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NODA MAP事件 [┗エンタメへの想いとか薀蓄とか]

先日、ツイッターで見かけたNODA MAP公演「Q」に関する、とある事件にまつわることを、ちょっと語ってみたい。あくまでも私見です。そして、直接NODA MAPに対して意見するつもりもないことはおことわりしておきます。


そもそものツイートはこんな話でした。
ツイートした方は、NODA MAP公演「Q」のチケットを連席で入手した。
連席の相手は友人のAさん。ところが、このAさんの都合が悪くなり、急遽、友人Bさんを連れて会場に向かった。
会場で、「Bさん」が「Aさん」ではないことが問題となり、ツイート主の方は席に座れたが、Bさんは、後方に設えられた「別室」での鑑賞となった。(2幕は交代してツイート主が別室鑑賞)
Aさんが座るはずだった席(良席)は、当日券に回されるか、関係者席となる旨伝えられたが、結局誰も来なかった。
ツイートした方は、NODA MAPを攻撃しておらず、残念な経験だった、とだけ書いている。


まず、今回のNODA MAPのやっている本人確認は、(通称)不正転売防止法が求めているものではない。
法は転売そのものを禁止しておらず、正価の転売については、問題としていない。


私も今回の「Q」はチケットぴあの抽選申込には参戦したが、予想通り敗退した。だから、「Q」がその後も当日券抽選など、できるだけ多くのチャンスを平等に開放していることは知っている。観ようと思えば、チャンスはある。わずかでも。
誰にでも観劇のチャンスを設け、できるだけ多くの人に正価で観てもらおうとするNODA MAPの姿勢が間違っているとは思えない。


でも、観客側の心理からすれば、モヤモヤする話だ。
ここまでの厳しい措置を取りながら、結局、「その席」には、誰も座ることがなかった。
誰得[exclamation&question]


そして、「連席」は何のためにあるのか、という根源的な問題についても考えさせられた。
そもそも観劇中、お隣の人と会話を楽しめるわけではない。でも、人は連れ立って観劇をする。それはなぜか。
観劇した…という体験を共有して、楽しみを深めたいからだと思う。
もちろん、劇場で偶然会った友人と、観劇後にゴハンしながら語り合うということはある。しかし、一緒にチケットを取り、待ち合わせをして、隣の席に座って観劇をする経験は、観劇をただの体験から文化に押し上げてくれるようなものに思える。
無粋[バッド(下向き矢印)]


誰得現象も無粋なことも敢えてやってのけるのは、それだけチケットが取りづらく、不正転売が後を絶たないからだろう。
でも、このやり方をすべての演劇が踏襲しているわけではないし、むしろできない公演の方が多いと思う。
そうすると、困るのは、観客だ。
この演劇は、入場時にどんな手続きが必要なのか、一件一件確認してチケットを購入しなければならないからだ。そして、入場時のトラブルのたびに、私たちは、本来絶対言ってはならないと肝に銘じているセリフが、口をついて出てしまう可能性が倍々ゲームで増えていくことを感じるだろう。


この世には、この芝居より大事なことが、ある[爆弾]


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