰のファンが購入したか謎のままだ。

おそらくポスターカレンダーのメンバーは、売れ行きがそのまま将来に直結するのだと思う。
自分の商品価値に責任を持てよ[爆弾]ということだと思う。プロの集団なのだから、それはある意味、必要な厳しさかもしれない。

今回、中途半端に擁護された将来のトップスター候補生は…本当にそれでいいのかなぁ[爆弾]
(たぶん高速サインができる要件は揃ってるけど、既にスターだから、条件厳しくしてるだろうし…[爆弾]

今回のカレンダー、…誰得[exclamation&question]

【今日の言葉】~宝塚日めくりカレンダーより~
「僕は本当に信じ、愛する人を捜し求めていた。そして、そのもやもやしたものの中で衝動的に国をとび出した。しかし今、僕は愛する人に巡り会ったんだ」byクリス@『恋の冒険者たち』
作・演出:村上信夫
星組 1980年

掲載されている写真は、瀬戸内美八さん、東千晃さんでした。


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