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武田氏館(武田神社) [┣百名城]

今年最後の百名城訪問は、武田氏館。
2021年は、武田信玄生誕500年の年だそうで、どうしても、今年のうちに訪問しておきたかったんですよね。


甲府1.jpg甲府駅前に、信玄公の銅像があります。
おおー[exclamation×2]と、盛り上がって記念撮影してたんですけど、この時点で、方向間違ってます[あせあせ(飛び散る汗)]信玄公は、南口降りたところに鎮座ましましてるんですが、武田氏館は、北口に降りなきゃいけなかったのです。
このまま、200メートルほど正反対の方向に行き、やっと誤りに気づきました。ありがとう、グーグルマップ先生[もうやだ~(悲しい顔)]


甲府駅から、武田氏館跡、現在の武田神社までは、だいたい2キロくらいあります。ただ、一直線なので、方向さえ間違えなければ、難しくはないです。
今回は、スタンプ仲間と一緒だったので、話しながら、歩いて向かいましたが、駅前からタクシーを利用してもいいと思います。バスもあるらしいです。


甲府2.jpg


駅から目的地までは、ずーっと緩やかな登り坂なので、しゃべりながら…ということもあり、小一時間ほど歩いて、到着しました[exclamation]
立派な神社です。既に初詣用に準備が済んでいて、自動的に、初詣も済ませることになりました。
(混雑を避けるため、年末の参拝が推奨されているようです。)
車での参拝者用の駐車場案内も出ていて、きっと大勢の参拝客がいる神社なんだな~と実感しました。


甲府3.jpgほら、干支がすでに「寅」です。


令和4年こそ平穏な日々が訪れますように…と、真剣にお祈りしてきました。


ここ、武田氏館、別名、躑躅ヶ崎館は、信玄の父、信虎によって建設され、城下町も作られていく。(それ以前は、石和が甲斐国の府中だった。)
以降、信玄、勝頼までの3代の間、当主の居館として存在していた。
御存じの通り、信玄の息子、勝頼の代で、甲斐の武田氏は滅亡する。滅亡後、河尻氏が甲斐を統治したと言われるが、ほどなく亡くなり、その後は、徳川家康が入府、一時は天守も築かれたそうだが、甲府城築城に伴い、躑躅ヶ崎館は、その使命を終えることとなった。


甲府4.jpg立派な能舞台発見[exclamation×2]


百名城のスタンプはこちらにありました。
無事、52個目のスタンプを押し、ホッとする。
甲陽式能殿と書いてありますね。


以前、大晦日に、佐倉城に行ったことがありましたが、その時も、冬だというのに、とても暖かい日でした。
運よく、この日の甲府も暖かい日で、風もなくて、2キロ歩いたせいか、コートを着てると汗をかくくらいになってました。


まだまだ時間があるので、その勢いのまま、信玄公のお墓に行くことに。
さらに1キロ弱歩いたところに、ポツンとお墓がありました。


信玄公の遺体を火葬した場所とも書いてあって、実際に遺骨があるのは、ここではないのかな[exclamation&question]
お墓前の看板によると、信玄公没後200年の江戸時代に、石棺が発見され、そこに、「法性院機山信玄大居士・天正元年癸四月十二日薨」とあったので、もとのように埋めて幕府に届け出たため、そこが信玄の墓所と定めた…となっているので、それによれば、お骨がありそうです。


甲府5.jpg


生誕500年のお祝いを言ってきました。


甲府6.jpgもう2時を回るくらいになったので、駅に戻ったところで、駅ビルに入り、“ほうとう”をいただきました。
暖かい一日だったけど、おいしくいただきました[黒ハート]


すっかり温まったので、信玄餅ソフトもデザートにいただきました。


甲府7.jpgうわ~[黒ハート]
幸せの味~[るんるん]


帰りの特急かいじの出発まで、まだ十分時間があったので、再び、甲府城にも行ってきました。
例の天守台へのいたずら書きの痕も見ました。ショックでした。


なので、可愛い子を見て、気持ちをアゲたいとおもいます。


甲府8.jpgこのかっこいい天守台にいたずらなんかする子は、加州からお仕置きだぞ~[ちっ(怒った顔)]


来年も、いっぱいお城に出会えますように。


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