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山中城 [┣百名城]

日本百名城のひとつ、山中城に行ってきました[exclamation×2]


山中城ー1.jpgJR三島駅で下車すると、美しく雪をかぶった富士山が出迎えてくれた。


目指す山中城は、この三島駅から、バスで30分以上(途中から山道に入る)揺られた先にある。なかなか、そんなところまで行く人は少ないだろうと思っていたら、同じバスを山中城跡で下車した方は、片手を超える人数…同好の士が増えてる感[黒ハート]


山中城は、関東の雄、北条氏の城。
秀吉の小田原攻めの時、秀吉軍の総攻撃を途中で迎え撃つために整備された。しかし、増築が未完成のまま、四万の豊臣勢が押し寄せ、わずか半日で落城したとのこと。


山中城ー2.jpg山中城の大きな特徴は、石垣が一切ない、土塁の城であるということ。
冬なので、こんな景色。
春~夏は、緑の芝生とツツジなどの花が美しいそうだが、小田原攻めを迎え撃った頃は、すべて土だけ。
関東の土は、皆さんおなじみ「関東ローム層」なので、めちゃめちゃ滑る。
こんなに細かく空堀を掘られたのでは、戦意喪失間違いなし。


もうやだーと思って、周囲を見渡すと、これが絶景なんですよ。思った以上の勾配に、しょっぱなからグロッキー気味になりつつ、空を仰ぐ私でした。


山中城ー3.jpg右の方、土が剝き出しになっているのが、わかるでしょうか?よく滑るだろうな~[爆弾]


左側に浮き出しているのは、畝状に残された部分です。
もう、ほぼほぼ、畝堀と障子堀しかない[exclamation×2]


半日で落城したのは、四万VS四千の数の論理だけで、豊臣軍も、この空堀群には、だいぶ犠牲者を出したのではないだろうか。


あ、もちろん、すべての場所が、凸凹しているわけではなく、城としての機能もいろいろ残っている。


山中城ー4.jpgこちらは、馬出(うまだし)です。
奥側の盛り土が角になってますよね。武田氏は丸馬出ですが、北条氏は角馬出なんですね。
どちらも一長一短あるらしいです。


山中城ー5.jpgこちらは、絵に描いたような、畝堀。
ここに落ち込んだら、矢で射られなくても、這い上がれずに死ぬわ…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


百名城を巡るようになって、次は、どこの城に行こうかな…と、わくわくポケットガイドを見始めた頃から、山中城は気になっていたのですが、来てみたら、想像以上にえげつなかったです[たらーっ(汗)]


山中城ー6.jpgそんな、畝堀のど真ん中に、この石柱。
これぞ、山中城ってことなんでしょうか[exclamation&question]


山中城ー7.jpg西櫓(左側)から向かい側に向けて橋が架けられていたらしい、跡が残っているようです。
味方は、橋の上から、足元の障子堀に落ちた敵を狙い撃ち…[右斜め下][右斜め下][右斜め下]
恐ろしいわ[もうやだ~(悲しい顔)]


山中城ー8.jpg


ぐるっと回り込んだ先に本丸。
不思議なのは、本丸からは、富士山が見えないこと。本丸に城主が住むんだと思うのだけど、富士山、見なくてよかったのかな[exclamation&question]


山中城ー9.jpg富士山が見えない本丸側の景色は、こんな感じ。
普通の山城なら、十分な景色ですけどね。


道路の反対側にある岱崎出丸の御馬場堀というのが、こちらです。
山中城ー10.jpgこれも一種の畝堀ですね。


山中城ー11.jpgここからは、富士山がよく見えます。
岱崎出丸には、一ノ堀という最大の畝堀があったらしいのですが…なぜか、そこをスルー(反対側の道を普通に歩いていた)した私…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]これを書くに当たって、地図を見ていて気付いた…[もうやだ~(悲しい顔)]


山中城ー12.jpg岱崎出丸の裏側には、箱根旧街道が。ここを秀吉軍は行軍してきたんですね…[爆弾]


バスは1時間に1本しかない。
三島駅からは毎時15分に出発、山中城跡からは毎時40分に出発。
私が来た時、同じバスだった皆様は、同じバスに乗って三島に向かっていった。滞在時間は、2時間弱かな。


山中城ー13.jpg三島駅に着いたら、もう1時を回っていたので、お寿司を一気に平らげました[わーい(嬉しい顔)]


 


 


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岐阜城 [┣百名城]

今年最後になる…かな[exclamation&question]岐阜城に行ってきました。


岐阜城ー1.jpg名古屋から、東海道線で岐阜に行き、バスで岐阜公園まで15分くらい…かな[exclamation&question]久しぶりに、駅から路線バスで城に向かいました(笑)歩いて30分くらいだったら、歩いちゃうことが多いので。途中、柳ヶ瀬という停留所があり、これが、かの「柳ヶ瀬ブルース」の柳ヶ瀬[exclamation&question]と、きょろきょろしちゃいました。(昔は、大きな歓楽街があったのだとか。)


岐阜城ー2.jpg岐阜公園に足を踏み入れると、なにやらフロックコートを着た男性の銅像が…。
よく見たら、「板垣退助遭難の地」と書いてある。自由民権運動でおなじみの板垣退助が、この辺で暴漢に襲われて負傷したのだとか。例の「板垣死すとも自由は死せず」と言った事件ですね。傷自体は全治10日くらいのものだったようで、板垣さんは、82歳の天寿を全うし、大正時代まで生きたみたい。


岐阜公園の中に、岐阜城に向かうロープウェイがあり、(歩いて登山道を登る道もある)3分くらいで金華山の山頂に到着。
岐阜城ー3.jpg山頂近くにあったのが、こちらの福閻魔堂。閻魔堂とあったので、10円(縁遠いように)を入れたのですが、実は、魔を祓ってくれる福閻魔だったそうで…失敗したかも[あせあせ(飛び散る汗)]


岐阜城ー4.jpgそして、早くも、岐阜城天守が見えてきました。素晴らしい景観[exclamation×2]
さすが、天下の山城だけあって、ロープウェイを降りてからも、登り道が続きます…[あせあせ(飛び散る汗)]ちょっとだけ、甘く見ていたかも…。
こういう時、一人旅はつらい…。自分で自分を鼓舞しながら、ひたすら無言で歩く…修行のような時間が10分ほど続いたでしょうか。ようやく目的地がハッキリと見えてきました。


岐阜城ー5.jpg雲ひとつない晴天の中、一気に階段+坂を登ってきたので、コートの中にうっすらと汗をかいている状態。12月だってのに。もちろん、マフラーはとっくに外しております。


岐阜城ー6.jpg天守閣の中は、岐阜城の歴史や信長関係のレプリカが効果的に配置されていて、すごくセンスいいな…と思いました。
子供が見ても分かりやすい解説と、インパクトのある配置(階段を上った先に信長公の木像が置かれていたり…)で、飽きさせない。
そして、最上階から望楼に出ると岐阜の町が一望できる。さすが、斎藤道三、織田信長が居城にした金華山(稲葉山)。
天井画は、ご覧の通り、龍と麒麟。そういえば、来年の大河ドラマは、「麒麟がくる」でしたね。
(岐阜公園に大河ドラマ館ができるそうです。)


岐阜城ー7.jpg岐阜の山々。
なんだか、街のすぐそばまで山が迫っているんですね。
手前にあるのは、鵜飼でおなじみの長良川。砂州が多くて、それほど広い河ではないように思いました。


岐阜城ー8.jpg麓には、信長の居館跡が。
現在も発掘中とのことで、信長時代だけでなく、稲葉山城時代…つまり、斎藤道三の時代の遺跡も発掘されているとのこと。


岐阜城ー9.jpgここは、帰蝶(濃姫)の部屋跡とのこと。
左の隅にある三重塔は、大正天皇の即位を記念して創られたものなので、帰蝶が眺めていた景色ではないです。
ただ整地されただけの場所を眺めながら、ひらひらと舞っていたちゃぴの帰蝶をふと思い出してしまいました。


岐阜城ー10.jpgこちらが、その三重塔。
ロープウェイからも見えるのですが、降りてからゆっくりと見に行きました。優雅で綺麗な塔ですね。
明治神宮や築地本願寺を設計した伊東忠太氏の設計になるものだそうです。


岐阜城ー11.jpg名古屋駅に帰ろうと、駅のホームに立った時、黄金の信長さんを発見[exclamation×2]これ、撮影してくればよかった…無念[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


 


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松坂城 [┣百名城]

百名城を訪ねる旅に行ってきました。


が…行きの新幹線の中で、ツイッターのニュースに、言葉を失いました。


百名城のNo.100、首里城が…[もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)]


本当に、いつまでも、あると思うな、百名城。ひとつひとつの出合いが、一期一会。大切に巡らなくては…と、あらためて感じる事件でした。
早々に必ず復元させる[exclamation]と力強く宣言された玉城デニー知事、そして、次々と表明される寄附の声…私もおよばずながら、協力したいと、心に誓ったのでした。


松坂城‐1.jpg今回は、名古屋まで新幹線で行き、そこから在来線に乗り換えて、松阪まで。途中、夜間工事の終了時間が遅れたことにより、到着時間が遅れたり…というアクシデントもあったけど、無事、松阪駅に到着。
駅から城までは、約15分とのことで、歩いて城まで。
駅からの道のりは、鳥取に近い感じでアーケード通りを延々と歩いていく。途中から民家の間を進む。ほんとにここで大丈夫かな[exclamation&question]と、不安になったあたりで、石垣が見えてきた[exclamation×2]


松坂城‐2.jpgスタンプは、松坂城に隣接する「本居宣長記念館」の入口に設置されていた。入館しなくてもスタンプは押せるものの、本居宣長にも興味があるので、もちろん入館。


松坂城‐3.jpgそれほど期待していなかったのだが、めっちゃ嵌まりました。
本居宣長、ハンパない。
てか、オタクだ[exclamation]
「源氏物語」が好きすぎて、二次創作しちゃうとか、どうしてそういうこと、教科書で教えてくれなかったの[exclamation&question]


本業は医者。
記念館の隣に宣長が12歳から72歳まで住んでいた住居が保存されていて、こちらは、入口を入ってすぐのところ。
自宅で開業していて、西洋医学ではなく、薬箱ひとつでお仕事をしていたみたい。店の間は明るいが、奥の部屋は暗くて、でも、研究は暗い方の部屋で、夜やっていたようだ。


松坂城‐4.jpg宣長に興味が膨らみすぎて、危うく城を忘れるところだった。


松坂城は、蒲生氏郷が天正16(1588)年に築城した平山城。三層の天守と多数の櫓がそびえていたらしいが、現在、建物は何もない。が、ものの、石垣は相当保存されている。
石垣があれば、ここが虎口なんだな…とわかるので、建物なくても大丈夫[るんるん]


しかも、ここ、ただの石垣ではない[exclamation×2]


松坂城‐5.jpg見よ、この文字を[exclamation×2]
(字が小さいか…)
「刀剣乱舞FILMED HERE!!」ですよ[exclamation×2]もう、私にはこれがただの石垣には見えない。
この前で、三日月宗近さまが微笑んでいるようにしか見えない[exclamation×2]
(本居宣長の妄想力が私にも宿ったらしい…)
主にアクションシーンで使用されていたそうなので、あのシーンかな[exclamation&question]このシーンかな[exclamation&question]と、想像を(妄想を)巡らしながら、石垣を熱く見つめてきました。


松坂城‐6.jpg天守はないものの、天守台はありました。
天守台にも登ったけど、上は、けっこうな広さがあったので、さぞ立派な天守があったんじゃないか…と思います。


ほかにも多数の櫓があった…と、先ほど書いたが、そのひとつ、「月見櫓」は見晴らしのいい位置にあり、いざという時は物見櫓にもなるだろうな…という感じ。
そこに、作家・梶井基次郎の文学碑がある。


松坂城‐7.jpg「城のある町にて」という小説に、この松坂城が出てくるのだそうだ。
松阪は、文学的な街でもある…ということね。


松坂城‐8.jpg最初に立てたスケジュールでは、10時前に松阪に着き、12時半過ぎに松阪を出発する予定で、片道徒歩15分だから、城に2時間か…時間持つかな…などと考えていた。
足りなかった…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
こちらは、御城番屋敷。どうやら米蔵だったようで、県指定の有形文化財。てか、松坂城関係の唯一現存する建物…[ぴかぴか(新しい)]
その他、武家屋敷を住民の方が公開されているところもあったのに…時間がなくてしっかり見られなかった[もうやだ~(悲しい顔)]


松坂城‐9.jpgでも、急いでもゴハンだけは忘れないのだった…[あせあせ(飛び散る汗)]


やっぱり、松阪まで来たら、松阪牛よね。
奮発して、いただきました[黒ハート]
松阪牛をいただくと、証明書も付けてもらえるのです。今回、テーブルに乗っているのは、生前「ままな号」と呼ばれていたそう。そんな風に証明書をいただいてしまうと、絶対に残せないですね…[爆弾]
美味しくいただきました。ありがとう、ままな号[exclamation]


松坂城‐10.jpg駅に着くと、なにやら「鈴」のモニュメント。特に由来などは書かれていなくて唐突なのだが、本居宣長が鈴のコレクターだったことと関係あるのかな[exclamation&question]
なんて、思ってしまった私は、松阪市に来て、すっかり本居宣長に心を奪われてしまったようだ。城好きから、神話好きに転身するかもしれません[爆弾]


 


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津山城 [┣百名城]

鳥取に一泊し、翌朝、一路津山へ。


津山城‐1.jpg鳥取から津山(岡山県)に行くには、けっこう綱渡り的な乗換を行って2時間ほどの道のり。そうじゃないと4時間くらいかかったり…[あせあせ(飛び散る汗)](電車の本数が極端に少ないのです。車だとさくさく行けそうな感じでした。)


津山も快晴[晴れ]
そんな津山市は、B'zの稲葉さんの出身地なのだそうです。駅前にでかい看板[黒ハート]


帰りは岡山駅まで行って新幹線の予定だったのですが、こちらも乘れる列車が限られているため、城まで徒歩15分とのことでしたが、時間短縮を狙ってタクシー利用。
まさかの「津山城」が通じなくて驚きました…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


津山城‐2.jpg実際、お城に行ってみれば、無人ということもなく、おそらく駅から近いので、皆さん歩かれるのでしょう[わーい(嬉しい顔)]


津山城は、森忠政が1604年に起工し13年の歳月をかけて築いた輪郭式の平山城。森忠政は、かの森蘭丸の弟。忠政自身は、豊臣秀吉、後に徳川家康に仕えている。


津山城‐3.jpg江戸初期の城ということで、まだまだ、防護機能重視の築城となっていて、クランクの多い城でした。
そして、常に階段を昇っていたような…[あせあせ(飛び散る汗)]


明治の廃城玲により、天守・櫓などが破却され、再建された備中櫓以外、これといった建物もないが、石垣は、しっかりと往時の面影を残してくれている。


津山城‐4.jpgこの辺なんか、クランクというか、虎口の連続な雰囲気が伝わるのではないだろうか[exclamation&question]


津山城‐5.jpg逆に、これはギャグなの[exclamation&question]と驚いたのが、天守台にある「愛の奇石」。


一応、ハート型という売りで、この奇石に触れたカップルは恋が成就すると言われているんだそうです…てか、誰が言ってるんだよ[exclamation&question]
本当に、ハートと言っていいのか[exclamation&question](中央のちょっと黒っぽい石のことです[exclamation]


津山城‐6.jpgこちらが、再建された備中櫓です。一応、中を見学することもできます。(百名城のスタンプはここで押します。)


津山城‐7.jpgこの石垣は、急な勾配が美しいと思って撮影してみました[黒ハート]


隅石のライン(ややカーブしている)が完璧に美しい…[揺れるハート]


滞在時間が限られているので、やや駆け足で移動することになりました。詳細は、いつか、写真帳にアップしたいと思います。


津山城‐8.jpgそんな津山は、高瀬舟という小さな舟で、吉井川を行き来し、瀬戸内と交易をしていたようです。
その吉井川に「ごんご」と呼ばれる河童がいて、古くから親しまれていたそうです。
そんなわけで、マンホールの蓋も河童[exclamation]


津山城‐9.jpgこちらは、ごんごの彫刻。
可愛いですね[かわいい]


津山城‐10.jpgごんごの奥さん[exclamation&question]


…と、次々に現れる彫刻に、勝手に盛り上がり、写真を撮り続ける私。
実は、刻一刻と、帰りの出発時刻が迫っていて、行きはタクシーだったので、駅までの距離感がまったく分かっていないというのに、大胆な私[あせあせ(飛び散る汗)]


まあ、これも旅の醍醐味と言いますか…けっこう嫌いじゃないです。
(たしか、人吉城の時に、乗りたかった列車に乗りそこない、駅員さんに「どうしたら熊本に帰れますか[exclamation&question]」と半泣きで聞いた、迷惑なオバサンが私です[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


津山城‐11.jpgこちらはお子さん[exclamation&question]


いや…これは、カエルじゃないかっ[あせあせ(飛び散る汗)]
親戚か[exclamation&question]


なんてアホなことを考えながら歩いていると、もう、駅に着いていました。


津山城‐12.jpgこちらは、津山藩の英雄、箕作阮甫(みつくり・げんぽ)。津山藩医で、幕末、ペリー来航時にアメリカ合衆国大統領の国書を翻訳するなど、外交交渉に活躍した人物のようです。


実はこの時点(13時過ぎ)で、まだお昼ご飯を食べていなくて、でも、駅弁とかもなさそうだし…と、駅前のコンビニで、とりあえず、ゆで卵を買った。
乗換の岡山駅で、絶対に駅弁を買ってやる[exclamation×2]と固い決意をしながら…


津山城‐13.jpgSLも展示されていました。
コンパクトサイズだけど、コンビニ、タクシー乗り場、綺麗なトイレ、待合所、コインロッカー…と、必要なものが、しっかり備わっている理想的な駅前広場だな~と感じました。


津山城‐14.jpg消火栓は、分かりやすい絵柄でした。花は、津山市の花である桜の花のようですね。


(乗換の岡山駅で、ちゃんと駅弁を買い、15時近くでしたが、がっつりいただきました[黒ハート]


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鳥取城 [┣百名城]

宙組全国ツアーのついでに、鳥取城に行ってきました[黒ハート]
てか、会場(とりぎん文化会館)と鳥取城が近くて震えた(笑)


新幹線で姫路まで行き、そこから特急スーパーはくとに乗り換えて、鳥取へ。意外とあっという間の旅でした。


鳥取城‐1.jpg乗換時間が30分ほどあったので、一度改札を出て、そこから見える姫路城を撮影[exclamation×2]
前に姫路城に行った際、駅から写真が撮れることは知っていたので、再びチャレンジしてみました[わーい(嬉しい顔)]


スーパーはくと、初めて乗ったのですが…ウッディーで年季の入った作りの電車でした。正直、新幹線ほど快適な電車ではないものの、買っておいたおにぎりを食べたりしながら、鳥取までの旅を楽しみました。


ホテルは鳥取駅前にとったので、まずは荷物を預けに行き、ついでに終演後の食事場所を探す。(これ、重要な仕事!)
再び駅前に戻り…こんなものを発見しました。


鳥取城‐2.jpg大国主命と因幡の白兎。
因幡は鳥取県なんですね[ひらめき]


鳥取城‐3.jpg一方、こちらは、因幡の麒麟獅子舞をモチーフにしたもの。次にお見せする写真も同じ「麒麟獅子」をモチーフにしたモニュメント。
鳥取県・兵庫県に伝わる民俗芸能とのこと。
それを鳥取藩主の池田氏が、徳川氏・池田氏の権威を象徴するものとして保護したようですね。


鳥取城‐4.jpgモニュメントもご覧ください。
映画「ゴジラ」のラストシーンを思い出すようなモニュメントでした。伝わるかな[exclamation&question]


鳥取城‐5.jpgこの日の鳥取は、夏が戻ってきたような天気。
徒歩30分と聞いていたけど、なんか1時間くらい歩いたような気分の中、ようやく鳥取城に近づいてきた感じが…。


こちら、吉川経家公の銅像。
織田信長の中国攻め。鳥取城に籠城する毛利勢に対し、秀吉の採った手段は兵糧攻め。食料の補給手段を絶ち、飢えて降伏するのを待つ作戦でした。
そして、とうとう、餓死者が出て、人肉を食べるようになった時、経家は、切腹して城を明け渡すことを決断します。享年35歳。
そもそもの城主が逃げ出した代わりに入城した経家は、死を覚悟して入城していたと思います。
とはいえ、一番可哀想なのは、領民の保護という名目(もちろん非常時の戦闘要員という意味も含めて)で入城することになった2千人の領民ですが。


鳥取城‐6.jpgちなみに、鳥取は、かの有名な「ふるさと」([るんるん]うさぎ追いしかの山[るんるん])の作曲者、岡野貞一の出身地だったようで、このような歌碑も城(久松公園)入口に掲げられていた。
作曲者の歌碑だから、五線譜も付いているんですね。


鳥取城‐7.jpg鳥取城は、そもそもは、山城。
この山が城だった時代を経て、現在残っているのは、江戸時代に池田氏によって改修された近世城郭。それも、明治9年に鳥取県が島根県に併合された結果、陸軍省に払い下げられ、建物(三階櫓など)は解体されてしまった。
ただ、美しい石垣だけは、残っている。


あと、中仕切門(西坂下御門)というのが残っているのだけど、地図を見ると絶対に横を通ったはずなのに…全く記憶がありません…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
色々な城をめぐっていますが、こういうことは、ほんとよくあるんですよね…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][爆弾]城の神様のいたずら…また来いっていうことでしょうか[exclamation&question]


さて、近世城郭としては、「平山城」に分類される鳥取城ですが、ご覧の通り、かなり、急な石段を登り、風光明媚な場所に二ノ丸(天守代用の三階櫓)があります。
ここを山下の丸と呼ぶようです。その上に、本丸、天守台があるらしい(山上の丸)のですが、現在、修復中な箇所があるようで、私には登り道を見つけることができませんでした。無念…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][爆弾]


鳥取城‐8.jpg


こちらが、天球丸の巻石垣。
後ろ側の石垣の崩落を防ぐ目的で作られたそうですが、日本で唯一の丸い石垣です。
天球丸という名前は、藩主池田氏初代の姉(出家して天球院)の居地だった場所で、二ノ丸より上部にあった。


天球丸から急な坂道を降りていくと、そこに、仁風閣があります。


鳥取城‐9.jpgすごいですね。
設計は、ジョサイア・コンドルの弟子である、片山東熊。フレンチルネッサンス様式の建物で、大正天皇が皇太子時代に鳥取を訪れた時の寝所として造営された。


こちらの写真は裏庭のものです。
右側に、お城の石垣が見え、絶景ですね[ぴかぴか(新しい)]
ちなみに、この建物、映画「るろうに剣心」で武田観柳邸として使われたようです。


鳥取城‐10.jpgこちらは、庭に設えられた庭園の一部。私が撮影した部分は、わりと洋風に見える部分ですが、日本庭園風の場所もあって、和洋折衷、ステキなお庭でした。


鳥取城‐11.jpg中も公開されていて、大正天皇が使われていた場所以外は、普通に歩くことが可能。イベントなどの利用も可能のようでした。


中には、東郷平八郎元帥の直筆「天気晴朗なれど波高し」が展示されていたり。(大正天皇の随行員として、東郷元帥も来館され、「仁風閣」の名前を付けられたとのこと。)


鳥取城‐12.jpgこちらが、表から見た仁風閣です。
美しかったですが、中は、めっちゃ暑かったです[あせあせ(飛び散る汗)]


というわけで、鳥取城を後にして、一路、とりぎんホールに向かいました。
(とりぎんホールは、たいへん涼しかったです[わーい(嬉しい顔)]


これまでの城旅の中でも、相当厳しい旅でしたが(修復中で入口も分かりづらかったり…[爆弾])、でも、充実していました。


ありがとう、鳥取城[exclamation×2]


鳥取城‐13.jpg


 


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安土城 [┣百名城]

関西に行くついでに安土城に行くことにした。満を持しての安土城です[黒ハート]


安土城-1.jpg東海道線の安土駅に降り立つと、駅前にレンタサイクルのお店を発見。お城まで徒歩で50分と書いてあったので、これは自転車、いいじゃないの~[るんるん]と、借りることに。
お店のおばちゃんに地図をもらって、いざ出発[exclamation×2]
しかし、この地図が、かなり罠で…[爆弾]まったく見当違いの方向に行った私は、最終的にはグーグル先生のお力で、なんとか安土城に到着することができた。
ありがとう、グーグル先生[黒ハート]
苦労したけど、美しいこの景色[かわいい]


安土城-2.jpg積み上がっている段数は少ないのだけど、石垣が多い。本当に美しい。
つい、見とれてしまって、歩くスピードが遅くなってしまった。


安土城-3.jpgはい、こちらが、噂の大手道です。戦国時代のお城は、とにかく道がくねくねしている、というのが定番。
しかし、この安土城の大手道は、まーっすぐ伸びている[ぴかぴか(新しい)]このまーっすぐ感が、覇王・信長らしいな~と感じた。
麓の休憩所みたいなところで、案内の方にうかがうと、どうやら、本丸に天皇陛下をお招きするための休憩所が設けられていて、そのために本丸の設計は清涼殿を模していた…とのこと。
なので、大手道がまっすぐなのは、天皇が乗るための輿を運びやすくするためではないか…というのが最新の学説のようです。


安土城‐4.jpgとにかく、山、山、山、どこまで行っても階段…ようやく、「天主閣跡」に到着。
あ、安土城は、「天守」ではなく「天主」と言います。
この字を使うのは、織田信長だけが、天主閣に住んでいたからかもしれない…と私は思ってます。


安土城ー6.jpgその天主跡からの眺めはこんな感じ。
すごく見晴らしがよかったです…というか、苦労して登ってきた喜びが、ふつふつと…[黒ハート]


天主閣の帰りは、少し遠回りして、安土城の中に作られた摠見寺(そうけんじ)跡に向かう。
安土城-5.jpg途中で見かけた石垣。
当時の石の積み方は、野面積み。
信長の城は、穴太衆(あのうしゅう)という石工集団が石垣を積んだそうだけど、見事な積み方だな~と、惚れてしまう。


安土城-7.jpg摠見寺の伽藍は、安土城が燃えた時には焼失を免れたけれど、江戸末期に火災があり、焼失してしまったのだそうです。
こちらの三重塔は、そもそも15世紀からあるものだそうで、摠見寺の建立に際し、移築されたものだそうで、今もその優美な姿を残している。


安土城-8.jpg麓に降り、ようやくホッとしたものの、帰り道も微妙に道に迷ってしまい、余計なサイクリング時間を費やしてしまったのでした。
ま、そもそも方向音痴で、こればっかりは治らないようです。


安土城-9.jpg駅前の信長さんにご挨拶して、安土を後にしました。


この駅には「観音寺城」もあるし、信長の館など、休館日で行けなかった施設もあるので、必ず近いうちに戻ってくることを誓って、岐路に着いた。


やっぱ、信長、すごいっ[黒ハート]


 


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多賀城 [┣百名城]

星組全国ツアーを仙台に観に行ったので、ついでに、多賀城まで足をのばした。


仙台から、東北本線で20分ほどの場所に多賀城市はある。奈良時代、東北の蝦夷(「阿弖流為」でおなじみの…)に対する備えとして建築された鎮守府兼政庁。戦線が北上するに従い、鎮守府の位置も北上していくが、政庁機能は多賀城に留まった。言ってみれば、九州の太宰府と大野城が合体したような施設ですね。


多賀城‐1.jpg多賀城市の駅から、20分弱かな。
最初にやってきた施設は、「壺の碑」。
江戸時代の初め頃に発見された石碑で、政庁・多賀城の位置や由来が記載されている。
にせ物説もあったらしいが、現在は、一応、本物ということで落着しているそうだ。
発見されてからしばらくの間はふきっさらしになっていたそうだが、現在はこのように建物の中に安置されている。(格子の間から碑を見ることができる)


多賀城‐2.jpg壺の碑からさらに歩くこと3分ほどで、政庁・多賀城に到着する。
多賀城は、数奇な運命に翻弄されたみちのくの一大政庁。蝦夷の鎮圧の最前線にして、懐柔策の本拠地。「阿弖流為」に登場する伊治呰麻呂(壱城あずさ)のように、蝦夷の武将ながら、朝廷に認められた領主となることもある。


多賀城‐3.jpgというわけで、こちらが、その政庁跡でございます。
手前に、だいたいこんな感じで建物が建っていたようです…という模型がありますが、なんか、太宰府政庁の模型と似ているかも[exclamation&question]
西の太宰府と北の多賀城、そこに備えを置くことによって、平城京は、ようやく安心して、梅をかざし、歌を詠むことができたのだろう。


多賀城‐4.jpgさらにこちらの写真は、政庁の正殿を復元したもの。まあ、建物全体じゃなくて、足場の部分だけのようだけど。
この周辺では、ボランティアガイドさんに、たいへんお世話になり、長時間説明して頂きました。「阿弖流為」のせいか、色々興味がわいてしまい、あれこれ質問してしまいました。本当にお世話になりました[黒ハート]


この後、日本百名城のスタンプを押しに行き、さらに周辺の遺跡を回り、気がついたら、2時間半も経っていました。食事も忘れて…[あせあせ(飛び散る汗)]


多賀城‐5.jpg奈良時代に藤原氏は、その力を確固たるものにしている。藤原氏の勢力の伸ばし方は、後継者問題に悩んでいた天皇家に近づき、特に女帝の信頼を得ることで、政権中枢に入り込んだと言われている。
蘇我入鹿がやろうとして道半ばで斃れた方法ですね…[爆弾]その入鹿を倒した鎌足の子孫がおんなじことやってたってわけですね…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
(女帝の信頼を得る…とは言っても、全員が女帝とやましい関係になって…という意味じゃないですよ)
藤の花は、他の木に絡みついて成長する。藤原氏もまた…ということで、多賀城市の藤の花は、とても元気に大きな木に絡みついて成長しているようでした。
例の、「壺の碑」によると、天平宝字6(762)年に藤原朝狩が大規模に修造したとか。この藤原朝狩は、藤原仲麻呂(恵美押勝)の息子(四男)。時の大権力者の息子の力が、こんなところにも…[あせあせ(飛び散る汗)]


多賀城‐6.jpg帰りの電車を待つ駅のホームから、こんな建物が見えた。
「東北歴史博物館」…最初にここで学んでから、多賀城に行くべきだったかも…。
また来てみたい場所なので、その時は、必ず博物館にも寄りたいと心に誓っております。


 


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甲府城 [┣百名城]

毎年こどもの日は、城に行っている…ということを思い出し、GWの城旅行はあきらめたものの、せめて、百名城のどこかに日帰りで行って来よう[ひらめき]と思い立ち、初夏の陽気を感じながら、甲府に向かった。


甲府城‐1.jpgJR甲府駅から徒歩5分くらいでしょうか。すぐに「舞鶴城公園」の碑が見えてきた。甲府城の別名が“舞鶴城”。城を見に来た観光客もそれなりにいたが、公園で日向ぼっこしている近隣の方も多かった。それだけ、存在が市民に浸透しているんだなぁ~[わーい(嬉しい顔)]
全国の城を訪ねてみると、お城ということを意識せず、市民の憩いの場になっているお城が多く存在していて、それは、とても心和む風景だったりする。


甲府城‐2.jpg緩やかな坂を上ると、そこは、数寄屋曲輪と呼ばれる場所。
戦国時代からある城ということで、“曲輪”と呼ばれているのだろうが、とはいえ、本丸に相当する感じ。


甲府城‐3.jpg東側の城のわりに、石垣が見事。
圧倒されました[黒ハート]


甲府城‐4.jpgこちらは、天守台の上にあった、明治天皇御登臨の碑。ここに明治天皇が上られたのか[exclamation]


甲府城‐5.jpgこちらが、天守台から見た景色。
それほど高くないことが分かると思います。
山の端がかすんでいるせいか、富士山は見られなかった…[バッド(下向き矢印)]ちなみに、富士山はこちらの方角ではないです。


甲府城‐6.jpgこちらは、復元された「鉄(くろがね)門」。
強度を保つためにコンクリートも使用されているものの、できるだけ在来の工法で復元されたのだとか…。
門の上は、櫓になっていて、入ることもできました[黒ハート]


甲府城‐7.jpgこちらが、天守台を下から撮影した写真。
馬蹄型みたいな形の天守台には、どのような天守があったのか、あるいは、作るつもりだったのか、謎が残る。


甲府城‐8.jpgちなみに、甲府は、今年、開府500年だとか。
「戦国BASARA」とのコラボポスターが嬉しい。甲府なのでセンターは、華形ひかるが演じた武田信玄。左に蘭寿とむが演じた真田幸村、右に望海風斗が演じた猿飛佐助。
まだ行っていない城で、体調を考慮して、駅近&山城でないところ…的な選び方だったけど、節目の年に行けて、なんか嬉しい[るんるん]


実は、武田神社や百名城のひとつ武田氏館も2キロ圏内にあったのですが、体調が万全じゃないので、無理はやめておきました。また、行きますとも[パンチ]
ちなみに、10連休の最終日前日、行きは空いていた「あずさ」「かいじ」も帰りは、最終まで満席[ふらふら]八王子まで特急の中で立ち通し、八王子から中央特快(始発だから座れる[手(チョキ)])に乗り換えて、戻ってきました[ダッシュ(走り出すさま)]


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偕楽園と水戸城址 [┣百名城]

七海ひろき退団まであと一週間…ということで、かいちゃんの故郷、茨城県水戸市に行ってまいりました[exclamation]


季節は梅の美しき頃…最初は水戸駅に向かうつもりでしたが、偕楽園臨時駅にも特急が停まると聞き、途中下車してみました[黒ハート]


偕楽園1.jpg偕楽園だというのに、なぜか椿に目が行ってしまう私。
やはり、かいちゃん演じる竹中半兵衛を思い出しちゃうから…かな。


偕楽園6.jpg偕楽園は、無料開放されており(園内施設の好文亭は有料)、老若男女で賑わっていた。
そんな中、アニメ「刀剣乱舞」のスタンプラリーをやっていて、若い女子がスタンプ台紙を持って景品交換をしていた。わー、こんなイベントがあったのか…[わーい(嬉しい顔)]
JRともばっちりコラボしているようで、特急「ときわ」の停車駅8駅でもスタンプが貰えるらしい。期間が次の日曜までなのでどうにもならないが、いくつかスタンプ押してもらえたら面白いかも…と、台紙だけはゲットしてみた。品川と上野くらいなら、押せるかも[るんるん]
(一応、JRの駅2つと施設1か所で、貰える賞品もあるのだが、それ、JR水戸駅でなきゃ交換できないのよね。来週水戸は無理でしょ[ふらふら]


と、こんなところで、刀剣乱舞ネタを楽しみつつ(とはいえ、アニメ版は全く知りません…)梅を見ながら、歩を進める。


偕楽園2.jpgこちらは、水戸の六名木のひとつ、「烈公梅(れっこうばい)。
烈公というのは、徳川慶喜の父・水戸藩主・徳川斉昭のことだそうで、その名を冠した梅は、薄いピンクの大ぶりの花が、とても華やか。桜でいえば、染井吉野のようなものかな[exclamation&question]


偕楽園3.jpg期間中は、交代で水戸の梅大使が来てくれるようで…。お揃いの振袖なのね~[かわいい]すごく豪華[黒ハート]
お願いすれば、一緒に写真を撮ってもらえるようですが…さすがに若い美女と一緒に写真を撮るというのは、残念な想像しかできないので、軽くスルー。


私が入ったのは偕楽園の東門で、これを含めて、全部で5つの門があるらしい。
東門から入ると、右手が梅林、左手に色々観光名所がある作りのようだったので、まずは、好文亭の方に直進してみた。


好文亭は、後に水戸城が控えているので、今回は入るのをやめ、その周囲の記念碑などをチェックしてみる。


まずは、こちら。
偕楽園4.jpgこれが斉昭公直筆の「偕楽園記碑」。
名前の由来(多くの人と楽しみを共にしたい)とか、利用の心得などが書かれているとか。
斉昭の宇宙観や人生観、藩主としての姿勢、偕楽園が弘道館と一対の施設であることなども。今のところ、斉昭といえば、伊武雅刀さんしか浮かびませんが[わーい(嬉しい顔)]


偕楽園7.jpgこちらは、菁莪遺徳の碑。
あれ、たしか竹中半兵衛の町、垂井町を訪れた時、竹中陣屋近くで見たのは、「菁莪記念館」…同じ“菁莪”の文字をここ、かいちゃんの故郷・水戸で見るとは…すごい偶然[exclamation×2]
こちらは、慶喜公のブレーンであった原市之進の顕彰碑とのこと。
“菁莪”は、市之進の号および経営した塾の名前なんだって。
垂井町の方は、竹中氏の藩校の名前が菁莪堂で明治以降も菁莪学校という名前で引き継がれたとのこと。
菁莪とは、詩経の一節で、人材を育成すること、という意味なので、もしかしたら、全国至る所に菁莪ありかもしれない。
でも、私が目にした“菁莪”は、水戸と垂井だけなの[exclamation×2]これって、なんかあるって、思いたいじゃない[exclamation×2][exclamation×2][exclamation×2]


偕楽園5.jpg思っただけじゃなくて、ちゃんと梅も満喫してます[かわいい]


梅林って、桜みたいに鬱蒼としないのかな。あまり背が高くならないから[exclamation&question]それとも、低い木だけを選んで植林しているのかな。
これだけの木があったら、桜なら完全に森になっている。苦しいほどの桜の妖気を感じるだろう。梅は、ひたすら、温かい。デトックス効果がありそう。
あー、だから、梅の好きな人は、桜が好きな人より年齢層が高いのかな。(そして、梅の良さが分かり始めている私は、既にBBA…[爆弾]


水戸城1.jpg適当なところで偕楽園を切り上げ、電車で水戸駅まで。
水戸駅の前には、もちろん…水戸黄門さま御一行が[exclamation×2]
やはり水戸といえば、ご老公様と、かいちゃんですもんね[exclamation]
(ツッコミは受け付けません)


城好きとしては、水戸城に行こうと思ったわけですが…
水戸市民は、水戸城を最大限、市民生活に活用していて、遺構になっていない…[がく~(落胆した顔)]


水戸城9.jpg


ちょうど、大手門が復元工事中だったので、今年の秋には、なんとなく水戸城な写真も出せると思うので、もう一度行ってみたい。
江戸時代にも、天守はなく、左のような三重櫓を天守代わりに使っていた水戸藩の精神だけを感じて、あとは、あちこちに散らばる門をご紹介したい。


水戸城そのものが、ほぼ存在しないため、 スタンプは、先ほどの斉昭公の偕楽園紹介の碑に記載されていた「弘道館」で押させてもらう。
なので、まずは弘道館を見学。


水戸城2.jpgここは、對試場跡。
武術の試験をしていた場所らしい。藩主自ら臨席して武術に優れた藩士を見出していたのかな。
弘道館の庭も梅が満開だった。
斉昭公の書いた弘道館の梅についての漢詩も掲示されていた。
「弘道館賞梅花 
弘道館中千樹梅
清香馥郁十分開
好文豈謂無威武
雪裡占春天下魁」


水戸城3.jpg水戸の徳川といえば、水戸光圀公は、「大日本史」を編纂させている。この大事業を成し遂げた場所が、こちら、彰考館。
現在は、水戸市立第二中学校になっている。


こんな風に、水戸城の本丸・二の丸・三の丸は、行政機関や学校に姿を変えているところが多い。
あといくつか、門を紹介したいと思っているが、門は昔からのものなのに、その横に学校名が書かれているのが、かなりツボだった。


水戸城4.jpgこちらは、大日本史編纂の地という碑。


大日本史といえば、全397巻226冊(目録5巻…とウィキ先生に書かれているが、たしか西郷どん、それを完読してましたよね[exclamation&question]
(なぜか、西郷どんネタが多いな、今回は。)


水戸城5.jpgこちらは、見晴らし台。それほど高台というわけでもない感じ。


水戸城6.jpg続いて、杉山門。
この手前側に杉山坂が左側に伸び、右側には、二の丸が広がっていたようだ。二の丸は、現在、県立水戸第三高等学校の敷地になっている。


水戸城7.jpg一方、こちらが、水戸城として現存する唯一の建造物、薬医門。
こちらは現在県立水戸第一高等学校の敷地になっている。


…と、ここまで書いて来て、そしたら、水戸第二高等学校はどうなってるの[exclamation&question]と思いますよね、宝塚ファンとしては。
(七海ひろきさんは、県立水戸第二高等学校の出身)


第二高等学校は、弘文館の向こう側、ちょうど空堀のある辺りのさらに向こうとのこと。今回は、空堀の方まで行けなかったので、次に行く時は、絶対にかいちゃんの出身校も訪ねてみたいと思っております。


水戸城8.jpg最後に、水戸光圀公の生誕地。JR水戸駅のすぐ近くでした。
偕楽園のそばに常盤神社というのがあり、その祭神が、光圀公(義公)と、斉昭公(烈公)。この生誕地は、その分社という扱いになっているみたい。
こちらで、かいちゃんのラスト一週間が幸せなものでありますように…とお祈りしてきました[黒ハート]


 


 


 


 


 


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彦根城 [┣百名城]

国宝彦根城には、ゆうひさんが石田三成を演じた2011年に行っているのだが、その時は百名城スタンプの存在を知らなかったので、あらためてスタンプを押しに行ってまいりました。


彦根ー1.jpg駅に着いたら、まず、ひこにゃんが迎えてくれる。彦根城と佐和山城跡のフォントサイズが全然違うのは、ひこにゃんのえこひいきだろうか…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


今回、真夏ということもあり、山城である佐和山城に登ることはしなかった。というか、一人で迷わずに下山する気がしない…[爆弾]
(前回迷子になった人[あせあせ(飛び散る汗)]


到着した日は、もう16時近かったので、城に行くのはやめにして、みつにゃんグッズを売っている戦国丸さんに行くことにして、とりあえず、ひこにゃんの大きな矢印に従ってみた。


彦根ー2.jpg


駅を降りると小さなロータリーがあり、そこに、城のある駅あるある的に、銅像があった。
もちろん、石田三成じゃなくて、井伊直政です…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
大丈夫、「おんな城主 直虎」以来、井伊家も好きになりました[わーい(嬉しい顔)]


彦根ー3.jpg翌朝、8時半くらいにホテルを出発、徒歩で彦根城に向かう。
そんな井伊家の、幕末における有名人、井伊直弼の歌碑があった。


あふみ(近江)の海 磯うつ浪の いく度(たび)か 御世にこころを くだきぬるかな


亡くなる二ケ月前の歌だそうだ。
ご存じのように、井伊直弼は、江戸城桜田門外で暗殺されたので、病気などではなかった。
大老というのは役職名で、本当におじいさんだったわけではなく、享年46だったそうだ。
なのに、なんだか、辞世のような歌を残しているのは、それだけ、思うところがあったのかな…と、佐野史郎さんの直弼を思いながら、この歌碑を眺めた。


実は、駅から10分の街中にあるということで、勝手に平城だと思い込んでいたのだが、行ってみたら、見事に平山城だった…[爆弾]
入口で800円を支払って、天守に向かうと、そこからは、果てしなき登り階段…[あせあせ(飛び散る汗)]
しかも、坂の傾斜や階段の幅がバラバラで、とても登りづらい。そういうところも、築城のテクニック(攻めづらくするため)らしい。


彦根城ー1.jpgたっぷり汗をかいた後、やっと到着。
あれ…こんなに小さな天守だったっけなぁ~[あせあせ(飛び散る汗)]
現在修復中ということで、足場が組まれていたのは、写真的にはちょっと残念[バッド(下向き矢印)]
でも、小さいわりに派手な天守だと思う。
ちなみに、天守前のひこにゃんがいる辺り、実は、本丸跡なんだとか。
礎石のあとが残っているのが見えるだろうか。せ…せまっ[あせあせ(飛び散る汗)]
城郭全体は、三つの堀に囲まれ、玄宮園という素晴らしい庭園もあるのだが、その真ん中にあるものが、思っていた以上にコンパクト。しかも、この天守、大津城の天守をそのまま移築したらしい。
ほかにも佐和山城や長浜城の櫓や門も移築されているそうだ。


彦根城ー2.jpgそんな彦根城天守から見る、佐和山の景色。
正面のぽっこりした山が佐和山。三成に過ぎたるものと言われた佐和山城は、この山頂にあった。
関ヶ原の後、勝った東軍に攻められ、城を守っていた三成の父と兄は、落城と運命を共にしている。
(寺に預けられていた時に、三献茶で秀吉に見出された三成なので、父や兄は、三成の存在によって地位を引き上げられていった。そのため、西軍総大将三成の父と兄が、彼の留守を守っていた…という現象が起きている。)


彦根城ー3.jpg登り石垣と呼ばれる石垣が遠くまで続いていて、壮観。ここは、万里の長城か…なんて思ってしまった[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]
(行ったことありません。戯言です…)
最初は微妙なお天気だったが、だんだん空が青くなってきて、はるかに琵琶湖が美しく輝いている。


彦根城ー4.jpgあとは、もう、ひこにゃんのグリーティングだけ[exclamation]
と、待っていると…
ひょっこりはんのように、現れました[exclamation×2]


ひこにゃんに会うのは、7年ぶりかなぁ。あいかわらず、可愛い[黒ハート]
そして、平日でも、ひこにゃんのグリーティングタイムには、おおぜいのお客さんが待っていて…ゆるキャラ人気の強さを思い知らされる。
まさか、こんなゆるキャラブームになるとは…と、ゆるくないキャラ開発をしていた過去の自分に涙目[もうやだ~(悲しい顔)]


彦根城ー5.jpgはい、ひこにゃんです。
もう、言葉はいりませんね…[黒ハート]


ひこにゃんの顔を見て安心したので、グリーティングは2分ほどで辞去し(ひでぇ)、スタンプをいただきに開国記念館へ。ここの2階にスタンプが置いてある。


無事スタンプをいただいたので、お堀の屋形船へ。
ここも7年前から気になっていて、ようやく乗れて大満足。1300円で、45分間の船旅。おススメです。


彦根城ー6.jpgその屋形船で教えていただいた、彦根城遺構での映画撮影の多さ。
(時代劇を撮っている京都に近いこともあって、野外シーンのロケに使われることが多いんだとか。)
こちらの塀は、映画「散り椿」で使われたそうで、ここに西島秀俊さんがいらっしゃったそうです[揺れるハート]
新井さんは~[exclamation&question]と聞きたい気持ちを抑え、映画、観るぞ~[exclamation]とあらためて心に誓ったのでした。


(え、そんな終わり方[exclamation&question]


 


 


 


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