演劇は死ぬのか [┗エンタメへの想いとか薀蓄とか]
演劇界の重鎮、野田秀樹さんさんが、自身のNODA MAP HP上で、「劇場閉鎖は演劇の死」という意見書を発表した。演劇ファンとしては、彼の思いに強く共鳴したのだが、反響は、目を覆うようなものだった。
命より演劇が大事なのかー
この非常事態に、何をお花畑な発言しているのかー
9年前、東日本大震災の時も、演劇関係者は、どうしたら公演を打てるか、様々に思案を重ねていた。
その時、「公演やらせてください。やらなきゃ、私達、死んでしまう」と本音が書かれたツイッターに、ものすごいバッシングコメントが付いたことを思い出した。
32年前、昭和天皇の容体報道が日々行われる中、次々とイベントが中止になった。その時は、演劇は中止にならなかったが、崩御の日とその翌日は、演劇も中止になった。
いや、それとこれとは、事態が違うでしょと、思われるでしょうね、これを読んでいる方々は。
流れは、おんなじです
ライブハウスでの感染が発表されたとたん、コンサート、演劇、スポーツの興行自粛が発表された。
でも、ライブハウスと演劇って一緒
演劇って、観客は無言なんですよね。ステージと一緒になって大声を出し、隣のファンと一体になって盛り上がるライブとは別の文化。だから、演劇やバレエやクラシック音楽のコンサートなど、全員が静かに同じ方向を観るようなものも一緒に自粛する…ということには、「意味がない」という専門家の意見も多い。
基本的には、専門家の意見をよく聴いて対応することが重要だと思うのだが、一斉に中止という反応になってしまった上、それを危惧する意見表明に対しては、バッシングの嵐になってしまった…ということに、何とも言えない気持ちになった。
この非常事態に、個人の楽しみを優先させること、自体が許せないという意識があるのではないか
それは、昭和終末の自粛ムード、東日本大震災後の自粛ムードと、同じうねりになっている。
昭和終末は、楽しいことは一切ダメという空気感の中、とても息苦しい日々だったが、事態が長期化するにつれ、少しずつ日常が戻っていった。
大震災の後は、計画停電が行われる中、多くの電気を使って演劇とか、コンサートとかやっている場合という空気感の中、会場で募金活動をしたり、売上を寄付したり…で乗り切る興行も多かった。
だから、初期のヒステリックなムードを乗り越えれば、少しずつ、復活できると思うし、それまで黙って耐えて行こうとか、粛々と宣伝しないで興行を続けていこうとか、演劇界は、甲羅の中に籠った亀のようになっている。
私達、生きているんです、生きたいんですと叫んだ瞬間にバッシングされるから。
でも、野田さんは、声を上げた。
彼自身のためじゃない。野田さんは、1年くらい演劇が止まっても、大丈夫なくらいにはお金持ちなはずだ。
身を潜めている間に、生きて行けずにこの世界から去って行くあまたの才能がある…そのことに危機感を抱いているから、叫んでくれたのだ。
命より演劇が大事なのか
一見、まっとうに見える意見だが、演劇をやることで、命の危険が生み出されるのか…まだ、実例はない。
一方、演劇がなくなることで、命の危険が生み出される可能性は十分にある。
にもかかわらず、こんなに多くのバッシングがある…ということは、演劇がなくても生きていける、演劇観てるのは贅沢だ、と思っている人が多いんでしょうね。
私なんか、演劇なくなったら、元気がなくて枯れてしまう。
だから、私は、野田さんを支持する、と声をあげる。