四国旅行記(10)丸亀城 [┣百名城]
丸亀に宿泊し、早朝から丸亀城に行きました。
城が見えてくると、おおーっと思いますね。
もう「こどもの日」は過ぎていたけど、まだまだ鯉のぼりがたくさん泳いでいました。
石碑と門と天守を1枚におさめてみました。
この後、天守の写真を1枚も撮っていないことに、さっき気づきました。
ここにもハチがいて、怖くて、写真どころではなかったようです…
でも、石垣の写真は撮りました。この、カーブの美しさ…うっとり
高浜虚子の句碑がありました。
「稲むしろあり 飯の山あり 昔 今」
これ、天守の天井。
高石垣が有名なお城ですが、予想以上に素晴らしかったです。
重要文化財の大手一の門が公開されていました。ラッキー
太鼓で時を知らせていたため、一の門は「太鼓門」とも呼ばれていたそうです。
こちらは一の門の天井。壮観ですね。
丸亀市には、脇差「にっかり青江」が収蔵されているので、大きな鏡石の前でにっかりさんと。
正面の小さい逆三角形の石がハート形と言われているようです。
四国旅行記(9)今治城 [┣百名城]
今治城へは、今治駅から徒歩で向かった。
あら、こんなところ(今治駅前)に、猿飛佐助さんが
歩いて城に向かっている時、一番興奮するのが、お城が見えた時なんですよね。
さあ、やってきました
堀に囲まれているので、地図で、入り口を確認して、ちょっとだけ近い方向から、ぐるっと回り込む。
到着
鉄御門(くろがねごもん)。
今治城は、典型的な海城で、堀には海水がひかれている。
フグも生息しているとか。
石垣の台座のように見える部分は、「犬走(いぬばしり)」。地盤の補強らしいです。
城を背景にした、築城の名手、藤堂高虎像。
こちら、正面。シルエットみたくなっちゃいましたね。
天守からの景色。堀の向こうにすぐ海がありますね。
高虎は城の完成と前後して伊勢に転封。この時に天守は取り壊されたとか。
養子の高吉(丹羽長秀の子)が城代となり、その後、紆余曲折があったものの2万石の大名として独立し、今治藩の藩主となった。高吉の転封後は、松平(久松)氏が明治維新まで藩主を務めた。版籍奉還の年に廃城。
天守+各隅の櫓を回るスタンプラリーなどして、結構楽しい訪問だった。
この日は丸亀まで移動して終了。
【四国グリーン紀行】4日間20,950円
【鳴門~徳島】360円
【徳島~高知】3,230円
+指定券(剣山 徳島~阿波池田)1,730円
+グリーン券(南風 阿波池田~高知)2,500円
【高知~宇和島】4,200円
+指定券(あしずり 高知~窪川)1,730円
【宇和島~伊予大洲】970円
+指定券(宇和海 宇和島~伊予大洲)1,290円
【伊予大洲~松山】970円
+指定券(宇和海 伊予大洲~松山)1,290円
【松山~今治】970円
+グリーン券(しおかぜ 松山~今治)2,060円
【今治~丸亀】2,130円
+グリーン券(しおかぜ 今治~丸亀)4,660円 計28,020円
グリーン紀行は、4日間の指定・グリーンOKチケットなので、この日で使用終了。7,070円お得な旅だったようです。四国フリーきっぷ(3日間)を使用した場合は、16,440円。この場合は特急券は別にかかる(自由席のみ利用可)ので、(徳島~高知 2,200円)(高知~窪川 1,200円)(宇和島~伊予大洲 530円)(伊予大洲~松山 530円)のと、4日目の運賃もかかるので、(松山~今治 970円+530円)(今治~丸亀2,130円+1,860円)となるので、合計で26,390円。 やはり、【グリーン紀行】の使用が大正解だったようです
四国旅行記(6)宇和島城 [┣百名城]
ホテルは宇和島駅前だったので、翌朝、チェックアウト時に荷物を預けて、宇和島城へ。
徒歩で行ける距離だったので、歩いてみました。
グーグルマップ様の指示通りに歩くこと15分くらいで、到着しました。こちらは、移築された家老・桑折(こおり)氏の武家長屋門。
宇和島城を築城したのは藤堂高虎。その後、伊達政宗の長男・秀宗が入城し、明治までこの地を統治したとのこと。天守は、2代藩主宗利によって建て直されたものが現存している。
こちらは井戸丸跡。なかなか大きなものが残っていた。
当時の石垣が残っていて、高石垣になっている。この位置で、藤堂高虎時代のものに、伊達時代のものが継ぎ足されているとか。(ナナメラインが繋がっているところ。)
こちらは伊達時代の隅石。わりと直角に近い立ち方ですね。
こちらが天守です。小ぢんまりしてて可愛いですね。国の重要文化財です。
天守からの風景。海が迫っていて、ここは海城でもある…と伝わります。
残念ながら望楼はないので、こんな隙間から見ています。
宇和島城は、戦争を経験していない城ではありますが、こののぞき窓の柱の作り方など、鉄砲や弓で狙いやすいように広角に切ってあるんですよね。
伊達の城なので、光忠くんにもお出まし願いました。
四国旅行記(4)高知城 [┣百名城]
桂浜から路線バスに乗り(MY遊バスチケットのおかげで無料)、南はりまや橋停留所で下車し、そこから徒歩で高知城に。
この「リョーマの休日」ぼんぼりがずっと城まで続いている。
「国宝高知城」横にも。
ちなみに、現在高知城は国宝に指定されていない。戦前に国宝に指定されていたのだが、戦後、国宝に指定された現存天守を持つ城は、5つだけ。でも、この石碑を外さないところに、高知城の意気込みが感じられる。
追手門。高知城は、日本で唯一、本丸の建築群がすべて現存している。見どころは盛りだくさん。
門扉。重厚です。
板垣退助の銅像。そういえば、岐阜城にも板垣退助の像があったが、出身は高知なんですね。
石樋。土佐は雨が多いので、このような樋を造って、雨が直接石垣を流れないように工夫がされている。
内助の功で有名な、山内一豊の妻像。馬と一緒というのも、なるほどね…という感じ。
見えてきました、天守です。
先に本丸御殿に。天守と本丸御殿、両方を備えている城は少ないが、どちらも現存となると…高知城すごい
この家紋は、「三つ柏」といい、山内家の家紋。なんとなくベンツのエンブレムにも似ているが、この紋と自分の家紋をアレンジして、高知出身の岩崎弥太郎が、三菱マークを作ったのだそうだ。
大河ドラマ「功名が辻」で、ヒロインの仲間由紀恵さんが着た衣装。
やはり、大河になるってのは、大きいんだな~。どこに行っても、大河ドラマの衣装がずっと飾られてる。
本丸は書院造になっているそうです。正面の書は、十五代藩主山内容堂による「夕暮曲」の複製とのこと。
さあ、天守行きます。
リアル石落とし。隠しちゃってる城も多い中、下が見える形で見せてくれているのは嬉しい。
天守からの景色。下の景色がすべて城内の景観を保っているのが素晴らしいです。
有名な龍馬の写真で、着ていた着物のレプリカ。
あまり暑かったので、アイスクリンをいただきました
ちなみに、土佐藩三代目藩主の山内忠豊の愛刀が「堀川国広」の刀だったそうなので、天守をバックに、堀川国広と一緒に撮影してみました。
城を出て、次の目的地に行く前に、腹ごしらえ。炙り鰹のタタキをいただきました。美味しかった~
四国旅行記(2)徳島城 [┣百名城]
今回の四国旅行、裏テーマは、「四国にある百名城をすべて回る」です。
というわけで、まず、徳島城へ。徳島城は、JR徳島駅から歩いて5分ほど。とりあえず、駅で荷物を預け、城に向かいます。
途中、どーもくんを発見
NHKって、お城の近くにあること、多いんですよね。
徳島城は、現在、ほとんど遺構のようなものが残っていなくて、スタンプを押した後、庭園に行きました。
よく手入れされていて、美しい庭園でした。
こちらは、徳島城のものと思われる鯱瓦だそうです。蜂須賀家の家紋(卍)がついていますね。
石垣と堀です。風情のある石垣ですね。
平成に復元された鷲の門。巽に位置する表口見附の門とのこと。
できるだけ、さくさく見て回ったけれど、ちょうどいい列車がなく、徳島で早めの夕食にしてから高知へ向かうことになった。車窓から大歩危峡などを見てみたいとも思っていたが、すべてを網羅するのは難しい。
こちら、徳島県で生産している藍を原料にしたビール。
美味しかったです。
すだちの素麺も爽やかで食が進んだ。
そして、たった7時間で徳島を後にして、高知へ。
乗換駅の阿波池田には、綺麗な月が…
月…三日月…というところで、お城に行ったら、ゆかりの刀剣男士とコラボした写真を撮っておくべきだった…と気づく
もう遅いので、持って行った蜂須賀ハンカチをバックに。
【鳴門~徳島】360円
【徳島~高知】3,230円
+指定券(剣山 徳島~阿波池田)1,730円
+グリーン券(南風 阿波池田~高知)2,500円 計7,820円
足利氏館(鑁阿寺) [┣百名城]
刀剣乱舞ファンの皆様は、よくご存じのことと思うが、今年、足利市市政100周年を祝い、様々なイベントが実施される中、“山姥切国広”が5年ぶりに公開されている。友人が抽選を当ててくれたので、我が初期刀(はじまりの一振り)に会いに行ってきたわけですが、足利市といえば、百名城でおなじみ、「足利氏館」もあるはすと、いそいそと、行ってきました(笑)
昨年末に行った武田氏館と同じように、現在は、鑁阿寺(ばんなじ)というお寺になっていました。(武田氏館は神社でしたが。)
「史跡 足利氏宅址」と書かれていますね。
すごく立派な境内でした。
この石碑と寺門の間に、川というか堀があり、ここが城だということを思い出させてくれる。
鯉がめちゃくちゃでかい
1197年の創建とのことで、800年以上の歴史あるお寺のようです。(得度した足利義兼が邸宅内に持仏堂を建てたのが始まりとのこと。)
年代を感じさせる門を抜けると、広大な境内が全容を現す。
本堂・鐘楼・一切経堂が国の重要文化財に指定されている。
一度落雷により焼失した後、禅宗様式に改修されているそうだけど、寺としては、真言宗大日派の本山となっている。
ということで、弘法様の銅像も。
私事ですが、うちの宗派も真言宗で、家紋が足利氏と同じなので、なんだか他人のような気がしません。
幟に書かれているのは、「南無大師遍照金剛」。真言宗のお葬式では、念仏としてこれを唱えるんだとか。
ここ、足利市のイメージキャラクターは、「たかうじくん」という名前で、それはもちろん、室町幕府初代将軍、足利尊氏がモデルになっているのだけど、尊氏が、ここ足利の地で生まれたかどうかは、疑問が残る。
尊氏の父である足利貞氏が、鑁阿寺本堂を禅宗様式に改修した記録は残っているので、まあ、可能性はゼロではない…ということで、よしとしますかね。
こちらが、その本堂。
本堂では、百名城のスタンプも押せるし、御城印も購入できるが、御城印が500円だった
しかも、サイズが微妙に大きくて、御城印帳に入らなかった…御城印は、御朱印と違って、全国一律のサイズの紙で、一律300円(スペシャル版などは高額販売可)と決まっていたはずなんだけどな…ま、城じゃなくて寺だからな…後城印出してくれてるだけ、有難いと思わないといけないのかも。
山姥切国広や、その他の足利観光記録は、別記事で記載します。
名護屋城 [┣百名城]
昨年10月に行こうと思っていて、ついつい島原城に行ってしまったため、あらためて、名護屋城に行ってきました
福岡の地下鉄空港線は、途中からJR筑肥線に繋がっていて、唐津まで行くことができる。今回は、隣の西唐津まで直通だったので、西唐津からバスで名護屋城に向かった。
バスは直通がない時間帯だったので、呼子経由。
こちら、呼子のバス停付近。
乗り換え時間がけっこうあったので、周辺を散策。もう少し時間があったら、このイカ丸で、七ツ釜の洞窟探検を楽しめたかも
もうひとつ、海中展望船ジーラというのもあって、こちらは、海面下の魚を覗ける半潜水型の展望船なんだとか。
また、呼子といえば、イカなわけですが、イカだけでなく、様々な海産物を扱う、呼子朝市というのがあるそうです。しかし、ここで新鮮な海産物を手に城に行くのは無理…ということで、おとなしくバス停で乗り換えバスを待っていました。
呼子からバスで名護屋城博物館前に向かう。
博物館で、百名城のスタンプを押してから、いざ、城跡へ。
肥前名護屋城は、豊臣秀吉が朝鮮半島へ出兵する際の陣城として築かれた城なわけですが、規模が…ハンパない
17万平方メートルの超巨大山城を、約半年の間で作り上げている。
そして、その周囲には、全国の大名の陣が…。もう、まるで、遷都レベル。
秀吉の強大な権力にあらためて感じ入る。
この碑が立っているのは、本丸跡。
その端の海側の部分に、かつては天守が築かれていた。
今は何もないので、この高さまで登ってくると、絶景が広がっている。
その絶景を見た時、石垣山城を見た時と同じ、「権力…」という言葉が浮かんだ。ここに天守を築き、武将たちが詰める陣の数々を眺め、秀吉は何を思っただろうか。
朝鮮半島への進出は、彼に、かつての小田原攻めの高揚を思い出させたりはしなかっただろうか。
穏やかな海を眺めながら、思いを馳せた。
舞台「刀剣乱舞 天伝」で、姜くん(姜暢雄)が演じた大野治長の陣は、この辺りにあったらしい。
各武将の陣についても細かく調査・発掘が進んでいて、徳川家康の陣など、いくつかは、訪ねることも可能。
全貌が明らかになるのは、何年後のことか、想像もつかないが、まだまだいろいろな発見がありそう。
文禄・慶長の役(豊臣秀吉による、朝鮮半島侵攻とその失敗)については、その無謀な計画について、どうしてこんなことが実行されたのか、とよく言われている。
でも、愚かな侵攻は、21世紀になっても止むことがない。我々は、少なくとも、「なかったこと」にせず、史料や遺跡を保存し続けることが大切だと思う。こうやって訪れる人々に、何かは伝わるはずだから。
こちら、天守の礎石跡です。
てか、この地に天守って、ほんとヤバい。
この高さだと、各陣は、あの辺に誰々の陣があったらしい…と、地図とにらめっこしながら…になるが、五層七階の天守からだと、陣のすべてが把握できると思う。
家康め、本気度が足りない
とか、一目でわかっちゃうというか…。
そして、海の向こうまで、我が物…と思わず勘違いしそうな絶景いつまでも、ここに立っていたい、美しい場所でした。
足元にも、櫓跡の姿が。
ここも、海が綺麗に見えます。
石垣も、立派なものが多い。
この木は、石垣の中に根を張っていて、たくましいなーと思ったので、写真におさめてみた。
やはり、秀吉の城は、石垣が立派ですね。
あと、金箔瓦も有名だったりするけど、名護屋城は、関ヶ原以降に破城とされ、建物はすべて破却されたので、そういう遺物は残っていない。
こちらは、池…ですかね。
秀吉の居城となった名護屋城には、秀吉の大好きな金色の茶室があり、今年にも、それが再現されるそうだけど、他の武将の陣にも、茶室や能舞台が普通に作られていて、けっこう、皆さん、当初は余裕のある戦争だったのかななんて思ってしまう。
実際に朝鮮半島に行ってからは、そりゃ悲惨だったそうですけどね。
いつか、朝鮮半島の倭城跡にも、旅してみたいな…。
武田氏館(武田神社) [┣百名城]
今年最後の百名城訪問は、武田氏館。
2021年は、武田信玄生誕500年の年だそうで、どうしても、今年のうちに訪問しておきたかったんですよね。
甲府駅前に、信玄公の銅像があります。
おおーと、盛り上がって記念撮影してたんですけど、この時点で、方向間違ってます信玄公は、南口降りたところに鎮座ましましてるんですが、武田氏館は、北口に降りなきゃいけなかったのです。
このまま、200メートルほど正反対の方向に行き、やっと誤りに気づきました。ありがとう、グーグルマップ先生
甲府駅から、武田氏館跡、現在の武田神社までは、だいたい2キロくらいあります。ただ、一直線なので、方向さえ間違えなければ、難しくはないです。
今回は、スタンプ仲間と一緒だったので、話しながら、歩いて向かいましたが、駅前からタクシーを利用してもいいと思います。バスもあるらしいです。
駅から目的地までは、ずーっと緩やかな登り坂なので、しゃべりながら…ということもあり、小一時間ほど歩いて、到着しました
立派な神社です。既に初詣用に準備が済んでいて、自動的に、初詣も済ませることになりました。
(混雑を避けるため、年末の参拝が推奨されているようです。)
車での参拝者用の駐車場案内も出ていて、きっと大勢の参拝客がいる神社なんだな~と実感しました。
ほら、干支がすでに「寅」です。
令和4年こそ平穏な日々が訪れますように…と、真剣にお祈りしてきました。
ここ、武田氏館、別名、躑躅ヶ崎館は、信玄の父、信虎によって建設され、城下町も作られていく。(それ以前は、石和が甲斐国の府中だった。)
以降、信玄、勝頼までの3代の間、当主の居館として存在していた。
御存じの通り、信玄の息子、勝頼の代で、甲斐の武田氏は滅亡する。滅亡後、河尻氏が甲斐を統治したと言われるが、ほどなく亡くなり、その後は、徳川家康が入府、一時は天守も築かれたそうだが、甲府城築城に伴い、躑躅ヶ崎館は、その使命を終えることとなった。
立派な能舞台発見
百名城のスタンプはこちらにありました。
無事、52個目のスタンプを押し、ホッとする。
甲陽式能殿と書いてありますね。
以前、大晦日に、佐倉城に行ったことがありましたが、その時も、冬だというのに、とても暖かい日でした。
運よく、この日の甲府も暖かい日で、風もなくて、2キロ歩いたせいか、コートを着てると汗をかくくらいになってました。
まだまだ時間があるので、その勢いのまま、信玄公のお墓に行くことに。
さらに1キロ弱歩いたところに、ポツンとお墓がありました。
信玄公の遺体を火葬した場所とも書いてあって、実際に遺骨があるのは、ここではないのかな
お墓前の看板によると、信玄公没後200年の江戸時代に、石棺が発見され、そこに、「法性院機山信玄大居士・天正元年癸四月十二日薨」とあったので、もとのように埋めて幕府に届け出たため、そこが信玄の墓所と定めた…となっているので、それによれば、お骨がありそうです。
生誕500年のお祝いを言ってきました。
もう2時を回るくらいになったので、駅に戻ったところで、駅ビルに入り、“ほうとう”をいただきました。
暖かい一日だったけど、おいしくいただきました
すっかり温まったので、信玄餅ソフトもデザートにいただきました。
うわ~
幸せの味~
帰りの特急かいじの出発まで、まだ十分時間があったので、再び、甲府城にも行ってきました。
例の天守台へのいたずら書きの痕も見ました。ショックでした。
なので、可愛い子を見て、気持ちをアゲたいとおもいます。
このかっこいい天守台にいたずらなんかする子は、加州からお仕置きだぞ~
来年も、いっぱいお城に出会えますように。
島原城 [┣百名城]
博多座公演「川霧の橋/Dream Chaser」が本当に良くて、ちなつちゃん(鳳月杏)の2番手羽根も違和感がなく、その高揚感のまま、ちなつちゃんが演じた松倉勝家の居城、島原城に行くことにした。唐突に。もちろん、お城に行くことは決めていたのだが、ぶっちゃけ、名護屋城の予定だったのだ。もし、最初から島原城にしていたら、帰りの便は、長崎空港からにしてたよね。いや…自分で決めたこととはいえ、往復、大変でした…
博多から特急かもめに乗って、諫早で、島原鉄道に乗り換え。
諫早から島原までは、片道1460円と調べていたのだが、土日は、島原の鉄道・バス・フェリー乗り放題の「1日乗車券」(2000円)を販売しているらしい。
往復で、1000円近くお得でした
島原鉄道は、ディーゼル機関車で、諫早から島原まで、だいたい1時間強。
途中、大三東(おおみさき)駅で、海を撮影。
駅のホームから、何も遮るものなく海が見える…という「日本で一番海に近い駅」が売りらしい。残念ながら、干潮時だったので、海はちょっと遠く見える。島原駅の改札には、大三東駅満潮時間の看板がかかっていた。満潮時は、すごい景色なんだろうなぁ~
ちなみに、これ、乗ってる車両の窓から撮影したもの。(撮影の時だけ、窓を開けました。)
こちらが、町おこしの一環で、車両の色に因んだ「幸せの黄色いハンカチ」。駅には、黄色いハンカチガチャ(自販機)があって、文字を書いて掲げることができるらしい。
1両編成の車で、イマドキ、向かい合わせ4人掛け席(固定)もあったりするけど、ご時世なのか、多くても対角線に二人が座る…みたいな感じだった。
私は、最初、乗った席が後ろに進む席だったので、途中、空いたところで、反対側の誰も座っていない席に移動。すると、ラッキーなことに、そっち側が海だった。
4人掛けに一人座りだったので、大三東駅にで窓を開けて撮影できたし、色々、幸運だったと思う。
そこから進むこと、10分くらいで、島原駅に到着。
徒歩5分と書かれていたので、歩いて、島原城へ。
あ、ほんとにすぐ見える
近づいてきました。
え、何ですか、これ。なんか、天下の城的な雰囲気じゃないですか
石垣も高い
それもそのはず、現在、日本にある天守の中で、現存天守&再建天守の高さランキングをすると…
1位 大阪城
2位 名古屋城
3位 島原城
4位 熊本城
5位 姫路城(現存天守)
6位 小倉城
という順になるんだとか。(あ、全部、行ってる…)
4万石の松倉さんが、どうして、このランキング…
そりゃ、一揆も起きるよね…そりゃ、最後は、打ち首にもなるよね…
33メートルの天守からの見晴らし、サイコーでした海の向こうに見えるのは、熊本県だそうです。
お天気も良くて、まあ、ぶっちゃけ、名護屋城に行っても、サイコーの景色だったろうな…とは、思いつつ
というのもですね…築城した、御父上、松倉重政のことは、まだ、記載があるのですが、ここ、島原城には、「松倉勝家」の名は、どこにも記載がないのですわ
4万石の大名でありながら、反乱惹起の責任を追及され、改易、逮捕、斬首されるって、城の歴史から抹殺されるほどのことだったんだね。
出迎えてくれた武将隊のお姉さんに、「松倉勝家のファンです」って言わなくてよかったよ…
ということで、こちらは、後ろに控える眉山(まゆやま)。美しいですね。
こちら、天草四郎さんです。
なんか、どこかで見たような顔してませんか
実は、この彫刻、あの、長崎の平和祈念像の作家、北村西望氏の手になるものなのだとか。お城には、西望記念館も併設されている。(巽櫓が記念館に転用されている。)
ちなみに、織田信長像も、設置されていました。
島原城には、あまり関係ないと思うけど。
いつも、城を訪れると時間が経つのを忘れてしまい、城内を走り回ってしまうのだが、島原城はコンパクトで、1時間くらいで、回り終えてしまった。
九州在住の友人からのアドバイスにより、お昼は、具雑煮でおなじみの“姫松屋”さんに行ってみるが、まだ正午になっていないのに、けっこうな列ができていた。
がーん
そこで、甘味処として教えてもらった“速魚川(はやめがわ)”さんを探してみる。姫松屋さんは、島原城の入り口前にあるのだが、速魚川さんは、ちょっと離れたところにあるので。でも、グーグルマップ様のおかげで、わりとすぐに見つけることができた。
デザートだけかなと思ったら、普通にお食事も提供しているお店だった。さらに、数量限定で、「具雑煮」も出しているとのこと。
こちらが、具雑煮。
アナゴが入ってましたね。鶏肉も。
外はかなり暑かったので、中庭に面している席に座って、はふはふしながら、いただきました
おいしい
食後は、こちらも、友人のおススメメニューである、「かんざらし」をいただきました。
白玉粉で作った小さな団子を、島原の湧水で冷やし、ハチミツと砂糖で作ったシロップをかけたもの。
シンプルで、甘すぎず、素朴な味わい。
幸せな時間だった。
いい感じで島原駅まで戻り、駅前の石像を。
そか、「島原の子守歌」という名曲もありましたね。
土曜日は、ホテルの部屋でサンドイッチというさびしい食生活でしたが、島原で復活。
空港では、ヤリイカ定食をいただきました。
大満足。
城というより、グルメ記録になってしまいましたが、やっぱり、九州大好きだ~
岩国城 [┣百名城]
2014年6月、名古屋城から始めた「日本百名城」めぐり、今回、ちょうど中間点、五十番目の登城を達成しました記念すべき50番目のお城は、山口県の岩国城、吉川広家が築城した山城です。
山口県といいつつも、JR広島駅から1時間くらいで岩国駅に到着。山陽線は本数も多く、岩国駅はターミナル駅として機能している。
岩国城に行くには、錦帯橋行のバスに乗って15分、そこからロープウェイに乗るとのこと。錦帯橋行のバスは、直通のものと路線バスがあるが、ちょうど路線バスがいたので、そのまま乗車した。
錦帯橋バスターミナルに到着し、バスを降ろされると、一瞬、どこに行けばとなるのだが、道路の方に出ると、左手に、すぐ錦帯橋が見えた。
そして、山の方に目を転じると、頂上近くに、かすかに城らしきものが…超山城
その時点の位置関係は、こちらの図の通りです。目の前に川があって、左手に錦帯橋、右手に鉄の橋が見え、ロープウェイに行くには、鉄の橋を渡った方がいいように見えたんですね。
あと、「錦帯橋を渡ると錦帯橋が見えない」ということもあり、右側の鉄の橋を渡ることに決めた。
しかし、これから行かれる方にアドバイスするなら、錦帯橋を渡った方がいいかも…と思います。というのは、錦帯橋とロープウェイと岩国城のセット券が販売されているから。
ロープウェイを降りて、お城でそのことを聞かされても、もう、後戻りはできないし、セットものをバラで買ってしまった悔しさもあり、帰りも鉄の橋を渡った私…いつかリベンジしたいと思います
というわけで、鉄の橋を渡りながら、眺めた錦帯橋がこちらになります。
錦帯橋は、松島や、天橋立などとともに、大正11年に国の最初の名勝に指定され、昭和25年の文化財保護法によってあらためて名勝に指定されているとのこと。
完全に負け惜しみになりますが、この橋を渡りながら、「やだ、渡りづらい…」とか、友人と話しながら渡る方がきっと楽しいと思うので、いつか、普通に旅行ができるようになったら、リベンジしたいと思います
鉄の橋を渡り、ロープウエイに行く地図を探していると、この辺に佐々木小次郎の銅像があるとわかったので、探してみました
いた
待ちぼうけみたいな感じで可愛いそして、ほんとに刀が長い(こんなに刀が長かったら、そりゃ鞘は捨てるやろ…)
ロープウェイに乗ると、岩国城までは、スロープの舗装された道or山道、どちらのコースでも8分くらいで岩国城に到着する。
岩国城は、1600年、関ヶ原の年に、この地に転封になった吉川広家によって築城された。
その後、1615年の一国一城令によって廃城となり、天守等は破却された。
この天守は、1962年に復元されたもの。
いや、もう天守自体が山頂にあるので、見晴らしは絶景でした
美しい…
遥かに岩国基地や、遠くの島々が見えます。
右中央には、錦帯橋と鉄の橋が並行して見えますね。(やっぱり鉄の橋の方が近いのよ…)
天守の中は、展示になっていることが多いのですが、岩国城天守は、やたらと刀(など武器)が多かったです。
あと、日本中の様々なお城の写真が展示されていたのですが、ほぼ8割くらいは、私が訪れたお城でした百名城だけでなく、続百名城もあって、私、まだそちらは6城くらいしか制覇していないのですが、そのうち5城は入っていたし、たぶん、岩国城の展示担当者の方と、私は気が合うのではないかと思います(笑)
さて、この復元天守、そもそも天守のあった場所よりは30メートルくらいせり出しているそうで、その理由は、「下からの景観」だとか。冒頭の写真を見て、納得
というわけで、かつての天守台は、そのままの形で復元されている。穴太衆(あのうしゅう)による見事な野面積の天守台、かっこいいです。
こちらは、「大釣井」と呼ばれる井戸の跡で、築城の時に造られたものだそうです。
井戸としての役割だけでなく、武器庫、脱出路としての役割も担っていたとか。
ということは、今同様、当時も、空井戸であった可能性もあるわけね。
などと納得しつつ、下山してきました。
ここが、帰りのバスを待つ場所なのですが、「道の駅」ならぬ「橋の駅」なんですね
記念すべき五十城目も楽しい旅でしたが…できれば、リベンジしたい城には関係ないけど、錦帯橋を渡りたいっ