大垣城 [┣続百名城]
久々の城です!関西に遠征することになったので、途中下車して大垣城に行ってきました。
今年は、関ケ原から420年。もしかしたら、天下分け目の戦いが行われるかもしれなかった大垣城を見てみたい…そんな気持ちで。
大垣駅から、徒歩7分くらい…のはずが、めっちゃ住宅街で、ちょっとグーグルマップ様を疑い始めた時…
なんとなく、城っぽい柄の橋の紹介板。
おそらく、この下を流れる川が、大垣城の堀になっていたはず。よし!と、気合を入れる。
おおー、ありました!
この日常的な、日常的すぎる風景の向こう側に天守閣が!
大垣城は平城といって、高さのない城。
このタイプの城は、高低差で敵をブロックすることができないので、城下町ぐるみで防御態勢を取ることが多いとか。
普段、平和に暮らしている城下町の人々や、彼らの家も、有事の際には、お城と一心同体で戦闘態勢に!
(もっともこの辺は内堀の中なので、おそらくこの辺にあったのは、家臣団の家かな。)
水之手門から城内に入り、まず、目に付いたのは、この高い松の木。これは、「おあむの松」と呼ばれ、大垣では有名な物語がついている。
さっきちらっと書いたが、石田三成は、「決戦は大垣城!」と考えていた。しかし、9月14日になって情勢が変化し、西軍は、夜間行軍して15日早朝、関ケ原に到着、関ケ原の戦いが始まった。
大垣城には、西軍の一部の家臣が籠城しており、その一人である山田去暦は、家康の手習いの師匠をしていたことがあった。
関ケ原の戦いが決着した後、大垣城でも戦闘が始まったが、その中で矢文が届いた。
恩義を忘れない家康からの、今なら抜け出せるように手配がしてあるとの手紙だった。去暦の娘、おあむ(女子も戦闘員として借り出されていた)は、松の木に縄をかけ、これを伝って家族とともに内堀に降りて脱出に成功した。
この「おあむ物語」は、大垣では有名な逸話らしい。
この松の木は、二代目とのこと。ちょっとひょろひょろしていて、これに縄をかけたら折れそうです
こちらは、鉄門の跡。
ここから、天守に向かいます。天守は、昭和の時代に国宝となっていたが、残念ながら昭和20年の空襲で焼失、現在の天守は、昭和34年に再建されたもの。
昭和34年というと、1959年だから…築60年超
めっちゃ綺麗な白亜の城
なんか、健康食品のCMの「この方、なんと60歳なんです」みたいなのを思い出してしまった
城内はかなりコンパクトで、再建された建物も、天守のほか、天守の両サイドの多門櫓など、そう多くない。
この日は、教育文化週間(10/31~11/3)ということで、入館料が無料。なんかラッキーな半面、入場券の半券がないのも寂しかったりして
中では、関ケ原合戦420年特別展示が開催されていて、可愛い三成さまもいらっしゃった
少女マンガみたいで、素敵
最上階からは外の風景を見ることができるが、虫が飛んでくるようで、網が張られていた。
ここから、関ケ原、そして三成が逃げたとされる伊吹山も見える。
というわけで、短い時間の訪問だったが、けっこう満足した大垣城訪問。
名古屋まで戻り、今年初めての関西に向かった。
昨年の10月31日は松坂城を訪れているので、2年連続城でのハロウィーンとなりました(笑)
「銀河鉄道の父」感想その2 [┣大空ゆうひ]
「銀河鉄道の父」作品と演出の感想はこちらです。
では、出演者感想いってみよう
的場浩司(宮沢政次郎)…テレビドラマ等でおなじみの俳優さんだが、舞台に出ていたということは、知らなかった。年に一度のペースで、舞台の仕事をしているそうだ。とはいえ、今回の政次郎のような役は、本人も意外だったし、オファーした方も、その意外性を考慮しての配役だったそうだ。
とはいえ、念入りな稽古ゆえか、私にはピッタリな配役に思えた。
刑事ドラマなどで演じてきた熱血漢な部分、強面なところが、「明治の強い父親」のイメージ作りに役立っていて、内面のやさしさとの対比が際立つ。
もはや、政次郎さんそのものにしか見えず、ここの演技がこうだったから、素晴らしかったみたいな感想が書けない。うすい感想で申し訳ないが、一言、すてきな政次郎さんでした
カーテンコールの挨拶がいつもかっこよかったです
田中俊介(宮沢賢治)…とらえどころのない、この作品における宮沢賢治役を体現していて、ものすごい集中力青年期の賢治は、この物語では、とんでもすねかじり青年なのだが、嫌悪感を感じることもなく、彼の人生に興味津々で観続けることができた。これは、俳優としての田中の魅力に負うところが多いんじゃないかな。
トシの死後の賢治は、一転して求道者のようで、細い体に鞭打って、地域の人々の幸福のために命を削っていく。その痛々しさから、目を離すことができなかった。
一公演、一公演、命を削って演じてくれているような姿に、心を打たれる、そんな俊介賢治でした
栗山航(宮沢清六)…栗山くんを観るのは、「バイオハザード」以来かな(写楽はWキャストだったので、栗山くんで観たのか…記憶があいまい)
甘いマスクの好青年でありながら、オジサン医師や、顔中ヒゲの浮浪者など、なんでも演じてくれる。清六も、まさかの赤ちゃん時代から、けっこうなおじさん時代まで演じてくれる。
清六は、個性際立つ宮沢家にあって、母のイチ同様、緩衝材というか、自身を強く表に出さないことで、家族の柱になっているような存在。栗山の全身から醸し出される温かい雰囲気もあって、宮沢家に平和をもたらす男のような印象を持った。
清六のやんわりした雰囲気に、盛岡弁が似合ってたな~
鈴木絢音(宮沢トシ)…可愛い可愛いけれども、トシがそうであったような、芯の強さ、気の強さもしっかり表現されていて、好印象。ゆうひさんも、可愛い娘にメロメロだっただろう…と勝手に想像(笑)
病を得てからは、すーっと消えてしまいそうな透明感のある姿から目が離せなかった。
田鍋謙一郎(宮沢喜助ほか)…賢治の祖父、喜助にはじまり、病院の医師、中学校の先生、農学部の教授、農民…とたくさんの役を演じ、作品の基礎の部分を固めてくれた。お疲れさまでした
名越志保(宮沢ヤギほか)…義理の姉であるヤギさんのおかげで、イチさんは、とても心強かっただろうなぁ~と思った。二人のテンポのいい女同士の会話、ステキでしたあと、賢治が徹底的に質屋に向かないという証明をしてくれた、がめつい農民役、サイコーでした
向有美(西洞タミノほか)…トシの卒業証書をわざわざ持ってきてくれた先生のやさしい姿が印象的。冒頭の京都の女性も、賢治の誕生を、盛岡弁わからないながら祝ってくれて、可愛かったです。
大空ゆうひ(宮沢イチ)…また新たな抽斗を見せてもらった冒頭のおばあちゃん姿、初日はスルーしたもの
喋り始めてもゆうひさんとは思えず…でも、この人、イチさんだから、つまり…と、オペラを上げて、うわっとなった。それくらい、小さくて可愛くて盛岡弁バリバリのおばあちゃんだった
そこから若返ったイチさん、妊婦姿を見せてくれたり賢治の人形(着物に隠れているが、足がない)に袴をはかせるという、難度の高い技(しかもセリフの尺ピッタリに完成させるという)を披露したり大活躍
日々の生活を楽しんでいるようで、実は、賢治の世話を政次郎に奪われていたことを、哀しく感じていたんですね。あの場面の静かに燃える炎のような懇願…ステキでした芯の強い東北女の静かな炎は、トシのキャラにも通じていて、親子だなぁ~と思う。
あと、イチは、トシと賢治の最期を看取るのだけど、二人への接し方の違いもちゃんとあって、一人の人間の中の娘と息子の違いや、その時の自分の年齢の違い、これまでそばにいた時間の差…など、たしかに、こういう接し方になるだろうな…と納得させられる。
ゆうひさんの芝居を観て、考えることで私は幸せになれるな…と、あらためて感じる、幸せな時間でした
そうそう、ゆうひさんが、半裸の男性の身体に手を這わせる(言い方、すみません…)のを観る機会は、なかなかないだろうと思うので、そういう貴重な場面はシッカリ目に焼き付けておきました
月組振り分け発表 [┣宝塚情報]
花組の別箱公演振り分けが発表されたばっかりですが、月組も発表されましたね。
まず、トップスター珠城りょうの出演するバウホール公演「幽霊刑事」の出演者。
(月組)光月 るう、紫門 ゆりや、白雪 さち花、鳳月 杏、珠城 りょう、香咲 蘭、輝月 ゆうま、晴音 アキ、春海 ゆう、桜奈 あい、朝霧 真、姫咲 美礼、英 かおと、朝陽 つばさ、夏風 季々、妃純 凛、天紫 珠李、結愛 かれん、花時 舞香、蘭世 惠翔、白河 りり、爽 悠季、真弘 蓮、一羽 萌瑠、槙 照斗、遥稀 れお
(専科)京 三紗、汝鳥 伶
専科から、京さん、汝鳥さんが出演とは、豪華
てか、「…SAPA」もそうだったか
月城かなと主演の赤坂ACTシアター公演「ダル・レークの恋」の出演者は…
(月組)夏月 都、千海 華蘭、楓 ゆき、月城 かなと、夢奈 瑠音、颯希 有翔、蓮 つかさ、海乃 美月、佳城 葵、暁 千星、麗 泉里、清華 蘭、蒼真 せれん、蘭 尚樹、風間 柚乃、桃歌 雪、空城 ゆう、彩音 星凪、礼華 はる、天愛 るりあ、菜々野 あり、柊木 絢斗、大楠 てら、一星 慧、彩路 ゆりか、羽音 みか、まのあ 澪、きよら 羽龍、咲彩 いちご、美海 そら、月乃 だい亜、詩 ちづる、七城 雅、朝香 ゆらら
(専科)梨花 ますみ
ペペルはありちゃんなのかな楽しみにしたいと思います。
そして、さくさくのMSも無事開催されそうですね
美園 さくら ミュージック・サロン
2020/10/27
<タイトル> 『未定』
<構成・演出> 齋藤 吉正
<出演者> (月組)美園 さくら、暁 千星、瑠皇 りあ、毬矢 ソナタ
第一ホテル東京
<日時> 2021年3月15日(月)・16日(火)
<場所> 5階「ラ・ローズ」
<料金> 28,000円(税サ込)
※販売方法、前売り日等は後日お知らせいたします。
宝塚ホテル
「宝塚ホテル開業記念イベント」 宝塚ホテルの開業記念イベントとして実施いたします。
<日時> 2021年3月22日(月)・23日(火)・24日(水)
<場所> 1階「宝寿」
<料金> 28,000円(税サ込)
※販売方法、前売り日等は後日お知らせいたします。
ミュージカル「ローマの休日」観劇 [┣ミュージカル・音楽劇]
ミュージカル
「ローマの休日」
原作:パラマウント映画「ローマの休日」
脚本:堀越真
演出:山田和也
音楽:大島ミチル
作詞:斉藤由貴
オリジナル・プロデューサー:酒井喜一郎
音楽監督:竹内聡
歌唱指導:山川高風、やまぐちあきこ、高野絹也
振付:桜木涼介
美術:松井るみ
照明:高見和義
映像:栗山聡之
音響:山本浩一
衣裳:前田文子
ヘアメイク:岡田智江
アクション:渥美博
イタリア語翻訳:関口英子
イタリア語指導:マルコ・ズバラッリ
指揮:若林裕治
オーケストラ:東宝ミュージック、ダット・ミュージック
舞台監督:佐藤博
演出助手:鈴木ひがし
プロデューサー:服部優希、今村眞治、村田晴子
製作:東宝
コロナ禍の後、最初に行った帝国劇場は、「ジャージー・ボーイズ・コンサート」だった。その時以来の帝国劇場は、もうだいぶ対策も落ち着いていて、安心して観劇ができた。
「ジャージー・ボーイズ・コンサート」を観ながら、ボブ・クルーの配役が変わったことに、太田基裕ファン※として、ちょっと残念な気持ちはあったが、でも、この「ローマの休日」アーヴィング役は、宝塚でいえば2番手役だし、初帝劇でWとはいえ2番手なのは、素直に嬉しい。
※いろんな俳優さんのファンを公言していますが、公式FCに入っているのは、ゆうひさんとスタジオライフともっくんだけなので、かなりちゃんと観ている…ハズ。
物語は、パラマウント映画「ローマの休日」そのままに進行していく。プログラムに脚本の堀越氏が記載しているように、この映画のファンの方は、本当に細かいシーンまで記憶していて(時には、妄想の記憶もある…)、それゆえに、些細な変更もできかねた様子。
とはいえ、ミュージカルなので、アン王女が宿泊先の宮殿を抜け出すシーンなどは、盆を利用して楽しいミュージカルシーンに転換されている。楽曲も美しくて、耳なじみがいい。(なんと、作詞が斉藤由貴と知って、驚いた)
また、場所がローマなので、イタリア語があちこちで登場する。
映画的には、町の人々がイタリア語で話し、アメリカ人のジョーやアーヴィング、新聞社の人々は英語で話し、外国からやってきた王女たちも英語で話している。
舞台では、通訳しないと話が進まないと思われる最低限だけ通訳的なセリフ(イタリア語の後に日本語で繰り返すとか)を入れたり、ヴェスパが市場に突っ込んだところでは、ジョーとアーヴィングが町の人々の言葉をアテレコする演出があったり…の工夫が見られた。
ご存じのとおり、ハッピーエンドとはいえないラストだけど、ジョーとアン、双方の成長物語として、幸せな気持ちになれるラストシーンだった。
ただ、主演がアン王女の方だったということは、カーテンコールまで気づかず、びっくりした。え、そっちなの
では、出演者感想。(太田基裕FCでチケットを取ったため、残念ながらアーヴィングWキャストの藤森慎吾さんの観劇だけはかないませんでした。ご了承ください。)
アン王女(朝夏まなと/土屋太鳳)
某国の王女。ヨーロッパ歴訪の旅最終地点であるローマに到着し、そろそろ疲れもピークに達している。自らにのしかかる重い責任と、道具のように日程をこなすだけの毎日に、精神が揺らぎ始めている。それが爆発し、医師から精神安定剤を注射された直後に宮殿を抜け出したため、夜の街で人事不省に…助けてくれたジョーが新聞記者で、アン王女の独占取材を狙っていることなど、少しも知らずに、ただ親切に感謝し、やがて二人は惹かれあうが…
土屋太鳳は、アン王女の持つ、輝くばかりの若さと美しさを体現していて、若いって素敵ね~と思った。ただ、お歌が…なんだか、どうしようと思うほどで…やっぱりミュージカルだから、どうなんだろうという気がした。
ジョー役の二人が長身だったので、背伸びしてのキスシーンは、あ~こんなに身長差と思ったが、少女漫画とか宝塚じゃないので、実際に身長差のあるカップルって、こういうつま先立ちのキスはしないだろう…とか思う私は、冷めすぎでしょうか。ダンスは優雅で美しかった。
朝夏まなとは、王女の高貴さが自然と身についている感じ。長身に衣裳が似合っている。つま先立ちのキスシーンはどうするのか…と思ったら、なるほど、こうやるのか~という感じ。違和感を感じさせないところは、宝塚で培った技術だなぁ~と思ったしかし、朝夏も歌が…え、ここまでという驚き…そもそも初演が大地さんなのに、そんなに難しい歌なんだろうか…わからない…
ジョー・ブラッドレー(加藤和樹/平方元基)
タイプの違うジョー。加藤は、たぶん、こんなところに居るべき人ではないんだろうなぁ~というのが伝わってくる。何かがあって、今、ローマで意に沿わない仕事をしてるんだろうなぁ~というか。そして、王女を金の道具にせず、何かを守ったことで、元の自分を取り戻すようなイメージ。平方は、ローマでの生活をエンジョイしている日常があって、それが、王女との出会いを経て人生が変わる感じ。
どちらでも成立する話なんだな~映画の、グレゴリー・ペックは加藤型だったけど、だからって平方が不正解なわけではない。丸一日の恋が、その人の人生を変えるのであれば、どっちでもいいのだ。
何から何までかっこいい加藤ジョーと、どこを切り取っても可愛く感じられる平方ジョー、どちらも大変素敵でございました
歌の安定感といい、ストーリーを回していく力強さといい、どうしてこの作品、ジョーが主役じゃないんだろ
百歩譲ってもW主演じゃない
アーヴィング・ラドヴィッチ(太田基裕)※Wキャストの藤森慎吾さんは観ていません。ごめんなさい
映画版のアーヴィングや、三人芝居版の小倉さんが小柄なので、上背のあるアーヴィングがちょっと違和感だったけど、最初のナンバーで、すぐにその違和感も消える。
山田演出では、アーヴィング=三枚目ではなく、二枚目半。ジョー以上にローマでの生活をエンジョイしているアメリカ人だし、ジョーとの関係性もよき相棒だと分かる。そして、ポーカーで大勝したこともちゃんと伝わっている。宝塚版で足りなかったのはここだな…と、あらためて感じた。(宝塚版の感想はこちら。その2にリンクしていますが、そこからその1も見ることができます。)
カフェに呼び出されたアーヴィングは、椅子を倒されたり、酒をかけられたり、さんざんな目に遭うが、ここの酒は、本当に水をかけられていて、その日によって本当にぐっしょり濡れていることもあって、舞台はまさに水ものだな~と思ったが、ここでイヤな気持ちにならないのは、男性が演じるアーヴィングだからなのか、演出の妙なのか。立ち直りの早いアーヴィングのカラッとした明るさや、ジョーに対して主体性が感じられるところ☆…などから、かわいそうに感じなくてすむのかな。
☆アーヴィングがやってきたのは、もちろんジョーに呼ばれたからだが、最終的には、彼自身が「これはよい仕事ができる」と考えたから。決して引きずられているだけではない。それが感じられることで、ジョーに振り回されている感が減じ、イヤな感じがしなかったように思う。ちょっとした演出の妙を感じる。
一世一代の写真公表の危機に、「俺だってスミティは好きだよ…ちくしょー」みたいなセリフが、あったかくて、心にしみた。恋愛が絡んでいない分、彼が特ダネを諦めるのは、彼の心からのやさしさゆえ…これこそ、アメリカの正義、かっこいい
最後の取材時、あえてライターのカメラを使う茶目っ気まで映画を踏襲してくれた演出にも感謝したい。
初の帝劇2番手(Wではありますが…)の重責を十分に果たせたのではないか、とうれしく感じた。カーテンコールでの主役三人のわちゃわちゃ記念撮影も毎回楽しく観ることができたし、終演後のアナウンスも楽しかった。
ヴィアバーグ伯爵夫人(久野綾希子)
王女の教育係としてヨーロッパ巡幸に同行している。コメディリリーフ的ポジションでもある。可愛らしいおばあちゃんであり、貴婦人である雰囲気はさすが。今回の作品では、音域が合わなかったのか、やや歌唱面で不調だったような気がする。
プロヴノ将軍(今拓哉)
護衛の責任者としての同行だろうか。伯爵夫人とよいコンビ。歌も芝居も安心・安定、素敵な将軍でした。
マリオ・デラーニ(岡田亮輔)
王女をショートカットにする、イタリア男らしいイタリア男の美容師。王女にそれと知らず惹かれているのはもちろん、でも彼女の意思を尊重する素敵なジェントルマンでした。
もう60年以上前の作品だけど、色褪せない魅力ある作品でした
音楽が美しいので、できれば、歌唱力ありきでキャスティングしてほしいな~とは思いますが…。
「おかしな二人」観劇 [┣演劇]
「おかしな二人」
作:ニール・サイモン
潤色・演出:原田諒(宝塚歌劇団)
翻訳:伊藤美代子
美術:松井るみ
照明:勝柴次朗
音楽:玉麻尚一
音響:山本浩一
衣裳:有村淳(宝塚歌劇団)
ヘアメイク:嶋田ちあき(大地真央)、林みゆき(スタジオAD)
振付:麻咲梨乃
歌唱指導:山口正義
美術助手:平山正太郎
衣裳助手:川崎千絵
振付助手:大畑浩恵
演出助手:長町多寿子
舞台監督:中西輝彦
演出部:内田純平、石原叔子、國武逸郎
制作助手:村上奈実
プロデューサー:仁平知世、渡邊隆
製作:東宝
シアター・クリエは再開後、初…かな
クリエでは、エレベーターの人数制限(たしか5人)をしていたのが印象的。
「おかしな二人」は、宝塚歌劇団でも上演されたことのある、ニール・サイモンの傑作戯曲で、宝塚での初演時には、フェリックス役を大地真央の同期生、未沙のえるが演じ、これが退団の花道になった。
今回の公演は、元祖「おかしな二人」のキャストを男女入れ替えた、「おかしな二人」(女性版)。
「絢爛とか爛漫とか」(飯島早苗/作)がモダンボーイズ版とモダンガールズ版の2種類あるようなものかな
「おかしな二人」(女性版)は、元祖を発表してから20年後の1985年の作品だが、演出の原田氏は、これを1970年代の物語に変更、登場人物の衣裳をサイケな70年代ファッションにしている。たしかに、舞台は徹頭徹尾オリーブのリビングなので、衣裳がドハデな方が、舞台映えがする。なるほどなぁ~
物語は、こちらをご覧いただければ、大丈夫かと思います。
実は、女性版も過去に観劇していた…ということを、すっかり忘れておりました
ラストのセリフ「Big girls don't cry」だったのね。今ならわかる。これ、フォーシーズンズのナンバーのタイトルやん。てか…今回は、どうだったかしら決め台詞みたいなの、あったかなぁ~
演出として気になったのは、リビングを中心として2階(メゾネット的タイプのマンションらしい)奥、両サイドの袖、1階の奥…と、役者が引っ込む方向が存在するのだが、家の構造として疑問を感じてしまったところ。
舞台として適切なハケ方というのはある一方で、ここが、NYの高級マンションの一室であるというシチュエーションに不安を感じるような間取りに思えて、混乱した。
※これは、方向音痴の私ならではの混乱かもしれない
では、さっくりと出演者感想。
大地真央(オリーブ)…汚部屋に住むニュースキャスターのバリキャリ女性。汚部屋はともかく、そこに友人を招いて毎週ゲームに興じるのと、出てくる食事が半分腐ってたりするのは、男性版はともかく、女性版では不思議すぎる。それくらい、脳内がおっさん化しているオリーブの唯一の女性的な部分が、元ダンナへの貢ぎ癖が治らないところ。大地は、その辺のデフォルメが見事で、どっかんどっかん笑わせてもらった。素晴らしいコメディエンヌぶりでした
花總まり(フローレンス)…夫から離婚を切り出され、人生がどんがらがっしゃーんとなってしまった専業主婦。夫と子供のために完璧な妻であり母であることがアイデンティティーだったため、失ったものを埋めるために、世話になっているオリーブのマンションでも、主婦として切り回しを始め、そのことでオリーブとぶつかるが…という展開。大地と花總だと、18期違い…なのかなもちろん、かぶってないし…。そんな大地の胸を借りて、度胸たっぷりに、ズレまくったフローレンスを演じていて、すごいと思った。
フィナーレナンバーでは、さすが現役の帝劇ヒロイン。堂々とした歌姫だった。
芋洗坂係長&渡辺大輔(ヘスース&マノロ)…オリーブとフローレンスに興味を示すスペイン語しか話せないマンションの住人兄弟。「愛すべきキャラクターである」という部分からブレずに、フローレンスだけでなく、客席までも楽しませてくれた。
フィナーレナンバーでも、素敵な姿を見せてくれた。ダンスサイコーです
ところで、芋洗坂係長は、別のお芝居で「小浦一優」名義で出演していたと思うのだが、その辺の住み分けはどうなっているのだろう
シルビア・グラブ&宮地雅子&平田敦子&山崎静代(オリーブのゲーム仲間)…いやー、濃いメンバーだった
見た目的には、平田の圧勝なのだが、警官スタイルがかっこいいグラブ、抜群のセリフ回しで、わちゃわちゃを収める宮地、そしてマイペースでふわっと可愛い山崎…と、ちゃんと適材適所。
せっかくのシルビア・グラブなのになぁ~と思っていたら、ショーナンバーでは、ちゃんと見せ場があり、満足
そのショーナンバーでは、山崎に元気がないのが気になった。あんまり、歌ったり踊ったり、好きじゃないのかな
「獣道一直線!!!」観劇 [┣演劇]
PARCO劇場オープニング・シリーズ “ねずみの三銃士”第4回企画公演
「獣道一直線!!!」
作:宮藤官九郎
演出:河原雅彦
美術:BOKETA
映像:上田大樹
照明:佐藤啓
音楽:和田俊輔
音響:大木裕介
衣裳:髙木阿友子
ヘアメイク:西川直子
ステージング:八反田リコ
アクション指導:前田悟
演出助手:菅野將機
舞台監督:福澤諭志
宣伝美術:河野真一
宣伝写真:岡田貴之
宣伝衣裳:遠藤リカ
宣伝ヘアメイク:西岡達也
宣伝:る・ひまわり
プロデューサー:佐藤 玄、藤井綾子
製作:井上 肇
企画:ねずみの三銃士(生瀬勝久 池田成志 古田新太)
ねずみの三銃士企画公演については、第一作の「鈍獣」の時から気になっていて、(なんたってあのポスターですよ)、でも、結局機会がないまま…今回、ぴあの抽選に当たったので、勇んで行ってきました
(最近、ぴあの抽選、ほぼ外れてないのよね…。申し込む人が減っているのかな…)
ちょうど開場時間頃に劇場のある8Fに到着。お並びください…みたいに言われたので、並んだら、一番になってしまった(もっと前から来ていた方々は、遠巻きに開場を待っていらしたようだ。あるよね、こういうこと…)
マスク+フェイスシールドのスタッフさんに体温を測られ、手指消毒コーナーを抜け…と、ひとつひとつが関門のようだったが、ここではいったい何をするのというのが分かりづらくて、ちょっとオタオタしてしまった。
この日から販売開始となった、公演メニュー。ヒロイン、魔性の女・苗田松子をイメージしているのかな味は普通にヴァイオレットフィズです。
舞台は、とあるオーディションから始まる。
中年を少し過ぎた、脇役俳優の生汗勝々(なまあせ・かつかつ=生瀬勝久)、池手成芯(いけで・なるしん=池田成志)、古新田太(ふるあらた・ふとし=古田新太)の三人が揃ったところに、圧のすごい女プロデューサー(池谷のぶえ)が現れる。
そこからは、もう、ジェットコースターのような勢いで、笑いまくっている間に物語はどんどん進み、気が付くと、ドキュメンタリー作家の関武行(宮藤官九郎)が、稀代の悪女、苗田松子(池谷のぶえ)の取材をしていて、若く美人な妻、かなえ(山本美月)とラブラブである…という物語を観ている。
あれ、さっきのものすごく忘れられない場面は、すべてただのプロローグだったのだろうかと、あっけにとられていると、やっぱり、三人の俳優たちが練り物工場で働いている。
一方で、彼らは、苗田松子に騙されたとされる、三人の被害者、望月順三郎、藪中弘重、野呂秀次も演じている。
観ているうちに、松子と男たちの物語は、冒頭の映像で語られる、「魔性の女」とは、だいぶズレてきて、哀しい男たちに翻弄される何かを間違えてしまっただけの女の物語にもなってくる。
何が真実かが見えないのは、観客だけでなく、関も同じ。
驚くべき犯罪事件だったはずが、気が付くと泥臭いメロドラマになってしまっている展開は、つかこうへいの「熱海殺人事件」を彷彿とさせる。かなりナンセンスな展開である部分を含めて。
それが、とても心地よい芝居だった。
生瀬、池田、古田は、楽しそうに舞台に立っていたし、古田の女装もあったし、宮藤は、新境地と思える、普通すぎる普通の男で、とてもよかったし。
そして、山本美月がベテラン勢の中で、めっちゃ存在感を見せていて心強い。
でもでも、池谷のぶえ様は、もはや神の域です
今回も、もったいなくも、美しい肌を若干晒しての大活躍に、ワクワクドキドキ
定番の男役は、すし屋の大将。サイコーでしたてか、美月ちゃんも、角刈りですし屋の若いもんをやるって…すごいな、美女なのに、新婚なのに。
ラストは、まさかの展開になるのだが、普通の芝居なら後味が悪いそのラストでさえ、「そーきたか、すごいっ」みたいに思える。
こんな時代だからこそ、そこに演劇があってよかった。
演劇があるから、明日も生きていける…という気持ちになれた、気持ちよい公演だった。
「銀河鉄道の父」観劇 [┣大空ゆうひ]
舞台
「銀河鉄道の父」
原作:「銀河鉄道の父」門井慶喜/講談社文庫
脚本:詩森ろば
演出:青木豪
音楽:瓜生明希葉
美術:杉山至
照明:杉本公亮
音響:青木タクヘイ
人形制作:山下昇平
衣裳:摩耶
ヘア・メイク:前川泰之
舞台監督:大友圭一郎
演出部:木下千尋、北村泰助
美術助手:新海雄大
音響操作:古川直幸
衣裳進行:加藤友美
演出助手:隅元梨乃
大道具製作:六尺堂
制作:斉藤愛子、田加井愛穂
プロデューサー:杉田泰介
企画・制作:MMJ
主催:MMJ
初台の駅から、新国立劇場に向かう地下通路に掲示されていたポスター。隣には、「まさに世界の終わり」でゆうひさんと夫婦役を演じた鍛冶直人さんご出演の「リチャードII世」のポスターも掲示されていた。なんだか不思議な感じ。
ゆうひさんにとっては、2020年唯一の舞台演劇の公演になった。本当なら、あれもこれもあったのに…コロナめ
コロナめということで、劇場に入ると、すぐにスタンションが置かれ、キューラインが作られている。そこをゆっくり歩くことで、画面上で体温を測れるようになっているらしい。手指の消毒をした後、専用シートに氏名・電話番号・座席などを記載し、これを提出して初めてチケットをもぎり、中へ。
ロビー部分は、外へは出られないようにロープを張りつつも開け放たれ、喫茶スペースはサービスを中止して開演まで座席につかない人々の待合いスペースになっていた。みんな同じ方向を向いて、ディスタンスを取って座っている姿は異様だったが、これが2020スタイルということなのだろう。
さて、この作品、日本人なら誰もが知っているであろう、かの宮沢賢治とその父親の物語を描いた小説「銀河鉄道の父」を舞台化した作品だ。
宮沢賢治を描いた作品は、去年の2月に、こまつ座「イーハトーボの劇列車」を観劇しているが、その時は、賢治役を松田龍平、父親役を山西惇が演じていた。法華経に傾倒した賢治が、よりによって父親を折伏しようとした場面は、山西の迫力にドキドキするやら、吹き出しそうになるやら…
今回の「銀河鉄道の父」も、そんなユーモアに溢れた作品だった。
舞台上に、十字に交差する「道」を設え、移動する場面の道として使うだけでなく、この「道」がステージを仕切ることで、ステージの左右・前後で違う場面を進行させたり…と、面白い使い方がされていた。
物語は、主人公、「銀河鉄道の父」こと宮沢政次郎(的場浩司)の葬儀の場から始まる。夭折した宮沢賢治だが、両親は、賢治や、妹・トシの分までも十分に長く生きた。妻、イチ(大空ゆうひ)のすっかり小さくなって、腰が折れ曲がり、高めの声でよどみなく語られる盛岡弁の喪主挨拶は圧巻だった。
めっちゃ東北弁だし、めっちゃおばあちゃんだし大往生した故人のお葬式に特有の湿っぽくない、温かい雰囲気が場全体から伝わる。
的場は、葬儀の間、後方のセットの窓部分から顔を出し、3Dの遺影として初登場
イチが、息子(賢治の弟)の清六(栗山航)に手を引かれ、部屋でお茶を飲みながら、あれこれ話しているのと並行して、“はざまの停車場”に到着した政次郎と、そこで再会した賢治(田中俊介)の会話が始まる。
人が死ぬと、その人の人生に相応しい“はざまの停車場”で、先に死んだ誰か一人だけに再会できる…という設定であるらしい。
久しぶりに再会した政次郎と賢治。その二人が再会できただろうか、と案じるイチと清六。ふたつのシーンが、同時に展開し、それゆえに伝わるものがあった。イチは、長男である賢治が生まれた時に、政次郎は変わったと言い、それをキッカケに、“はざまの停車場”に賢治を残して、政次郎が「賢治が生まれた時の政次郎」になって、本編に突入する。
その時、イチと清六の口から、政次郎の人となりが端的に言い表されているのが上手い。「雨ニモマケズ」で語られる、東奔西走する男は政次郎ではないか、と清六は言い、明治の男をやろうとしていたけど、実際は、子供達のやりたいことをすべて許した優しい父であったとイチは言う。そんな政次郎の人生が、ユーモアとペーソスをまじえ、ものすごい熱量で語られる公演。
的場浩司に政次郎役というのは、観劇前にはピンとくる配役ではなかったが、このプロローグで人となりが語られ、賢治誕生を知ってテンションが上がった姿を見せられると、一気に納得する。
出張先の京都で息子の誕生を知った政次郎は、旅から帰って、父の喜助(田鍋謙一郎)に抱かれた賢治を見た瞬間に、雷に打たれたように「父親になった」。賢治が赤痢で入院すると、仕事そっちのけで介護に当たり(病院は完全看護で、家族の介護を断っているにもかかわらず)、ついには、自身も罹患してしまう。
そんな父の愛に包まれながら成長した賢治は、「石」が大好きで、「石っ子けんさん」と呼ばれている。家業(質屋)にはまったく興味がない。
子供時代の賢治やトシ(鈴木絢音)は、首から子供の人形をぶら下げて、演じている。赤ん坊の清六は、誰かに抱かれた赤子の人形の後ろで、栗山が声を上げている。賢治が中学に上がると、賢治人形は、清六に渡され、清六の子供時代になる。この演出は、けっこうツボだったし、うまい演出だと思った。
なんかもう、可愛いんだな、首から人形をぶら下げてるだけで。
父・喜助も、政次郎も地頭はよかったが、上の学校に進むことはなかった。しかし、政次郎は、賢治の進学を許す。
賢治は、盛岡中学に入学するが、ここの校歌、軍艦マーチやん
※盛岡中学は、現・盛岡第一高等学校。校歌ができる時に、当時巷に流布し始めていた「軍艦」の曲を「こんな節どうですか?」と言った人がいたんだか、なんだか、パクったという事実に気づいた時には、もう手遅れだったらしい。以来、現在まで、盛岡第一高等学校の校歌には、「楽譜」がないため、(多少の後ろめたさがあるのか)卒業年度によって、若干の節の違いが存在しているとか。
甲子園にも出場経験がある学校で、甲子園球場に校歌が流れて大騒ぎになったこともあったらしい。
この頃、賢治は、呼吸の際、鼻からものすごい音を出していた。肥厚性鼻炎という病気で、入院・手術するが、なぜか、この時、チフスに罹ってしまう。そして、看病した政次郎も感染してしまう。
この辺りの、深刻なのに、笑ってしまう展開も面白かった。
賢治が生まれた時から可愛がってくれていた、(でも早くから跡取りとしての能力は見限っていた)政次郎の姉・ヤギ(名越志保)は、この時既に鬼籍に入っていたようだが、冒頭の政次郎のように、セットの枠の中からイチと会話をする。盛岡弁で繰り広げられる二人の会話は、どこかのんびりとしていて、ほっこりさせられる。
賢治らが成長するにつれ、喜助やヤギのように、史実として途中で亡くなっていく人物も出てくるが、彼らの死は、劇中では語られない。ヤギについては、木枠の中から、仏壇前のイチに話しかけているから、亡くなったんだな…と、こちらが察する感じ。喜助については、重要な決定事項の時に出てこないことから察した…かな中学進学の時は、喜助に相談していたのに…みたいな。こういうドラスティックな取捨選択も、作品のテンポよい進み具合を支えている。
中学卒業後、さらなる進学を望んだ賢治だったが、さすがにこれ以上の進学は、政次郎も考えていなかった。が、一日中壁に向かってブツブツ言っている賢治を見て、恐ろしくなり、つい進学を許す。それを聞いた長女のトシ、次男の清六も進学したいと言い出して、政次郎は、とうとう、三人の進学を認めることになる。
日本は、超一等国になったのだから、一等国の国民には、それなりの教育が必要であると、政次郎は言った。女だって、次男だって関係ない…と。ものすごい近代的な発言だ。時代は、大正になっていた。
しかし、盛岡高等農林学校(今の岩手大学農学部)に進学した賢治は、なにかあると実家に無心するスネかじりっぷり。賢治からの手紙を清六がイチに届け、それをイチが政次郎に見せる場面は、テンポよく、両親が場所を移動することで、時の経過を表現していて、面白いな~と思った。
そんな楽しい日々が一変する。賢治は、肋膜炎(と言われると、結核であることが多かった)を患い、帰省。
花巻で静かに暮らしている間に、東京に進学した妹のトシが肺炎で入院したという知らせを受け、看病のために上京する。大丈夫か熱心に病院に通った賢治だったが、トシは、賢治にお話の本を書いてほしいと要望する。
が、賢治は、物語を書くことに興味はなく、人造宝石を作りたい、と熱く語る。
そういえば、いつになったら、彼は物語や詩を書き始めるのだろうと、うっすら考えていたら、思い切り否定されてしまった宮沢賢治は、本当に宮沢賢治になれるのだろうか
ちなみに、「イーハトーボ…」でも、この妹の入院は、けっこう笑いのネタになる場面で、印象に残っていた。深刻な場面のはずなのに、賢治の周りには、いつも、どこかユーモラスな雰囲気が漂っている。
この人造宝石の話だけでなく、製飴工場を作りたいだの…賢治の商売話は、彼のドリーマーな部分と、経済感覚の欠如を如実に物語っていて、いまさらながら、ヤギさん、あなたは正しかったと思う。
20世紀の女性として、とても先進的な考え方を持ち、それを実行するだけのバイタリティに溢れていたトシだったが、スペイン風邪に罹患してからというもの、立て続けに病を得るようになり、とうとう結核になってしまう。
そんなトシのもとに帰ってきた賢治は、彼女のために童話「風の又三郎」を話して聞かせる。妹を喜ばせたいという一心で童話を書いた賢治だったが、一度書き始めると、物語は次々と文字になっていった。気づかぬうちに、彼の心の中には、物語があふれていたらしい。なるほど
病床のトシを学校の先生(向有美)が訪問する場面は、彼女がいかに優秀な学生だったかが偲ばれて、短い場面だったが、印象に残った。そして、岩手の景色は本当に美しいのだなぁ…と「壬生義士伝」を思い出したりして。
トシの死の場面、そこで、遺言を言え、という政次郎は、かなり変わっているが、一人の人間がその生を全うしようとする時、その人の想いを正確に残し、できることなら実行するというのが、政次郎の誠意なのだな…と感じた。一方で、賢治は、トシの死を…そこからトシの生を、人生を永遠に残そうと、「永訣の朝」を書く。
自費出版された詩集「心象スケッチ 春と修羅」に、「永訣の朝」は掲載されている。それを読んで、「トシはそんなことは言っていない」と嘆く政次郎と賢治は永遠に相容れない考えの持ち主なんだな~
農学校時代に肋膜炎を患った賢治は、自分の寿命を悟ったかのように、羅須地人協会を立ち上げ、地域の農民を相手に、作物の正しい育て方を教え、レコードコンサートなどを開催する。が、とうとう再び肺湿潤(結核)で倒れてしまう。
賢治が倒れる頃の場面のBGMとして、「星めぐりの歌」(赤い目玉のさそりってやつ)が流れていたので、もしかしたら賢治が作曲した曲はほかにもこっそり使われていたのかもしれない。
病床でも書きものができるように…と、政次郎は、賢治に手帳を買い与えているが、「雨ニモマケズ」が手帳に残されていたことを考えると、感慨深い。
賢治の死の場面は、トシの死の場面と対になっているので、政次郎が遺言の話を持ち出すと、笑いが漏れたりする。悲しい一辺倒にならない脚本の妙だと思う。
賢治の遺言は、日本語の妙法蓮華経を千部作成して配布してほしい、というものだった。それを快諾し、「おまえもなかなかえらい」とか言っちゃう政次郎さん、すごいな。この方、というか、宮沢家は浄土真宗の熱心な信徒だったのよね。(しかも、実は、賢治の死後、一家で日蓮宗に改宗する…というのが、もう息子愛で胸が痛い)
当たり前のように賢治の世話をしようとする政次郎に、最後だけは自分にやらせてほしいと懇願するイチの姿は、あくまでお願い姿勢の中に、テコでも動かぬ東北女の芯の強さを感じた。
(ここで、最初「なんもなんも」って自分がやってあげるから大丈夫的に断る政次郎さんの、いい感じに無神経なところ、でも妻の本当の気持ちを知って身を引く優しさ…どれも、この悲しい場面を温かく支えてくれる。
息子の看病を率先して行っていた政次郎は、息子の臨終の場にだけは、居合わせることがなかった。それもこれも、彼の優しさなのだと思うと、尊いなぁ~と感じる。
“はざまの停車場”で、何度も、賢治に言いかけては、言えなかった、「日本中でお前を知らないものはない。お前の本は日本中で売れた」も、賢治を慮ってのこと。なんか、優しすぎて「明治の男」じゃないけど、顔が怖いから気づかれなかった…ってのが、ピッタリだなぁ~と、冒頭のイチと清六の会話を思い出す。
このあったかーい「銀河鉄道の父」が、ゆうひさんにとって、2020年唯一の芝居でよかったなぁ~。
もちろん、あれもこれも観たかったし、それを思って辛い気持ちになることは変わらないけれども…
少し、作品外の話を書くと、宮沢家は、賢治とトシを除けば、長命の家系だったようで、政次郎は83歳、イチは86歳まで生きた。また、作品に出てこない清六の姉と妹にあたるシゲは86歳、クニは73歳まで生きており、清六にいたっては、なんと97歳まで生きた。兄・賢治の作品を守り、編纂することが、彼の生命を支えたのかもしれない。
清六は、昭和を生き抜き、ミレニアムも超え、2001年6月12日に亡くなった。
この日は、「イーハトーヴ 夢」(宮沢賢治と「銀河鉄道の夜」をモチーフにした、宝塚歌劇星組バウホール公演)の公演中。なんか運命を感じるなぁ~
宝塚ファンの方には自明の話ですが、賢治/ジョバンニを演じたのは、ゆうひさんの同期、夢輝のあ。こちらにも、運命を感じちゃいますね
「equal‐イコール‐」(リーディングスタイル)配信 [┣演劇]
舞台「刀剣乱舞」の脚本・演出を担当している末満健一の傑作戯曲「equal」の朗読配信がある…ということで、こちらも鑑賞してみた。
観客のいるステージで上演されているものを、通常の配信と、VR配信という2種類の配信形態で鑑賞させる…という、非常にチャレンジングな内容。演出は元吉庸康。
なんと8組16名のキャストという、リーディングならではの贅沢なステージ。
小林亮太×田中亨
木戸邑弥×前山剛久
植田圭輔×松井勇歩
鈴木勝大×三津谷亮
碓井将大×納谷健
染谷俊之×細貝圭
鈴木裕樹×辻本祐樹
荒牧慶彦×北村諒
見てみたい組み合わせはいっぱいあったが、現在、「刀剣乱舞」にハマり中なので、荒牧×北村を選んで視聴した。
これは面白い。若干、中二病的なストーリーだが、(なんたって錬金術だし!)その中に、たくさんのトリックが内包され、何度聞いても(アーカイブ配信されているので、見直しができる)面白い。
(アフトクで聞いたところによると、末満さん、「鋼の錬金術師」ファンなのだそうだ。)
白シャツ×黒ズボンの二人の青年が、テオとニコル、二人の青年を、暗転ごとに役を取り換えて演じる。そんな演出を分かりやすくするために、舞台に盆を仕込み(スタッフの手回しらしい)、医者であるテオが座る椅子の背に白衣を掛けている。
そして、二人の七日間の冒頭に、聖書の創世記冒頭が挿入される。
これは、神が天地創造の最後に人を作ったように、錬金術の力で人を作る、ということを象徴しているのだろう。
SF小説などで、人間がロボットを作ることにも似て、作られた側が、作った側の想像を超えた存在になる時というのは、現実にあり得るのだろうかなんて、考えさせられる。
彼らが持つ台本は、サイズが大きく、(しかもリングファイル)これを持って芝居をするのは、大変そう。女性キャストのいる作品では無理だろうな…。
舞台を観る観客は、通常の朗読劇を観る体で着席しているが、出演者は、観客だけでなく、カメラの向こうの配信観客も意識している。時折出てくる、カメラ目線での重要な独白は、なるほどという説得性だけでなく、イケメンのどアップというドキドキ感まで醸成してくれる。
VR画面は、(私はVRゴーグルは使用していなかったが)360度撮影できるカメラを演者の真ん中に置いて撮影されており、自分で好きな角度をスマホ画面を動かして観ることができる。こういう作品、私は、以前、「十二人の怒れる男」の特典映像で見ていて、ある種の作品(センターにカメラを置くことができ、360度の視界に需要があるような…)には効果的だな~と感じた。
プロセニアムアーチ全否定の新たな演劇が、近づいているのかもしれない。
新宿御苑の秋薔薇 [┣行ってきました!(旅・花・名所・展覧会)]
年間パスポートを更新したものの、コロナ禍で桜の季節が過ぎ去り、薔薇の季節もむなしく過ぎ、このままでは年間パスポートとはなんだったのか…ってことになりかねないので、秋薔薇を見に行ってきました。
私の“推し”であるブルームーンは、葉に隠れて、花が半分見えない…
こちらの小ぶりな花は、バレリーナです。
こちらは、サリー・ホームズ。一重の薔薇なのかな。
イエロー・フロイレッテだそうです。
こちらのかわいい花は、ロージークッション。
こちらは、ラ・セビリアーナ。
こちらも小ぶりの薔薇ですが、ゾンマービントです。
で、これがプレイガール。
今回は、一重とか小ぶりの花を中心にご紹介しました