名護屋城 [┣百名城]
昨年10月に行こうと思っていて、ついつい島原城に行ってしまったため、あらためて、名護屋城に行ってきました
福岡の地下鉄空港線は、途中からJR筑肥線に繋がっていて、唐津まで行くことができる。今回は、隣の西唐津まで直通だったので、西唐津からバスで名護屋城に向かった。
バスは直通がない時間帯だったので、呼子経由。
こちら、呼子のバス停付近。
乗り換え時間がけっこうあったので、周辺を散策。もう少し時間があったら、このイカ丸で、七ツ釜の洞窟探検を楽しめたかも
もうひとつ、海中展望船ジーラというのもあって、こちらは、海面下の魚を覗ける半潜水型の展望船なんだとか。
また、呼子といえば、イカなわけですが、イカだけでなく、様々な海産物を扱う、呼子朝市というのがあるそうです。しかし、ここで新鮮な海産物を手に城に行くのは無理…ということで、おとなしくバス停で乗り換えバスを待っていました。
呼子からバスで名護屋城博物館前に向かう。
博物館で、百名城のスタンプを押してから、いざ、城跡へ。
肥前名護屋城は、豊臣秀吉が朝鮮半島へ出兵する際の陣城として築かれた城なわけですが、規模が…ハンパない
17万平方メートルの超巨大山城を、約半年の間で作り上げている。
そして、その周囲には、全国の大名の陣が…。もう、まるで、遷都レベル。
秀吉の強大な権力にあらためて感じ入る。
この碑が立っているのは、本丸跡。
その端の海側の部分に、かつては天守が築かれていた。
今は何もないので、この高さまで登ってくると、絶景が広がっている。
その絶景を見た時、石垣山城を見た時と同じ、「権力…」という言葉が浮かんだ。ここに天守を築き、武将たちが詰める陣の数々を眺め、秀吉は何を思っただろうか。
朝鮮半島への進出は、彼に、かつての小田原攻めの高揚を思い出させたりはしなかっただろうか。
穏やかな海を眺めながら、思いを馳せた。
舞台「刀剣乱舞 天伝」で、姜くん(姜暢雄)が演じた大野治長の陣は、この辺りにあったらしい。
各武将の陣についても細かく調査・発掘が進んでいて、徳川家康の陣など、いくつかは、訪ねることも可能。
全貌が明らかになるのは、何年後のことか、想像もつかないが、まだまだいろいろな発見がありそう。
文禄・慶長の役(豊臣秀吉による、朝鮮半島侵攻とその失敗)については、その無謀な計画について、どうしてこんなことが実行されたのか、とよく言われている。
でも、愚かな侵攻は、21世紀になっても止むことがない。我々は、少なくとも、「なかったこと」にせず、史料や遺跡を保存し続けることが大切だと思う。こうやって訪れる人々に、何かは伝わるはずだから。
こちら、天守の礎石跡です。
てか、この地に天守って、ほんとヤバい。
この高さだと、各陣は、あの辺に誰々の陣があったらしい…と、地図とにらめっこしながら…になるが、五層七階の天守からだと、陣のすべてが把握できると思う。
家康め、本気度が足りない
とか、一目でわかっちゃうというか…。
そして、海の向こうまで、我が物…と思わず勘違いしそうな絶景いつまでも、ここに立っていたい、美しい場所でした。
足元にも、櫓跡の姿が。
ここも、海が綺麗に見えます。
石垣も、立派なものが多い。
この木は、石垣の中に根を張っていて、たくましいなーと思ったので、写真におさめてみた。
やはり、秀吉の城は、石垣が立派ですね。
あと、金箔瓦も有名だったりするけど、名護屋城は、関ヶ原以降に破城とされ、建物はすべて破却されたので、そういう遺物は残っていない。
こちらは、池…ですかね。
秀吉の居城となった名護屋城には、秀吉の大好きな金色の茶室があり、今年にも、それが再現されるそうだけど、他の武将の陣にも、茶室や能舞台が普通に作られていて、けっこう、皆さん、当初は余裕のある戦争だったのかななんて思ってしまう。
実際に朝鮮半島に行ってからは、そりゃ悲惨だったそうですけどね。
いつか、朝鮮半島の倭城跡にも、旅してみたいな…。
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