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津山城 [┣百名城]

鳥取に一泊し、翌朝、一路津山へ。


津山城‐1.jpg鳥取から津山(岡山県)に行くには、けっこう綱渡り的な乗換を行って2時間ほどの道のり。そうじゃないと4時間くらいかかったり…[あせあせ(飛び散る汗)](電車の本数が極端に少ないのです。車だとさくさく行けそうな感じでした。)


津山も快晴[晴れ]
そんな津山市は、B'zの稲葉さんの出身地なのだそうです。駅前にでかい看板[黒ハート]


帰りは岡山駅まで行って新幹線の予定だったのですが、こちらも乘れる列車が限られているため、城まで徒歩15分とのことでしたが、時間短縮を狙ってタクシー利用。
まさかの「津山城」が通じなくて驚きました…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


津山城‐2.jpg実際、お城に行ってみれば、無人ということもなく、おそらく駅から近いので、皆さん歩かれるのでしょう[わーい(嬉しい顔)]


津山城は、森忠政が1604年に起工し13年の歳月をかけて築いた輪郭式の平山城。森忠政は、かの森蘭丸の弟。忠政自身は、豊臣秀吉、後に徳川家康に仕えている。


津山城‐3.jpg江戸初期の城ということで、まだまだ、防護機能重視の築城となっていて、クランクの多い城でした。
そして、常に階段を昇っていたような…[あせあせ(飛び散る汗)]


明治の廃城玲により、天守・櫓などが破却され、再建された備中櫓以外、これといった建物もないが、石垣は、しっかりと往時の面影を残してくれている。


津山城‐4.jpgこの辺なんか、クランクというか、虎口の連続な雰囲気が伝わるのではないだろうか[exclamation&question]


津山城‐5.jpg逆に、これはギャグなの[exclamation&question]と驚いたのが、天守台にある「愛の奇石」。


一応、ハート型という売りで、この奇石に触れたカップルは恋が成就すると言われているんだそうです…てか、誰が言ってるんだよ[exclamation&question]
本当に、ハートと言っていいのか[exclamation&question](中央のちょっと黒っぽい石のことです[exclamation]


津山城‐6.jpgこちらが、再建された備中櫓です。一応、中を見学することもできます。(百名城のスタンプはここで押します。)


津山城‐7.jpgこの石垣は、急な勾配が美しいと思って撮影してみました[黒ハート]


隅石のライン(ややカーブしている)が完璧に美しい…[揺れるハート]


滞在時間が限られているので、やや駆け足で移動することになりました。詳細は、いつか、写真帳にアップしたいと思います。


津山城‐8.jpgそんな津山は、高瀬舟という小さな舟で、吉井川を行き来し、瀬戸内と交易をしていたようです。
その吉井川に「ごんご」と呼ばれる河童がいて、古くから親しまれていたそうです。
そんなわけで、マンホールの蓋も河童[exclamation]


津山城‐9.jpgこちらは、ごんごの彫刻。
可愛いですね[かわいい]


津山城‐10.jpgごんごの奥さん[exclamation&question]


…と、次々に現れる彫刻に、勝手に盛り上がり、写真を撮り続ける私。
実は、刻一刻と、帰りの出発時刻が迫っていて、行きはタクシーだったので、駅までの距離感がまったく分かっていないというのに、大胆な私[あせあせ(飛び散る汗)]


まあ、これも旅の醍醐味と言いますか…けっこう嫌いじゃないです。
(たしか、人吉城の時に、乗りたかった列車に乗りそこない、駅員さんに「どうしたら熊本に帰れますか[exclamation&question]」と半泣きで聞いた、迷惑なオバサンが私です[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


津山城‐11.jpgこちらはお子さん[exclamation&question]


いや…これは、カエルじゃないかっ[あせあせ(飛び散る汗)]
親戚か[exclamation&question]


なんてアホなことを考えながら歩いていると、もう、駅に着いていました。


津山城‐12.jpgこちらは、津山藩の英雄、箕作阮甫(みつくり・げんぽ)。津山藩医で、幕末、ペリー来航時にアメリカ合衆国大統領の国書を翻訳するなど、外交交渉に活躍した人物のようです。


実はこの時点(13時過ぎ)で、まだお昼ご飯を食べていなくて、でも、駅弁とかもなさそうだし…と、駅前のコンビニで、とりあえず、ゆで卵を買った。
乗換の岡山駅で、絶対に駅弁を買ってやる[exclamation×2]と固い決意をしながら…


津山城‐13.jpgSLも展示されていました。
コンパクトサイズだけど、コンビニ、タクシー乗り場、綺麗なトイレ、待合所、コインロッカー…と、必要なものが、しっかり備わっている理想的な駅前広場だな~と感じました。


津山城‐14.jpg消火栓は、分かりやすい絵柄でした。花は、津山市の花である桜の花のようですね。


(乗換の岡山駅で、ちゃんと駅弁を買い、15時近くでしたが、がっつりいただきました[黒ハート]


2019-09-06 23:12  nice!(0)  コメント(0) 
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鳥取城 [┣百名城]

宙組全国ツアーのついでに、鳥取城に行ってきました[黒ハート]
てか、会場(とりぎん文化会館)と鳥取城が近くて震えた(笑)


新幹線で姫路まで行き、そこから特急スーパーはくとに乗り換えて、鳥取へ。意外とあっという間の旅でした。


鳥取城‐1.jpg乗換時間が30分ほどあったので、一度改札を出て、そこから見える姫路城を撮影[exclamation×2]
前に姫路城に行った際、駅から写真が撮れることは知っていたので、再びチャレンジしてみました[わーい(嬉しい顔)]


スーパーはくと、初めて乗ったのですが…ウッディーで年季の入った作りの電車でした。正直、新幹線ほど快適な電車ではないものの、買っておいたおにぎりを食べたりしながら、鳥取までの旅を楽しみました。


ホテルは鳥取駅前にとったので、まずは荷物を預けに行き、ついでに終演後の食事場所を探す。(これ、重要な仕事!)
再び駅前に戻り…こんなものを発見しました。


鳥取城‐2.jpg大国主命と因幡の白兎。
因幡は鳥取県なんですね[ひらめき]


鳥取城‐3.jpg一方、こちらは、因幡の麒麟獅子舞をモチーフにしたもの。次にお見せする写真も同じ「麒麟獅子」をモチーフにしたモニュメント。
鳥取県・兵庫県に伝わる民俗芸能とのこと。
それを鳥取藩主の池田氏が、徳川氏・池田氏の権威を象徴するものとして保護したようですね。


鳥取城‐4.jpgモニュメントもご覧ください。
映画「ゴジラ」のラストシーンを思い出すようなモニュメントでした。伝わるかな[exclamation&question]


鳥取城‐5.jpgこの日の鳥取は、夏が戻ってきたような天気。
徒歩30分と聞いていたけど、なんか1時間くらい歩いたような気分の中、ようやく鳥取城に近づいてきた感じが…。


こちら、吉川経家公の銅像。
織田信長の中国攻め。鳥取城に籠城する毛利勢に対し、秀吉の採った手段は兵糧攻め。食料の補給手段を絶ち、飢えて降伏するのを待つ作戦でした。
そして、とうとう、餓死者が出て、人肉を食べるようになった時、経家は、切腹して城を明け渡すことを決断します。享年35歳。
そもそもの城主が逃げ出した代わりに入城した経家は、死を覚悟して入城していたと思います。
とはいえ、一番可哀想なのは、領民の保護という名目(もちろん非常時の戦闘要員という意味も含めて)で入城することになった2千人の領民ですが。


鳥取城‐6.jpgちなみに、鳥取は、かの有名な「ふるさと」([るんるん]うさぎ追いしかの山[るんるん])の作曲者、岡野貞一の出身地だったようで、このような歌碑も城(久松公園)入口に掲げられていた。
作曲者の歌碑だから、五線譜も付いているんですね。


鳥取城‐7.jpg鳥取城は、そもそもは、山城。
この山が城だった時代を経て、現在残っているのは、江戸時代に池田氏によって改修された近世城郭。それも、明治9年に鳥取県が島根県に併合された結果、陸軍省に払い下げられ、建物(三階櫓など)は解体されてしまった。
ただ、美しい石垣だけは、残っている。


あと、中仕切門(西坂下御門)というのが残っているのだけど、地図を見ると絶対に横を通ったはずなのに…全く記憶がありません…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
色々な城をめぐっていますが、こういうことは、ほんとよくあるんですよね…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][爆弾]城の神様のいたずら…また来いっていうことでしょうか[exclamation&question]


さて、近世城郭としては、「平山城」に分類される鳥取城ですが、ご覧の通り、かなり、急な石段を登り、風光明媚な場所に二ノ丸(天守代用の三階櫓)があります。
ここを山下の丸と呼ぶようです。その上に、本丸、天守台があるらしい(山上の丸)のですが、現在、修復中な箇所があるようで、私には登り道を見つけることができませんでした。無念…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][爆弾]


鳥取城‐8.jpg


こちらが、天球丸の巻石垣。
後ろ側の石垣の崩落を防ぐ目的で作られたそうですが、日本で唯一の丸い石垣です。
天球丸という名前は、藩主池田氏初代の姉(出家して天球院)の居地だった場所で、二ノ丸より上部にあった。


天球丸から急な坂道を降りていくと、そこに、仁風閣があります。


鳥取城‐9.jpgすごいですね。
設計は、ジョサイア・コンドルの弟子である、片山東熊。フレンチルネッサンス様式の建物で、大正天皇が皇太子時代に鳥取を訪れた時の寝所として造営された。


こちらの写真は裏庭のものです。
右側に、お城の石垣が見え、絶景ですね[ぴかぴか(新しい)]
ちなみに、この建物、映画「るろうに剣心」で武田観柳邸として使われたようです。


鳥取城‐10.jpgこちらは、庭に設えられた庭園の一部。私が撮影した部分は、わりと洋風に見える部分ですが、日本庭園風の場所もあって、和洋折衷、ステキなお庭でした。


鳥取城‐11.jpg中も公開されていて、大正天皇が使われていた場所以外は、普通に歩くことが可能。イベントなどの利用も可能のようでした。


中には、東郷平八郎元帥の直筆「天気晴朗なれど波高し」が展示されていたり。(大正天皇の随行員として、東郷元帥も来館され、「仁風閣」の名前を付けられたとのこと。)


鳥取城‐12.jpgこちらが、表から見た仁風閣です。
美しかったですが、中は、めっちゃ暑かったです[あせあせ(飛び散る汗)]


というわけで、鳥取城を後にして、一路、とりぎんホールに向かいました。
(とりぎんホールは、たいへん涼しかったです[わーい(嬉しい顔)]


これまでの城旅の中でも、相当厳しい旅でしたが(修復中で入口も分かりづらかったり…[爆弾])、でも、充実していました。


ありがとう、鳥取城[exclamation×2]


鳥取城‐13.jpg


 


2019-09-05 23:12  nice!(0)  コメント(0) 
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安土城 [┣百名城]

関西に行くついでに安土城に行くことにした。満を持しての安土城です[黒ハート]


安土城-1.jpg東海道線の安土駅に降り立つと、駅前にレンタサイクルのお店を発見。お城まで徒歩で50分と書いてあったので、これは自転車、いいじゃないの~[るんるん]と、借りることに。
お店のおばちゃんに地図をもらって、いざ出発[exclamation×2]
しかし、この地図が、かなり罠で…[爆弾]まったく見当違いの方向に行った私は、最終的にはグーグル先生のお力で、なんとか安土城に到着することができた。
ありがとう、グーグル先生[黒ハート]
苦労したけど、美しいこの景色[かわいい]


安土城-2.jpg積み上がっている段数は少ないのだけど、石垣が多い。本当に美しい。
つい、見とれてしまって、歩くスピードが遅くなってしまった。


安土城-3.jpgはい、こちらが、噂の大手道です。戦国時代のお城は、とにかく道がくねくねしている、というのが定番。
しかし、この安土城の大手道は、まーっすぐ伸びている[ぴかぴか(新しい)]このまーっすぐ感が、覇王・信長らしいな~と感じた。
麓の休憩所みたいなところで、案内の方にうかがうと、どうやら、本丸に天皇陛下をお招きするための休憩所が設けられていて、そのために本丸の設計は清涼殿を模していた…とのこと。
なので、大手道がまっすぐなのは、天皇が乗るための輿を運びやすくするためではないか…というのが最新の学説のようです。


安土城‐4.jpgとにかく、山、山、山、どこまで行っても階段…ようやく、「天主閣跡」に到着。
あ、安土城は、「天守」ではなく「天主」と言います。
この字を使うのは、織田信長だけが、天主閣に住んでいたからかもしれない…と私は思ってます。


安土城ー6.jpgその天主跡からの眺めはこんな感じ。
すごく見晴らしがよかったです…というか、苦労して登ってきた喜びが、ふつふつと…[黒ハート]


天主閣の帰りは、少し遠回りして、安土城の中に作られた摠見寺(そうけんじ)跡に向かう。
安土城-5.jpg途中で見かけた石垣。
当時の石の積み方は、野面積み。
信長の城は、穴太衆(あのうしゅう)という石工集団が石垣を積んだそうだけど、見事な積み方だな~と、惚れてしまう。


安土城-7.jpg摠見寺の伽藍は、安土城が燃えた時には焼失を免れたけれど、江戸末期に火災があり、焼失してしまったのだそうです。
こちらの三重塔は、そもそも15世紀からあるものだそうで、摠見寺の建立に際し、移築されたものだそうで、今もその優美な姿を残している。


安土城-8.jpg麓に降り、ようやくホッとしたものの、帰り道も微妙に道に迷ってしまい、余計なサイクリング時間を費やしてしまったのでした。
ま、そもそも方向音痴で、こればっかりは治らないようです。


安土城-9.jpg駅前の信長さんにご挨拶して、安土を後にしました。


この駅には「観音寺城」もあるし、信長の館など、休館日で行けなかった施設もあるので、必ず近いうちに戻ってくることを誓って、岐路に着いた。


やっぱ、信長、すごいっ[黒ハート]


 


2019-07-16 23:58  nice!(0)  コメント(0) 
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多賀城 [┣百名城]

星組全国ツアーを仙台に観に行ったので、ついでに、多賀城まで足をのばした。


仙台から、東北本線で20分ほどの場所に多賀城市はある。奈良時代、東北の蝦夷(「阿弖流為」でおなじみの…)に対する備えとして建築された鎮守府兼政庁。戦線が北上するに従い、鎮守府の位置も北上していくが、政庁機能は多賀城に留まった。言ってみれば、九州の太宰府と大野城が合体したような施設ですね。


多賀城‐1.jpg多賀城市の駅から、20分弱かな。
最初にやってきた施設は、「壺の碑」。
江戸時代の初め頃に発見された石碑で、政庁・多賀城の位置や由来が記載されている。
にせ物説もあったらしいが、現在は、一応、本物ということで落着しているそうだ。
発見されてからしばらくの間はふきっさらしになっていたそうだが、現在はこのように建物の中に安置されている。(格子の間から碑を見ることができる)


多賀城‐2.jpg壺の碑からさらに歩くこと3分ほどで、政庁・多賀城に到着する。
多賀城は、数奇な運命に翻弄されたみちのくの一大政庁。蝦夷の鎮圧の最前線にして、懐柔策の本拠地。「阿弖流為」に登場する伊治呰麻呂(壱城あずさ)のように、蝦夷の武将ながら、朝廷に認められた領主となることもある。


多賀城‐3.jpgというわけで、こちらが、その政庁跡でございます。
手前に、だいたいこんな感じで建物が建っていたようです…という模型がありますが、なんか、太宰府政庁の模型と似ているかも[exclamation&question]
西の太宰府と北の多賀城、そこに備えを置くことによって、平城京は、ようやく安心して、梅をかざし、歌を詠むことができたのだろう。


多賀城‐4.jpgさらにこちらの写真は、政庁の正殿を復元したもの。まあ、建物全体じゃなくて、足場の部分だけのようだけど。
この周辺では、ボランティアガイドさんに、たいへんお世話になり、長時間説明して頂きました。「阿弖流為」のせいか、色々興味がわいてしまい、あれこれ質問してしまいました。本当にお世話になりました[黒ハート]


この後、日本百名城のスタンプを押しに行き、さらに周辺の遺跡を回り、気がついたら、2時間半も経っていました。食事も忘れて…[あせあせ(飛び散る汗)]


多賀城‐5.jpg奈良時代に藤原氏は、その力を確固たるものにしている。藤原氏の勢力の伸ばし方は、後継者問題に悩んでいた天皇家に近づき、特に女帝の信頼を得ることで、政権中枢に入り込んだと言われている。
蘇我入鹿がやろうとして道半ばで斃れた方法ですね…[爆弾]その入鹿を倒した鎌足の子孫がおんなじことやってたってわけですね…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
(女帝の信頼を得る…とは言っても、全員が女帝とやましい関係になって…という意味じゃないですよ)
藤の花は、他の木に絡みついて成長する。藤原氏もまた…ということで、多賀城市の藤の花は、とても元気に大きな木に絡みついて成長しているようでした。
例の、「壺の碑」によると、天平宝字6(762)年に藤原朝狩が大規模に修造したとか。この藤原朝狩は、藤原仲麻呂(恵美押勝)の息子(四男)。時の大権力者の息子の力が、こんなところにも…[あせあせ(飛び散る汗)]


多賀城‐6.jpg帰りの電車を待つ駅のホームから、こんな建物が見えた。
「東北歴史博物館」…最初にここで学んでから、多賀城に行くべきだったかも…。
また来てみたい場所なので、その時は、必ず博物館にも寄りたいと心に誓っております。


 


2019-05-19 23:37  nice!(0)  コメント(0) 
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甲府城 [┣百名城]

毎年こどもの日は、城に行っている…ということを思い出し、GWの城旅行はあきらめたものの、せめて、百名城のどこかに日帰りで行って来よう[ひらめき]と思い立ち、初夏の陽気を感じながら、甲府に向かった。


甲府城‐1.jpgJR甲府駅から徒歩5分くらいでしょうか。すぐに「舞鶴城公園」の碑が見えてきた。甲府城の別名が“舞鶴城”。城を見に来た観光客もそれなりにいたが、公園で日向ぼっこしている近隣の方も多かった。それだけ、存在が市民に浸透しているんだなぁ~[わーい(嬉しい顔)]
全国の城を訪ねてみると、お城ということを意識せず、市民の憩いの場になっているお城が多く存在していて、それは、とても心和む風景だったりする。


甲府城‐2.jpg緩やかな坂を上ると、そこは、数寄屋曲輪と呼ばれる場所。
戦国時代からある城ということで、“曲輪”と呼ばれているのだろうが、とはいえ、本丸に相当する感じ。


甲府城‐3.jpg東側の城のわりに、石垣が見事。
圧倒されました[黒ハート]


甲府城‐4.jpgこちらは、天守台の上にあった、明治天皇御登臨の碑。ここに明治天皇が上られたのか[exclamation]


甲府城‐5.jpgこちらが、天守台から見た景色。
それほど高くないことが分かると思います。
山の端がかすんでいるせいか、富士山は見られなかった…[バッド(下向き矢印)]ちなみに、富士山はこちらの方角ではないです。


甲府城‐6.jpgこちらは、復元された「鉄(くろがね)門」。
強度を保つためにコンクリートも使用されているものの、できるだけ在来の工法で復元されたのだとか…。
門の上は、櫓になっていて、入ることもできました[黒ハート]


甲府城‐7.jpgこちらが、天守台を下から撮影した写真。
馬蹄型みたいな形の天守台には、どのような天守があったのか、あるいは、作るつもりだったのか、謎が残る。


甲府城‐8.jpgちなみに、甲府は、今年、開府500年だとか。
「戦国BASARA」とのコラボポスターが嬉しい。甲府なのでセンターは、華形ひかるが演じた武田信玄。左に蘭寿とむが演じた真田幸村、右に望海風斗が演じた猿飛佐助。
まだ行っていない城で、体調を考慮して、駅近&山城でないところ…的な選び方だったけど、節目の年に行けて、なんか嬉しい[るんるん]


実は、武田神社や百名城のひとつ武田氏館も2キロ圏内にあったのですが、体調が万全じゃないので、無理はやめておきました。また、行きますとも[パンチ]
ちなみに、10連休の最終日前日、行きは空いていた「あずさ」「かいじ」も帰りは、最終まで満席[ふらふら]八王子まで特急の中で立ち通し、八王子から中央特快(始発だから座れる[手(チョキ)])に乗り換えて、戻ってきました[ダッシュ(走り出すさま)]


2019-05-05 23:00  nice!(0)  コメント(0) 
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偕楽園と水戸城址 [┣百名城]

七海ひろき退団まであと一週間…ということで、かいちゃんの故郷、茨城県水戸市に行ってまいりました[exclamation]


季節は梅の美しき頃…最初は水戸駅に向かうつもりでしたが、偕楽園臨時駅にも特急が停まると聞き、途中下車してみました[黒ハート]


偕楽園1.jpg偕楽園だというのに、なぜか椿に目が行ってしまう私。
やはり、かいちゃん演じる竹中半兵衛を思い出しちゃうから…かな。


偕楽園6.jpg偕楽園は、無料開放されており(園内施設の好文亭は有料)、老若男女で賑わっていた。
そんな中、アニメ「刀剣乱舞」のスタンプラリーをやっていて、若い女子がスタンプ台紙を持って景品交換をしていた。わー、こんなイベントがあったのか…[わーい(嬉しい顔)]
JRともばっちりコラボしているようで、特急「ときわ」の停車駅8駅でもスタンプが貰えるらしい。期間が次の日曜までなのでどうにもならないが、いくつかスタンプ押してもらえたら面白いかも…と、台紙だけはゲットしてみた。品川と上野くらいなら、押せるかも[るんるん]
(一応、JRの駅2つと施設1か所で、貰える賞品もあるのだが、それ、JR水戸駅でなきゃ交換できないのよね。来週水戸は無理でしょ[ふらふら]


と、こんなところで、刀剣乱舞ネタを楽しみつつ(とはいえ、アニメ版は全く知りません…)梅を見ながら、歩を進める。


偕楽園2.jpgこちらは、水戸の六名木のひとつ、「烈公梅(れっこうばい)。
烈公というのは、徳川慶喜の父・水戸藩主・徳川斉昭のことだそうで、その名を冠した梅は、薄いピンクの大ぶりの花が、とても華やか。桜でいえば、染井吉野のようなものかな[exclamation&question]


偕楽園3.jpg期間中は、交代で水戸の梅大使が来てくれるようで…。お揃いの振袖なのね~[かわいい]すごく豪華[黒ハート]
お願いすれば、一緒に写真を撮ってもらえるようですが…さすがに若い美女と一緒に写真を撮るというのは、残念な想像しかできないので、軽くスルー。


私が入ったのは偕楽園の東門で、これを含めて、全部で5つの門があるらしい。
東門から入ると、右手が梅林、左手に色々観光名所がある作りのようだったので、まずは、好文亭の方に直進してみた。


好文亭は、後に水戸城が控えているので、今回は入るのをやめ、その周囲の記念碑などをチェックしてみる。


まずは、こちら。
偕楽園4.jpgこれが斉昭公直筆の「偕楽園記碑」。
名前の由来(多くの人と楽しみを共にしたい)とか、利用の心得などが書かれているとか。
斉昭の宇宙観や人生観、藩主としての姿勢、偕楽園が弘道館と一対の施設であることなども。今のところ、斉昭といえば、伊武雅刀さんしか浮かびませんが[わーい(嬉しい顔)]


偕楽園7.jpgこちらは、菁莪遺徳の碑。
あれ、たしか竹中半兵衛の町、垂井町を訪れた時、竹中陣屋近くで見たのは、「菁莪記念館」…同じ“菁莪”の文字をここ、かいちゃんの故郷・水戸で見るとは…すごい偶然[exclamation×2]
こちらは、慶喜公のブレーンであった原市之進の顕彰碑とのこと。
“菁莪”は、市之進の号および経営した塾の名前なんだって。
垂井町の方は、竹中氏の藩校の名前が菁莪堂で明治以降も菁莪学校という名前で引き継がれたとのこと。
菁莪とは、詩経の一節で、人材を育成すること、という意味なので、もしかしたら、全国至る所に菁莪ありかもしれない。
でも、私が目にした“菁莪”は、水戸と垂井だけなの[exclamation×2]これって、なんかあるって、思いたいじゃない[exclamation×2][exclamation×2][exclamation×2]


偕楽園5.jpg思っただけじゃなくて、ちゃんと梅も満喫してます[かわいい]


梅林って、桜みたいに鬱蒼としないのかな。あまり背が高くならないから[exclamation&question]それとも、低い木だけを選んで植林しているのかな。
これだけの木があったら、桜なら完全に森になっている。苦しいほどの桜の妖気を感じるだろう。梅は、ひたすら、温かい。デトックス効果がありそう。
あー、だから、梅の好きな人は、桜が好きな人より年齢層が高いのかな。(そして、梅の良さが分かり始めている私は、既にBBA…[爆弾]


水戸城1.jpg適当なところで偕楽園を切り上げ、電車で水戸駅まで。
水戸駅の前には、もちろん…水戸黄門さま御一行が[exclamation×2]
やはり水戸といえば、ご老公様と、かいちゃんですもんね[exclamation]
(ツッコミは受け付けません)


城好きとしては、水戸城に行こうと思ったわけですが…
水戸市民は、水戸城を最大限、市民生活に活用していて、遺構になっていない…[がく~(落胆した顔)]


水戸城9.jpg


ちょうど、大手門が復元工事中だったので、今年の秋には、なんとなく水戸城な写真も出せると思うので、もう一度行ってみたい。
江戸時代にも、天守はなく、左のような三重櫓を天守代わりに使っていた水戸藩の精神だけを感じて、あとは、あちこちに散らばる門をご紹介したい。


水戸城そのものが、ほぼ存在しないため、 スタンプは、先ほどの斉昭公の偕楽園紹介の碑に記載されていた「弘道館」で押させてもらう。
なので、まずは弘道館を見学。


水戸城2.jpgここは、對試場跡。
武術の試験をしていた場所らしい。藩主自ら臨席して武術に優れた藩士を見出していたのかな。
弘道館の庭も梅が満開だった。
斉昭公の書いた弘道館の梅についての漢詩も掲示されていた。
「弘道館賞梅花 
弘道館中千樹梅
清香馥郁十分開
好文豈謂無威武
雪裡占春天下魁」


水戸城3.jpg水戸の徳川といえば、水戸光圀公は、「大日本史」を編纂させている。この大事業を成し遂げた場所が、こちら、彰考館。
現在は、水戸市立第二中学校になっている。


こんな風に、水戸城の本丸・二の丸・三の丸は、行政機関や学校に姿を変えているところが多い。
あといくつか、門を紹介したいと思っているが、門は昔からのものなのに、その横に学校名が書かれているのが、かなりツボだった。


水戸城4.jpgこちらは、大日本史編纂の地という碑。


大日本史といえば、全397巻226冊(目録5巻…とウィキ先生に書かれているが、たしか西郷どん、それを完読してましたよね[exclamation&question]
(なぜか、西郷どんネタが多いな、今回は。)


水戸城5.jpgこちらは、見晴らし台。それほど高台というわけでもない感じ。


水戸城6.jpg続いて、杉山門。
この手前側に杉山坂が左側に伸び、右側には、二の丸が広がっていたようだ。二の丸は、現在、県立水戸第三高等学校の敷地になっている。


水戸城7.jpg一方、こちらが、水戸城として現存する唯一の建造物、薬医門。
こちらは現在県立水戸第一高等学校の敷地になっている。


…と、ここまで書いて来て、そしたら、水戸第二高等学校はどうなってるの[exclamation&question]と思いますよね、宝塚ファンとしては。
(七海ひろきさんは、県立水戸第二高等学校の出身)


第二高等学校は、弘文館の向こう側、ちょうど空堀のある辺りのさらに向こうとのこと。今回は、空堀の方まで行けなかったので、次に行く時は、絶対にかいちゃんの出身校も訪ねてみたいと思っております。


水戸城8.jpg最後に、水戸光圀公の生誕地。JR水戸駅のすぐ近くでした。
偕楽園のそばに常盤神社というのがあり、その祭神が、光圀公(義公)と、斉昭公(烈公)。この生誕地は、その分社という扱いになっているみたい。
こちらで、かいちゃんのラスト一週間が幸せなものでありますように…とお祈りしてきました[黒ハート]


 


 


 


 


 


2019-03-17 23:59  nice!(1)  コメント(0) 
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彦根城 [┣百名城]

国宝彦根城には、ゆうひさんが石田三成を演じた2011年に行っているのだが、その時は百名城スタンプの存在を知らなかったので、あらためてスタンプを押しに行ってまいりました。


彦根ー1.jpg駅に着いたら、まず、ひこにゃんが迎えてくれる。彦根城と佐和山城跡のフォントサイズが全然違うのは、ひこにゃんのえこひいきだろうか…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


今回、真夏ということもあり、山城である佐和山城に登ることはしなかった。というか、一人で迷わずに下山する気がしない…[爆弾]
(前回迷子になった人[あせあせ(飛び散る汗)]


到着した日は、もう16時近かったので、城に行くのはやめにして、みつにゃんグッズを売っている戦国丸さんに行くことにして、とりあえず、ひこにゃんの大きな矢印に従ってみた。


彦根ー2.jpg


駅を降りると小さなロータリーがあり、そこに、城のある駅あるある的に、銅像があった。
もちろん、石田三成じゃなくて、井伊直政です…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
大丈夫、「おんな城主 直虎」以来、井伊家も好きになりました[わーい(嬉しい顔)]


彦根ー3.jpg翌朝、8時半くらいにホテルを出発、徒歩で彦根城に向かう。
そんな井伊家の、幕末における有名人、井伊直弼の歌碑があった。


あふみ(近江)の海 磯うつ浪の いく度(たび)か 御世にこころを くだきぬるかな


亡くなる二ケ月前の歌だそうだ。
ご存じのように、井伊直弼は、江戸城桜田門外で暗殺されたので、病気などではなかった。
大老というのは役職名で、本当におじいさんだったわけではなく、享年46だったそうだ。
なのに、なんだか、辞世のような歌を残しているのは、それだけ、思うところがあったのかな…と、佐野史郎さんの直弼を思いながら、この歌碑を眺めた。


実は、駅から10分の街中にあるということで、勝手に平城だと思い込んでいたのだが、行ってみたら、見事に平山城だった…[爆弾]
入口で800円を支払って、天守に向かうと、そこからは、果てしなき登り階段…[あせあせ(飛び散る汗)]
しかも、坂の傾斜や階段の幅がバラバラで、とても登りづらい。そういうところも、築城のテクニック(攻めづらくするため)らしい。


彦根城ー1.jpgたっぷり汗をかいた後、やっと到着。
あれ…こんなに小さな天守だったっけなぁ~[あせあせ(飛び散る汗)]
現在修復中ということで、足場が組まれていたのは、写真的にはちょっと残念[バッド(下向き矢印)]
でも、小さいわりに派手な天守だと思う。
ちなみに、天守前のひこにゃんがいる辺り、実は、本丸跡なんだとか。
礎石のあとが残っているのが見えるだろうか。せ…せまっ[あせあせ(飛び散る汗)]
城郭全体は、三つの堀に囲まれ、玄宮園という素晴らしい庭園もあるのだが、その真ん中にあるものが、思っていた以上にコンパクト。しかも、この天守、大津城の天守をそのまま移築したらしい。
ほかにも佐和山城や長浜城の櫓や門も移築されているそうだ。


彦根城ー2.jpgそんな彦根城天守から見る、佐和山の景色。
正面のぽっこりした山が佐和山。三成に過ぎたるものと言われた佐和山城は、この山頂にあった。
関ヶ原の後、勝った東軍に攻められ、城を守っていた三成の父と兄は、落城と運命を共にしている。
(寺に預けられていた時に、三献茶で秀吉に見出された三成なので、父や兄は、三成の存在によって地位を引き上げられていった。そのため、西軍総大将三成の父と兄が、彼の留守を守っていた…という現象が起きている。)


彦根城ー3.jpg登り石垣と呼ばれる石垣が遠くまで続いていて、壮観。ここは、万里の長城か…なんて思ってしまった[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]
(行ったことありません。戯言です…)
最初は微妙なお天気だったが、だんだん空が青くなってきて、はるかに琵琶湖が美しく輝いている。


彦根城ー4.jpgあとは、もう、ひこにゃんのグリーティングだけ[exclamation]
と、待っていると…
ひょっこりはんのように、現れました[exclamation×2]


ひこにゃんに会うのは、7年ぶりかなぁ。あいかわらず、可愛い[黒ハート]
そして、平日でも、ひこにゃんのグリーティングタイムには、おおぜいのお客さんが待っていて…ゆるキャラ人気の強さを思い知らされる。
まさか、こんなゆるキャラブームになるとは…と、ゆるくないキャラ開発をしていた過去の自分に涙目[もうやだ~(悲しい顔)]


彦根城ー5.jpgはい、ひこにゃんです。
もう、言葉はいりませんね…[黒ハート]


ひこにゃんの顔を見て安心したので、グリーティングは2分ほどで辞去し(ひでぇ)、スタンプをいただきに開国記念館へ。ここの2階にスタンプが置いてある。


無事スタンプをいただいたので、お堀の屋形船へ。
ここも7年前から気になっていて、ようやく乗れて大満足。1300円で、45分間の船旅。おススメです。


彦根城ー6.jpgその屋形船で教えていただいた、彦根城遺構での映画撮影の多さ。
(時代劇を撮っている京都に近いこともあって、野外シーンのロケに使われることが多いんだとか。)
こちらの塀は、映画「散り椿」で使われたそうで、ここに西島秀俊さんがいらっしゃったそうです[揺れるハート]
新井さんは~[exclamation&question]と聞きたい気持ちを抑え、映画、観るぞ~[exclamation]とあらためて心に誓ったのでした。


(え、そんな終わり方[exclamation&question]


 


 


 


2018-08-31 23:08  nice!(0)  コメント(0) 
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広島城 [┣百名城]

5月の下旬、博多座公演とゆうひさんの出演する「人形の家」大千秋楽観劇…という旅行計画を立てたのだが、さて、博多座を観た後一人でどう過ごそう…と悩んだ挙句、広島で途中下車して広島城に行くという、意味不明な計画を立ててしまった。


当日はあいにくの雨、しかし、既に広島宿泊にしてしまったため、引くに引けず、雨の広島駅に到着。
そしてなんと、傘を忘れてしまったため、現地まではタクシーで移動。(福岡空港~博多座~博多駅は、まったく外に出ないで移動できるし、私が居た時間帯は、そもそも雨が降っていなかった。)


広島城-1.jpgタクシーを降り、城のある方角へ。タクシーを降りた場所からは城が見えず、ドキドキしていたが、ほどなく天守が見えて来た。
広島城は昭和まで天守を含む城の遺構が相当数残っていたそうだが、原爆ですべて倒壊、こちらは再建されたものとなる。


どうやら修復工事中のようでした。


天守の中は、資料館になっていて、最上階からは外が見られる。


広島城-2.jpgこれ、石落としなのですが、こんな風に開けた状態にして見せてくれるところは少ないので、かなり気分がアガった。
ほかにも、狭間なども開けた状態で見せてくれていて、塀などについている狭間は開いているけれど、天守の狭間は塞がっていることが多いため、広島城のオープンな姿勢に感動した。


広島城-3.jpg外に出て、東小天守跡の石垣を撮影。どうやら、小天守が東と南に付いた複合連結式天守だったようですね。


広島城は、中国の覇者、毛利氏の居城として秀吉の時代に築城された。秀吉も視察したことがあるとか。
関ヶ原後、西軍の毛利氏が転封になった後、入場したのが、福島正則。結果的に5月の城めぐりは、七本槍ゆかりの城が多くて嬉しい。
福島正則は、その後、城の無届修復工事を咎められ、改易となる。その後、入場したのが浅野氏。例の忠臣蔵でお家が取り潰された浅野内匠頭は分家で、こちら、広島の浅野氏が本家。お取り潰しの後、後継者である、内匠頭の弟、浅野大学は、この広島浅野本家にお預けとなっている。


広島城-4.jpgこちら城址公園内にある、広島護国神社。
今年も絶好調、広島東洋カープが、シーズン前に必勝祈願に訪れるという神社。なんか、ご利益が約束されているような神社ですね。
(雨が酷かったので、お詣りすることなく逃げるように素通りしてしまった。私の運のなさを象徴するような出来事である…)


広島城-5.jpgそのまま、二の丸まで足早に向かってみる。もう、足元がかなりやばい感じの中、多門櫓に入れてもらえそうなので、頑張って行ってきました。
(雨宿りとしか思えない行動。)


多門櫓の中も資料館になっていて、毛利元就の三本の矢のもとになった遺言書…かな[exclamation&question]のレプリカもあったりして…広島城を築城したのは、輝元なので、元就関係ないよね…とは、思いつつ、遺言だから、受ける側が輝元ということで、関係なくはないのか…と思い直す。


広島城-6.jpgこちらが表御門…こっちから出ました。
タクシーで行くと、裏御門から入って、護国神社の前辺りに留めてくれるようで、ちょうど馬出のように、堀に張り出している二の丸の方まで行かなかったら、表御門には気が付かなかったかもしれない。
(広島城HPの解説によれば、もとは馬出だったところを、二の丸として活用したのではないか、と書かれていた。馬出は、戦闘時に城を守り、出撃の拠点となる張り出し陣のことなので、平和な時には必要ない。そのため、江戸時代になってから、二の丸として再利用されたのではないか、とのことでした。)
表門は、さすがに、立派な門でした。


ちょっとトラブルがあって(多門櫓の中を観覧している間に、履いていた靴を間違えられてしまった[あせあせ(飛び散る汗)]のですが、櫓のスタッフの方が、天守まで行って下さって、該当する方を探してくださったのでした[ひらめき])、多門櫓の終了時間まで足止めをくってしまったが、無事出城。


広島城-7.jpg外側から、天守の全容を確認。
美しいお城です。


天候に問題がなかったら、広島駅から十分徒歩で行けると思う。
帰りは、少し歩いて合同庁舎前からバスで広島駅に向かった。あっという間に広島駅。


宿泊は駅のすぐ近く(翌日は、西宮北口までいかなきゃ…なので)にしていたので、駅の近くでガッツリ食べられる場所を探し、一人乾杯と相成りました。


広島城-8.jpgなぜかビールではなくて、生レモンをこれでもか、と入れたチューハイにしました。


美味しかったです[わーい(嬉しい顔)]


広島城-9.jpg広島なので、もちろんカキもいただきました。


大きくて、めっちゃ美味い[るんるん]


はからずも5月は城月間となりましたが、どの城も個性的で楽しく、ますますお城大好きになりました[exclamation×2]


2018-06-09 23:05  nice!(0)  コメント(0) 
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大分府内城 [┣百名城]

別府で迎えた朝、再び温泉を楽しんでからチェックアウト、別府駅に向かった。


別府1.jpgさすが、別府。駅前に手湯があった[るんるん]


連休最終日は、博多座の宝塚花組公演を観劇する。それまで少し時間があるので、別府から大分まで行き、もうひとつお城を見ることにした。


府内城1.jpg


JR大分駅から徒歩15分のところにある平城、大分府内城に行ってきた。


この大分府内城は、福原直高により築城が始められ、江戸時代に竹中重利により完成したと言われる城。竹中重利は、竹中重治(半兵衛)の甥…なのかな[exclamation&question]とにかく親戚らしいです。


また、この城の別名は、白雉(はくち)城とのことで、これもこれから観劇する「あかねさす紫の花」に重なる。宝塚ファンはぜひとも訪れてほしいかも。


こちらは西南隅の二重櫓。駅から歩いていくと、まずこの櫓が見えてくる。
私的には、まずここでテンションが上がる。


少し歩くと、大手門がある。その手前側に、水門…ではないが、濠が広くなっているところがある。


府内城2.jpg


この城は、「荷落(におろし)」と呼ばれていた河畔に築城され、竹中重利の時代には、城のすぐ近くに船着き場があったらしい。


府内城3.jpgで、大手門。
ここで、やった城到着[exclamation]と、テンションがMAXになったものの…門しかなかった…[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]


中はなんと、広場になっていた。
あとで調べると、以前はここに、大分文化会館があったらしい。
櫓門を入ったら、コンサート会場…という武道館的な設定だったのね。(←武道館をコンサート会場とか言う人…[たらーっ(汗)]


ちょうどGWということもあって、天気は悪かったが、中ではイベントが行われていた。
中に入ると、MCのおねえさんの声が楽し気に聞こえてきて、でも、まだ時間が早かったからか、露店もまばらで、訪れる人も少なく…なんともシュールな世界が展開していた。


府内城4.jpgなにより、シュールなのが、これだ。


天守閣の骨組とゴリラの遊具のコラボ…[爆弾][爆弾][爆弾]
本当に、入ってきてよかったのだろうか…てか、スタンプ押したところで、回れ右するべきだったのだろうか。


府内城5.jpgでも、一応、天守台はあった。天守の骨組は天守台の上ではなく、地上にじかに置かれている。
骨組だけの天守には登れないので、天守台の方に登ることにした。


けっこう、急な石段(いや、段ですらなかった…)を登って、天守台に登る。
天守台の石垣は、隅石の算木積はハッキリしているが、その他の石は、野面積。


しかし、登ってみれば、高いところはやっぱり楽しい。


府内城6.jpgそして、目の前の骨組をライトアップすると、こんな風に見える…という写真も展示されている。こりゃ、夜の方が楽しいのかな。
(少なくとも、来年の3月まではライトアップしているらしい。)


この府内城で38番目の百名城なので、天守台も色々登ったが、この天守台、なかなか立派なものだった。かつては、四層の天守が建っていたそうだが、この大きさなら、それくらいの規模の天守が建っていても不思議ではない。


府内城7.jpgなんとなく、下界のイベント(虹色のテント)が見えるが、気づかないふりで、天守台の広さを確認していただきたい。


詳細は、写真帳の方にいつかアップするつもりだが…いつになることやら。微妙に雨模様だったので、天守台を降り、バスで大分駅に戻った。


博多行きの特急まで時間があったので、マッサージなどして体調を整え、最終地、博多に向かった。今年のGWも大変充実していた…が、一人旅の限界も感じてしまった。来年は、誰か一緒に旅してください[いい気分(温泉)]


2018-05-08 23:28  nice!(0)  コメント(0) 
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大洲城 [┣百名城]

松山駅.jpgというわけで、愛媛県3つ目の城、大洲城に行くため、市電でJR松山駅に向かった。イヨテツの町・松山では、イヨテツの松山市駅を中心に繁華街が形成されているため、JRの松山駅周辺は、それほど賑わっていない。


駅前に、松山出身の俳人、正岡子規の句碑があった。
松山市出身の俳人といえば、河東碧梧桐、高浜虚子もいるが、二人は子規の弟子なので、わかりやすく子規の句。


春や昔 十五万石の 城下かな


明治27年、子規が従軍記者として日清戦争に参加する前、帰郷して詠んだ句とのこと。
周囲の反対を押し切って従軍した子規は、その結果、体調を悪化させてしまうのです[もうやだ~(悲しい顔)]


JR予讃線宇和島行きに乗り、伊予大洲駅へ。
終点の宇和島にも、百名城があるのですが、今回はそちらには行かず、フェリーで九州に渡ることになっている。


伊予大洲駅に降りると…駅前には、なにもない。
13時を回っていて、なにか食べたいと思っていたのに、あえなく撃沈。観光マップを見ると、まちの駅というのがあるようなので、まず、そこを目指して歩き始める。
暑い…暑すぎる…まだ、GWなのに。


大洲城1.jpg20分くらい歩いたところで、川を渡ろうとしたら、向こうに、こんな景色が[exclamation]


このまま右折すれば大洲城(ちなみに「おおずじょう」と読むそうです[exclamation×2])とわかったものの、朝から何も食べていなかったので、遠回り覚悟でまちの駅に向かった。


大洲城2.jpgまちの駅に、14時近くなっても開いている飲食店を発見し、飛び込んだ。


名物の鯛めしをいただきました[黒ハート]
松山城から戻る途中、鯛めし屋で、開店を待つ人々を見かけて、そんなに待てない[爆弾]と、そのまま列車に乗ったのだが、おかげで歩きながらひもじかった…[ふらふら]


鯛めしは、お皿の上の鯛と薬味をご飯にのせて、卵をかけていただくものだそうで、お店の方に食べ方を教えていただきました[るんるん]
愛媛県名物をここで食べられてよかった[ぴかぴか(新しい)]


大洲城3.jpgさあ、お腹を満たしたところで、あらためて、大洲城へ。


ここ大洲城は、鎌倉時代末期、伊予守護の宇都宮氏の居城が原点だと言われている。その後、秀吉によって四国が平定され、小早川隆景が伊予35万石を与えられた際、湯築城を居城とし、当時大津城と呼ばれた大洲城は枝城となった。
その後、築城の名手・藤堂高虎が宇和郡板島7万石の城主となった際、大津城を居城とした。
高虎の次に城主になったのは、賤ヶ岳の4本槍・脇坂安治。
四国で次々七本槍メンバーの名前を聞くのは、嬉しかった。


大洲城4.jpg天守自体は再建。明治になってから、天守が取り壊された。
現在の天守は、2004年に木造で再建されたもの。


こちらは、大洲城の復元模型。
天守こそ再建であるものの、櫓は1800年代のものが残っている。


えひめ.jpg


平日だと、この辺りから、フェリーの出る八幡浜までバスが通っているらしいが、休日ダイヤはなく、おとなしく、伊予大洲駅まで戻り、また予讃線に乗って、八幡浜駅まで向かった。
そして、これ以上歩く気力がなかったので、駅前からタクシーに乗り、フェリー乗り場へ。


乗る前に写真を撮ったので、船の名前しか写っていない…[あせあせ(飛び散る汗)]
でかい船でした。
フェリーの中では、だらだら横になって疲れを癒しつつ、写真の整理をしたりしていたら、あっという間に別府に到着した感じ。一人旅でフェリーとか、ちょっとドキドキだったが終わってみれば面白い経験だった。


別府1.jpgもう20時を回っていたので、タクシーで宿泊ホテルまで行き、チェックインしてから、近くのファミレスで遅い夕飯。
悩んだあげく、ハンバーグとビールに。(お腹がいっぱいで眠れないと困るので、ライスやパンは頼まず…)


ホテルは温泉ホテルだったので、戻ってから、ゆっくりと温泉に。
こどもの日だったので、菖蒲湯でした[黒ハート]


2018-05-07 23:27  nice!(0)  コメント(0) 
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