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「明日もう君に会えない」観劇 [┣演劇]

「明日もう君に会えない」


作・演出:倉本朋幸(オーストラ・マコンドー)
音楽:古賀小由実
照明プラン:若原靖(リジッター企画・LICHT-ER)
照明オペ:佐藤佑磨
音響プラン:池田野歩
音響オペ:小林勇太(T.C.O.C)・栗原カオス
衣装:梶山ゆみ乃
演出助手:三宅里沙
舞台監督:西廣奏
写真:ナカムラヨシノーブ
宣伝美術:東福寺基佳
プロデューサー:山口ちはる
企画・製作:制作「山口ちはる」プロデュース


女性がプロデュースして、女性だけが出演している作品なので、当然女性が作ったものだと思っていた。


キャパ130席と書いてあるが、舞台上に水が張ってあったため、前方席と舞台の間隔をあけてあり、おそらく席数は少なくなっていると思う。100席弱かな[exclamation&question]
このサイズの劇場の場合、携帯電話の電源OFFが死活問題なので、前のめり関連のアナウンスなどは、なかった。
さて、私が観に行った日、演劇の場所には珍しく、客席は男性に占められていた。女性はたぶん、5人もいなかったのではないだろうか。圧倒的にマイノリティ状態の客席で、舞台の内容は、「堕胎が禁じられた社会において、不用意に妊娠してしまった高校生の女の子の物語」だったため、けっこう、辛かった。
そもそも、水を張った舞台で、白い服(オフホワイト)の女の子たちが、水の中に横たわったりするので、まず、「透け」が気になる。肌が透けて見えたりはしなかったが、とにかく、芝居以外のことが気になるってしまうのは、ちょっとなー[バッド(下向き矢印)]と思う。


それだけじゃなく、産婦人科医(原田樹里)が、ヒロインのなつ(田中怜子)を診察するシーン、インナーをちゃんと身に着けているとはいえ、水の中に寝転んで、両足を開かせる…というのは、小劇場の距離感で、最前列からほぼ男子ばっかり…という客席では、なんか、胸が苦しくなる。
舞台上に水を張っているというのは、想像以上に、エロティックな何かがあった。いい意味でも、悪い意味でも。


さて、この作品は現代日本を舞台にしていると思われるが、唯一、前提として、「理由の如何を問わず人工妊娠中絶が法律で禁止されている」という世界になっている。にもかかわらず、女性の身体を守るための避妊法は、今の日本と同じレベルしか存在していない。
こんな理不尽な話はないが、昨今、出生率を気にする国会議員さんの発言を聞くにつけ、このようなおそろしい法律ができることも、荒唐無稽には思えない。…という意味では、今、という時期に相応しい作品だったのかな、と思う。
中絶が法律で禁止されている…ということは、プロの産婦人科医が中絶手術を行うことはない、ということだ。当然、命の危険を感じながら、もぐりの医者に行くか、泣く泣く出産するしかない。理由の如何を問わず…ということは、レイプされた結果だとしても…。一応、里親制度は活用されているらしいけど。


最初、キラキラと輝いていた高校生(だと思う)4人組、なつと、さき(田中文乃)、あかり(西野凪沙)、わか(朝倉ふゆな)。しかし、なつは誰にも言えない秘密を抱えていた。3年前の水害で両親を失くして以来、同じような被害に遭い、仮設住宅に暮らす人々のボランティアに参加していたなつは、名も知らぬボランティアの若者と一度限りの関係を持ち、妊娠していたのだった。
勇気を出して、産婦人科を訪れたなつ。
そこには、望まない妊娠をして、出産間近となった看護師見習い(石川久絵)が働いていて、長年妊娠を望んできたようやく妊娠した女性(でく田ともみ)が通っている。さらに、法律で禁じられていると、何度言っても、中絶を望んできかない横道(斎藤千晃)も時々やってくる。
そんなこんなしているうちに、あかりが妊娠したらしい…という事件が起き、一人悩んだあかりは、自殺してしまう。あかりと特に親しかったわかは、心の平安を失ってしまう。
なつは、彼女をずっと守り続けてくれた姉(加藤夏子)とも、一時険悪な雰囲気になるが、最終的には、出産することを決意して芝居は終わる。


なつが出産を決意したひとつの原因に、女医の言葉があった。
かつて、複数の男性からレイプされた女性が妊娠した時、法を破って中絶手術を行った。そうしたら、その女性は、子供を失ったことに耐えられず、自殺してしまった。だから、私は、どんなことがあっても、ここを訪れた女性たちを出産させる…と彼女は語る。


「山口ちはるプロデュース」と書いてあったので、私は、てっきり、山口ちはるという女性がこの作品を書いたのだと思って観劇していた。なので、芝居がこのフレーズに到達した時、こんな芝居を書く女性がいるのか、と愕然とした。
あとでよくチラシを見たら、脚本・演出は男性だったので、今は、少し安心している。


レイプされて妊娠した女性が自殺した時、自殺の原因を中絶による喪失感に求めるとか、ちょっと、ありえない[むかっ(怒り)]
そして、多くの女性たちが、出産するかどうかの選択ができないディストピアで、今しかない人生をキラキラ生きるとか、マジ、殴るぞ、オイ[exclamation]というストーリー。
そして、舞台に張られた水。夏とはいえ、足首まで水に浸かって、時に、水の中に身体も浸かって、薄着に裸足で芝居をする若い女性たち。公演期間は、小劇場には珍しく2週間もあり、1日2回公演とかも多い。
大丈夫か[exclamation&question]
冷えは女性にとって大敵だし、夏場の公演、特に塩素臭もなかったが、衛生面は大丈夫なのだろうか…と、余計な心配をしながら見てしまうこと自体、たとえ大丈夫だったとしても、女性に優しくない舞台だ。


出演者が好演なだけに、彼女たちが、この作品に対して、ホントのところ、どう感じているのか、聞いてみたい。
ディストピアを描くのなら、だからこそ、性における男女のこの不平等について、日本はどれだけ後進国であるか、ということを啓蒙するような舞台にできないものか。
それでなくても、緊急避妊薬を簡単に買えないとか、女性が主体的に行える避妊具がほとんど未許可とか、世界的に見て、女性の自主性がまったく無視された、ありえない状況なのに、さらに中絶禁止国家にした上で、女性たちが普通にそれを受け入れている物語って、演劇として何がしたいの[exclamation&question][むかっ(怒り)][爆弾]


あと、本作では、女性の妊娠と出産に視点を集めすぎたためか、それ以前の物語が非常に希薄だったりする。不妊治療の果てにようやく妊娠したのに流産してしまった女性はともかく、あとの、独身なのに妊娠してしまった4人の女性については、あかり以外、相手の男性との距離感が見えてこない。
いや、どんな距離感であっても、妊娠する時はしてしまう…というのは、その通りなのだが、少なくとも、「産む」という決断への移行には、相手の男性との距離感が大きく影響しているはずだ。あかりだって、ノボルが前向きだったら自殺しているはずがない。
にもかかわらず、この芝居では、「産む」ことを女性にすべて委ね、芝居の外側でヒトゴト顔をしているのが、男性だ。それは、そのまま、作・演出家の姿勢にも思える。
女の子はいつだって、命懸け、それがすごいよね~[ぴかぴか(新しい)]
とか、外側で言ってんじゃねーよっ[むかっ(怒り)]


純粋に舞台演出のことを言うと、水を使ったために、登場人物が、動き回りながらセリフを言ったり、セリフを交わしているのに、お互いを見ないで同方向に向かって歩き続ける…という行動に違和感がない、とか、白い舞台面に水…というだけで、照明の変化が無限に作れて、そのたゆたう柔らかな光が、若い女優を照らして、本当に女優って美しい生き物だな~と思えた、とか、については、全面的に褒めておきたい。
そして、出演女優の皆さん、本当にお疲れ様です。皆さんのお芝居には、ただもう感服するのみです。


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