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「銀河鉄道の父」観劇 [┣大空ゆうひ]

舞台
「銀河鉄道の父」


原作:「銀河鉄道の父」門井慶喜/講談社文庫
脚本:詩森ろば
演出:青木豪
音楽:瓜生明希葉


美術:杉山至
照明:杉本公亮
音響:青木タクヘイ
人形制作:山下昇平
衣裳:摩耶
ヘア・メイク:前川泰之
舞台監督:大友圭一郎
演出部:木下千尋、北村泰助
美術助手:新海雄大
音響操作:古川直幸
衣裳進行:加藤友美
演出助手:隅元梨乃


大道具製作:六尺堂
制作:斉藤愛子、田加井愛穂
プロデューサー:杉田泰介
企画・制作:MMJ
主催:MMJ


銀河鉄道の父1.jpg初台の駅から、新国立劇場に向かう地下通路に掲示されていたポスター。隣には、「まさに世界の終わり」でゆうひさんと夫婦役を演じた鍛冶直人さんご出演の「リチャードII世」のポスターも掲示されていた。なんだか不思議な感じ。


ゆうひさんにとっては、2020年唯一の舞台演劇の公演になった。本当なら、あれもこれもあったのに…コロナめ[むかっ(怒り)]


コロナめ[むかっ(怒り)]ということで、劇場に入ると、すぐにスタンションが置かれ、キューラインが作られている。そこをゆっくり歩くことで、画面上で体温を測れるようになっているらしい。手指の消毒をした後、専用シートに氏名・電話番号・座席などを記載し、これを提出して初めてチケットをもぎり、中へ。
ロビー部分は、外へは出られないようにロープを張りつつも開け放たれ、喫茶スペースはサービスを中止して開演まで座席につかない人々の待合いスペースになっていた。みんな同じ方向を向いて、ディスタンスを取って座っている姿は異様だったが、これが2020スタイルということなのだろう。


さて、この作品、日本人なら誰もが知っているであろう、かの宮沢賢治とその父親の物語を描いた小説「銀河鉄道の父」を舞台化した作品だ。
宮沢賢治を描いた作品は、去年の2月に、こまつ座「イーハトーボの劇列車」を観劇しているが、その時は、賢治役を松田龍平、父親役を山西惇が演じていた。法華経に傾倒した賢治が、よりによって父親を折伏しようとした場面は、山西の迫力にドキドキするやら、吹き出しそうになるやら…
今回の「銀河鉄道の父」も、そんなユーモアに溢れた作品だった。
舞台上に、十字に交差する「道」を設え、移動する場面の道として使うだけでなく、この「道」がステージを仕切ることで、ステージの左右・前後で違う場面を進行させたり…と、面白い使い方がされていた。


物語は、主人公、「銀河鉄道の父」こと宮沢政次郎(的場浩司)の葬儀の場から始まる。夭折した宮沢賢治だが、両親は、賢治や、妹・トシの分までも十分に長く生きた。妻、イチ(大空ゆうひ)のすっかり小さくなって、腰が折れ曲がり、高めの声でよどみなく語られる盛岡弁の喪主挨拶は圧巻だった。
めっちゃ東北弁だし、めっちゃおばあちゃんだし[ひらめき]大往生した故人のお葬式に特有の湿っぽくない、温かい雰囲気が場全体から伝わる。
的場は、葬儀の間、後方のセットの窓部分から顔を出し、3Dの遺影として初登場[ひらめき]
イチが、息子(賢治の弟)の清六(栗山航)に手を引かれ、部屋でお茶を飲みながら、あれこれ話しているのと並行して、“はざまの停車場”に到着した政次郎と、そこで再会した賢治(田中俊介)の会話が始まる。
人が死ぬと、その人の人生に相応しい“はざまの停車場”で、先に死んだ誰か一人だけに再会できる…という設定であるらしい。
久しぶりに再会した政次郎と賢治。その二人が再会できただろうか、と案じるイチと清六。ふたつのシーンが、同時に展開し、それゆえに伝わるものがあった。イチは、長男である賢治が生まれた時に、政次郎は変わったと言い、それをキッカケに、“はざまの停車場”に賢治を残して、政次郎が「賢治が生まれた時の政次郎」になって、本編に突入する。
その時、イチと清六の口から、政次郎の人となりが端的に言い表されているのが上手い。「雨ニモマケズ」で語られる、東奔西走する男は政次郎ではないか、と清六は言い、明治の男をやろうとしていたけど、実際は、子供達のやりたいことをすべて許した優しい父であったとイチは言う。そんな政次郎の人生が、ユーモアとペーソスをまじえ、ものすごい熱量で語られる公演。
的場浩司に政次郎役というのは、観劇前にはピンとくる配役ではなかったが、このプロローグで人となりが語られ、賢治誕生を知ってテンションが上がった姿を見せられると、一気に納得する。
出張先の京都で息子の誕生を知った政次郎は、旅から帰って、父の喜助(田鍋謙一郎)に抱かれた賢治を見た瞬間に、雷に打たれたように「父親になった」。賢治が赤痢で入院すると、仕事そっちのけで介護に当たり(病院は完全看護で、家族の介護を断っているにもかかわらず)、ついには、自身も罹患してしまう。
そんな父の愛に包まれながら成長した賢治は、「石」が大好きで、「石っ子けんさん」と呼ばれている。家業(質屋)にはまったく興味がない。


子供時代の賢治やトシ(鈴木絢音)は、首から子供の人形をぶら下げて、演じている。赤ん坊の清六は、誰かに抱かれた赤子の人形の後ろで、栗山が声を上げている。賢治が中学に上がると、賢治人形は、清六に渡され、清六の子供時代になる。この演出は、けっこうツボだったし、うまい演出だと思った。
なんかもう、可愛いんだな、首から人形をぶら下げてるだけで。


父・喜助も、政次郎も地頭はよかったが、上の学校に進むことはなかった。しかし、政次郎は、賢治の進学を許す。
賢治は、盛岡中学に入学するが、ここの校歌、軍艦マーチやん[ひらめき]


※盛岡中学は、現・盛岡第一高等学校。校歌ができる時に、当時巷に流布し始めていた「軍艦」の曲を「こんな節どうですか?」と言った人がいたんだか、なんだか、パクったという事実に気づいた時には、もう手遅れだったらしい。以来、現在まで、盛岡第一高等学校の校歌には、「楽譜」がないため、(多少の後ろめたさがあるのか[exclamation&question])卒業年度によって、若干の節の違いが存在しているとか。
甲子園にも出場経験がある学校で、甲子園球場に校歌が流れて大騒ぎになったこともあったらしい。


この頃、賢治は、呼吸の際、鼻からものすごい音を出していた。肥厚性鼻炎という病気で、入院・手術するが、なぜか、この時、チフスに罹ってしまう。そして、看病した政次郎も感染してしまう。
この辺りの、深刻なのに、笑ってしまう展開も面白かった。
賢治が生まれた時から可愛がってくれていた、(でも早くから跡取りとしての能力は見限っていた[爆弾])政次郎の姉・ヤギ(名越志保)は、この時既に鬼籍に入っていたようだが、冒頭の政次郎のように、セットの枠の中からイチと会話をする。盛岡弁で繰り広げられる二人の会話は、どこかのんびりとしていて、ほっこりさせられる。
賢治らが成長するにつれ、喜助やヤギのように、史実として途中で亡くなっていく人物も出てくるが、彼らの死は、劇中では語られない。ヤギについては、木枠の中から、仏壇前のイチに話しかけているから、亡くなったんだな…と、こちらが察する感じ。喜助については、重要な決定事項の時に出てこないことから察した…かな[exclamation&question]中学進学の時は、喜助に相談していたのに…みたいな。こういうドラスティックな取捨選択も、作品のテンポよい進み具合を支えている。


中学卒業後、さらなる進学を望んだ賢治だったが、さすがにこれ以上の進学は、政次郎も考えていなかった。が、一日中壁に向かってブツブツ言っている賢治を見て、恐ろしくなり、つい進学を許す。それを聞いた長女のトシ、次男の清六も進学したいと言い出して、政次郎は、とうとう、三人の進学を認めることになる。
日本は、超一等国になったのだから、一等国の国民には、それなりの教育が必要であると、政次郎は言った。女だって、次男だって関係ない…と。ものすごい近代的な発言だ。時代は、大正になっていた。
しかし、盛岡高等農林学校(今の岩手大学農学部)に進学した賢治は、なにかあると実家に無心するスネかじりっぷり。賢治からの手紙を清六がイチに届け、それをイチが政次郎に見せる場面は、テンポよく、両親が場所を移動することで、時の経過を表現していて、面白いな~[ひらめき]と思った。
そんな楽しい日々が一変する。賢治は、肋膜炎(と言われると、結核であることが多かった)を患い、帰省。
花巻で静かに暮らしている間に、東京に進学した妹のトシが肺炎で入院したという知らせを受け、看病のために上京する。大丈夫か[exclamation&question]熱心に病院に通った賢治だったが、トシは、賢治にお話の本を書いてほしいと要望する。
が、賢治は、物語を書くことに興味はなく、人造宝石を作りたい、と熱く語る。
そういえば、いつになったら、彼は物語や詩を書き始めるのだろう[exclamation&question]と、うっすら考えていたら、思い切り否定されてしまった[爆弾]宮沢賢治は、本当に宮沢賢治になれるのだろうか[exclamation&question]
ちなみに、「イーハトーボ…」でも、この妹の入院は、けっこう笑いのネタになる場面で、印象に残っていた。深刻な場面のはずなのに、賢治の周りには、いつも、どこかユーモラスな雰囲気が漂っている。
この人造宝石の話だけでなく、製飴工場を作りたいだの…賢治の商売話は、彼のドリーマーな部分と、経済感覚の欠如を如実に物語っていて、いまさらながら、ヤギさん、あなたは正しかった[exclamation]と思う。
20世紀の女性として、とても先進的な考え方を持ち、それを実行するだけのバイタリティに溢れていたトシだったが、スペイン風邪に罹患してからというもの、立て続けに病を得るようになり、とうとう結核になってしまう。
そんなトシのもとに帰ってきた賢治は、彼女のために童話「風の又三郎」を話して聞かせる。妹を喜ばせたいという一心で童話を書いた賢治だったが、一度書き始めると、物語は次々と文字になっていった。気づかぬうちに、彼の心の中には、物語があふれていたらしい。なるほど[exclamation]
病床のトシを学校の先生(向有美)が訪問する場面は、彼女がいかに優秀な学生だったかが偲ばれて、短い場面だったが、印象に残った。そして、岩手の景色は本当に美しいのだなぁ…[黒ハート]と「壬生義士伝」を思い出したりして。


トシの死の場面、そこで、遺言を言え、という政次郎は、かなり変わっているが、一人の人間がその生を全うしようとする時、その人の想いを正確に残し、できることなら実行するというのが、政次郎の誠意なのだな…と感じた。一方で、賢治は、トシの死を…そこからトシの生を、人生を永遠に残そうと、「永訣の朝」を書く。
自費出版された詩集「心象スケッチ 春と修羅」に、「永訣の朝」は掲載されている。それを読んで、「トシはそんなことは言っていない」と嘆く政次郎と賢治は永遠に相容れない考えの持ち主なんだな~[バッド(下向き矢印)]
農学校時代に肋膜炎を患った賢治は、自分の寿命を悟ったかのように、羅須地人協会を立ち上げ、地域の農民を相手に、作物の正しい育て方を教え、レコードコンサートなどを開催する。が、とうとう再び肺湿潤(結核)で倒れてしまう。
賢治が倒れる頃の場面のBGMとして、「星めぐりの歌」[るんるん]赤い目玉のさそり[るんるん]ってやつ)が流れていたので、もしかしたら賢治が作曲した曲はほかにもこっそり使われていたのかもしれない。
病床でも書きものができるように…と、政次郎は、賢治に手帳を買い与えているが、「雨ニモマケズ」が手帳に残されていたことを考えると、感慨深い。
賢治の死の場面は、トシの死の場面と対になっているので、政次郎が遺言の話を持ち出すと、笑いが漏れたりする。悲しい一辺倒にならない脚本の妙だと思う。
賢治の遺言は、日本語の妙法蓮華経を千部作成して配布してほしい、というものだった。それを快諾し、「おまえもなかなかえらい」とか言っちゃう政次郎さん、すごいな。この方、というか、宮沢家は浄土真宗の熱心な信徒だったのよね。(しかも、実は、賢治の死後、一家で日蓮宗に改宗する…というのが、もう息子愛で胸が痛い[黒ハート]
当たり前のように賢治の世話をしようとする政次郎に、最後だけは自分にやらせてほしいと懇願するイチの姿は、あくまでお願い姿勢の中に、テコでも動かぬ東北女の芯の強さを感じた。
(ここで、最初「なんもなんも」って自分がやってあげるから大丈夫的に断る政次郎さんの、いい感じに無神経なところ、でも妻の本当の気持ちを知って身を引く優しさ…どれも、この悲しい場面を温かく支えてくれる。


息子の看病を率先して行っていた政次郎は、息子の臨終の場にだけは、居合わせることがなかった。それもこれも、彼の優しさなのだと思うと、尊いなぁ~[もうやだ~(悲しい顔)]と感じる。
“はざまの停車場”で、何度も、賢治に言いかけては、言えなかった、「日本中でお前を知らないものはない。お前の本は日本中で売れた」も、賢治を慮ってのこと。なんか、優しすぎて「明治の男」じゃないけど、顔が怖いから気づかれなかった…ってのが、ピッタリだなぁ~[グッド(上向き矢印)]と、冒頭のイチと清六の会話を思い出す。
このあったかーい「銀河鉄道の父」が、ゆうひさんにとって、2020年唯一の芝居でよかったなぁ~。
もちろん、あれもこれも観たかったし、それを思って辛い気持ちになることは変わらないけれども…[もうやだ~(悲しい顔)]


少し、作品外の話を書くと、宮沢家は、賢治とトシを除けば、長命の家系だったようで、政次郎は83歳、イチは86歳まで生きた。また、作品に出てこない清六の姉と妹にあたるシゲは86歳、クニは73歳まで生きており、清六にいたっては、なんと97歳まで生きた。兄・賢治の作品を守り、編纂することが、彼の生命を支えたのかもしれない。
清六は、昭和を生き抜き、ミレニアムも超え、2001年6月12日に亡くなった。
この日は、「イーハトーヴ 夢」(宮沢賢治と「銀河鉄道の夜」をモチーフにした、宝塚歌劇星組バウホール公演)の公演中。なんか運命を感じるなぁ~[ひらめき]
宝塚ファンの方には自明の話ですが、賢治/ジョバンニを演じたのは、ゆうひさんの同期、夢輝のあ。こちらにも、運命を感じちゃいますね[るんるん]


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