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キャラメルボックス「クロノス」観劇 [┣演劇]

演劇集団キャラメルボックス 2022クリスマスツアー
「クロノス」


原作:梶尾真治(「クロノス・ジョウンターの伝説」徳間書店刊)
脚本・演出:成井豊


演出補:白坂恵都子
美術:キヤマ晃二+稲田美智子
照明:勝本英志(Lighting Lab)
音響:早川毅(ステージオフィス)
振付:川崎悦子
衣裳:黒羽あや子
ヘアメイク:山本成栄
舞台監督:矢島健


音楽:鈴木理一郎、竹中三佳、OCEANLANE、advantage Lucy、優河、PLECTRUM、GOOD BYE APRIL
音楽コーディネーター:高岡厚詞
プロデューサー:仲村和生
主催:『クロノス』製作委員会


この公演、毎日前説(アナウンス)が変わるようだが、(出演していない劇団員が持ち回り)私が観劇した日は、坂口理恵さんの前説だった。出演していない劇団員のお元気な様子を聞くことができるのは、とても嬉しい。


さて、キャラメルボックスは、梶尾さんの原作となる「クロノス・ジョウンター」シリーズを原作とする作品を、7作品ほどレパートリーに持っている。原作が短いせいか、短編2作を同時上演したりもしている。(そのうち、2作は、設定を利用した成井豊オリジナル作品。)
私も、「ミス・ダンデライオン」という作品を観ている。
クロノス・ジョウンターという、物質を過去へ飛ばす装置が、開発された。開発というか、半ば偶然の産物として。これを使えば、人間も過去に行って、人生をやり直せる[exclamation&question]とばかり、一時は研究が活発に行われたが、だんだん装置の欠点が明らかになって、開発は中止になる。
過去へ飛ぶには飛ぶが、過去にとどまることができない。どころか、反動で、未来に飛ばされることがわかったのだ。しかも、一日前に飛ぶと、7日後に飛ばされる…みたいな、理不尽な未来に。相当残念な装置といえる。
主人公の吹原(すいはら)和彦(畑中智行)は、中学校時代に憧れていた蕗来美子(原田樹里)のことをずっと忘れていなかった。来美子は、突然、転校してしまい、それきりになっていたのだが、ある日、来美子の弟、頼人(多田直人)に再会した和彦は、頼人から、来美子が、現在、同じ横浜に住んでいて、花屋で働いていることを聞かされる。来美子とも再会し、少しずつ仲良くなり始めたある日、花屋にタンクローリーが突っ込むという信じられない事故により、来美子は命を落としてしまう。
研究所が研究していたクロノス・ジョウンターを使えば、事故の前に飛んで、彼女を救えるのではないか[exclamation&question]と考えた和彦は、こっそりクロノス・ジョウンターに乗り込むのだが、来美子を説得するどころか、不審がられている間に、7ヶ月後に飛ばされてしまっていた。
くじけない和彦だったが、クロノス・ジョウンターは、同じ過去に戻る場合、前回戻った時より前に戻ることができない。なので、前回より10分後の世界に戻ることになった。この時も長くとどまれず、1年半後に飛ばされた。戻る先が極端に未来なので、和彦がいない間に、情報が蓄積されている。この時点で、次に過去に行ったら、戻ってくるのはいつ…みたいなことは予測できるようになっていた。次は4年後ー


愛する人が死んでしまう未来を変えたい…そりゃ、誰だってそう思う。
でも、次は30年後…と言われた時、せめて一度両親に会ってから…と思わないのか。次は7000年後と言われた時、本当に躊躇しないのか。
愛する人は、そこで死ななかったとして、自分を助けるために7000年先に行ってしまった和彦のことを、どう思うのだろう。釈然としない気持ちがそこにあった。
(前回の跳躍で、言いたいこと言って、一人で逃げてもらうことはできなかったんだろうか、というのが、一番気になっている。そうしたら、ギリ再会できたかもしれない。30年後の世界で。まあ、悲劇は台無しですが。)


ところで、ここに登場する鈴谷樹里(岡田さつき)は、「ミス・ダンデライオン」の鈴谷樹里だよね[exclamation&question]え、パーソナル・ボグを使う前の樹里さんですか[exclamation&question]時系列、どうなってるんだろう[exclamation&question]
いろいろ気になってしまったので、 他のシリーズも、どこかで上演されないかな…と、ひっそりと願っております。
出演者は、皆さん、素敵でした[黒ハート]
そういえば、津久井役の山本沙羅さん、まだ新人のはずだけど、ちょっと陰影も感じさせて、雰囲気がある。今、空いている「渡邊安理」枠もイケるのではないか、と思ってしまった。期待しています。


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ジュニアファイブ「ねじ廻る」観劇 [┣演劇]

ジュニアファイブ第14回公演
「ねじ廻る」


作・演出:小野健太郎
演出助手:渋谷盛太
演出補佐:大嶽典子
舞台監督:倉本徹
大道具:倉本工房
舞台美術:寺田万里奈
照明プラン:横原由祐
照明オペレーター:遠藤宏美
音響プラン・オペレーター:島猛
衣裳プラン:奥田努
ヘアメイク:大嶽典子
殺陣・振付:奥田努
宣伝撮影:大参久人
宣伝美術:大嶽典子
広告宣伝:宇佐見輝
監修:奥田努
制作:山崎智恵


文化庁「ARTS for the future!2」補助対象事業
企画・製作:演劇企画集団Jr.5、ヤマガヲク


まずは、しずちゃん(南海キャンディーズ)、結婚おめでとうございます。しずちゃんと佐藤さんは、このジュニアファイブの第11回公演「徒然アルツハイマー」(再演)で知り合い、交際が進んでこのたびの朗報となったわけだが、その間、しずちゃんと友達になったつもりの、小野&奥田は、深夜3時にしずちゃん宅を訪れたり、二連泊したりしていたらしい。お二人の交際のお邪魔にならなかったか、非常に不安を感じている。そんな中、それでも「白が染まる」へ出演してくれたしずちゃんは、本当にやさしいなーと思います。幸せになってね[黒ハート]


さて、今回の公演は、ジュニアファイブ史上最大のワークショップを開催して出演者を決定したため、新しい才能にたくさん出会うことができ、楽しい年末となった。
(ちなみにJr.5のワークショップは無料とのこと。)


ちなみに、私は、ダブルキャストのうち、Kキャストの日を観劇したため、感想は、Kキャストのものになることをお断りしておきます。
とある離島の港町。
この島に、ねじ工場がある。
社長の河内喜夫(中原和宏)は、妻に先立たれたやもめの69歳。娘が二人いるが、二人とも本土に住んでいる。工場は、社員の川向正志(國崎史人)とベテランアルバイトの宍戸久美子(大嶽典子)、そして、リゾートアルバイトの瀬野尾愛(寄川叶絢)が働いている。(リゾートアルバイトとは、リゾート地を訪れ、ついでにアルバイトもやってみるという長期滞在者向けのアルバイト募集)
ここで生産されるねじは、豪華客船のクイーンエリザベス号などに使われていて、宍戸はそのことに誇りを持っているが、新人の瀬野には、あまり伝わっていないらしい。毎日ねじ作るの、もう飽きた~という態度。
ある日、河内の孫、庄子泉(横室彩紀)が一人でこの島に現れる。家出らしい。翌日、両親の庄子和男(山下直哉)と雪恵(水野小論)が泉を連れ戻しに来るが、泉は帰ろうとしない。それとは別に、雪恵の妹、河内春子(小山あずさ)も一人で島に戻ってくる。そして、春子を追って、恋人の大滝高弘(渋谷盛太)も島にやってくる。
河内と従業員、そして河内家をよく訪れる近所の乾物屋、安喰善一(奥田努)は、予期せぬ大量の客にてんやわんや。そんな中、クイーンエリザベス号の引退の報が流れる。ねじ工場をたたむ選択を考え始める河内。長女の雪恵、次女の春子、そして孫の泉も、それぞれ人生の岐路に立っている。善一や正志は、島にこの先一生居て後悔しないのか…という思いが頭をかすめることもあったり、社員の話を断ってアルバイトを続けている宍戸も、リゾートアルバイトをしている瀬野も、それぞれ思うところはある。大滝は春子と結婚したいのに、クリック詐欺で100万以上払ったりする間抜けぶりで、春子を激怒させてしまった。
みんながわやくちゃな状態の中、納期直前に大切なねじが紛失してしまうという事件が起きた。みんなでねじを探しまわっているうちに、河内が、もうこのまま納品せずに仕事をやめてしまおうか…と言い出してー


前回公演「白が染まる」が重苦しい話だったせいか、後味のよい軽やかな作品になっていた。
長女の夫と、次女の恋人が、心優しく、俗人離れした雰囲気なのも、なんだか心地いい。そして、社員の正志が、リゾートアルバイトの瀬野(若くて可愛い)に対して、がっついた恋愛モードにならないのも好感度。瀬野が仕事に前向きになり、先輩の宍戸との関係(年齢の離れた女子同士、特に共通の話題もなく、指導もしづらい感じでぎくしゃくしている)を修復していく過程も気持ちがいい。
「晴、のち」では、すごく残念なパワハラ男を主人公にした小野脚本だったが、こういう作品も書けるんですよ、と言われたような気がして、今回は、気持ちよく観劇できましたよ~とお伝えしたい。
裏側に「加齢と廃業」とか、「過疎地に若者を縛りつけていいのか」とか、様々な問題をはらみつつも、それは、「気がついてくれたらいい」という扱いで、物語としては大団円。年末公演だし、これくらいの楽しい芝居がちょうどいいかも…と思った。


雪恵役の水野が、娘を愛するがゆえに厳しい母親を印象的に演じ、春子を演じた小山飄々とした雰囲気もよかった。宍戸役の大嶽も、アルバイトを指導したいが辞められたら困る先輩の忸怩たる思いや、若者について行けない中年の悲哀が見事で…ちょっと切なかった。あと、中原がいるだけで、安心できる座組だと思う。だから、若手をガンガン配置できたのだろうと思った。若手も含め、みなさん、ステキでした[黒ハート]


プロローグが終わるなり、出演者一同でセットを組み替える演出は、若い座組だけに、部活のような熱量を感じる場面だった。一番、運動量が多かったのは代表の奥田かもしれないが。


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「はじまりのカーテンコール」観劇 [┣演劇]

「はじまりのカーテンコール~your Note~」


原案・演出:植田圭輔
脚本:伊勢直弘
音楽:稲垣大助
美術:古謝里沙
照明:仲光和樹(E-FLAT)
音響:天野高志(RESON)
衣裳:小林洋治郎(Yolken)
ヘアメイク:小林純子、星野智子
演出助手:河原田巧也
舞台監督:石井研一郎


「植田圭輔初演出作品」という宣伝文句に誘われ、観に行きました。
てか、それが宣伝文句になるっていう、植田圭輔がすごいというか。


ゆうき(高崎翔太)、つとむ(田村心)、りょう(安西慎太郎)は、高校の仲良しトリオ。
そろそろ将来について考える時期、ゆうきは生家の酒屋を継ぐことが決まっていて、つとむは進学予定。できれば、県立大学を狙っている。そんな二人に、りょうは、俳優になりたいという夢を話す。驚く二人だったが、すぐにりょうの夢を応援するようになる。そして、東京でオーディションを受けたりょうは、その帰り、雨の中、スリップした車にはねられ、18歳で他界する。
りょうの兄、るい(古谷大和)が、りょうの遺品の中から見つけた「演技ノート」を、ゆうきに渡したことで、ゆうきの人生が変わる。ゆうきは、りょうの夢を自分が叶えようと思うようになる。だが、東京で俳優になりたいというゆうきに対して、父親(和泉宗兵)は猛反対する。実は、父親は、俳優を目指していた過去があった。挫折したゆえに、息子に同じ思いをさせたくなかったのだ。
父に逆らったまま、東京に出たゆうきは、居酒屋でバイトしながら俳優の道を目指していた。バイト先の先輩(河原田巧也)も俳優志望で、ゆうきにやさしくしてくれていた。ある日、ゆうきは、受けたオーディションで、審査をしていた演出家ウエマツ(根本正勝)から、りょうの夢を受け継いだ話をボロクソに言われ、食って掛かってしまう。
それがウエマツの心をとらえ、ある舞台に出るチャンスが回ってきた。が、そのことで、バイト先の先輩の嫉妬を買ったり、共演者のナツキ(田村心)と気持ちが通わず、うまくいかないことが続く。どん底まで落ちたゆうきの心を救ったのは、やはりりょうのノートだった。
そして、ゆうきの初舞台の幕が上がるー


アフタートークで植田自身が語っていた通り、ストーリー自体は、そんなに珍しい内容ではない。
しかし、ディテール部分のリアリティが、俳優発信の作品らしく、とても面白かった。
まず、ゆうきの挫折部分が深く、途中、出口が見えなくて、これ、どうなるんや[exclamation&question]と、真剣に心配した。そこにリアリティがあった。簡単に解決なんかないんだね、演技の道には。
あと、きっかけに過ぎないと思っていたりょうのノートの内容がめちゃくちゃ深くて、「りょう、生きていたら、世紀の天才俳優になったのでは[exclamation&question]と思った。途中で消えるりょうというキャラクターは、作劇上、バトンを渡したところで終了する存在になりがち。でも、彼のノートの内容を聞くことで(ノートの内容をりょう自身が読み聞かせ、ステージ下でゆうきがノートを読みながら聞いている)ゆうきも気づきがあるし、さらに、観客が、演劇における俳優という仕事の深さを言葉で知り、なるほど、俳優ってすごいんだと思うし、それを現場経験なしに研究していたりょうという青年のすごさが全肯定できてしまう。フィクションの登場人物の死を、全身全霊で悼むことになる。その丁寧な描き方に、俳優ならではの作劇だなと思った。
(脚本家は別にいるが、細部にわたって、植田自身が何度も説明し、書き直してもらったのだという。植田の情熱もすごいし、それを汲み取って、レベルの高い脚本に仕上げた伊勢さんもすごい。
居酒屋の先輩役は、それほど出番は多くないが、河原田は演出助手も含めてのオファーだったようだ。この役も、ありがちに見えるが、ちょっとしたすれ違いから、心がねじ曲がってしまうことってあるよね…と、納得の作り。決して悪い人物ではないことが感じられて、好印象。
ゆうきは、稽古場で演出家に一挙手一投足に注意され、頭が沸騰して演技にならない。これすごいわかる~[exclamation×2]と、ものすごく思った。なんで、こんなに、ゆうきの心情が伝わるのだろう[exclamation&question]と思ったら、昔、お茶のお稽古を課外活動でやったときに、お師匠さんがめちゃくちゃ厳しくて、頭が真っ白になって、一秒ごとに叱られたあの感覚だ。伝わる、すごい伝わるよ…[ひらめき]根本さんの怖さがめっちゃリアル。
そして、田村心の劇中劇の演技が、適当にうまくなくて、そのリアルがやばいと思った。ナツキも少し先輩なだけで、初舞台の俳優なので、そんなにうまいはずはなく…熱量はあるけど、演技力はこれから…なレベルの出し方がとても良かった。


開演時間が平日にしてはちょっと早すぎなのは気になったが、奇をてらわず、丁寧な舞台作りになっていたことは、好感が持てた。俳優として、まだまだ観ていたい植田圭輔なので、二足の草鞋であれば、今後もこんな機会をもってほしいなと思う。


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エン*ゲキ#06「砂の城」観劇 [┣演劇]

エン*ゲキ#06
即興音楽舞踏劇「砂の城」


作・演出:池田純矢


音楽:和田俊輔、ハラヨシヒロ
音響:井上直裕
照明:大波多秀起
美術:根来美咲
歌唱指導:新良エツ子
振付:吉野菜々子
演出助手:高橋将貴、櫻井裕代
舞台監督:下柳田龍太郎
メイク:古橋香奈子、成谷充未
衣裳:村瀬夏夜
衣裳進行:伊藤優理
宣伝写真:京介
宣伝美術:田中ユウコ、渡部亜利沙
Web:蘭わかば
ライター:横川良明
PRディレクター:森欣治
キャスティング:梓菜穂子
制作協力:設樂敬子
共同プロデュース:山田泰彦、北村友香理
プロデュース:森脇直人
宣伝:ディップス・プラネット
票券:サンライズプロモーション大阪
主催:関西テレビ放送、サンライズプロモーション大阪、バール
製作:バール


国土を砂地に覆われた大海の孤島、アミリア。王位継承者ゲルギオス(池田純矢)は、ひどい暴君。いずれ国王になるのだから…と怖いものなし状態。しかし、国王が崩御してみると、実は、王位継承権を持つ庶子がいることが明らかになる。ゲルギオスは、庶子抹殺の指令を下す。
主人公テオ(中山優馬)は、領主アッタロス(野島健児)の娘、エウリデュケ(夏川アサ)と結婚、幸せの絶頂にいた。親友、アデル(鈴木勝吾)も二人の結婚を祝福していた。ある日、エウリデュケの奴隷のレオニダス(岐洲匠)が、王位継承権を持つことが判明、城に連れていかれる。
奴隷だったレオニダスは、貴族のような暮らしを始める中、自らの命の危険を感じ始め、脱走する。そして、故郷に戻って逃げ込んだ家畜小屋で、テオに匿われる。元の主人であるエウリデュケに迷惑をかけたくないので、元の屋敷に戻ることはできなかったのだ。食事を届けたりする中、テオとレオニダスはお互いへの愛を隠し切れず、とうとう一線を越えてしまう。(え、いきなりのBL[exclamation&question]
二人の関係を知ったエウリデュケとアデルーショックを受けたエウリデュケと、これまでエウリデュケへの愛をひた隠しにしてきたアデルは、これまた不義の関係を結んでしまい、もうわやくちゃ[爆弾][爆弾][爆弾]


この公演、角書がついていて、「即興音楽舞踏劇」となっている。
えー、どういうこと[exclamation&question]
と思いつつ観ていたが、関係者インタビューなどを観ると、本当に即興だったらしい。どうやったら、即興で群舞ができたりするのか、もう謎しかない。歌にしろ、ダンスにしろ、その道のプロが演じているわけだから、即興への対応も含めての生の舞台という部分は、もちろんある。そういう余裕(のびしろ)を含めて作品を作ることもある。でも、基本が即興というのは、めちゃくちゃ怖い。
特にミザンスをつけない作品であっても、何回か稽古、公演を重ねていくことで、なんとなく「ここはこう…」みたいな暗黙のお約束はできてくる。しかし、「即興音楽舞踏劇」という角書は、「そうなったら、敢えてそこを破壊する」冒険をさせる、という風に思われる。実際、1公演しか観ていないので、どんなふうに即興だったかを私は知らないのだが、きっと冒険に満ちた世界だったのだろう…と思っている。


架空の島の物語は、ギリシャ悲劇のような様相を呈していたが、原因は、運命ではなく、人の心にある…みたいなことを感じた。本当にひどい人も、本当にやさしい人もいないこの世界…みたいなことを考えながら、紀伊国屋ホールの空間に身を置いていた。
それにしても、鈴木勝吾池田純矢の演劇愛は、時々、こちらを不安にさせるほどのヒリヒリしたエネルギーだが、それを浴びるのは嫌いじゃない。また、エン*ゲキの舞台で二人の熱い戦いを観てみたい。
岐洲のレオニダスがBLにふさわしい美青年で、物語を盛り上げていた。


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「クランク・イン」観劇 [┣演劇]

M&Oplaysプロデュース
「クランク・イン!」


作・演出:岩松了


照明:沢田祐二
美術:愛甲悦子
音響:高塩 顕
衣裳:伊賀大介
ヘアメイク:大和田一美(APREA)
演出助手:村田千尋
舞台監督:清水浩志
制作:近藤南美
制作助手:寺地友子
制作デスク:大島さつき
宣伝:ディップス・プラネット
宣伝美術:坂本志保
宣伝写真:渡部孝弘
宣伝衣裳:チヨ(コラソン)
宣伝ヘアメイク:APREA、RYO〔吉高由里子〕
宣伝動画:原口貴光
HPデザイン:斎藤 拓
プロデューサー:大矢亜由美
主催・製作:(株)M&Oplays


吉高由里子の久々舞台作品であり、共演に眞島秀和、そして岩松了作品ということで、これは観なければ…と思った作品。
一人の女優が撮影のためのロケ現場で溺死、一時撮影中止になった現場に再び撮影クルーが集結する。女優の死は、本当に事故死だったのか…みんなの心に疑念があった。そんな現場に、新たにキャスティングされた女優(吉高由里子)が現れ、人々の心の不安を煽っていく。
海外の映画関係者だったらとっくに市民権を失っていそうなクソ監督役に眞島秀和。こんなゴミみたいな男をリアルに演じるとは[exclamation×2]
映画でヒロインを演じることになっている大女優に、秋山菜津子不安でイラチになっている女優のイタさがじんじん伝わってくる。
ほかにも、長年、クソ監督の作品に出演している女優(伊勢志摩)だったり、監督の新たな愛人として映画に出演する新人(石橋穂乃香)だったり、大女優の付き人(富山えり子)だったりが、同じホテルの各部屋から撮影に通っているのを、二段組にした舞台上に配置、それぞれの部屋を行き来しつつ物語が進んでいく。
ミステリアスな物語は、しかし、解決を見せずにいきなり終了する。


これか、これが岩松作品か…[exclamation×2]


なんとも消化不良な内容だったが、そこに至る心理戦は面白かった。
ベテランの秋山眞島の好演が光る。そして、なんとも人を食った吉高の芝居が面白かった。


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「アルキメデスの大戦」観劇 [┣演劇]

「アルキメデスの大戦」


原作:三田紀房『アルキメデスの大戦』(講談社「ヤングマガジン」連載)
舞台原案:映画「アルキメデスの大戦」(監督・脚本:山崎貴)


脚本:古川健
演出:日澤雄介
美術:土岐研一
照明:松本大介
音楽・音響:佐藤こうじ
映像:浦島啓
衣裳:藤田友
ヘアメイク:宮内宏明
軍事監修:後藤一信
数学監修:根上生也


方言指導:岐部公好
軍事所作指導:越康広、長谷部浩幸


演出助手:平戸麻衣
舞台監督:荒智司


「アルキメデスの大戦」は、「ヤングマガジン」に連載中の漫画作品で、まだ完結していない。そこで、本作では、既に2019年に公開されている映画「アルキメデスの大戦」を原作とし、その範囲(海軍における巨大戦艦推進派<旧勢力と空母推しの山本五十六との攻防)を中心に舞台化する、という面白い二重構造の作品となっている。ちなみに原作映画は見ていて、その時のミニ感想はこちら
映画版にはすごく感動して、続編をいまだに待ち望んでいる。そのうえ、夏にハマりまくった劇団チョコレートケーキの脚本家と演出家が、2.5次元の帝王である鈴木拡樹を主演に据えてどう料理するのか、上演するはずだった2020年の数倍、期待値は上がった。


海軍少将山本五十六(神保悟志)は、「これからの戦争は航空機が主体になる」と確信しており、つまり、海軍的には、今後建造すべきなのは空母(航空母艦)だと提唱し続けていた。が、海軍の主力戦艦「金剛」の老朽化に伴う後継艦の建造にあたり、巨大戦艦を建造しようとする嶋田少将(小須田康人の一派と完全に対立していた。
巨大な戦艦を建造するとなると、その予算もまた莫大になる。山本はそこに勝機を見出していたが、嶋田たちが提出してきた建造費予算は、山本の提出した空母よりも安いものだった。
山本は、嶋田と、その配下で造船中将の平山(岡田浩暉)に一矢報いようと、策を巡らせていた。そんな中、山本は、派手に芸者遊びをする書生、櫂直(かい・ただし 鈴木拡樹)と出会う。櫂は、尾崎財閥令嬢鏡子(福本莉子)の家庭教師をしていたが、鏡子との関係を疑われて、家庭教師をクビになったばかりか、東京帝大も退学に追い込まれた。(芸者遊びは、尾崎財閥からの手切れ金を使い切りたかったから[あせあせ(飛び散る汗)]
櫂は、日本に嫌気がさし、アメリカに留学する手続きも終えていたが、山本の説得に負け、海軍主計少佐として、巨大戦艦建造のカラクリを調査する任に就く。


映画も舞台も、見どころは、櫂が黒板にスラスラと書き殴る数式だ。建設に必要な鉄の総量を算出できれば、この数式に当てはめることで、建造費を自動で算出できる。その公式の正しさを立証したあとで、新造戦艦の鉄の総量を数式に当てはめれば、「ほんとうの建造費」があぶり出され、嶋田少将と平山中将の提出した建造費がウソであることを立証できる。
でもこれがものすごい数式[exclamation×2]ルートの中に、山のように数式が入り乱れていて…。
で、謎なのは、鈴木拡樹氏が、この寿限無のような数式を覚えて書いているか、ということ。なんか、カラクリがあるのだろうか。プロの俳優だから、どんなに長台詞を覚えてもそんなに驚きはしないが、この意味不明な数式は、どうしたら覚えられるのか、それをあれだけのスピードで板書できるのか、もはやマジックの世界。何もトリックがないのだったら、鈴木拡樹=神説にまた、新たな証拠が。


櫂という登場人物のすごさは、この公式を作り出したことだけではない。
そもそも、造船の知識のないところから、船の設計図を作り、部品費や工賃の資料を読み込み、さらに、造船中将も気づかなかった設計ミスにも気づく。平山は、論破されたというよりは、この設計ミスを恥じて、巨大戦艦の建設を一度断念したと言っていい。
この辺の極める感覚って、プロのオタクのそれに似ているかも。


ラストシーンは、映画版とは少し違っていて、戦艦大和(結局その後建造される)の沈没後、この責任をどうする…みたいな櫂たちとのやり取りから、嶋田中将がピストル自殺するというもの。責任を取るというよりは、これ以上、戦況を見せられることに耐えかねたという感じだった。生きてこれからの日本を見ることに耐えられない…みたいな。
(ご存じの通り、櫂を海軍に引き入れた山本五十六は、その後、元帥になり、1943年に戦死、国葬にされている。彼は、大和の最期を知らずに死んだ。)
昭和初期の時点では、櫂はもちろん、山本も、アメリカとの戦争は絶対に避けなければならないと信じていた。それが、なぜ、こんなことになってしまったのか…そんな終わり方は、劇チョコらしい終わり方だし、そうじゃなきゃ、このコンビに依頼した意味がないよな、と思った。
納得度の高い舞台でした[黒ハート]


櫂役の鈴木拡樹は、海軍の制服が似合い、エリートであり変人でもあるキャラクターがしっかりと伝わってくる一方で、膨大なセリフをやや早口で回していく劇チョコ的演出には戸惑いもあったように感じた。2.5次元に敵なしの鈴木でも、ドロドロ3次元には、まだまだ研究の余地があるんだろうな。でも、こんな風に、「のぶらん」の二人が、それぞれ東宝系の舞台で主役を張っている姿は、戦国鍋ファンとしては、感無量。これからも、応援していくぞー[るんるん]
櫂の補佐役に選ばれた田中少尉役の宮崎秋人。え、あの、「マーキュリー・ファー」でローラを演じたあの秋人くんだよね[exclamation&question]うわ、なに、この振り幅、惚れてまうやつやん[ハートたち(複数ハート)]正しいと思うことを単純に信じることができる人。素直で、強くて、優しい。人情の機微もちゃんとわかる。みんなが田中を好きになる。そんな人物が、目の前に立ち上がってきて、感動した。今後の秋人くんに、注目です。(だいぶ遅いな、自分)
尾崎財閥令嬢鏡子役の福本莉子。「お勢、断行」で超苦手になってしまったのですが、今回は、出演シーンが少なく、櫂との心的交流も櫂の朴念仁が幸いして、ほぼ無いに等しかったので、まあよかったです。本作において、鏡子は、現場の花でしかなく、そういう役ならまあいいんだけど、その演技でどこまでいくつもりなんだろうか。
平山中将役の岡田浩暉。映画版の田中泯なら、ああいうラストになって、岡田浩暉だからこのラストなのかな…と思った。彼には彼の正義があり、戦艦の存在意義がある。でも、その思いは正しく機能しなかった。しみじみ、平山中将の人生を考えてしまうような、ラストシーンだった。
山本五十六役の神保悟志。意外とウラオモテのある人物に描かれていて、映画版(舘ひろし)の清濁併せ吞むとは、イメージがだいぶ違う。櫂には、絶対にアメリカと戦争しないために…と言いつつ、もし米軍に奇襲攻撃をかけたら、勝てるんじゃないか、みたいな「男のロマン」も捨てきれない、しょうもないおっさんで。劇中の人物だから、可愛いなとか思っちゃいますが、きっと現実にもいるんだろうな…と思うと切ないですね。
高任中尉役は、近藤頌利。実は頌利くんが休演中にも観ていて、その時は、イッツフォーリーズの神澤直也くんが演じた。(神澤くんは、通常別配役で出演している。)先に観た神澤くんの高任は、嫌味で高圧的でカンチガイ野郎で、全力で高任でした。それに比べると、頌利くんの高任は、「あー、いるよね、こういうことしちゃうダメなやつ」という、そこに「ダメなやつ」までセットされた人物で、それもまた、頌利くんの人の良さを感じさせるキャラだったと思う。最初から頌利くんで観たらどんなふうに思ったんだろう。
櫂たちを助けてくれる大里造船の社長(岡本篤)。劇チョコ俳優らしく、作品の世界観に沿って、大阪商人の反骨心を見せてくれる。映画版は鶴瓶さんだったので、インパクトすごかったけど。


今、この時代に、「アルキメデスの大戦」をこんな形で上演してくれたこと、それが一番ありがたい。
できれば、劇チョココンビで、この続きも作ってほしいと思う。


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「住所まちがい」観劇 [┣演劇]

「住所まちがい」


原作:ルイージ・ルナーリ 
上演台本・演出:白井晃
翻訳:穂坂知恵子、溝口迪夫
美術:松井るみ
照明:齋藤茂男
音響:井上正弘
衣装:安野ともこ
ヘアメイク:国府田圭
演出助手:豊田めぐみ
舞台監督:小笠原幹夫
宣伝美術:近藤一弥
宣伝写真:二石友希


作者はルイージ・ルナーリだが、上演時の自由度の高い作品になっていて、基本的な部分を押さえていれば、いろいろ変えることができるらしい。台本の10分の9以上は作りこもうとしてはいけないという但し書きまであるそうで、演出家や俳優に10%程度の裁量権がある…つまり、上演の数だけ、違う「住所まちがい」が存在する、ということになる。ちなみに、タイトルの「住所まちがい」からして、原題とは似ても似つかない。(原題は、「シーソーの上の三人」みたいな意味)
作品的には、イタリアの「コメディア・デラルテ」の手法が使われていて、その定番キャラクターを代表するような人物が、ひとつところに集まり、やがて彼らが、自分たちは死を迎えようとしているのでは?という疑問にかられ、右往左往する物語となっている。


上演台本・演出を担当した白井晃は、まず、場所と登場人物に手を入れ、そこが日本で、登場人物の名前が、俳優と同じ「渡辺」「田中」「仲村」だということにしている。しかも、俳優の本当の名前とずらした形で。(さらに終盤どんでん返しで、本当の名前を全員が隠していたことが判明、最終的には俳優本人と同じ姓をあらためて名乗る設定。)まあ、最終的に全員が本名を名乗っていないことが発覚するせいか、彼ら同士の中では、職業でお互いを呼んでいる。仲村トオルが社長で、渡辺いっけいが警部で、田中哲司が教授というように。
これは、たまたま三人の姓が日本でわりとポピュラーなものだったという偶然が、演出家をその気にさせたのだろう。(その上で「ナカムラは一般的な中村ではなく、にんべんがつくんです」というセリフで笑いを取る。)


冒頭、まず社長の仲村が、客席から登場する。客席登場なので、感染対策からマスクをしている。そして、舞台に上がるところで、エアーのドアを開け、そこでマスクを外す。本来なら、室内でこそマスクは必要だと思われるが、仲村が客席から登場したことで、「客席登場はマスク→舞台上はノーマスク」という「2022年演劇の当たり前」が発動、次に登場する警部の渡辺が同じ行動を取っても不思議に感じなかった。こういうの「演出の妙」だなーと感心する。
まず仲村が客席からエアードアで登場し、次に渡辺が下手のドアから登場、だいぶ遅れて田中が上手のドアから登場する。社長(仲村)は、恋人と待ち合わせ、警部(渡辺)は備品の発注のために、教授(田中)は出版予定の本のゲラを受け取りに。三人が到達した場所は、まったく違う住所。なのに、同じ場所にたどり着いてしまった。
そして、今日は、大気汚染の警報ベルが鳴る日(意味不明)で、夜間は外に出られない。何が起きたか、把握できぬまま、朝、警報が解除されるまで、彼らは一夜を共にすることになる。
冷蔵庫に入っているものが、開ける人によって違うものになったり、不思議な掃除婦(朝海ひかる)が現れて、もしかしたら、この人こそ聖母マリア様なのでは[exclamation&question]と思わせたり、だんだん、三人は、自分たちがもう死んでいて、最後の審判を待っている状況なのでは…という疑問を感じ始める。
三人の哀しくも可笑しい奮闘の一夜が明け、警報解除のサイレンが鳴る。
もう二度と会うこともないと安心した三人は、自らの正体を明かしつつ、陽気にそれぞれのドアから退場する。(どういうわけか、彼らは、自分が入ってきたドア以外からは、出ていくことができない。)が、外の世界に繋がる階段下のドアが開かず、三人は元の部屋に戻ってくる。もう二度と外界に戻れない=やはり、自分たちは死んでいるのか…と、絶望しながら。


いや、もう、めちゃくちゃ面白かったです。
チケットを取って普通に一度観劇していたが、別の日に、田中哲司ファンの友人に会うため、劇場近くで待ち合わせをした時、「当日券あったら、観ようよ」と言われ、ついつい3階席で再度観劇してしまった。
席に着いた時、そういえば、今日はメガネもオペラグラスも持っていなかった…と気づいて、あちゃー[ふらふら]と思ったが、表情は見えなくても、声と動きだけで、彼らの心情がハッキリと伝わってきた。顔が見えなくても、何も問題はなかった。オペラグラスの民なので、観劇の時は、「顔が見えなかったらオペラグラス」と当たり前のように思っていたが、全体を見る…ということの大切さにあらためて気づかされたりもした。
(一度はちゃんと顔を見て満喫したからこそ、こんなこと言っている部分はあります。)
情けない三人の男たちの姿が面白すぎて、そこに登場するコムちゃんの存在感が見事で。この掃除婦のおばさんは、ルナーリさんによると、「実際にありがちな粗野な印象を与えないこと。どこかミステリアスで、どこか普通とは違う感じ」というイメージらしいが、朝海の掃除婦は、田舎のおばちゃん口調なのに、本当にミステリアスでどこか普通と違っていて、本当に聖母マリア様なのでは[exclamation&question]と思えた。


こういう作品に出合えると、演劇が好きでよかった、と思う。幸せな時間だった。


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朗読舞踊劇「阿国」観劇 [┣演劇]

朗読舞踊劇 Tales of Love
「阿国ーかぶく恋、夢の果てー」


上演台本:与田想
演出:中屋敷法仁


音楽監督:KOHKI
演奏:KOHKI、大河内淳矢、飯野和英
振付:花柳幸舞音
舞台監督:筒井昭善
照明:鈴木雅貴
フォロースポット操作:山田奈央子、中村佐紀
音響:高橋ミノル
衣裳:摩耶
衣裳進行:つちや紗更
舞踊衣裳:市川政栄
ヘアメイク:前川泰之
ヘアメイク進行:山本みずき
宣伝美術:阿部太一
演出助手:中島千尋
方言指導:野田るり(京都弁)
稽古場代役:田中廉、永田紗茅、原田理央
映像撮影:神之門隆広、荒木美結
票券:藤野沙耶
制作:傳川光留、和田小太郎、白井美優
制作助手:荒木美結、石井咲良
制作協力:ゴーチ・ブラザーズ


プロデューサー:新井勝久、堀尾美幸


劇中曲:大河内淳矢「八∞縁」より『朝露のワルツ』『狐ーYou know my name?』


主催:トリックスター・エンターテインメント/ぴあ
企画・制作:トリックスター・エンターテインメント


昨年9月、大空ゆうひ主演で行われた朗読舞踊劇「Tales of Love」のシリーズ第二弾になるらしい。
今回は、昨年退団した、元花組の瀬戸かずや、そして、つい先日退団した、元雪組の綾凰華がW主演かつ、役替わりで出雲阿国(女性)と三十郎(男性)を演じる趣向になっている。そして、阿国の恋人である名古屋山三役を、竹内栄治・土屋神葉・石谷春貴・高木渉の4人の声優陣が役替わりで上演する。
三人の人物に扮して日本舞踊を踊るのは、花柳幸舞音藤間涼太朗
ゆうひさんが出演した「お七ー最初で最後の恋ー」より、主演者も、一公演の朗読者も、舞踊者も、出演声優総数も、演奏者も、全部プラス1になっているのが面白い。第三弾では、どこまで成長するのだろうか。


物語は、出雲阿国が、遊び女から芸能者として目覚めていく物語を、彼女の恋を軸に描いていく。語り手として、阿国が拾った乞食の少年、三十郎の存在があり、この阿国と三十郎を日替わりで、瀬戸が演じるのが、今回の目玉。
残念ながら、私は、1公演しか観劇できなかったので、その公演の感想を語るしかないのだが、逆の配役も素晴らしかったそうだ。陰ながら応援してきたあやなちゃん()の外部での立派な姿に安心するとともに、現役中、わりとノーマークの存在だったあきら(瀬戸)にときめくなど、非常に有意義な公演だった。


(以下、私が観劇した際のキャストで話を進める。)
物語の語り部は、三十郎(瀬戸かずや)。幼い頃、華やかに踊る阿国(綾凰華)に惹かれ、そのあとをついて行ってしまい、以後、阿国に育てられた。その後、美貌を買われ、女装して「おきく」の名で舞台に立った。やがて、阿国は一座を立ち上げ、「ややこ踊り」で一世を風靡する。
ある日、招聘された武家の屋敷で、阿国は、名古屋山三郎(竹内栄治)と出会う。山三は、今流行りの「ややこ踊り」を器用に踊って見せ、一座の喝采をあびるが、自分が苦労して立ち上げた「ややこ踊り」をばかにされたようで、阿国は腹を立てた。そして、おきく(=三十郎)を相手役に、自分が男の姿になって、山三郎を模し、おきくに手を出す好色なおやじっぷりを発揮した踊りを披露する。
それを観た山三郎は、怒るどころか、ややこ踊りを踊って見せた自分の非礼を詫び、阿国は、そんな山三郎の潔さに胸を打たれる。以降、阿国は、山三郎の公私にわたる支援を受け、踊り手として充実期を迎える。
しかし、山三郎は、主君・森忠政の命により、家臣の井戸宇右衛門を殺害しようとして返り討ちに遭い、死んでしまう。その日から、阿国もまた、生ける屍となってしまったー


冒頭、語り始めた瀬戸の低音ボイスにあっけなく完落ち。
めっちゃいい声~[るんるん]そして、女性役としてのの声にも、ノックダウン[揺れるハート]
阿国は、芸能に携わる女性なので、その裏側では遊び女としての顔を持つ。が、踊りの魅力に取りつかれると、身を売ることをやめ、芸一筋で生きていこうと決意する。それは、男の庇護のもとで生きていくことをやめることでもある。まあ、だからこそ、恋に生きることもできるわけなのだが、その自立した女の力強さが、凜と伝わるええ声なのよ~[ぴかぴか(新しい)][ぴかぴか(新しい)][ぴかぴか(新しい)]
男役の声でなく、でも、凜として美しく、阿国、いい女だな~と思わせる、素敵な女性役デビューだったと思う。


そんな阿国の心を表現する踊り…だが、本作では、前回の「お七」と違い、阿国が実際に演じる舞台も表現していて、それがちょっと気になった。
「お七」では、幸舞音さんが演じるのは、主人公・お七の心の中。だから、実体として表現する大空ゆうひと、内側を表現する花柳幸舞音という演じ分けが無理なく伝わってきた。
今回は、心情を表現するというのはもちろんありつつ、阿国の舞台姿も幸舞音さんが演じた。相手役で登場する涼太朗さんは、ステージ上では三十郎(おきく)、私生活では山三郎に扮して踊る。そのこと自体は、自然に受け入れられはしたが、伝説となった「出雲阿国」の「おどり」を「これです[exclamation]」と具現化されると、「なんだかな~」という気持ちになってしまった。
また、たぶんそれが、特に目新しくない普通の日本舞踊(もちろんうまい[ぴかぴか(新しい)])に見えたことも原因ではないか、と思った。このシリーズ、踊りの振付は幸舞音さんご自身がされているようだが、今回は、もっと歴史の古い作品でもあり、また、歌舞伎の始祖とも言われる出雲阿国なのだから、いろいろな歌舞音曲に造詣の深い方に振付をお願いするとか、最低でも踊り面での監修を誰かにお願いするみたいなことがあれば、ここまで独りよがりな舞台にはならなかったのではないか、と感じた。
なんとなく、踊り部分については、演出家の領域外にもなってそうで、その辺が気になるところだ。
涼太朗さんの色っぽいおきくの姿は、ドキドキ[揺れるハート]でした。


山三郎役は、この日一日限りの出演、竹内栄治さん。男気のある、武士らしい雰囲気で、彼の波乱万丈な人生を感じさせる。とてもステキでした[黒ハート]


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「裸足で散歩」観劇 [┣演劇]

「裸足で散歩」


作:ニール・サイモン
翻訳:福田響志
演出:元吉庸泰


音楽監督:栗山梢
美術:乘峯雅寛
照明:奥野友康
音響:長野朋美
衣裳:関けいこ
ヘアメイク:武井優子
演出助手:坂本聖子
舞台監督:村田明


制作:竹葉有紀
制作デスク:今井実春
プロデューサー:江口剛史
企画・製作:シーエイティプロデュース


ニール・サイモンの1960年代の戯曲。そんな大昔の作品なのに、全然古さを感じない。人間の普遍的な部分を描いている脚本だから、なのだろう。
2月のニューヨーク。極寒の地の転居してきたのは、新婚のポール・ブラッター(加藤和樹)と妻のコリー(高田夏帆)。新婚旅行を終えたばかりのカップルだ。この家を決めたのは、妻のコリーで、夫のポールは、初めて新居に足を踏み入れる日。まだ、家財道具も揃っていないし、電話も通っていない。壁のペンキはDIYしようとしているようだが、まだまだ手もついていない。(脚立は立っている。)
コメディ作品として第一のネタは、このアパートの長い長い階段。若者でもポールの部屋に着く頃には、相当に息が上がってしまう。やってきた電話会社の男(本間ひとし)が音を上げるようなアパートだ。さらにこのアパートには、お風呂がなく、寝室のベッドはサイズがギリギリなので、移動の際はベッドを踏み越えないといけない。
部屋は、弁護士としての仕事が忙しいポールに代わって、コリーが一人で決めたらしいが、「初めてのおつかい」は、明らかに失敗している感じ。(欠陥住宅のわりに、部屋代も高い。)それまで、母の庇護のもと、何かを決定した経験の乏しいコリーは、私にもできる!ということを母に見てもらいたいのに、なんだか、アヤシイ雲行きになっている。
初めて新居に帰宅したポールも、階段を上がるだけで息切れしている。彼も、新婚の妻の手前、はっきりとは言えないが、あまり新居を気に入っていない様子。さらに、屋根裏の住人、ヴィクター(松尾貴史)が現れ、部屋のカギがないので、家の中を通らせてほしいと言い出す。驚く夫婦。
そして、まだ家具が届かない翌日には、母・バンクス夫人(戸田恵子)が新居を訪れる。色々と会話が嚙み合わない中、ヴィクターを食事に誘ったら面白いのではないか、と、コリーが思いつく。水と油みたいな二人に思えたが、会ってみると、娘の交友関係を維持するため…というのも少しはあったかもしれないが、バンクス夫人とヴィクターは意外に意気投合しているようで、コリーも安心する。が、その夜、バンクス夫人が外泊したことがわかって…


2月のニューヨークの寒さが伝わってくる舞台セットがすごい。(乘峯さんの美術は、ほんと神です[exclamation×2]
50年前に書かれた物語なのに、古さがどこにもない(まあ、固定電話をひかなければ、電話できないという点を除けば…)。
ドラマとして面白く、なにより、加藤和樹が可愛かった[黒ハート]


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「最後の医者は桜を見上げて君を想う」観劇 [┣演劇]

舞台
「最後の医者は桜を見上げて君を想う」


原作:二宮敦人『最後の医者は桜を見上げて君を想う』(TO文庫刊)
演出:岡村俊一
脚本:久保田創


美術:OSK
音響:山本能久
照明:熊岡右恭
衣裳:佐藤憲也(東宝舞台)
映像:ムーチョ村松
舞台監督:中島武
宣伝美術:二宮大、高橋みづほ
宣伝写真:天野莉絵
音響協力:SEシステム
映像協力:トーキョースタイル
運営協力:K&N
協力:アール・ユー・ピー
主催:TOブックス 


武蔵野七十字病院を舞台にした、生と死をめぐる医者と患者の物語。
「人間はいつか死ぬ。しかし、それはずっと先のこと」と問題を棚上げにして生きている、まだ若い人々に突然襲いかかる死に至る病。その時、人は何を選択し、医者は何と戦うのか。
この病院に、一風変わった医者がいる。名は、桐子修司(山本涼介)。皮膚科の医師ということになっているが、とても診察室とはいえないような場所に、看護師一人だけを付けられて、勤務している。その看護師、神宮寺千佳(本西彩希帆)も、実は、桐子の監視役らしい。
そんな桐子の裏の顔は、患者に本当の病状と今後の可能性を余さず伝え、「最後まで戦わない選択肢を提示する」、別名“死神”。院長の息子で、現在副院長の外科、福原雅和(細貝圭)は、生存の可能性が1%でもあるなら、それに賭けるべきだという信念を持っているし、病院の名誉のためにも、勝手に退院して死んでしまう患者を増やすわけにもいかない。桐子の行動を監視し、副院長として指導を続けている。
正反対の考えを持つ二人だが、実は、同じ医大出身で、学生時代は二人を結びつけた音山春夫(鳥越裕貴)と三人でつるんでいて、福原が父親の病院に勤めることになった時に、二人を誘ったといういきさつがあった。音山は、極端な二人と違って、医者としての能力は平凡だったが、患者に寄り添える医者だった。
まだ30代で白血病を発症した浜山雄吾。結婚したばかりで、妻・京子(佐々木ありさ)のお腹には彼の子が宿っている。治療法には、いくつか選択肢があったが、こっちなら生存率何パーセント、こっちなら…と、突然聞かされてパニックに陥る。同じ病気にかかっているおじいさんは、桐子のアドバイスを聞いて治療をやめ、退院して、人間らしい死を選んだ。浜山も桐子のアドバイスを聞きに行くが、そのうえで、福原の推奨する造血管細胞移植を選択するー
医大に受かったばかりの川澄まりえ(大串有希)は、難病のALSであることが判明する。最初に彼女を診察した音山は、急速に病状が悪化していく川澄に寄り添い、異例の訪問治療を行い、彼女の意志を尊重しながら、その死を看取る。
そんな音山自身が咽頭がんにかかっていることが、明らかになる。高齢の祖母が、彼との電話だけを楽しみにしていることから、声を失う手術をためらう音山。がんの転移状況がわかり、音山は、延命のための手術ではなく、最後まで声を残すための手術を選ぶ。そのために、治療の計画を策定する桐子。最後に、執刀を決意する福原。音山の最期の生き方は、福原ら病院の人々の考え方を変えていく。そして、桐子と福原、最強のタッグが誕生するー


原作は、シリーズものの医療小説らしい。
福原の細貝、桐子の山本、音山の鳥越は、それぞれキャラクターにピッタリと合った配役。
わりと早い時点で、手術をイメージしたダンスっぽいシーンがあったのだが、その振付が、20年前の宝塚作品「長い春の果てに」に出てくるクロード先生の手術シーンを思い出させるもので、手術の振付って、だいたいこんな感じになるんだなーと頭では納得しつつも、ついつい我慢できずに吹き出してしまった。
マスクがあってよかった…でも、お席が無駄によかったので、細貝さんにはバレてたかも…ごめんなさーい[あせあせ(飛び散る汗)]


福原と桐子は、ルックスも態度も極端なキャラだったので、感情移入できるキャラは音山一択。その音山が、劇中で死んでいく役回りだったこと、そしてやたらと患者への説明シーンのセリフがリアルだったこと、で、私自身が告知を受けたような、そんな気持ちになりながら、ハラハラと物語を見守った。
私が子供のころは、どんな病気でも、患者は「先生にお任せします」みたいなまな板の鯉でよかったが、今は、知識もないのに、共に考え、共に戦うことを強いられる。その結果、よりよい生と死を自分で掴み取れるのかもしれないが、病院の先生の説明は、いつだってクールすぎる。音山先生みたいに寄り添いすぎる先生は、自身が疲弊して、続けていけなくなるのかもしれないが、患者に対しては、寄り添い続け、自身の生死については、最後の一瞬まで、悔いなく生き切って、見事な人生だったな~と思う。
平凡と自らを称していたが、二人の天才医師を、彼は人生を賭けて繋いだ。そんな音山先生こそ、大天才だったんじゃないか…なんて思った。


今回も、鳥ちゃん(鳥越)の芝居に持ってかれたな…[わーい(嬉しい顔)]


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