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「ラヴ・レターズ」 [┣矢崎広]

6回目の「ラヴ・レターズ」。前回は、TOSHI-LOW×大空祐飛(現・ゆうひ)。感想は、こちらです。


「ラヴ・レターズ」は、アメリカに住む男女の約50年におよぶ手紙のやり取り、という設定の戯曲を、男女の朗読という形式で、ステージ化した作品。


今回の出演は、矢崎広×妃海風。


パルコ劇場が建替中ということで、今回は、草月ホールでの開催となった。また、演出の青井陽治さんの死去により、演出家が藤田俊太郎氏になっている。藤田演出での「ラヴ・レターズ」は初観劇だ。
青井さんの時は、リハーサル以外に出演者へのレクチャーを行っていた(若手の俳優の場合は8時間くらい)そうなのだが、藤田さんはどうなんだろう[exclamation&question]初演からの年数が経過するにつれ、作中に登場する言葉の意味は、どんどん分かりづらくなっていくように思う。


会場が変わったせいか、演出が変わったせいか、新鮮な気持ちで観劇。
矢崎の持ち味って、アンディっぽいな~と、あらためて思う。揶揄されるくらいに真面目で、真摯で。でも、それだけじゃない…みたいな。妃海の持ち味も、メリッサかもしれない。オタクな芸術家って感じで。
6回目ともなると、ああ、どこですれ違っちゃったんだろう…みたいな、忸怩たる思いは、すっかりなくなっていて、こういう二人だから、すれ違うのも必定、結婚してたら、ラヴ・レターズは続かなかったし、これでよかったんだよ…という視点になってくる。
そういう目で観ているせいか、それとも、本当にキャラが合っているせいか、見事なアンディとメリッサだった。


唯一の失点は、照明が溶暗していくラストの長い手紙を読む場面で、テキストの文字が見えなかったのか、矢崎が読み違いをしてしまったことかな…。
これは、ちょっと、トラウマになりそう…[爆弾]あそこまで暗くするの、必要あるかなぁ~[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]


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「モマの火星探検記」ミニ感想 [┣矢崎広]

「MOMAの火星探検記」


原作:毛利衛「モマの火星探検記」(講談社刊)
脚色・演出:毛利亘宏


照明:斎藤真一郎
音楽:YODA Kenichi
衣装:村瀬夏夜
舞台美術:秋山光洋
舞台監督:横尾友広
音響:井上直裕(atSoud)
演出助手:本藤起久子
振付:エムジェイ(パシフィック・カンパニー)
ヘアメイク:林美由紀
小道具製作:和田由里子
スチール:金丸圭
宣伝美術:田中ユウコ、me key
タイトルデザイン:武田和香
WEB:田中ユウコ
製作:少年社中、東映


2月に続いて今年2回目の少年社中。
しかし、ぴあの先行抽選に当たったはずなのに、3階席って…どんな配席なの[exclamation&question]
さすがに、3階まで満席ですけどね。

でも、今回、すっごい見切れた。センターがまったく見えない[exclamation×2]
なぜなら、男性客が多いから(笑)
劇場に男性客、もっと来てほしいな、と思いつつ、座高の高い客、前に来るな、と思ってしまう身勝手な客です[爆弾][爆弾][爆弾]
いいんですよ、見切れても。その分、サイド席、2-3階席の値段を下げてくれるならね。とにかく、いまだかつてないほどに見づらい銀河劇場でした。

物語は、宇宙飛行士となって火星探査に出掛けたモマ(矢崎広)を中心とするストーリーAと、仲間とロケットを飛ばしたくてしょうがないユーリ(生駒里奈)という女の子を中心とするストーリーBが交錯する。
ちなみに、これ、「日本初の宇宙飛行士」としてNASAに派遣され、無事に任務を果たされた毛利衛さんが原作者なのね。とすれば、主人公の名前「モマ」は、モウリ・マモルから来ているということか。するとユーリの名は、世界初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリン少佐の名前から来ているのかもしれない。
ストーリーAでは、宇宙飛行士になった以上、たとえ子どもが亡くなっても、帰ることができないとか、宇宙を飛んでいる間に、乗組員同士の国が戦争を始めたり…とか、そんな状況下、とにもかくにも火星に到着したが、モマ一人がブリザードに飛ばされてクレバスに陥落、帰還できなかった、という悲劇的展開が語られる。
ストーリーBは、ユーリの前に、不思議なおじさんが現れ、ユーリのロケット作りを助けてくれる話が展開する中、だんだん、このふたつの物語は繋がっていることがわかってくる。ユーリは、モマの別れた恋人が地球でたった一人産み育てた娘だったのだ。

宇宙が舞台になっているから銀河劇場を使ったのかもしれないが、2月に紀伊国屋ホールで観た時の臨場感、スピード感が感じられなかった。これは3階席だったからかもしれないし、殺陣シーンがなかったからかもしれない。
ストーリーAはとても感動的で、あーそーかと思う。Bもメルヘンで、途中から理不尽な母親のその理由が見えてきて、なるほどねーとなる。でも、ユーリがおじさんと一緒に歌う歌が興ざめ。わざと下手に歌ってるの[exclamation&question]それ必要[exclamation&question]
個人的には、臨月の恋人に宇宙からプロポーズして撃沈するモマが可愛すぎたけど、なんだろうな、このシーンがあるから、プライベートでの結婚を発表したのかなーと、一瞬、思いました。それぐらいリアルな撃沈ぶりが可愛かったです。


ところで、男性客の主原因である生駒ちゃんは、いつ出演が決まったんだろう。最初のチラシには名前がなかったんだけどな…。


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推しの結婚 [┣矢崎広]

応援している俳優、矢崎広(29)が結婚を発表した。


なにげに「推しが結婚」とか、初めてなので、動揺中。


まあ、あれですよ、推しとか言っても、相手は「若手俳優」なので、そもそも、ファンではあっても恋ではない、とか思っていたつもりが…「おめでとう」という気持ちと「ちっ[パンチ]」という気持ちが交錯するのは、女というのは、いつまでも女なんでしょうね。


友人知人によれば、推しの結婚相手が芸能人の場合、自分がその相手を好きかどうかで、推しへの気持ちも変化するとか。


どうやら、そちらの心配はなさそうなので、家庭を持ち、さらに高みを目指す「ぴろし」を、ゆる~く応援していこうと、あらためて思った7月4日なのでありました。


(30歳直前に身を固めるとは、オトメだなぁ~[わーい(嬉しい顔)]


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「魔王コント」 [┣矢崎広]

「魔王コント」

脚本・演出:家城啓之

美術:泉真
舞台監督:谷澤拓巳
演出助手:大歳倫弘
音響:平井隆史
照明:岡野昌代
衣裳:中溝ゆうき、安樂岡真実
衣裳装飾:田中霧香
メイク:森下奈央子、薩日内麻由
映像:横山翼、藤田陽平
音楽:横川涼

今年も、女優界では、大空ゆうひ、男優界では、矢崎広&多田直人のコンプ観劇を目指す私ですが…
こんなに早く本多劇場に帰ってくるとは、思ってなかったです…(笑)
「魔王コント」は、芸人を引退したまんぼうやしろ改め家城啓之氏の筆になる芝居、いやコント[exclamation&question]
RPGみたいな設定で始まり、「魔王」を倒す!と宣言した「勇者」というか、つい言っちゃったお調子者の顛末についての物語。魔王と戦い、敗れて、このまま死ぬか、生き返って魔族(魔王の部下)になるかを迫られ、魔族になることを選ぶ主人公。そして、第2部は魔王の部下として出世していく物語が描かれる。

タイトルに「コント」という言葉があるように、全体的に、すごく笑いが意識されている。
出演者にNON STYLEの石田明を起用しているのもその一端だと思う。
その一方で、世界観はすごく絶望的。人間という生き物がいかに愚かであさましいか、というところに踏み込んでいる。
死ぬか、魔族になるか、の二択を迫られた時、それぞれのキャラが簡単に魔族となって、人類を駆逐しようとする。最初はためらっていても、一人殺せば、簡単に大量虐殺ができるようになる。
一方、人類の滅亡を防ぐために人類共通の敵となって計画的に人類の人数コントロールをしている「魔王」もまた、孤独な存在で、ずっと魔王をやっていることに耐えられないというのも、なんかわかる。その辺のドラマ的要素にはとても引き込まれた。
出演者も適材適所だし、萌えどころも豊富。オタクにもちゃんと配慮があって大変うれしい。
にもかかわらず、いいものみた!という気持ちになれなかったのは、またまた例のアレです。最近、こればっかだな。

男同士のキスシーンが随所にあり(それが手っ取り早いメッセージの伝達手段)、それをウリにしている部分がありながら、オレはホモじゃない、とか、全面否定なのはいただけない。そもそも、男同士というより、この作品におけるラブシーン的なもののいけてないところは、すべて無理やりってのを肯定しているところにあると思う。
そしてもっといただけないのが、「ブスだから絶対無理」的発言。その「ブス」を演じているのが男優さんなので、許されると思ったら大間違いだ。聞いている方にだって、ブスはいる。笑いにはされたくない。
初対面で、性格も何も知らない時点で、「こんなブスと結婚とかありえねえし」と主人公がマジギレするのは、ほんとつらい[もうやだ~(悲しい顔)]そんな浅い主人公を、好きな俳優には演じてほしくない。

こういうシーンがあると、それだけで、作者が無神経に思え、素敵な場面ですら、そう感じられなくなる。
時代によって、笑いの感覚、笑ってはいけないものの感覚は変わり、今は、より敏感になっていて、そういうのって、一度変わると、もう元には戻らないものだ。
即興的なお笑いの場では、多少のブラックジョークも場の雰囲気で許されることもあるだろうが、しっかりとした脚本のある舞台は、より、繊細な感性が必要だと思う。それを毎日同じように上演するのだから。

ついでに、例の相方のネタはやり過ぎちゃだめだよ、と思う。
矢崎が「えー、それって当て逃げ?」と言うのは笑えるが、石田が40秒お辞儀とか、不自然な手の位置とか、あれこれ列挙するのは、どうかと思う。被害者がいる事件を軽率に笑いにしてほしくないし、第一、悲しい気持ちで謹慎している相方を笑いものにするようなギャグのスタイルも好みではなかった。

とはいえ、第1部と第2部でまったく違う矢崎広を見せてもらえ、その辺は単純に嬉しかった。顔面くしゃくしゃにして笑う矢崎の可愛い顔が久しぶりに見られたな~[るんるん]と思った。
石田も、主役のサルト(矢崎)が、魔族になって以降は、ヒーロー役がよく似合い、かっこいい[exclamation]と、思った。
また、小林且弥が、すごーく私好みの役で、素敵だったし、やっぱ、矢崎―小林のコンビ、好きだな…[黒ハート]
ラストでしっかり持って行く、紅一点、ガーナ役の望月綾乃も、パワフルで可愛かった

なんだろ、今の時代感なのかな…ちょっと前までダメだった、弱いもの、変わってるものを攻撃したり笑ったりする、よくない風潮に表現世界が迎合し始めているのかな…不安がよぎる。いちいち目くじら立てて…と思われるかもしれないが、やっぱり、ちゃんとアンテナを立てて行こう…と改めて感じている。


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朗読劇「私の頭の中の消しゴム」 [┣矢崎広]

「朗読劇 私の頭の中の消しゴム 8th letter」

脚本・演出:岡本貴也

原作:「Pure Soul~君が僕を忘れても~」よみうりテレビ2001年制作

舞台監督:小野貴巳
美術:木村文洋
照明:藤田典子
音響:ヨシモトシンヤ
宣伝美術:トライボール
協力プロデューサー:東圭介
プロデューサー:中西研二、西田知佳、柳本美世
企画:木村元子

2010年から上演されている男女がペアで行う朗読劇。パルコ劇場がやっている「Love Letters」のように、男女が交互に朗読を行う。1回のシリーズに何組ものカップルが出演するというのも同じ。両作品に出演している俳優も多い。
会場の銀河劇場は満席で、人気の高さをうかがわせる。

私が観劇したのは、『矢崎広×三倉茉奈』の回。初めての“消しゴム”体験だ。

この作品は、2001年によみうりテレビで制作された「Pure Soul」というテレビドラマ(永作博美・緒方直人主演)を原作としているが、タイトルは、このドラマをリメイクした韓国映画のものを使用している。でも内容はあくまでも「Pure Soul」。舞台は日本で、登場人物の名前もドラマと同じになっている。

朗読劇といっても、「Love Letters」のようにすべてを朗読のみで済ませるのではなく、たとえば、映像が出たり、二人が立ち上がって芝居に入ったり…という部分がある。100%演劇ほどではなくても、やはりある程度の稽古は必要かな、と思った。
(「Love Letters」は、逆に、読み合わせ1回しかしてはいけない、という厳格なルールがある完全な朗読劇。)

「Love Letters」で、二人が読むのは、50年間の男女の往復書簡という体になっているが、こちらは、それぞれの日記。
ヒロイン、薫は、日記をこまめに書くような女性なので問題ないが、浩介はそもそもそういうタイプの人間ではなさそう。なので、「業務日誌」を書いている、という体で話は始まる。途中から、それはどう考えても「業務日誌」とは思えないシロモノになっていくのだが、そこは突っ込まない。
そうでないと話が進まないので。

最初に浩介が薫の日記を見つけて、音読するというスタートは、その無邪気な行動の面白さで引き込むと同時に、薫のひとつ前の苦しい恋について、観客に説明する、という役割を担っている。実際に、浩介が、薫の前の恋愛について、どんな風に聞かされ、どんな感想を持ったのか、ということは、本文中には描かれてなくて、「知っているけれど、気にしていない」扱いのモノになっている。
(が、相手が薫の直属の上司になってしまい、やがてめんどくさいことも起きたりする。)

物語は、浩介と薫の不器用な恋が、どうにかこうにか、結婚へとたどり着くまでの恋愛ドラマが半分、ようやく幸せな結婚をした二人が、薫のアルツハイマー発病により、波乱万丈のものへと変化していく部分が半分、という構成になっている。
衝撃的な設定の方が話題になりがちだが、前半の恋愛ドラマがちゃんと描かれていないと、後半を支えきれない。そういう意味で、よい構成のドラマだな、と思った。
配偶者が認知症になり、介護する…その不毛の介護生活を支えるものはなんだろう、と考えた時、自分から相手への無償の愛、という漠然としたものではなく、もっと具体的な「よすが」は必要なんだろうな、と感じる。それは、二人が積み上げて来た日々の思い出とか。それを客席が共有していないと、どうして浩介がそこまで薫に尽くせるのか、感情移入しにくい。
二人の恋愛に、頑張れ、とエールを送ったからこそ、浩介の献身が絵空事でなく信じられる。普通の軽い恋愛で結ばれた二人ではないからこそ。浩介にとって、薫は「愛」のすべてなのだ。

もちろん、物語をキレイな形でラストに繋げるために、少々強引な展開を感じる部分はある。
薫の病状と、失踪のタイミングには首をかしげる。あそこまで進行してしまっては、実家に帰ることすら難しいだろう。
(たしかに新しい記憶からなくしていく、というのは正しいのだが、実家だから帰れる、というわけでもない。夫婦の家(現在の住所)から実家までの行程は結婚後に習得した知識なので、新しい知識になる。浩介の名前を忘れてしまうレベルなら、覚えているはずはない。)
アルツハイマー病についての芝居ではないので、その辺は、些末なこと、と考えられたのかもしれない。

出演者の二人は、本気で怒り、笑い、泣き、本物の若夫婦に見えた。
三倉茉奈を久しぶりに見たが、こんなに可愛い女優さんだったかしら、というくらい、初々しく、愛らしかった。社長令嬢らしく、素直に、キラキラと育ってきた雰囲気、そして、発病後、どんどん幼女のようになっていく様が、悲しい劇ではあるが、可愛らしくて、心和んだ。
そして、矢崎広。もう8th letterなのに、矢崎広への書下ろしか[exclamation&question]というくらい、浩介役にピッタリだった。

社長にもくってかかるような、自分への強い自信と、乱暴な発言。傷ついた獣のような孤独感。女性へのぶっきらぼうな態度。愛を知ってからの変貌。運命に抗う激しさ。そして強い意志と献身。
どれもが、私にとって、とても「矢崎広らしい」ものだったし、それでいて、想像をはるかに超える熱演だった。
朗読劇なのに、全身から振り絞るような激しい感情を見せつけられて、その熱量に圧倒された。

難病ものはリピートがキツいが、また時を経て、違う出演者で観てもいいかな~。出演者による違いを感じてみたいと思う。

“今日は何の日”
【4月29日】
足利義政が元服し、室町幕府の第8代将軍に就任(1449=文安6年)。
(←旧暦。新暦では5月21日となる。)

銀閣寺を作った義政。その後継者をめぐって、かの「応仁の乱」が起こることに…。


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「BIOHAZARD THE STAGE」観劇 [┣矢崎広]

「BIOHAZARD THE STAGE」

原作:CAPCOM(「BIOHAZARD」シリーズ)
脚本・演出・映像:ヨリコ ジュン  
企画・原作監修:小林裕幸(CAPCOM)

美術:中西紀恵  
照明:宮野和夫  
映像・CG:星野安規  
音響:戸田雄樹
衣裳:佐藤憲也  
ヘアメイク:中原雅子  
アクション・ステージング:浅井星光(RHYTHM COLLECTION)
演出助手:菅田恵子  
舞台監督:井坂 舞  
舞台コーディネート:成本活明
宣伝美術:永瀬祐一  
公式HP:メテオデザイン

制作:山本茂、黒永郁美、神戸丈志、たけいけいこ
プロデューサー:都田和志、山浦哲也

制作:エースクルー・エンタテインメント、エイベックス・ライヴ・クリエイティヴ
主催:「BIOHAZARD THE STAGE」製作委員会

「BIOHAZARD」というゲームがあることすら知らない、こりゃ、完全アウェーでしょ[exclamation&question]とか思いながら、行ってきました。

舞台はオーストラリアの大学。そこでレベッカ(飛鳥凜)が講義をしているところから、物語はスタートする。学生には、ルーカス(木村敦)、オリヴィア(紗綾)のラブラブカップルや、ちょっと暗いメアリー・グレイ(倉持明日香)などがいる。
この大学で突如バイオテロ事件が起きる。生徒が次々とゾンビ化していくのだ[exclamation]
そこへ、やってくるのが、ゲームでおなじみのピアーズ(栗山航)、クリス(中村誠治郎)、そしてオリジナルキャラのソフィー(Raychell)の3人と、別ルートで大学に潜入するタイラー・ハワード(矢崎広)。ハワードは、実は、この作戦のために特命を受け、警察内では死亡扱いにして潜入捜査をしている捜査官。
増殖していくゾンビ(ゾンビに噛まれると、ゾンビ化する)との防戦だけでなく、学園の経営問題をめぐる攻防も描かれていて飽きさせない。そしてアクションシーンがとことんかっこいい[黒ハート]

それだけっちゃー、それだけなステージだったけど、そして、千葉真一さんと岸祐二さんがどうして出ているのか、非常に疑問だったりもしたが、(仕事を選ばない俳優さん、基本的には好きです[揺れるハート])楽しかった[ひらめき]
そして、客席にまで下りてくるゾンビはめっちゃ怖かった…[あせあせ(飛び散る汗)]大学なのに服装が高校生みたい…とか、突っ込んでる余裕がなくなるほど、キます[爆弾]客席下りがあるのに、通路近くなくてよかった…と思ったのは初めての経験です[もうやだ~(悲しい顔)]

倉持さんが最後、すごいことになるのですが、意外性があってすごくよかった。映像との融合も素晴らしかったです[ひらめき]
ま、脚本は、正直アレでしたけどね。主役に関しては、よく描けていたけど、学園の経営とかあやしい刑事(丘山晴己)周辺の物語が、ややとってつけた感じが強く、もったいない感じになってしまっていた。

個人的には、梅垣義明さんの演じていた警備員、ボッシュさんがツボでした[るんるん]

そして、バルコニー上で銃を構えるハワードがカッコよすぎて、息が止まりました[揺れるハート]来てよかった[ハートたち(複数ハート)]

舞台の魅力のほんの一部ではありますが、雰囲気の伝わる稽古場映像などもあります。ぜひ、一度、公式HPをご覧ください。こちらです。(トピックスから入れます)


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「しっぽのなかまたち」 [┣矢崎広]

朗読劇
「しっぽのなかまたち」

脚本:江頭美智留、岡本貴也、広田光毅

演出:岡本貴也

音楽・演奏:森大造

音楽:五十嵐宏治、森大造
舞台監督:小野貴巳
美術:柴田隆弘
照明:藤田典子
音響:中島聡
演出助手:杉山恵

朗読劇…というかなんというか…イケメン俳優とアイドル女優によるファンサービスを兼ねた興行という側面は否めない。客席参加型の楽しい朗読劇ってとこかな。
3本のものがたりが上演される。
音楽は、ギターの生演奏。
ものがたりには、すべて、犬と猫が登場する。そして、そのものがたりは、犬と猫と人間のものがたりになっている。

第1話は、「六畳一間の王国」(作・広田光毅)
龍之介:矢崎広
夢想志朗:阿久津愼太郎
名無し:松本優希
金谷:青柳塁斗

雑種犬の龍之介を拾い上げてくれた貧乏な青年、夢想志朗は、龍之介のことを書いた小説で、一躍人気作家となる。そして、六畳一間に住んでいた1人と1匹は、大きなマンションに転居する。ドッグフードはいつも牛100%[ぴかぴか(新しい)]龍之介は、名無しの猫に自慢たらたら。
しかし、本当のところ、志朗は一発屋で、家賃すら支払えない状態だった。
取り立て屋の金谷は、金の代わりに龍之介を連れて行こうとする。ゲンキンな龍之介は、金谷の出すドッグフードに惹かれて、そちらに行ってしまうのだが…[どんっ(衝撃)]
非常にツンデレな、自分をわかっていない、オレ様な龍之介が、可愛くてたまらない…[かわいい]という話だな、これは。
可愛いネコの名無しちゃんは放置で、男同士、1人と1匹が、ひたすらラブラブしている物語でした[黒ハート]龍之介は素直じゃないけどね[るんるん]

第2話は、「別れ話(さよなら、ありがとう)」(作・江頭美智留)
俊介:鮎川太陽
麻耶:松本優希
ハチ(犬):百瀬朔
テン(猫):阿久津愼太郎

俊介と麻耶は、若い夫婦。最近、毎日ケンカばかり。とうとう離婚を決めたらしい。
ペットのハチとテンは、そんな二人に悲しい思いをしている。
やがて二人は、ハチとテンの所有権をめぐって、さらにケンカをするのだが…その中で、お互いへの思いに気づいて…というお話。
まさにペットがかすがいとなった…そんな、ほのぼのストーリー[いい気分(温泉)]だった。

そして、第3話は、「犬の大学」(作・岡本貴也)
クッキー:青柳塁斗
ファン太:百瀬朔
ケンシロウ:鮎川太陽
ミサイル:矢崎広

保健所に捨てられてしまった3匹の犬。
今日は、犬との出会いを求めて、人間たちが見学にやって来る日。
無事にお迎えされて、ここを出ていきたい3匹に、老猫、ミサイル先生が、愛されるペットになるためのコツを伝授する…という物語。
犬たちがどんなに人間が好きで、また人間に飼ってもらいたいと思っているか…というのが、すごく伝わってくる。 
ミサイル先生は、猫なので、そんな、人間に媚び媚びで、元気いっぱい、頭悪そうな犬のことが心配。
でも、そんなミサイル先生も、人間に寿命の尽きるまで大事にしてもらって、看取ってもらって、とっても幸せな人生(?)を送った猫だったってことが最後にわかる…そんな、ほのぼのとした物語だった。
3匹の犬たち、今度こそ、人間に最後まで大事にしてもらえるといいね[わーい(嬉しい顔)]

朗読の途中、客席にボールを飛ばしたり、客席からゲームの参加者を募ったり、と愉しめる構成。
台本にはふわふわのしっぽのついたブックカバーがかかっていたり、すべてがほわーんとした雰囲気ながら、でも出演者はとても真剣[exclamation×2]
ふーん、こういう、エンタメがあるんだなー[かわいい]と思った。

楽しく、わーっと盛り上がって、その先に、ペットとの関係を考えてもらえたらいいなーというステージのように感じた。

初めて観たのですが、太陽くん、なんか目が離せないわ[黒ハート]


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シアタートラム「女中たち」観劇 [┣矢崎広]

「女中たち」

作:ジャン・ジュネ
翻訳:渡邊守章(岩波文庫版)
演出:中屋敷法仁

美術:土岐研一
衣裳:太田雅公
照明:松本大介
音響:鈴木三枝子
ヘアメイク:小林雄美
演出助手:入倉麻美
舞台監督:白石英輔+村田明

この演目を知ったのは、数年前、Studio Lifeの石飛幸治と林勇輔が外部の女優さんと三人芝居をすることになり、行こうかな、と、タイトルを覚えた。結局スケジュールの問題で行けなかったのだが、その公演、もうチラシも配布している段階で、あわや上演中止になりかかった。結局、「今回限り」ということで、上演できることになった、という、ひやひやものの公演で、その理由が「男女混合キャスト」だったらしい。
そもそも、「女中たち」は、三人の女性のみによる演劇。だから、三人の女優が演じる、というのが普通だと思うが、三人の男優で上演することも多い。3軒茶屋婦人会(篠井英介・深沢敦・大谷亮介)もやっているし、元祖声優アイドルの井上和彦・三ツ矢雄二・水島裕でも昨年上演した。
なのに、混合はダメなんだー[exclamation&question]と、その時、思ったのだが、きっと、女中姉妹を男女が演じることはダメなのだろう。男二人女一人という出演者だったので、版権者は、当然、女中二人を男優、奥様を女優が演じると思い込んで許可したのだろう。まさかねー、石飛さんが奥様を演じるとは思わないわよね、普通[爆弾]

で。
今回は、二人の女中役を20代のイケメン俳優が演じる…というところが、新しいのだと思う。しかも二人は、女性らしい恰好では登場しない。黒のワンピース姿は、まったく女性のワンピースには見えない、囚人服のような見事な裁断だった。クレールが奥様に扮する場面では、白のスリップ姿になるが、プログラムによると、そのシーンのために背中の筋肉を鍛えるように…という演出家指示があったそうだから、むしろ女性的なものを排除しようとしているようだ。

舞台の三方を囲むように、青い鉄柵のような装置。そこに、小物類がディスプレイされている。二人の女中たちが中に登場すると、それは彼らを囲む牢のようでもある。もちろん、そのままでは彼らが見えないので、開演時間になると鉄柵の上部分が吊りあがるようになっている。
あ、そうそう、大事なこと。この公演は、二人の女中役を、二人の俳優が役替りで演じている。

冒頭、黒のワンピースで登場した二人のうち、一人がワンピースを脱ぎ、白のスリップ姿になる。ここで、客席に背を向けて、背筋をアピールする。
白のスリップ姿になった方が「奥様」、黒のワンピースの方が「女中のクレール」として、物語は始まる。
奥様は、ネチネチと女中を責める。女中は、「はい奥様」と言ってやり過ごそうとするが、うまくいかない。奥様は、女中が、牛乳配達の男とデキている、と言ったり、女中部屋は臭いと言ったりする。女中は奥様に赤いドレスを着せかけたりするが、やがて二人は口論になり、女中が奥様を扼殺しようとしたところで、目覚まし時計が鳴る。
「奥様ごっこ」の終了ということらしい。
「ほんものの奥様」が帰ってくる時間が近い。
二人は本来の自分に戻る。「奥様」はクレールに。「クレール」はソランジュに。
「ごっこあそび」は、演劇でいうところの「エチュード」だ。即興かつぶっつけ。自分の台詞は自分が考える。おおまかな枠はあっても設定は細かくされていないから、当然、参加者の分だけ世界が存在するが、誰かが台詞にした瞬間にそれが共有事実となり、次に台詞を言うものは、その上に立った台詞が要求される。たとえ、納得できなくても。
「ごっこあそび」が終わった後は、「あそこであんたがあんなことを言うから…」という糾弾大会。そこが「おままごと」ではなく「エチュード」だなーと思うところだ。
クレールとソランジュは姉妹で、ソランジュが姉。二人は、「奥様」の下で働く女中たち。奥様への不満は相当に深いらしく、先日、この二人は、とうとう、「旦那様」を無実の罪で告発してしまったらしい。
収監されている旦那様を思って、奥様は嘆き悲しんでいる。それを二人はこっそり楽しんでいるようなのだが、そこへ、当の旦那様から保釈された旨の電話が入る。
二人は、旦那様が釈放されて奥様と話したら、自分達の罪がすぐに露見する…と、怯え始める。そして二人は、奥様の殺害を計画する。
そこへ奥様(多岐川裕美)が帰ってくる。ホンモノの奥様と二人の女中の会話。やがて、旦那様が保釈されたことを奥様は知り、クレールが再三致死量の睡眠薬を入れたお茶を勧めるのを無視して、旦那様の待つ店へと行ってしまう。
絶望にうちひしがれた女中姉妹は、互いを罵り、やがて、ソランジュがクレールの首を締め…
そこからソランジュ一人のエチュードが始まるが、最後にクレールが目を覚まし、自らお茶を飲むところで芝居は終わる。

ソランジュはクレールを殺して(?)からの長台詞が見どころで、クレールは奥様に扮してのひと芝居が見どころ…かな[exclamation&question]どちらもやりがいのある役だと思うが、これは、同じ土壌に咲く花で見たい芝居だと思った。
矢崎広は、3年前、「マクベス」で堂々主演しているように、セリフ術に長けた俳優感情にまかせてセリフを言い放っても、ひとつひとつの言葉がハッキリと観客に伝わる。
一方の碓井将大は、たしか「キサラギ」「ピアフ」で観ていると思うが、演技派の美男俳優である。が、セリフ術には長けていないらしい。長台詞が上滑りになり、何を言っているのか、よくわからない。ソランジュ一人のエチュードは、ぼそぼそと絞り出すように放つ台詞が魅力的だったので、彼の本来の魅力とは違う部分で勝負させられたのが気の毒に思えた。
二人を起用した演出家の中屋敷は、俳優でもあるが、一度朗読を聞いた限りでは、彼自身が台詞が上滑りになるタイプの役者だった。だから、今回も、台詞ひとつひとつの発音よりは、テンポ感を重視した演出になったのだろうと思うが、私が思うには、この芝居は、非常に台詞劇という側面が強いので、台詞が聞き取れない点で、碓井に厳しい評価が想像できてしまって、残念。
私自身、長年、台詞に難のある方を応援し続けてきたので、台詞がすべてじゃないってのは、すごい思ってるわけです。別に読み聞かせを聴きに行ってるわけじゃないので。
ただ、台詞を一言一句聴かせる必要のある舞台というのも存在するわけで。
今回みたいに、設定が不思議なものってのは、とりあえず安心するためにも、台詞が聞き取れることは重要だなーと、あらためて思った。役替りは両方観劇したので、結局全部の台詞が聞き取れ、その上で、やっぱ謎な部分は、残ってるんだけど、それは、聞き取れているから、自分の聞き逃しじゃないってことに安心はできるわけで。(自分の頭が悪くて理解できないという問題は残りつつも。)
内容に踏み込む前に、そういうところでストレスがたまってしまい、集中できなかったのは、残念だった。

さて、昨今の上演作品を思うと、3軒茶屋だったり、アラカン声優だったり…と、グロさが求められているのか?という気もするこの作品、若手のイケメン俳優+美人女優の多岐川ということで、グロはまったくない。
となると、猛烈な痛みを伴う芝居だった。
これは時代劇ではないので、奥様と女中たちの間には、明確な身分の差はない。
にも関わらず、「奥様」と「女中たち」の間には、中世のような身分差が存在している。超えられない壁。それゆえの愛と憎悪。その一方で、二人の女中、ソランジュとクレールの間にも、愛と憎悪が渦巻いている。クレールはソランジュが「姉」であるがゆえに、奥様>ソランジュ>クレールというカーストの最下層になってしまい、はけ口がない。それがクレールのソランジュへの憎悪になっている。一方、ソランジュはクレールの若さが憎い。ほんの何歳か違うだけで、彼女達の狭い世間に住む男たちを取られてしまう。男たちは、財力なら奥様、若さならクレール…というわけで、ソランジュのところには誰も寄りつかない。彼女は何も持っていないのだ。
そんなことは、彼女達がこの閉鎖された世界を出ていけば、なんでもないことであるはずなのに、彼女達はこの世界に閉じこもり、出ていかない代償に、互いを傷つけ、ついには命までも奪い合う。
奥様は、天然に、何も知らないまま、姉妹のどす黒い欲望のすべてを暴き、二人を殺し合いの場に取り残して去っていく。そして、奥様の胸には、二人への悪感情などみじんもない。奥様は、奥様なりに、二人には慈悲をもって接しているつもりなのだ。もちろん主人として、ちゃんと見ていますよ、というアピールはするけれど、それは、ごくありふれた形式的なものだ。
しかし、心にやましいものを持つ姉妹は、奥様の指摘をすべて自分たちへの告発であると感じ、自分達を追い込んでいく。かつては、つらいお屋敷勤めのガス抜きだったかもしれない「ごっこあそび」は、自らを追い込むためのツールとして機能していく。
罵り合いの果てに、ソランジュに責め立てられ、首を絞められたクレールは、息を吹き返した後、ひとつの結論に達する。
奥様を殺すために煎じた菩提樹茶を飲むこと―そして、ソランジュは、煩悶の末、この結論を受け入れ、芝居は終わる。

閉じ込められた空間の中で、互いを傷つけることで、自分が傷つくことを繰り返す姉妹の姿は、小さなムラ社会におけるイジメの構造を凝縮しているかのようで、胸が痛い。三方から見つめる観客が、世界は広いんだよ、と伝えても届かないもどかしさ。檻の中で、勝手に小動物たちは殺し合い、自滅してしまう。
面白い芝居だなーと思うし、これは、キャストによって全然違う芝居になるだろうなと思った。
おじさん三人で演じたら、もっと醜悪で、もっと笑いが取れるに違いない。しかも、奥様を男性が演じることで、世界観が完全に閉鎖され、奥様も含めて、大きなごっこ芝居の中で、劇中劇を演じているような空間が作れるかもしれない。
今回は、若手の俳優2名と、美人女優という組み合わせで、表面的な笑いという要素を完全に排除したところが、挑戦だったように思える。
とはいえ、矢崎ソランジュの回で、笑いが起きていたのは、矢崎のセリフ術の巧みさにほかならない。
力任せな俳優という印象の矢崎だったが、変化球もいけるらしい。しかも、セリフの力だけだよー。なんか、そらおそろしい役者になりそうな予感。
クレールで演じた「奥様」の鬼気迫る感じも素敵だった。
碓井ソランジュもラストのゾッとするようなムードが印象に残ったし、クレールの最期も可愛かった。
ただ、二人の役者としての資質の違いが、いかんともしがたかった。

奥様役の多岐川は、嵌まり役だった。
全然違う世界に生きている感が素晴らしかった。
小劇場に出てみたいと思っていた…という、多岐川の心意気も素晴らしい。
その一方で、たぶん、松田美由紀とかも、似合うだろうなーと妄想。むしろ、家族で(松田龍平・翔太)出ちゃう[exclamation&question]


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日生劇場「嵐が丘」観劇 [┣矢崎広]

「嵐が丘」

原作 エミリー・ブロンテ
脚本・演出 G2

たしか、「ジェーン・エア」を観たのもこの劇場だったよなぁ~[わーい(嬉しい顔)]
決して小説家としては好みではないブロンテ姉妹の作品を、何の因果か舞台では両方観てしまうとは…ということで、そもそも「嵐が丘」を大学の2ヶ月間の夏休みの間に(宿題にもかかわらず)読み終われなかった私としては、最初からアウェー感満載で劇場に向かった。
読書好きな私なので、読み始めて挫折した本は少ない。
でも、耐えきれなかった。嵐が丘の厳しい自然の中に生きる「一人ではないのに孤独な人たち」の、「他人を傷つけることで自分が傷つく」連鎖。こんなに痛い物語があるのだろうか、と思って暗鬱たる気持ちになり、挫折してしまったのだった。

舞台版は、堀北真希主演…主演…でも、死ぬぞ、キャサリン、真ん中くらいで…いいのか[exclamation&question]と思ったら、本当に真ん中くらいで死んだ。
…というわけで、厳密に言えば主役は山本耕史(ヒースクリフ役)だった。(主演と主役が違うことは、芸能界ではよくあることだ!)
しかし、なんで、堀北主演で「嵐が丘」なんかやったんだろうか[exclamation&question]
今回の舞台を観た一番の感想はそこだった。
「イケメンパラダイス」も見てたし、「梅ちゃん先生」なんか毎朝見ていた私は、決してアンチ堀北ではない。むしろ、あの間延びした台詞回しのヘタウマ演技を愛していると言っていい。
しかし、キャサリンは違うだろう…[爆弾][爆弾][爆弾]
堀北主演で文芸ものを…的な選択でこの作品が決まったのだとしたら、ほかにいくらでも文芸作品はあるのに…と思うし、「嵐が丘」の舞台化に当たって、キャッチーな女優を起用したいということで決まった配役だとしたら、ほかにいくらでもキャッチーな女優はいるだろうに…と思う。よりによって、堀北に、よりによって、「嵐が丘」…[たらーっ(汗)]

物語は、意外にも、長い原作をほどよくダイジェストして、小説と同じように進んでいく。
その、陰惨で、救いのない物語を、傍観者として、淡々と語る乳母ネリー役の戸田恵子。彼女の存在に救われる思いがした。一番台詞が多いのかもしれない、でも、素晴らしかった。役として生きていたし、でも物語ってくれた。長い長い物語を観客に伝えてくれた。
誰にも感情移入できないこの物語、私は、彼女に肩入れしながら観ていたような気がする。
小説同様、この土地にやってきたロックウッド(小林大介)という男に、召使いのネリーが、過去からの物語を聞かせるといった体で物語は始まる。戸田はナレーターと登場人物を兼ねた存在だが、それを見事にこなす。
ネリーの語る物語は、二世代に渡る愛憎の物語なので、登場人物には子役時代が存在する。この、子役の扱いが面白かった。子役の立ち位置の後ろに、成長後の役を演じる俳優が立って、大人の声で台詞を言う。立体紙芝居のようで、アイデアは面白いと思った。
そもそもどうしてこの愛憎ドラマが始まったのか…原作を読んだのは遠い昔だったので、あまり覚えていなかったが、この舞台はとてもわかりやすかった。
嵐が丘の主人、アーンショー氏が、旅先で見つけて引き取ってきた孤児にヒースクリフ(山本耕史)と名付け、実の子以上に可愛がった。
跡取りのヒンドリー(高橋和也)は、アーンショー氏の寵愛をかさにきてやりたい放題のヒースクリフが憎くてしょうがない。父が死んだら、すぐに復讐を開始する。
まずは「息子」ではなく、下男としての扱いに変える。妹のキャサリン(堀北真希)と親しくすることも禁じる。
けれど、禁じられれば禁じられるほど思いは募るもの…まだ恋とは呼べない感情だったものが、この非道によって、ヒースクリフの中で確固たるものに転じてしまう。ただの恋ではなく、激しい執着を伴った負の感情へ。ある日、ヒースクリフは出奔する。
当時、嵐が丘の館にとって、唯一のご近所さんといえる場所が、スラッシュクロスの館だった。
ヒンドリーが結婚し、キャサリンが年頃になる頃、一家はスラッシュクロスとの交流が始まる。
スラッシュクロスの当主には、エドガー(伊礼彼方)とイザベラ(ソニン)という子供たちがおり、エドガーは、美しいキャサリンに恋をする。
しばらく行方不明だったヒースクリフは、小金を貯めて嵐が丘に戻ってくる。その時から、ヒースクリフの復讐が始まる…
エドガーと結婚したキャサリンは、心を病み、キャサリン(キャシー)という名の娘を生んで死ぬ。
ヒースクリフは、ヒンドリーの息子、ヘアトンに教育を受けさせず、人間以下の暮らしをさせていた。
そしてスラッシュクロスを手に入れ、そこをロックウッドに貸したのだった。
ロックウッドが嵐が丘に泊まった夜、キャサリンの亡霊を見たと聞いたヒースクリフは、その晩、キャサリンを求め、そして亡くなっていた。
ヘアトン(矢崎広)はキャシー(近野成美)に勉強を習い、二人の間には、温かい風が吹き始めているのを、ロックウッドは知った。

「嵐が丘」の世界観を舞台化することは、とても難しいと思う。
でも今回は、舞台装置が素晴らしくて、ああ、きっと嵐が丘はこんな場所…というのが伝わった。
そして、それが伝わってなお、この厳しい自然が、人々の心まで荒寥とさせてしまう悲劇…は、伝わらなかった。
まあ、そもそものキッカケ的な部分は、分かりやすかった。アーンショー氏が、亡くなった長男のヒースクリフを忘れられず、町で拾ったみなしごの少年を溺愛したことがすべての原因。しかも、ヒースクリフと名付けられた少年は、その溺愛をかさにきて、正当な後継者であるヒンドリーをいじめていた…[爆弾]
そりゃ、ヒンドリーがキレてもしょうがないわ…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
でも、キャサリンという娘の激しさ、あれは、因果応報の物語とは別にあって、おそらく、嵐が丘という特異な場所で、ただひとりの女性として成長し、ある意味、嵐が丘の気候が彼女の母親であった…そんな女性なんじゃないかと思うのだが、堀北という女優の中に、そもそも、そういう要素が、まったくないのだ。
そうして、キャサリンは、死んで、嵐が丘そのものになる…[exclamation×2]んだと思う。
そこを切り離してしまうと、幼くて、愚かで、わがままで、自分で自分を制御できないだけのお子様になってしまう。そして、彼女が死んでからの物語はとても散漫で、ますます理解不能の物語になるのだ。

ヒンドリーと、ヒースクリフと、ヘアトン…Hで始まる粗野なだけの男たち。彼らに関わる二代のキャサリンが、それぞれの心にそれぞれの思いを植え付けていく。
中でもヒースクリフとキャサリンは、魂と魂が結びついていて、それを引き裂くことは誰にもできない。
ところが、キャサリンの中では、現世での愛や幸せは、それとは別のところにあるらしく、そこは娘らしい感情がちゃんと動いていて、綺麗なもの、立派なもの、美しい王子様に心を奪われる。
当然、魂の結びつきを、現世の肉体の結びつきに落とし込みたいヒースクリフとは、決裂する。
しかし、狂った末の彼女の若すぎる死は、再びキャサリンとヒースクリフを結び付ける。今度こそ永遠に。ただ、キャサリンが死んでから、ヒースクリフが死ぬまでの時間は、そのことで周囲がとばっちりを受ける。
その最たる存在がヘアトン。
彼は教育を受けさせてもらえず、動物のように生きることを余儀なくされる。ヒースクリフ自身が受けた屈辱を、彼は息子に継承させる。そうすることで、彼の父に復讐するかのように。

ストーリーを追いながら、かつて読んだ物語が鮮やかに蘇る。途中でリタイヤしたけれど、ストーリーがわかる程度には、ななめ読みはしていたから。
でも、読まずに観たらどうかな[exclamation&question]
キャサリンもヒースクリフもきれいすぎる気がした。
そんな中、彼らの魂を受け継ぐリトルキャサリンとヘアトンの物語が、とても正しく物語を伝承しているようだったのが印象的だった。

出演者は、とにかく、戸田恵子に尽きる。散漫になりがちな、キャサリンの死後を、最後まで見せたのは、彼女の力と言っていい。
そして、難しい命題をとにかく、板の上に乗せて成果を見せたG2演出と、嵐が丘という想像もできない風景を視覚化したスタッフの底力に、感謝の気持ちでいっぱいになった、そんな観劇でした[黒ハート]


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ミュージカル「タイタニック」観劇 [┣矢崎広]

「TITANIC the musical」

脚本:ピーター・ストーン
作詞・作曲:モーリー・イェストン
演出:トム・サザーランド
オーケストレーション:イワン・ワインバーガー
音楽監督:金子浩介
翻訳・訳詞・演出助手:市川洋二郎
美術:伊藤雅子 Based on Original Designs by David Woodhead(デヴィッド・ウッドヘッドによるサザークプレイハウス劇場公演のオリジナルセットデザインに基づいたデザイン)
照明:西川園代
音響:山本浩一
衣装:前田文子
ヘアメイク:鎌田直樹
ヴォーカル・スーパーバイザー:市川洋二郎
振付指導:佐々木信彦
演出助手:陶山浩乃
舞台監督:瀧原寿子

以前、国際フォーラムで上演された時は観なかったので、今回のリニューアル版が初見。
今から約100年前、大西洋をわずか6日で横断する夢の超大型豪華客船タイタニック号が処女航海で沈没するという悲劇が起きた。それは、世界的な大ニュースで、たとえば、遠い日本の東北地方に住む宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」にもエピソードが取り入れられている。(つまり、「銀河鉄道の夜」は1912年の初夏の出来事だったんだな~)
そんなタイタニック号の悲劇を、ほぼ実在の人物を使って描いたのが、今回のミュージカルだ。
船長、船主、設計者、(1等船室・2等船室・3等船室それぞれの)客、船のスタッフ…様々な人々の視点が交錯する。平穏な旅の時間、そして悲劇の後、彼らが何を考え、どう行動したのか。人はこんな時、何を考え、どんな行動を取るのか。
逃げ出したくなるようなつらい物語が、美しいメロディーの中で展開する。人が生きるとは…という命題を目の前に突き付けられ、息苦しいほどだった。

よいミュージカルだと思いながら、あと1回観てほしいと言われたら、たぶん今は断る、と思った。
そして、「死と乙女」もそんな舞台だったなーと、全然関係ないが、頭をよぎった。
宝塚だけでなく、よい舞台はリピートする私だが、正直、よい舞台でも、気がめいる作品は、リピートがきつい。
でも、「タイタニック」はリピートしないのに、「死と乙女」をリピートできたのは、私が、出演者の大空祐飛ファンだったから、に尽きる。
そういうファンを抱えていないと、こういう「重いけど上質」な舞台は、客席が埋まらない。ファンって大切[あせあせ(飛び散る汗)]

初見なのに、最初からそんな思いに至ってしまったのは、もちろん、すでに私が結末を知っているからだ。
1幕では、新天地アメリカに向かう乗客たちの物語が展開されるので、それを聴いているのはつらかった[もうやだ~(悲しい顔)](もちろん、全員が死んでしまうわけではないけれど…)
あと、事故が起きた後の、責任のなすり合いソングとかも、いたたまれない感じ[ダッシュ(走り出すさま)]しかも船主のイスメイ氏が逃げるってどうよ[むかっ(怒り)]と思うが、ま、これは史実通りなので、しょうがないか[爆弾][爆弾][爆弾]
事故原因について、作品としてしっかり見解を出しており、それに基づいてドラマが作られているので、つらい話ではあるが、もやもや感は少なかった。
カルパチア号が救助に向かうとか聞くと、ちょっと思い出すな[るんるん]

「タイタニック号」は、豪華客船…とはいえ、船室は一等船室から三等船室まで、さまざまな客層がいる。
一等船室の客は、大西洋を何度も往復しているような富裕層で、二等船室の客は、個性的。ワケアリだったり、野次馬だったり。そして三等船室の客は、ヨーロッパで食い詰め、新天地アメリカでの成功を夢見ている若者…という構図。
それぞれの場所にカップルがいる。
一等船客の老齢の夫婦。二等船客の駆け落ち新婚夫婦と仲の良い野次馬夫婦。三等船客の若者同士が恋に落ちて…と、それぞれの年代のそれぞれの関係性。
そんな中、圧倒的に脱出用のボートが足りないと分かった時、船側の取った措置は、「三等船客の締め出し」だった。
彼らを船倉に閉じ込め、一等船客から順にボートに乗せる。
支払った対価に見合うサービス、というわけだ。
しかし、生命力溢れる三等船客たちは、別ルートからデッキに辿り着き、ボートに乗せろ!と騒ぎ出す。
そして、騎士道にのっとり、女子供から先にボートに乗せていく過程で、当然ながら、カップルが別れ別れになる、という選択が行われる。
夫に殉じることを選ぶ妻、夫の分まで生きることを選ぶ妻、そして、男がボートの漕ぎ手となって二人とも生き残るカップル。一方で、最初から死ぬ以外の選択肢がない船のスタッフ…そこには、船旅を楽しませるためのエンターテイナーとか、未成年のボーイとかも含まれていて、客じゃないからしょうがないよな…と思いながらも、直接船の航行に責任がない人々なだけに切ない[もうやだ~(悲しい顔)]
速度を上げることを要求し続けた船主がいち早く逃げていることを知っているだけに[むかっ(怒り)]

素敵だけどつらい。つらいけど素敵なミュージカルでした。
以下、出演者一言感想。

加藤和樹(アンドリュース)…設計士として船に乗り込み、船に殉じる。
自らの設計に大いなる自信を持っていたが、フェイルセーフという意味において、完全な設計ミスだったことに気づいた時の慟哭が痛い。群像劇ではあるが、作品自体を貫く痛みと同等の痛みを持つ役であるし、アンドリュースが主役なんだろうなーと思った。

鈴木綜馬(イスメイ)…船主。諸悪の根源。
イヤなヤツという一言で吐き捨ててしまうような役を、丁寧に、見事に、誠意をもって、イヤなヤツにしてくれました[黒ハート]

藤岡正明(バレット)…機関士。恋人へのメッセージを送ってほしいと、通信士に頼むロマンチストと、石炭にまみれる機関士という泥臭さが調和した愚直な人物。ボートが漕げるとさえ言えば生き残れたのに、それをしないところも愚直さの表れなのか…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]

戸井勝海(エッチス他)…一等船室の客室係として、最後まで職務を全うする姿に、尊敬と感動の涙が…[もうやだ~(悲しい顔)]重厚さと軽妙さのバランスがとてもよかった[黒ハート]

佐藤隆紀&未来優希(チャールズ&キャロライン)…キャロラインの父が結婚を認めなかったために駆け落ちした新婚夫婦。
いくら舞台とはいえ、同年代に見えなかった…[爆弾]チャールズの劣等感みたいなものが、すごーく伝わってきて面白いカップルだった。

津田英佑(マードック)…一等航海士。船長になる自信がないみたいなことを言っていたが、彼の判断が船にとっては、致命的なミスだったという結論になり、沈没前に自殺する。
もし、それがわかっていたとしても、あえて正面衝突を選んで死者を出すという選択の出来るタイプには見えなかった。その優しさが「船長になるのが怖い」に繋がっているような…。その辺がとてもわかりやすかった。

古川雄大(ジム・ファレル)…三等船客。ボートが漕げるということで、救命ボートに乗り込むことができた、数少ない男性生き残りの一人。芝居も歌もしっかりした若手ではあるが、なんつーか、一人だけ等身バランスが違ってて…[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]

入野自由(フリート)…見張り役。氷山を見つけるが…という役どころ。彼が10代の頃から観ているので、なんか…でかくなったなぁ~と[あせあせ(飛び散る汗)]

矢崎広(ベルボーイ他)…14歳というのはさすがにどうかと…[爆弾][爆弾][爆弾]でも可愛かった[黒ハート]個人的に、オレンジを持って船に乗っている少年に弱いので…[あせあせ(飛び散る汗)]バンドマスターのハートリーさんは、なかなかこじゃれた紳士でかっこよかったです[るんるん]

上口耕平(ブライド)…すごい働き者の通信士。でありながら、バレットの通信もしてあげる優しさもあって…彼が生き残った(らしい)ことで、自分がすごく救われた気がした[ハートたち(複数ハート)]

栗原英雄&シルビア・グラブ(エドガー&アリス)…一等船室の客に興味津々な二等船室の客、アリスとその夫。コメディリリーフ的な役柄ながら、最後は生と死に別れていくところが切ない。そして、本当に愛し合っているという点では、ほかのどのカップルに劣るところのない夫婦愛を感じさせてくれた。

小野田龍之介(ライトーラー)…二等航海士。マードックとニコイチ。ちょっと弱いマードックに対して、常にブレない男という印象。

則松亜海&菊地美香&関谷春子(三人のケイト)…三等船室の客。偶然三人ともケイトという名前であることがわかり、仲良くなる。則松の演じるケイト・マクゴーワンは、不倫の末に未婚の母になりかかっているため、とりあえず子供に父親になってくれそうな男を探している。そして見事にジム・ファレルを手に入れ、ほとんどの男が死んで行く中、彼は死なずに済むという、ものすごい幸運を奪取していく強さを感じた。元宝塚という肩書きは不要な力強さだった。

佐山陽規&安寿ミラ(ストラウス夫妻)…一等船室の客。夫婦で船に殉じることを選ぶ。揺るがない夫婦愛を感じさせる静かな重々しい演技が印象的だった。

光枝明彦(スミス)…船長。無事これ名馬で過ごしてきた船長人生の最後の航海が、この悲劇とは…。
リーダーとしての顔と、客に向ける職業船長の顔…大変なお仕事なのね~ということがよくわかった[爆弾]


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