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「ふるあめりかに袖はぬらさじ」観劇 [┣演劇]

「ふるあめりかに袖はぬらさじ」


作:有吉佐和子(「ふるあめりかに袖はぬらさじ」中公文庫)
潤色・演出:原田諒(宝塚歌劇団)


音楽:玉麻尚一
劇中歌作曲(邦楽):今藤政太郎
所作指導・振付:尾上菊之丞
振付:麻咲梨乃
美術:松井るみ
照明:勝柴次朗
音響:大坪正仁
衣裳:半田悦子
ヘアメイク:嶋田ちあき(大地真央)、青木満寿子
邦楽指導:成田涼子
囃子指導:望月左武郎
歌唱指導:山口正義
擬斗:清家三彦
演出助手:高野玲
舞台監督:北條孝
宣伝美術:鈴木利幸
宣伝写真:下村一喜
宣伝ヘアメイク:嶋田ちあき(大地真央)、Eita、青木満寿子
宣伝衣裳:石田節子(大地真央)、半田悦子


大地真央主演、若きカップルを矢崎広中島亜梨沙(羽桜しずく)が演じる…ということで、行ってきました[黒ハート]
宝塚の演出家として私の天敵のような原田先生が演出ということで、前回公演は行かなかったのですが、ぴろし(矢崎)が出るのなら、行くしかありません…[たらーっ(汗)]


幕末の横浜。
岩亀楼(がんきろう)という名の遊廓で芸者をしているお園(大地真央)は、吉原時代から知っている遊女の亀遊(中島亜梨沙)が病気がちということもあり、布団部屋に見舞っては世話をしていた。岩亀楼は、開国以来、積極的に外国人客を受け入れていて、そのために通訳を雇っている。その通訳が藤吉(矢崎広)。ひょんなことから、藤吉と亀遊は知り合いになり、やがて慕い合うようになる。
そんなある日、客のアメリカ人が、外国人専用の遊女ではなく、病気が癒えて店に出た初日の亀遊に一目惚れ。主人(佐藤B作)は、病気がちで借金を抱えた亀遊を店に置いておくよりは、アメリカ人に身請けしてもらった方が得策と考えるが、外国人嫌いの上、藤吉を思い切れない亀遊は、思い余って剃刀で喉を切って自殺してしまう。
酒好き話好きのお園は、訪れる客に乞われるたびに、亀遊のことを語るうち、いつの間にか、「異人の身請けを拒んで死んだ攘夷女郎・亀勇」という虚像が出来上がってしまったー


ふるあめりか.jpg


読売さんの号外をいただいてしまった[黒ハート]


そもそもはストレート・プレイだったものを、音楽劇のテイストを入れて再構築したのが、原田諒。宝塚作品ではないが、宝塚的な夢夢しさがプラスされて、亀遊の悲劇がクローズアップされたように思った。
お園を含む芸者・遊女たちの言葉の端々に歌舞伎ネタがあって、歌舞伎=幕末の庶民の常識だったのかな[exclamation&question]なんてことを考えた。「間夫がなければ女郎は闇」という歌詞だったり、「酒は食べても食べいでも、勤むるところはきっと勤むる…」というお園の啖呵だったり。
まあ、どこまで、歌舞伎じゃなく宝塚系観客に伝わったかは微妙だが、明治座という場所を考えて…ということもあったのかな。


亀遊が亡くなってしまうこと、そして、藤吉との恋が悲恋に終わってしまうことは、とても悲しい物語だが、芝居は、どこかユーモラスなテイスト。
1幕の終わりは、亀遊を失った激しい慟哭を見せるお園。しかし、2幕になると、酒好きできっぷの良い性格がお園を「攘夷女郎亀勇(名前まで変更されている)」の語り部にしてしまう。「ふるあめりかに袖はぬらさじ」というタイトルは、亀遊が亡くなってしばらくして、彼女が攘夷の心から自害したという瓦版が出て、そこに、「露をだにいとふ倭(やまと)の女郎花(おみなえし)ふるあめりかに袖はぬらさじ」という辞世まで書かれていて、そこから来ている。お園が語った物語は、ほぼこの瓦版に依拠しているのだが、乞われるといやと言えないサービス精神が災いして、5年後には、亀勇は相当な烈婦になってしまっていた。
岩亀楼は、攘夷の廓ということになり、立派な「亀勇自害の間」まで作られ、お園はその案内係となっていた。
そんなウソがすべてバレるところで物語は終わるのだが、引くに引けないお園の一人舞台が面白い作品だった。


どこかロミオとジュリエットを彷彿させる、矢崎中島のお人形のような可愛らしい佇まいが、忘れられない。
外国人向けの奇抜な遊女役で、桜一花、羽咲まな、美翔かずきが出演。もちろん、大地主演作品なので、未沙のえるも出演しており、作品に花を添えた。
宝塚ファンとしては、この遊女たちの奇抜すぎて下品なところは、ちょっと好みではなかった。ここまでやらなくても、中島亜梨沙の美しさは、伝わるのに。元タカラジェンヌを多く配置したから、それほど下品にはなっていなかったけれど…。


まあ、でも、宝塚の時よりは全然原田演出がよかったので、このまま外部を中心に活躍してくれてもいいんだけどな…と思っている。


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