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志苔館 [┣続百名城]

五稜郭に行った後、ホテルをチェックアウトし、荷物を持って今回最後の訪問地、志苔館に向かいました。箱館駅からバスの旅。しかも、続百名城なので、知名度も若干少なめ…行き方が分からず、バスを降りてからしばらく右往左往してしまいました。


志苔館-1.jpgこの志苔館は、津軽方面で南北朝の戦いに敗れた南朝方の武士たちが、蝦夷地に逃れて移り住んだ場所のひとつのようです。
その後、アイヌの蜂起により、道内各地の館が次々と落とされていったようです。


志苔館の主、小林氏はコシャマインの戦いで亡くなったとか。
ここでは、コシャマインの戦いで亡くなった、小林氏一族のほか、和人殉難御霊、阿伊努(アイヌ)悵魂御霊双方を同一座で祀っているとのこと。(石崎地主海神社様)
逃れてきた南朝武士と、この地に住むアイヌの間で、どのような諍いがあったのか、知る由もないが、どちらも一緒に祀られていることに、少しだけ心が慰められる。


志苔館-2.jpg土塁と薬研堀からなる、自然の地形を生かした、原始的な館跡という感じ。
すぐ近くまで海が迫っていて、風が強いけれど、不思議に落ち着く場所だった。


志苔館-3.jpg14世紀末から15世紀にかけて存在していた建物の跡は、発掘され、遺構が杭で表現されている。
正面が建物のあった部分らしい。


あまりにも荒涼としているので、30分くらいしか滞在できなかった。
で、ここから函館空港に徒歩で行けるはず…という今回の旅最大の冒険に出ることに。


地図上、ここは繋がっている(たぶんトンネル)という場所があり、問題は、ここを徒歩で通れるかどうか。通れないと信じられない遠回りをすることになる。


まずは、地図を見てみましょう。


志苔館-4.jpg


この、赤い楕円で囲んだ、いかにもトンネルらしき部分、本当にトンネルでした[わーい(嬉しい顔)]
問題は、このトンネルに歩道が存在しているか、ですが、存在してました[exclamation×2]
けっこう長い距離でしたが、無事、函館空港に到着[黒ハート]


お土産を買って、搭乗前にビールで乾杯して、機上の人になりました。
一緒に旅をしてくれた友人には感謝でいっぱい。たくさんの城と桜の思いでができました。



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品川台場 [┣続百名城]

日本百名城を中心に城廻りをしているが、途中から続百名城のスタンプラリーもスタートしたので、並行して(あくまでも百名城がメイン)廻っている。特にノルマを決めてはいなかったが、調べてみると、年に二城は訪れているようなので、今年も二城は行かなければ…という気持ちになり、近場の「品川台場」を訪れることにした。


台場1.jpgクリスマスイブの土曜日に、一人お台場に行く勇気を褒めてください[あせあせ(飛び散る汗)]


お台場のデッキは、既にカップルで埋め尽くされていたが、ここまで回り込むと、家族連れなど、穏やかな空気が漂っている。
しかし、良い天気ですね。台場2.jpg


この辺は、お台場海浜公園の一部で、自由の女神像などは、海上バス発着所の向こう側にある。この辺は、砂浜が広がる「おだいばビーチ」エリア。ぐるりとビーチを回り込んで、目的の「台場公園」に向かう。
お天気がいいだけでなく、気温もまずまずだったので助かった。


海鳥がたくさんいました。
これは、ゆりかもめですかね。たくさんいました。可愛い&人に慣れてます。近づいても、全然驚かない。


台場3.jpgお台場海浜公園から、張り出した出島のような「台場公園」に入ります。この台場公園は、もともとは埋め立てによって造られた浮島「第三台場」だったものを、都立台場公園として、歩いて渡れるようにしたもの。


なにやら、壊れた石の円筒がありましたが、特に記載はありませんでした。なんだろう[exclamation&question]


台場4.jpg


こちらは、ものすごい逆光ですが、かまど跡。昭和3年に台場公園が開園した時に設置された大谷石製の八角形のかまどとのこと。当時はバーベキューとかやれたんでしょうか。台場5.jpg


品川台場の歴史は、幕末に遡る。ペリー来航をきっかけに、幕府は江戸湾(現・東京湾)の海防強化の検討に入り、勘定吟味役格の江川太郎左衛門英龍(坦庵)らの提案により、御台場築造が決定、最終的に6基の台場が完成した。
ペリー来航からわずか一年の間に、3基まで完成したというのだから、ものすごい突貫工事だったと思う。東京湾の一部を埋め立て、そこに建物や砲台を造り…どれだけの人足が必要だっただろう[exclamation&question]工事現場は、きっとブラックだったでしょうね…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
ちなみに「品川台場」と呼ばれているのは、品川の御殿山下にまで台場が作られていたため。


こちらは、陣屋跡。勤番者の居住地として、建物が設置されていたとのこと。 


台場6.jpgそして、こちらは、火薬庫跡。火薬は園内数ヶ所に分散して格納されていたようです。
かまど跡は、カップルが日向ぼっこするくらいのほほんと置かれているのに、火薬庫跡は、写真を撮ろうにも近づくすべがないし、入り口が草で覆われてよく見えないのはなぜ[exclamation&question]


台場7.jpg砲台です。ここには、ARの仕掛けがあって、実際に大砲があったら、こんな感じ…というのを見ることができます。


台場8.jpgどうでしょうか[exclamation&question]科学の勝利をご覧ください。


ここを通り抜けられると、敵は間違いなく接岸してしまう、最後の地点なので、重要な砲台ですね。


ここには、2基、砲台が残っていました。
台場から品川まで一直線に大砲が並んでいるというのは、さぞ、すごい光景だったな…と思います。(計画では豊洲~品川までだったとか…[exclamation×2]


江戸は死守する[exclamation]という幕府の姿勢が強く感じられます。


さて、その後、明治になって、海軍→陸軍の管轄になった後、第三台場&第六台場が大正年間に東京市に払い下げられて史跡になり、その他の台場は撤去されたとのこと。
そして、第三台場は、台場公園として都民たちの憩いの場になっている一方、第六台場の方は、東京都の管理下、一般の立ち入りは禁止されているようです。


台場9.jpgこちらが、第六台場です。
まさか、こんなに人の多いお台場地区に、無人島があるなんて…[exclamation×2]驚きですよね。


ここが東京市に払い下げられてから100年以上経過しているので、今はどうなっているか、ちょっと想像がつきません。石垣があるのは、なんとなく見えますが。


台場10.jpg砲台の反対側に回り込むと、レインボーブリッジの真下に出ます。


台場公園の松の木ごしに見るレインボーブリッジ、不思議な景色でした。


台場11.jpgこれが、地図によると、石碑らしいのですが、こっち側向いてないので読めない…拡大してみると、「保存法」という文字と「拾月 内務省 定」という文字がわずかに見えるけれど…。


色々と解けない謎もあったけれど、全体的には、楽しく珍しいお台場体験だった。これで9個目の続百名城。来年も最低2個は回りたいと思います。


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白石城? [┣続百名城]

初めて参加する「真剣乱舞祭」の前に、城に寄ってアウェイ感を払拭しよう[exclamation]と思い、仙台城には何度も行っているので、白石城に行くことにしたのですが…
宮城県といえば、今年大きな地震があったはず…と、JRのチケットを買う前に城のHPを見て、被害による工事等の記載がないことは確認していたんです。とはいえ、一度チケットを買ってしまってからは、HPを見ることもなく…白石蔵王駅(新幹線で仙台のひとつ前の駅)からタクシーに乗った時、運転手さんから聞いて、初めて復旧工事していることを知りました…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
HPの更新できないほどバタバタしていたのか、工事の日程がその後決まったのか…いずれにしても、震度6の地震ですもんね。仕方ありません。


白石城1.jpg


タクシーを降りたら、もう、こんな感じです。いきなり、城[exclamation]
ここ、白石城は、伊達政宗の家臣、片倉小十郎景綱の城、という風に宣伝されているが、そもそもは、豊臣の時代に、秀吉が、伊達家の支配下にあったこの地方を没収して蒲生氏郷に与え、氏郷の家臣が築城して城主となったのが始まりとのこと。その後、上杉領となり、こちらも上杉家家臣が城主となる。
で、関ヶ原の直前に伊達政宗がこの地を攻略して伊達領とし、家臣の片倉に与えたってことらしい。
政宗さん、根に持ってたんですね。


白石城2.jpg


大手一ノ御門。激しく工事中でした。


白石城3.jpg


工事していないところも、石垣の辺りは、コーンに囲まれていました。たぶん、この辺が、二ノ御門だと思われます。


白石城4.jpg


こちらが本丸跡。天守の真下が本丸という位置関係です。


白石城5.jpg


む…無念…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
これは修復なったら、絶対にリベンジしたいと思います。


白石城6.jpg


片倉小十郎の記念碑。天守と同じくらいインパクトある大きさ。
白石の方たちは、みんな、小十郎が大好きなんですね。
ちなみに、大坂城落城前、真田信繫(幸村)は、死を覚悟し、敵将である片倉小十郎に、子供たちのことを頼んだそうです。そして、信繁の姫を白石城で養育、姫は小十郎夫人に可愛がられ、夫人が亡くなる時に、自分の後は、姫を後添えに…と言い残したとか。
そんなこんなで、真田の姫の一人が、白石城主夫人になっていたのか…[exclamation×2]真田丸ファンとしても、やはり、何年かしたらこの地を訪れたいな~と、あらためて思いました。


帰りは、JR白石駅まで歩き、東北本線で仙台までのんびりと揺られていきました。


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小倉城 [┣続百名城]

最終日は、遠出しようかとも思ったが、お昼くらいまで福岡にいたので、その後、新幹線で小倉に行き、小倉城へ。


小倉城-1.jpgあら、こんなところにも、ふくやさんが。
前日まで、「羽世保スウィングボーイズ」で博多華丸さんが、ふくやさんの明太子を持って登場するのを観ていたので、(というか、2年前には、ふくやさんをモデルにした「めんたいぴりり」を観まくっていたし[わーい(嬉しい顔)]


小倉城は、JR小倉駅から徒歩10分くらい。
平城なので、さくさく街中を歩いている間に到着。


小倉城ー2.jpg小倉城…なんでこんなに、でかい石があるん[exclamation&question]
石垣フェチとしては、いきなり、テンションが上がる光景。
江戸城レベルの巨石が、次々に現れて、はくはくしちゃいました[いい気分(温泉)]
巨石、ばんざい[ぴかぴか(新しい)]


小倉城ー3.jpg小倉城は、そもそもは、中国の毛利家によって築城されたのが始まり。
でも、本格的に城下町も含めて大規模に築城されたのは、関ヶ原後、細川忠興によって。ただ、九州各地の街道の起点であり、関門海峡の先に中国を睨む要所、ということもあり、細川家は熊本に転封、譜代の小笠原家が入封することになる。
小笠原家は、礼法の基礎を築いた家柄。そういうことからか、城には、茶筌塚、筆塚、花塚が。


小倉城ー4.jpg


茶道では、小笠原古流・千家表・裏流をはじめとする小倉市茶道協会有志による、茶筌塚。


筆塚については、昭和40年に文化の振興を祈念して建立されたみたい。筆塚の文字は、小笠原藩の名書家、下村薫村の筆跡だそうです。


小倉城ー5.jpg花塚は、北九州いけばな協会の前身団体によって建立されたそう。


競い合うように、隣り合って塚が立っていて面白い[わーい(嬉しい顔)]


小倉城ー6.jpgさて、天守閣。
小倉城は、唐造りの天守として有名だったらしく、津山城などが、小倉城の天守を真似て、天守を築いたらしい。
唐造りというのは、最上階(5階)と下の階(4階)の間にひさしがなく、最上階の方が張り出している造りのこと。黒く塗られている最上階が少し、張り出してますね。
また、石垣が高いこともあり、小倉城天守は、全国の天守閣の中でも、ベスト10入りする高さ(47.5メートル)を誇ってるそうです。
ちなみに、江戸城の天守閣は再建されていないので、1位は大阪城、2位は名古屋城なのですが、3位は意外にも島原城。分不相応な城造っちゃったから、お金がなくて、年貢を取り立てることになり、あんなこと(島原の乱)になったんですね…[爆弾]
小倉城は、細川忠興が関ヶ原の功績により、39万9千石の大大名になっているので、これだけの城を築いても問題なかった…ということでしょうね。その後転封した熊本も、さらにでかい天守がありましたし、ずっとでかいお城にいたんですね~。まあ、藩主が天守閣に行くことはほとんどないでしょうが。


小倉城ー7.jpgやばい、石垣が好きすぎる…


この無造作に置いているようで、趣のある配置は、ものすごいデザイナーさんとお見受けする…[ぴかぴか(新しい)]


小倉は、博多からだと新幹線で16分で着いてしまう場所で、13時頃には到着していたので、「飛行機は17時だし、帰りは在来線でも間に合うかな…」とか高を括っていたのですが…気がついたら…ダッシュして、ギリギリ新幹線に乗って、そのまま福岡空港に行き、土産も見ずに、チェックインしてましたね。
城に行くと、時間間隔が狂うわ…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


小倉城ー8.jpg小倉城の主な登場人物を紹介した関連図があったので、撮影してきました。
最初の頃に、毛利家によって小倉城が創建されたと記載しましたが、その毛利家と、その後城主となった細川家、小笠原家は、大阪夏の陣で敵味方になっていたのですね。そして、小笠原家初代藩主の小笠原忠真の父と兄は、夏の陣で、かつての城主の子、毛利勝永に討ち取られていたんですね…[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]
(もちろん、毛利勝永は、豊臣方なので、大坂城落城の時、秀頼の介錯の後、自害したとのことです。)


小倉城から見ると、大阪夏の陣、なんだか、関係者入り乱れての、ぐちゃぐちゃな戦いだったのね…。
あらためて、「舞台刀剣乱舞无伝」に思いを馳せてしまった。


小倉城ー9.jpgこちら、天守閣からの眺め。
天守高いベスト10と言うわりに、見晴らしは、低いな…という感じです。


いやー、しかし、夏空、ですね。


マジ、暑かったです[晴れ][晴れ][晴れ][晴れ][晴れ]


小倉城の施設は、天守閣、庭園、松本清張記念館のセット券があり、時間あるし…と、セット券を買ったところ、天守閣でほぼ時間がなくなり、松本清張記念館は、ほぼ駆け足で回ることになってしまいました…[もうやだ~(悲しい顔)]
しかし、そちら側から、戻ってきたことで、素晴らしい史跡を発見できました[黒ハート]


小倉城ー10.jpg


第12師団…そうだ[exclamation×2]
小倉じゃん[exclamation×2][exclamation×2][exclamation×2]
「はいからさんが通る」で、印念中佐の陰謀により、少尉が転属することになったのは、小倉の陸軍第十二師団でしたね。そうか…ここか…ここに少尉が[exclamation×2]
(うるうる)


小倉城ー11.jpgここが第12師団の鉄門のあった場所とのことです。


少尉がいた場所というだけで、なんか、ステキな空間に思えます。
ちなみに、小倉城では、ここは二の丸があった場所だそうです。


そして、もうひとつ、小倉城といえば、あの人が…


小倉城ー12.jpg宮本武蔵は、ここ、小倉城で剣術指南のお仕事をしていたことがあり、有名な巌流島の決闘も、その頃のお話なんですよね。
宮本武蔵は二天一流という流派を完成させた剣豪で、この流派を確立するために、多くの試合(決闘)を行い、無敗を誇ったと言われている。


なのに、なんで、巌流島(舟島)の決闘の時は、木刀を使ったのかな、とか、木刀なのに、真剣の小次郎を殺せるのかな、とか、いろいろ考えてしまった。もしかしたら、この間、WOWOWで見た映画「武蔵」(2019)の影響かしら[exclamation&question]


小倉城ー13.jpg最後は、小倉城庭園。こちらも、ぐるっと回るしかできなかったが、コンパクトながら風流なお庭でした。
楽しかったけど…時間がもっとほしかった~[あせあせ(飛び散る汗)]


 


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福知山城 [┣続百名城]

大河ドラマの主人公、明智光秀の築城した福知山城に行ってきました[exclamation×2]


福知山城ー1.jpgゆうひさんの舞台を観た後、阪急電車で宝塚まで行き、JR線に乗り換え、篠山口駅まで行って宿泊、翌日、福知山線に乗って、終点の福知山駅まで一時間の旅。
車内には、大河ドラマ「麒麟がくる」のビジュアルを利用したJR西日本の吊り広告が。


実は、福知山に行く途中、“黒井”という駅名を聞き、調べてみたら、黒井城(これも光秀関連の城)の最寄り駅。一瞬、途中下車しようかと思ったものの、天候を考えて自重[あせあせ(飛び散る汗)]
(黒井城は山城なので、雨天の登城は無理[爆弾]


福知山城ー2.jpgさて、福知山城は、JR福知山駅から、徒歩15分くらい。あいにくの雨だったこともあり、静かな訪問となりました。


こんな風に、「明智光秀が築いた城下町」アピールが激しい…[わーい(嬉しい顔)]


10分ほど歩いていると、前方に見えてきました。
何度経験しても、このウキウキしちゃう感じがたまらない。少し早足になったりして。


福知山城ー3.jpg福知山城は平山城なので、到着するまでは平地。
でも、城に着いたら、わりと急勾配になる。石段の城が多いが、福知山城は、坂道だった[ダッシュ(走り出すさま)]


福知山城ー4.jpg


見上げると、石垣が迫ってくる。


ここで撮影したのは、ここで読まれた一句が表示されていたから。
「秋天を蹴り上げてゐし城の鯱」
見上げたら、本当に蹴り上げてた。
案内看板的なものが、どれも、センスいいなぁ~[黒ハート]
(この写真は、クリックしたら、大きなサイズで表示されるようになってます。)


福知山城ー5.jpgひぃひぃ言いながら、坂道を上りきると、いきなりの天守閣[exclamation×2]
福知山城は、城郭のすべてが残されているわけではなく、昭和に再建された天守閣と、石垣、移築された銅門番所しかない、すごくシンプルなお城。
天守閣は、郷土資料館になっていて、こちらも見ごたえがあった。


こうして眺めると、天守の上には、二尾どころじゃない(たぶん四尾)鯱がいるような気がする…[ぴかぴか(新しい)]
すごい大サービス[exclamation×2]


この角度からは見えないが、三層四階、小天守と続櫓も備えた造りになっている。市民の寄附(一口3千円で、合計5億円の寄附金が集まったとのこと)によって再建された。
残念ながら、望楼の外には出られない(窓から眺める感じ)が、京都府で唯一天守閣のある城なのだとか。


福知山城ー6.jpgこちらは、移築されたと書いた、銅門番所。
福知山城は、明治の初めには廃城となっていて、こちらの銅門番所は、現在の市役所の辺りにあったものを、大正期に天守台に移築、昭和期、天守を再建する時に、この場所本丸内)へ移築したもの。
往時をしのぶ唯一の建造物。
(この写真も、クリックで大きなサイズになります。)


福知山城ー7.jpg手前の井戸が、豊磐井と呼ばれる井戸で、福知山城が朽木家の居城であった時代のもの。
(この写真も、クリックで大きなサイズになります。)


光秀が築城した福知山城は、本能寺の変の後、有馬氏、岡部氏、稲葉氏などあわただしく城主が代わり、1669年に朽木氏の城となってからは、13代200年間の安定した治世となったようです。


福知山城ー8.jpg天守望楼からの景色です。
大江山はこちらの方角らしいです。なんだか、禍々しい景色になってますね。


福知山城ー9.jpgそして、こちらをご覧ください。
福知山城の石垣は、一番古いタイプの石垣で、野面積みという石をそのまま積んだものが多いのですが、特に大きな特徴として「転用石」といって、お寺で使われていたものを利用したりしています。
500以上の転用石が確認できるのは、全国でも福知山城だけなんだとか。
ここの石垣は、光秀時代のものらしい…ということは、光秀さんって、もったいない精神の方だったのかしら…


福知山城ー10.jpgここの石垣の自然なカーブに、心惹かれた旅の終わりでした。


「麒麟がくる」の福知山光秀ミュージアムも2月7日まで開催しているということで、一緒に見てきました。大河ドラマ関係のものも展示されているため、撮影は禁止なのですが、最終回に向けて、気合が入る展示の数々を楽しめました。


 


 


 


 


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大垣城 [┣続百名城]

久々の城です!関西に遠征することになったので、途中下車して大垣城に行ってきました。
今年は、関ケ原から420年。もしかしたら、天下分け目の戦いが行われるかもしれなかった大垣城を見てみたい…そんな気持ちで。


大垣駅から、徒歩7分くらい…のはずが、めっちゃ住宅街で、ちょっとグーグルマップ様を疑い始めた時…


大垣城ー1.jpgなんとなく、城っぽい柄の橋の紹介板。
おそらく、この下を流れる川が、大垣城の堀になっていたはず。よし!と、気合を入れる。


大垣城ー2.jpgおおー、ありました!
この日常的な、日常的すぎる風景の向こう側に天守閣が!


大垣城は平城といって、高さのない城。
このタイプの城は、高低差で敵をブロックすることができないので、城下町ぐるみで防御態勢を取ることが多いとか。
普段、平和に暮らしている城下町の人々や、彼らの家も、有事の際には、お城と一心同体で戦闘態勢に!
(もっともこの辺は内堀の中なので、おそらくこの辺にあったのは、家臣団の家かな。)


大垣城ー3.jpg水之手門から城内に入り、まず、目に付いたのは、この高い松の木。これは、「おあむの松」と呼ばれ、大垣では有名な物語がついている。
さっきちらっと書いたが、石田三成は、「決戦は大垣城!」と考えていた。しかし、9月14日になって情勢が変化し、西軍は、夜間行軍して15日早朝、関ケ原に到着、関ケ原の戦いが始まった。
大垣城には、西軍の一部の家臣が籠城しており、その一人である山田去暦は、家康の手習いの師匠をしていたことがあった。
関ケ原の戦いが決着した後、大垣城でも戦闘が始まったが、その中で矢文が届いた。
恩義を忘れない家康からの、今なら抜け出せるように手配がしてあるとの手紙だった。去暦の娘、おあむ(女子も戦闘員として借り出されていた)は、松の木に縄をかけ、これを伝って家族とともに内堀に降りて脱出に成功した。
この「おあむ物語」は、大垣では有名な逸話らしい。
この松の木は、二代目とのこと。ちょっとひょろひょろしていて、これに縄をかけたら折れそうです[あせあせ(飛び散る汗)]


大垣城ー4.jpgこちらは、鉄門の跡。
ここから、天守に向かいます。天守は、昭和の時代に国宝となっていたが、残念ながら昭和20年の空襲で焼失、現在の天守は、昭和34年に再建されたもの。


大垣城ー5.jpg昭和34年というと、1959年だから…築60年超[exclamation×2]
めっちゃ綺麗な白亜の城[exclamation]
なんか、健康食品のCMの「この方、なんと60歳なんです[ひらめき]」みたいなのを思い出してしまった[わーい(嬉しい顔)]


城内はかなりコンパクトで、再建された建物も、天守のほか、天守の両サイドの多門櫓など、そう多くない。


この日は、教育文化週間(10/31~11/3)ということで、入館料が無料。なんかラッキー[ぴかぴか(新しい)]な半面、入場券の半券がないのも寂しかったりして[バッド(下向き矢印)]


大垣城ー6.jpg中では、関ケ原合戦420年特別展示が開催されていて、可愛い三成さまもいらっしゃった[黒ハート]
少女マンガみたいで、素敵[ぴかぴか(新しい)]


大垣城ー7.jpg最上階からは外の風景を見ることができるが、虫が飛んでくるようで、網が張られていた。
ここから、関ケ原、そして三成が逃げたとされる伊吹山も見える。


大垣城ー8.jpgというわけで、短い時間の訪問だったが、けっこう満足した大垣城訪問。
名古屋まで戻り、今年初めての[exclamation]関西に向かった。
昨年の10月31日は松坂城を訪れているので、2年連続城でのハロウィーンとなりました(笑)


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石垣山城 [┣続百名城]

小田原城が楽しすぎて行けなかったかき氷のお店にリベンジしてきました[exclamation]


石垣山城ー1.jpg


東海道線の早川駅(小田原のひとつ先)で下車、徒歩10分くらいかな[exclamation&question]
小田原漁港近くの「ひととせの雪」さんに行ってまいりました。
30分くらい炎天下で並んだ後、入店。超人気店なんですね~[るんるん]


私が頼んだのは「みかん」。
この日は、熊本県産のデコポンを使用しているそうで。


石垣山城ー2.jpgご覧のように、果物を凍らせてかき氷にしているのです[exclamation]


本物の果物なので、甘味だけでなく酸味もある[exclamation×2]
それが爽やかで、さくさく食べ進められたし、かき氷にありがちな、頭がキーンとすることが一切ない[exclamation]
超マイルドで、頼んだのは「Mサイズ」だったけど、「L」で全然よかった…[バッド(下向き矢印)]
酸味に疲れてきたら、左隅に写っているシロップを少したらすと、酸味が消えて甘味だけになり、またおいしい。
シロップをちょっとずつたらすことで、元のデコポンだけの味と交互に味わえて、至福でした~[るんるん]
一緒に行った友人は、「メロン」を注文したのだけど、こちらは、練乳がけでも味わえる。
梅昆布茶を一緒に出してくれるのも、ピッタリで、人気店な理由がよくわかった。


待っている間に12時を回ってしまったので、まず腹ごしらえをしてから、駅に戻り、タクシーで石垣山城へ。
タクシーだと早川駅から10分弱でした。駅前にタクシーはいなくて、迎車になってしまうけれど、それでも1200円程度。歩くと50分ほどかかるし、山道なので、タクシーはおすすめです。


石垣山城ー3.jpg石垣山城の駐車場でタクシーを降りて、まずは、続百名城のスタンプを押し、登城開始。
“石垣山城”という名前に、サンダル履きの友人はビビッていたが、サンダルでも問題ないルート。
こんな風に、大きな石がゴロゴロしているだけで、なにか尊い感じがしてワクワクする石垣好き。一人でテンションが上がり、かなり変なヒトでした(笑)


石垣山城ー4.jpgはい、石垣です。
なんか、石が崩れてるんじゃね[exclamation&question]とお思いのアナタ、この崩落は、関東大震災によるものだそうですよ[exclamation×2]
関東大震災から、もうすぐ100年になるが、あらためて、すごい地震だったんだな~と感じた。(犠牲者が多かったため、東京近辺の地震のような印象があるが、実は、一番揺れたのは、小田原だったらしい。)


石垣山城ー5.jpg関東の城で石垣造りの城は少ないので、石垣好きとしては、わくわくもでかい(笑)
豊臣秀吉によって造られた石垣山城は、石垣のプロ、穴太衆(あのうしゅう)を関西から呼び寄せて、わずか80日で完成。しかも、完成と同時に周囲の木を伐りはらって、一夜にして巨大な城ができたかのように見せ、北条側の士気を削いだと言われている。


石垣は野面積で、穴太衆の技術力の高さを十分に堪能できた。
さて、関東に石垣の城が少ない理由のひとつに、石垣に適する石が産出できない、ということがある。
ところが、小田原は、江戸城の石垣にも使用された“早川石丁場群”を擁するなど、安山岩の宝庫だったりする。北条氏にも石垣の城があるなど、関東の中でも異質の地域なのです。関東屈指の石の宝庫+穴太衆…これが、石垣山城の秘密だったのですね。


石垣山城ー6.jpg


展望台からは小田原の市街と、小田原城がくっきりと見える。


秀吉くん、最高の立地だね、これは。
(写真ではiphoneの望遠最大にしていますが、肉眼でも見ることができます[exclamation]


展望台の上で、小田原城の場所を教えてくれた見知らぬお父さん、ありがとうございます。
(息子さんに向かって一生懸命、説明していたのを聞いて、我々も方向がわかりました。)
もし、誰も説明してくれる人がいなかったら、とりあえず、展望台の正面より、かなり左側の方を見てみましょう。住宅街の中に、うっそうと森があるので、森の辺りを探すと、クッキリと三層の天守が見えてくるはず[exclamation×2]


小田原城は、今回見学した石垣山城もだが、総構9キロを歩いてみたいし、大堀切とか、まだまだ周辺に見どころもたくさんある。
北条氏時代の小田原城は、土塁を積み上げた関東らしい城なので、その遺構が残っている場所は、現在の小田原城とは別の魅力があると思っている。
この風景を見ながら、近いうちの再訪を心に誓う。(かき氷もセットで[exclamation×2]


石垣山城ー7.jpgなんか、絵葉書みたいですが、ごく普通にiphoneで撮影したものです。


ここから見える相模湾には、加藤嘉明、脇坂安治らの水軍がひしめいていたらしい。本気出した秀吉、怖すぎる…[バッド(下向き矢印)]


石垣山城ー8.jpg天守台跡は、少し奥まった場所にある。物見櫓としての機能もある天守を、こんなに奥まった場所に作るだろうか[exclamation&question]と、以前訪れた時には思ったが、「石垣山城の目的は、見るより見られることにある」と考えれば、少しでも小高い場所に作るという考え方もありかな。


ここから南曲輪に降りる。
石垣山城ー9.jpgちょっと小さめの曲輪からは、プライベートビーチのように海が見える。
この景色を見た時、なんか自分が茶々(淀君)になったような気分になり。
「ふっふっふ、これが権力か」
とつぶやいてしまい、友人に気持ち悪がられた。


石垣山城ー10.jpg最後にもう一度石垣。
大満足の石垣山城でした。


(余談)タクシーを呼んだ時、「石垣山城」と言ったら、「あ、ヨロイヅカファーム[exclamation&question]」と聞かれ、えーと、なんか、鎧でも展示されてるのかしら[exclamation&question]と思ったのですが、実は、一夜城駐車場に、一夜城ヨロイヅカファームという施設があるんですね。初めて知った[あせあせ(飛び散る汗)]
しかも、ヨロイヅカは、鎧塚俊彦さんのことだったんですね。


すごいパティシエだというのは知っていたけど、ものすごい実業家なんですね…びっくり[あせあせ(飛び散る汗)]
一夜城には、畑・地産地消レストラン・パティスリー・ブーランジェリー・直売所があるそうです。
ちょっと見てこようか…と思ったら、巡回バスが来てしまったので、それはまた次回にしたいと思います。


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岸和田城 [┣続百名城]

大阪ライブの前日がゆうひさんFCの会合。何も考えずに、いつも宝塚を観る時の新幹線を予約してしまっていた。いったいその時間まで何をしよう…[あせあせ(飛び散る汗)]日程が近づくにつれ、頭を悩ませる。雪組大劇場公演も考えたけど、移動がバタバタしそうだったので、化粧タイムのことなど考えて断念[爆弾]
というわけで、続百名城のひとつ、岸和田城に行くことにした。
初めての南海電鉄に乗り、「蛸地蔵」駅で下車。グーグルマップ様の導くままに歩いていると、いきなり、視界が開けた。
岸和田城‐1.jpgおおー[exclamation×2]お城だ[exclamation×2]


こちらの天守閣は昭和29(1954)年の再建。
成立時期は正確には不明だが、江戸時代に大坂の「南の守り」として西国への備えとなっていたそうなので、江戸時代に整備された城郭の特徴を持っているように思った。


岸和田城‐2.jpgその一番の特徴が、この百間堀。
広い水堀で城をぐるりと取り囲むのは、江戸城もそうだが、「大砲で城を狙える」ようになって以降も拠点と考えられた場所。
城を整備する時に、大砲の射程距離を考えて堀の幅を取っているというのが、江戸時代に現役だった証拠かな。(天下泰平の世になって御役御免となった城は多い。)
岸和田、重要な場所だったんですね。
(岸和田といえば、きりやんなので、力がはいる[わーい(嬉しい顔)]


岸和田城‐3.jpg現在では、城をぐるりと巡らせるところまではできず、一部、埋め立てられているとのこと。
この辺でどんずまりみたいですね。


岸和田城‐4.jpgさあ、お城に入りましょう。
天守閣は、鉄筋コンクリート三階建て。それほど高いものではないので、眺めはまあまあかな。


岸和田城‐5.jpg真下にあるのが、こちらの「八陣の庭」。
昭和28(1953)年に、重森三玲(しげもり・みれい)によって設計、作庭された庭園。天守閣の前にこんな風にどどーんとあって、目を引く。
ナスカの地上絵かと思ったけど、中世城郭の縄張図を現代風にアレンジしたもので、諸葛孔明の「八陣法」をイメージした石組が配置されているんだとか。
詳細は、いつの日か、写真帳の方で解説できればいいな~と思いつつ…いつになるやら。


岸和田城‐6.jpg石垣もステキだったけど、この石垣も実は再建なんだとか。
すごく暑い日だったので、このたっぷりとした水を眺め、少しだけ涼を感じることができた。


とはいえ、まあ、暑いです。


岸和田城‐7.jpg二の丸は、馬出しのようになっていて(広島城もそんな作り方だった記憶)、そこに、イタリアンレストランがあったので、少し早めのランチをいただき、帰りに、近くの岸城(きしき)神社に行き、ゆうひさんのライブの成功をお祈りして、大阪まで戻った。


化粧は、どろどろに溶けていて、大阪で一生懸命直したものの…記念写真の到着が怖すぎます…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


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掛川城と浜松城 [┣続百名城]

七海ひろきさん卒業のその日、どうしても他の日にすることができず、友人と年に一度程度の城旅。
でも、お願いして、ライブビューイングには付き合ってもらいました[わーい(嬉しい顔)]


2019掛川城.jpg


青空と桜と城…この好き日に卒業する人が、幸せにならないはずはない…と思います[黒ハート]
で、こちらの写真は、掛川城です。私は二度目の登城だったのですが、やはり美しいですね~[ぴかぴか(新しい)]


浜松城1.jpgそこから、JRに揺られること30分、浜松城にも行ってきました。


浜松城は、徳川家康が岡崎城の後に居城にしたところで、その後の家康の出世になぞらえ、出世城とも呼ばれています。


天守閣は鉄筋コンクリートによる再建。でも、石垣の一部が戦国時代のものであるそうで、その辺りが見どころだそうです。


浜松城2.jpgこちらの写真は、若き日の家康さん像。
岡崎城にも、駿府城にも家康像があり、その時々の家康さんが像になっているのが面白いな…と感じます。


そして、浜松は、大河ドラマでおなじみ、「おんな城主直虎」の故郷の町でもある…ということで、家康くんと同様、出世法師・直虎ちゃんも、ご当地の人気キャラクターになっているようです。


浜松城3.jpg少し、引きで撮影した浜松城の全容です。詳細は、いずれ、写真帳の方にアップしていきたいと思います。
かいちゃんのサヨナラのせいか、すごくよいお天気で楽しい遠足となりました。


浜松城4.jpg城の後は、TOHOシネマズ浜松に行き、星組公演千秋楽のライブビューイングを見ました。
かいちゃんの最後のステージというだけでなく、「霧深きエルベのほとり/ESTRELLAS」という作品のラストステージをライビュで見ることができたのは、すごく貴重な経験でした[ひらめき]



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村上城 [┣続百名城]

ゆうひさんが出演する「人形の家」初日を観劇するために新潟へ。
ただ、開演が19時だったため、昼間は、お城見物に行くことに…。以前、りゅーとぴあに行った時に、新発田城は行っていたので、今回は、続百名城から、村上城を選択した。


JR白新線で村上駅まで行き、駅からタクシーで村上市郷土資料館へ。ここにスタンプがあるんです。


村上城-1.jpg資料館にはほかにお客もなく…でも、係の方がとても親切で、城に行く前に資料館の中を探索。地元の有名なお祭り、村上大祭の神輿を鑑賞してきました。
資料館にこんな風に展示されています。


村上城-2.jpgそこから徒歩で村上城へ。
ちょっと歩くのですが、グーグル先生のお導きにより、どうにか現地に辿り着きました。


村上城は、少なくとも室町時代に、地頭であった本庄氏によって築城されたようで、標高135メートルの臥牛山を利用した平山城。


村上城-3.jpgこちら、入口の一文字門跡。
ここから、七曲りと言われるつづら折の坂を登り、山頂へ向かいます。
比較的低い山に築かれた平山城…もいくつか経験していますが、ここまで親切な案内図のあるお城は初めて。満を持して続百名城の指名を受けたのだろう…と感じました。


村上城-4.jpg東日本の城は、土塁を使ったものが多く、総石構えの城は珍しいそうです。
こちらは、修復された出櫓台。


昭和の時代に豪雨で崩壊したものを、国の史跡に指定されたのを機に、修復工事に入り、平成27年に完成したそう。素晴らしい[exclamation]


村上城-5.jpg臥牛山頂からは、日本海がハッキリと見え、お天気はイマイチでしたが、気持ちの良い眺めでした。


村上城-6.jpg百葉箱[exclamation×2]
久しぶりに見た…
というわけで、ここが標高135メートルです。


この日は、あまりお天気がよくなくて、途中でざーっと降り出したらどうしよう…という感じだったのですが、登り始めた時にはうすーく降っていた霧雨も止み、気持ちよい山頂でした。


村上城-7.jpgそして、もう5月だというのに、桜が咲いていました[かわいい]
ちょびっとだけでしたけどね。


村上城-8.jpg壮観な石垣のぐるりでした。


帰りは電車に乗るまで時間もあったので、グーグル先生のお導きのまま、歩いて村上駅まで。20分くらいで駅に着きました。


新潟に着いてからは、駅前のぽんしゅ館さんで日本酒の利き酒にトライし、新潟ライフを満喫したのでした。


たくさんの利き酒の末に、私が選んだお酒は「越路吹雪」。おススメです。


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