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東京宝塚劇場花組新人公演(ポーの一族)ミニ感想 [┣宝塚観劇]

花組新人公演を観劇してきました[exclamation×2]


お雛様.jpg


季節もの。東京宝塚劇場では、この後はクリスマスまで飾りつけはないんですよね。さすが女性劇団。


新人公演担当は、田渕大輔先生。
1本物の新人公演は、カットのセンスが問われるが、エドガーとメリーベルの人間時代を大幅にカットして語り部4人衆(帆純まひろ・泉まいら・一之瀬航季・華優希)の語りで補完するという進め方は、4人の演技力もあって見事な進行だった。
特に、エドガーからメリーベルへの想いを、本役・メリーベルのが語ることで、説得力が増したように思った。
冒頭、フランクフルト空港でこの4人が出会った瞬間に、あ、この新公は成功するな、と思った。
特に一之瀬が、朗読になりがちな芝居を、芝居として成立させた功績は大きい。


では、出演者の感想です。


聖乃あすか(エドガー・ポーツネル)…永遠の少年という形容がピッタリの美少年。歌も芝居もいっぱいいっぱいだったが、それでも聖乃にエドガーをやらせることには意味があると思った。
なにげなく演じているようにしか見えない本役(明日海りお)の偉大さが沁みる舞台だったが、これを糧に、今後も精進してほしい。
挨拶がカチンコチンで、本当に大変だったのね…と、あらためて同情。次回も頑張れ[パンチ]


城妃美伶(シーラ・ポーツネル男爵夫人)…シーラの見せ場ともいうべきソロの歌周辺がすべてカットになってしまったので、愛する男爵と結ばれる喜びに満ちたシーラを演じることができず、バンパネラとしての苦悩を背負ったシーラであり続けるところが、ちょっと可愛そうに思った。
それでも、ろうたけた美貌と、確かな演技で新公を引っ張り上げ、演じ切ってくれた。衣装もよく似合って、綺麗でした[ぴかぴか(新しい)]


飛龍つかさ(アラン・トワイライト)…原作のアランを知っていると、ちょっとキャラ違くない[exclamation&question]と思ってしまうようなアランだったが、原作漫画の絵を考えず、芝居として考えると、こういう演じ方もあるな…と目からウロコ。健全で素直な、その陰に深い孤独を抱えたアランという人物の魂がしっかりと描けていて、好演。この人の芝居には、毎度引き込まれる。
今後の成長を楽しみにしている。鬘も意外と似合っていた[ひらめき]


矢吹世奈(大老ポー)…この公演で卒業する矢吹。この難役を楽々と演じているように感じた。達者な生徒だと思っていたが、新公学年で退めてしまうんだなー。もったいない、とあらためて思う好演だった。


碧宮るか(カスター先生)…短縮バージョンだと、かなり出番の多い儲け役。髭も似合っていて、年配者の雰囲気も伝わり、娘を慮るちょっとした仕草も見事で、好演だった。


峰果とわ(老ハンナ)…こちらは、前半カットのあおりで登場シーンが減ってしまって残念だった人。男爵とシーラの絶命するシーンに再登場した時は、張り切り過ぎたのか、めっちゃオトコマエだった[あせあせ(飛び散る汗)]
むしろ、降霊術場面のオルコット大佐役の方が本役だったかもしれない。


凛乃しづか(レイチェル)…本役(花野じゅりあ)ほどエキセントリックではなく、美しく、心弱い女性に見えた。弱きもの、汝の名は女…的な。その分、クリフォードに色目を使うところや、ハロルドとのラブシーンが少し薄く感じた。美しいんだけどね…[バッド(下向き矢印)]


綺城ひか理(フランク・ポーツネル男爵)…本役(瀬戸かずや)ほど激情家でなく、理性的な一族のリーダー。とはいえ、責任の重さはひしひしと感じていて、その重圧に押しつぶされそうになるギリギリのところで生きている…みたいな風情もあって、本役とは違うアプローチだが、フランクをしっかりと魅せてくれた。美声で聴かせる歌も、大きな体を生かしたダンスも魅力的だが、私は、繊細な芝居の力に惹かれる。今回もステキでした[黒ハート]


亜蓮冬馬(ジャン・クリフォード)…ホテル・ブラックプール内のクリニックを舞台に、宿泊客を中心にアバンチュールを楽しみまくっている軽い医者…みたいに感じた。本役(鳳月杏)との違いはどこにあるのかな[exclamation&question]本役が、かなりのプレイボーイでありながら、「ちゃらさ」を感じさせない役作りをしているのに、そこに近づけず、とはいえ、独自の解釈があるわけでもない中途半端さが残念だった。たぶん、難しい役なんだろうな。


帆純まひろ(バイク・ブラウン/バイク・ブラウン4世)…本役のマイティ(水美舞斗)が、クリフォードの死後、婚約者のジェーンは、バイク・ブラウンと結婚し、その子孫がバイク・ブラウン4世という説明をしているらしい。帆純もそれを意識した役作りらしく、かなりジェーン(春妃うらら)を意識し、ベタ惚れしているような芝居をしていた。若干やり過ぎ感もあったような…[爆弾]


舞空瞳(メリーベル)…病弱設定のメリーベルなのだが、舞空は、肌の色も健康的で、かなり無理があった。裏声の美しい娘役なので、声は病弱な雰囲気に合っていたと思う。


ジェーン役の春妃うららは、生真面目な性格で、クリフォードを愛しているものの彼を信じられずにいるような役作りで、亜蓮が、ちゃらそうな芝居をしているので、このクリフォードなら、このジェーンはありだな、と思った。硬質な美しさが光り、ドレスも似合っていた。
アランの伯父、ハロルド役の紅羽真希は、本役(天真みちる)の、ねっとりしたいやらしさというよりは、正統派色悪の雰囲気。その妻、エレンの茉玲さや那は、美しく知性的な雰囲気を滲ませて、目を引いた。
霊媒師・ブラヴァツキーの若草萌香は、メイクがちょっとやばい気がした。テカってしまっている…というか。芝居はちゃんと場をさらっていてさすが[exclamation]
ハロルドの娘、マーゴットの音くり寿は、同世代の男の子より早く成長してしまう少女ゆえの背伸び感を素直に表現していて、小憎らしい可愛らしさがあった。
ホテル支配人のアボットを演じた龍季澪は、アメリカ出身ならではの英語の発音の良さをアピール。英語らしく発音した方がよい個所と、母音が音になっているので日本語として歌うべき箇所を自然に使い分けていて、自分らしさのアピールとしては成功していたと思う。


出演者の皆様、そして、田渕先生、本当にお疲れ様でした。よい新公でした。


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宝塚花組大劇場公演 [┣宝塚観劇]

花組大劇場公演を観てきました。


ポーの大劇場.jpg私はマーガレット派だったので、「ベルサイユのばら」は連載途中からリアルタイムで読んでいたが、「ポーの一族」は単行本になったものを友人に見せてもらったのが出合いだったと思う。


作品への思い入れとしては、ベルばら>ポー。しかも、ベルばらが、植田先生によって、そうとうヤバいアレンジをされても、怒りつつ観に行っているので、私は小池先生のポーをなんなく受け入れるだろうな…とは思っていた。


そんな私の言う事なので、「原作・命」の方にまで通用するかどうか、はなはだ疑問ではありますが、


「ポーの一族」、三次元で完全再現[exclamation×2]


と思った。
一度しか観て見ないので、深いところまでは全然わかっていないものの、マンガの通りの登場人物が、普通に舞台にいることに、ただただ瞠目していたら終わっていた感じ。


そして、みんな、本当に美しかった。
それが演劇である以上、「再現率」より「演技内容」の方が重要ではある。でも、宝塚の人は、それでも再現率に手を抜かない。その本気度の高さに圧倒された。
その上、演技も確かなんだから、控えめに言って最高[ひらめき]ということになる。


ポーの大劇場2.jpgそんなわけで、一幕終了後に、さっそくカクテルをいただき、こんなものでは酔わない私でしたが、ちゃんと作品には酔いました[るんるん]


フィナーレは、エドガーが少年ということもあって、これまでの「エリザベート」のような上演作品と一体化したカタルシスを感じることはなかったかな。
エドガーは大勢の女性に囲まれて踊るとか、無理だもんね…[ダッシュ(走り出すさま)]


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宝塚歌劇雪組東京公演「ひかりふる路」観劇 [┣宝塚観劇]

ミュージカル
「ひかりふる路~革命家、マクシミリアン・ロベスピエール~」


作・演出:生田大和
作曲:フランク・ワイルドホーン
音楽監督・編曲:太田健
音楽指揮:西野淳
振付:御織ゆみ乃、桜木涼介
殺陣:栗原直樹
装置:二村周作
衣装:有村淳
照明:笠原俊幸
音響:大坪正仁
小道具:太田遼
歌唱指導:斉藤かおる
演出助手:指田珠子
衣装補:加藤真美
舞台進行:庄司哲久


大劇場公演を観た時は、頭が沸騰して、あまりドラマを観ていなかったので、なるべく冷静に観ようと思いながらの観劇となった。
その結果、東京では、ちゃんとトップコンビの物語も脳内に入って来たし、全体の構成も理解できた。
なので、あらためて、この作品について考えてみたい。


まず、大劇場公演の時、特に気になってたオープニングの「国王処刑に全く関わらない“革命家”のリーダー」という点については、これを考えると脳が沸騰するので、ひたすら何も考えないようにしていたため、新たな意見は生じていない。
現在も、ドラマの構成上としても、歴史ネタとしても、ここは、違うんじゃないかな…と思っている。


良かったと思ったところは、トップコンビの芝居が、普通の恋愛を超越していて、最初から、愛と憎しみと許しと祈り…すべての感情をぶつけ合っていたところ。ヒロインが添え物ではなく生きた人間として主役の人生に影響を与える物語、というのは、宝塚では珍しくて、その辺は、生田先生の若い感覚が、新しい歌劇を創造しているな~と思った。
ただ、感情をぶつけ合うトップコンビ…という意味では、経験値の低い真彩希帆に、難易度の高いナンバーと、感情のままに叫ぶ台詞の両方を与えたのは、作・演出家として、いかがなものかと思う。途中、喉を傷めた真彩の美しい高音を聴けなかったのは、とても残念だった。


あと、大劇場公演の作家として、今後、考え直してほしいと思うのは、集団芝居の場面で、積極的に互いの名前を呼ぶ、ということが行われていないところ。ロベスピエールを囲むメンバーは、雪組の路線男役陣だし、何回も出てくるので、なんとなく分かってくるが、ロベスピエールを陥れようとするメンバーの謀議などは、誰が誰か、一瞬では理解できない。
もちろん、日常会話で、いちいち相手の名を呼ぶことは少ないとは思うが、そこは、芝居のウソというものじゃないかと思う。


それも含めて、新しい芝居を目指した…と言われたらそれまでだが、一方で、夏美よう演じるタレーランの芝居は、実に古臭い前時代的な歌舞伎かっていうくらいの悪役っぷり。
この辺りの、古さと新しさの間の違和感も、改善してほしい部分かな。


ラストシーンの美しさは、装置も含めて感動的だったので、そこに持って行く物語作りを早急に頑張ってほしいと思った。
出演者への感想は、生田先生への気持ちとは全く別なので、別記事で。


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東京宝塚劇場雪組新人公演(ひかりふる路)ミニ感想 [┣宝塚観劇]

雪組新人公演を観劇してきました[exclamation×2]


新人公演担当は、指田珠子さん。生田先生の脚本を素直に舞台化している感じで好感が持てた。
本公演は、ロベスピエール大好きの脚本家・生田大和の渾身の脚本を、望海風斗大好きの演出家・生田大和が渾身の演出で破壊するという、ヲタクならではの自作自演感が痛々しくて、私はすごく苦手な作品なのだが、普通に演出すれば、普通なんだな…ということが分かってよかった。いつか再演したら、観に行けるかもしれない。


では、出演者の感想。


綾凰華(マクシミリアン・ロベスピエール)…革命の指導者として、真摯に革命に向き合う。そのピュアな姿は、革命そのものであり、それゆえ彼を付け狙うマリー=アンヌさえ惹きつける魅力を持つ。恐怖政治と口にはしながらも、最後まで真摯に革命を遂行しようとする生真面目で心優しい青年の悲しい理想論に胸を打たれた。
声がステキ[揺れるハート]
初主演、おめでとうございました[ぴかぴか(新しい)]
挨拶のうるうる具合とか、ややとっ散らかった感じにも、おばちゃんはウルっとしましたよ[わーい(嬉しい顔)]


潤花(マリー=アンヌ)…貴族というだけで、家族と恋人を皆殺しにされた「革命の犠牲者」。革命の象徴たるロベスピエールを殺すために近づいたものの、だんだんと彼の語る「革命の理想」が実現することを願い、男性としても惹かれていく。
ヘアスタイルなど、本役(真彩希帆)に近いものだったが、真彩では顔の形が違うため、魅力が伝わりづらかった。しかし、ワイルドホーンの難しい楽曲に研2という学年で果敢に挑戦し、大きな破たんがなかったことは、称賛したい。


叶ゆうり(ジョルジュ・ジャック・ダントン)…本役(彩風咲奈)が、軽くハスキーな声質なのに対して、重厚でよく通る声の持ち主。キャラクター的に、2番手というよりは、脇の重鎮的な演じ方だったが、力強く、台詞に説得力もある。綾との硬軟対極のコンビネーションもよく、大殊勲賞。
後半のロベスピエール説得の場面は、ちょっと役が掴めてないようにも感じたが、そこ以外は見事なダントンだった。


陽向春輝(タレーラン・ベリゴール)…夏美よう演じる一癖も二癖もある人物を思い切り演じていて気持ちよかった。お芝居大好きなんだね~と分かる若手は大好物です[黒ハート]


永久輝せあ(カミーユ・デムーラン)…心優しくて、ちょっと気が弱くて、愛妻家のカミーユが似合っていた。ダントンに手紙を書く場面の歌が、魂の叫びのようで、素晴らしかった[ぴかぴか(新しい)]


彩みちる(ルノー夫人)…肝っ玉の据わった女性、というのが伝わって来て、ああ、こういう役もできるのか、と感心[ひらめき]


ゆめ真音(ルノー)…ルノーは印刷所の主人で、デムーランの記事を印刷してくれたり、ロベスピエールの紹介で身寄りのないマリー=アンヌを我が子のようにかわいがってくれるのだが、新人公演では、ついでに新聞売りまでしていた[exclamation×2]雪組の歌ウマ下級生のゆめだが、今回は低音にやや苦労していたようにも感じたが、その分、シブい声も出るんだな~と意外な魅力に気づいた。


星南のぞみ(マノン・ロラン夫人)…本役は男役の彩凪翔だが、あまり、そちらに寄せず、女役ならではのロラン夫人を作っていた印象。だいぶお芝居できるようになってきて、一安心。


諏訪さき(ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト)…本役の朝美絢より、ぐっと男っぽいサン=ジュスト像を作ってきて、ロベスピエールへの異常な崇拝度はその分低い感じ。本役と違うアプローチでもちゃんと成立させ、強い印象を残したと思う。


縣千(フィリップ・ル・バ)…美形なので、ル・バのキャラはよく似合っていた。長ゼリフも違和感なく、安心して観ていられた。


出演者の皆様、そして、指田さん、本当にお疲れ様でした。素晴らしい新公でした。
ぶっちゃけ、私は本公より好きかも…です[ぴかぴか(新しい)]


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宝塚宙組東京特別公演「不滅の棘」観劇 [┣宝塚観劇]

ロマンス
「不滅の棘」


原作:カレル・チャペック
脚本・演出:木村信司
翻訳:田才益夫
作曲・編曲:甲斐正人
振付:羽山紀代美、麻咲梨乃
ファイティング・コーディネーター:渥美博
装置:大田創
衣装:有村淳
照明:勝柴次朗
音響:大坪正仁
小道具:市川ふみ
歌唱指導:山口正義
演出補:鈴木圭
舞台進行:阪田健嗣
舞台美術製作:株式会社宝塚舞台
録音演奏:宝塚ニューサウンズ
制作:村上浩爾
制作補:三木規靖
制作・著作:宝塚歌劇団
主催:阪急電鉄株式会社


初演は2003年。当時、カレル・チャペックの著作に絡んだ仕事をしていたこともあり、原作も買って、気合い満々でドラマシティで観劇したことを覚えている。
白一色の、暗い不気味な、不思議な世界に、真っ赤な血の花が咲いたような…宝塚らしくない世界観の作品だった。そこに、惜しげもなくトップコンビ以下当時の花組スターをドバっと投入して、まあ、ほぼほぼ役不足感否めなかったあの舞台を…やるんだなぁ~というのが、上演前の正直な感想だった。


今回は、宙組3番手の愛月ひかるの初東上DC公演だったので、そのもったいなさを感じることはなかった。
トップコンビ主演公演の裏側で上演され、スタークラスが綺麗に二分された公演の方が、作品の魅力が観客に届くのかもしれない。


前回公演も一度しか観ていないので、すべてを覚えているとは言えないが、セットや衣装の雰囲気は、前回と同じものを感じた。
チェコにある「カレル橋」と、その上にある十字架と、行き交う人々が、年月の流れを表現し、エロール(愛月)の上にだけ流れない不自然な「時」が強調される仕掛け。
この公演が、大劇場公演「ポーの一族」と同じ時期に上演されているのも、なにかの巡り合わせか。
我々人間は、たかだか百年に満たない一生を、笑ったり泣いたり大騒ぎしながら生きている。それは、もしかしたら、その程度の長さしかないから全力で笑ったり泣いたりできるのであって、何百年も生き続けたら、飽き飽きするのかもね…なんて、思う。それとも、同じ長い年月を共に生きてくれる人がいるなら、長い人生も楽しいものなのだろうか。


エロールは、17世紀初め、エリイという名だった頃に不死の薬を父親に飲まされる。
そして、19世紀、彼は一人の女性と恋をする。たった一人で200年を生きた後、どんな思いで恋をしたのだろうか。
さらに100年が過ぎ、エリイは人気歌手、エロール・マックスウェルとなっていた。そして、公園で訪れたプラハの地で、自らの子孫であるフリーダ・ムハ(遥羽らら)に出会う。そして彼女が抱えている訴訟に協力し、ある家に忍び込んで銃弾を受ける。不死身なのでそれくらいで死にはしないが、そろそろ不死の薬を調合しないと灰になってしまう時期には来ているらしい。
かつて、彼を愛したジプシーの老婆(美風舞良)や、フリーダや、エロールとアバンチュールを楽しむタチアナ(純矢ちとせ)、その娘で、二人の関係にショックを受け、自殺するクリスティーナ(華妃まいあ)を根こそぎ不幸にして、エロールは消えてしまう。直前まで、薬を手に入れようと模索していたのに。
残された、薬のレシピをフリーダは暖炉に投げ入れる。かぐや姫が去った後、帝が不死の薬を燃やしてしまったという話を思い出した。


主演の愛月は、これがドラマシティ&東上公演初主演。ゆうひさんファンとしては、「TRAFALGAR」で息子を演じていたあの愛ちゃんが…と、時の流れをあらためて感じるが、白い衣装が似合い、セクシーな魅力たっぷりの人気歌手を艶やかに演じる。愛月の本質は、もっと誠実なキャラクターのような気もするが、今は、幅を広げる時期なのだろう。こういう役もなかなか魅力的だった。
トップコンビの別箱公演というくくりではなくなったため、ヒロインというほどの立場ではなくなったが、フリーダを演じる遥羽も抜擢に応えた。100年前にエリイと愛し合ったフリーダ・プルスは、典型的な宝塚の娘役として、20世紀のフリーダは、活発な現代娘に、どちらも魅力的に演じ分けていた。
純矢美風は、楽々と役を自分のものにしている感じ。この二人あればこその「不滅の棘」だったかもしれない。
花組版では、瀬奈じゅんが演じ、「役不足とはこういうことを言うんだな…」と感じたアルベルトを演じたのは、澄輝さやと。どうしてどうして、別箱公演の二番手としては、なかなかおいしい役で、丁寧にアルベルトと向き合う澄輝の芝居には好感を持った。その父親・コレナティは、澄輝より一学年下の凛城きらだったが、幅広い役柄をどれも自分のものにしてしまう稀有な役者。ゆうひさんとの共演が一公演だけだったのが悔やまれる。(あいかわらずゆうひさん目線)
その他大きな役としては、タチアナの子であるハンス(留依蒔世)とクリスティーヌ(華妃まいあ)だが、初演の彩吹真央、遠野あすかがスター力で押し切っていたのに比べると、ぶっちゃけ地味な感じはした。が、その分、当時の花組がスター力で不思議な作品を自分たちの方に寄せていたのが、全員の力で作品を丁寧に再構成している象徴のように感じた。


白い世界と白い衣装が眩しい公演。宝塚という世界は、エロールの夢の中の世界に近いのかもしれない。


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宝塚歌劇月組全国ツアー公演「鳳凰伝」他観劇 [┣宝塚観劇]

グランド・ロマンス
「鳳凰伝―カラフとトゥーランドット―」


脚本・演出:木村信司
作曲・編曲:甲斐正人
振付:羽山紀代美、竹邑類、百花沙里
ファイティング・コーディネーター:渥美博
装置:稲生英介
衣装:有村淳
照明:嶋田友紀子
音響:加門清邦
小道具:松木久尚
歌唱指導:山口正義
所作指導:袁英明
演出補:鈴木圭
舞台進行:日笠山秀観


和央ようか&花總まりで上演された時、けっこうドン引きした記憶があるのだが、今回は、それほどのドン引きではなかったかも。まあ、あんまり宝塚でやるべき作品とは思わないけど[爆弾]


最初にまず、この点については言及しておきたい。
プッチーニのオペラ「トゥーランドット」は、19世紀から20世紀初頭のヨーロッパ人の世界観がバックボーンにある。アジア=野蛮みたいな…。とはいえ、「誰も寝てはならぬ」など素晴らしい音楽のせいか、上演禁止になることなく、今日を迎えている。
別に、わざわざ、このストーリーで、新たな楽曲を作って21世紀に上演する意味は、どこにもない。特に、日本で。
だって、アジア人なら、わかるはずだ。
中国に「トゥーランドット」なんていう名前の姫がいることのおかしさ。(漢字でどう書くんだよ[exclamation&question]
姫が他国の王子を死刑に出来るおかしさ。(理不尽な皇帝ならともかく。また、中国にも悪女列伝っていうのはあるが、すべて、皇帝の妃であり、娘ということはない。皇帝の娘には、権限がないし、皇帝を動かす力もない。)
ラストでカラフが中国皇帝となるおかしさ。(女婿の立場で大中国皇帝になれるわけないじゃん[どんっ(衝撃)]
プッチーニのオペラをそのまま上演するのであれば改変できないのもわかるが、新たに脚本を書き起こして、新たに作曲する作品に、こんなおかしな部分がそのままになっているセンスが、どうしても許せない。


だいたい、この「鳳凰伝」、主人公のカラフがどこの王子か、明言されていないのだから、トゥーランドットのいる国だって中国である必要はない、と21世紀の日本人として私は考える。宝塚で上演される作品は、これだけ世界を視野に入れた劇団にしては、諸外国からの目に鈍感すぎると常々思っているが、今回の舞台も、15年ぶりに再演するのなら、もう一度考え直すべきチャンスがあったのに、これなんだよね…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


さて、「鳳凰伝」は、オペラ「トゥーランドット」に忠実に作られているかというと、実は、それほどでもない。
作品テーマのようなものは、木村先生のオリジナルと言っていいと思う。
まず、第一に、皇帝の娘として生まれたトゥーランドット姫の恋、というテーマがある。彼女は、皇帝の娘としてなに不自由なく育ってきた。しかし、男の子でないために、皇帝になることはできない。そして、この国が戦争に負けた時に、「犠牲になり蹂躙された姫の物語」が、トゥーランドット姫の幼い頃からのお気に入りの物語だったらしい。
この、
[1]男に生まれなかったために、皇帝の娘でありながら、何者でもない自分[むかっ(怒り)]
[2]男達の戦いによって、犠牲になるのは女である[ひらめき]
[3]戦争によって他国を滅ぼすことはできなくても、美貌と才覚で他国の王子を破滅させることはできる[グッド(上向き矢印)]
[4]とにかく、「自分を認めない」「女を戦争の犠牲にする」「美しい女にフラフラして国を亡ぼす」男というものが大嫌い[exclamation×2]
という、コテコテの男嫌いな姫・トゥーランドットが、主人公のカラフという文武両道なイケメンに出会い、自分でも気づかないうちに、恋の虜になってしまう…というか、むしろ、唐突に「彼のものになりたい」と欲するようになる。(でも素直になれなくて、意固地になったりしているのを、タマルに命懸けで思い知らされて、ようやく愛を認める。)


うわー、ほんと、ありえないし、迷惑な女…[むかっ(怒り)]


15年前は単にキモチワルイ話だな…という感想しかなかったが、2017年ともなると、むしろ、木村先生のマッチョ幻想に呆れる[ちっ(怒った顔)]
コテコテの男嫌いが、ある日、ステキな男性に、ちょっと乱暴に求愛されて、その足元に跪くとか…もう、ほんと、いいトシして、何、夢見てんだよ…[むかっ(怒り)]というか、ね。


第二のテーマとして、さすらいの王子、カラフのモテ男ぶり、という物語。
彼は、男嫌いのトゥーランドットをめろめろにしてしまうだけじゃない。コラサン国の王女・アデルマ姫もカラフに一目惚れ、彼の身分も知らずに求愛する。父・ティムール王に仕える奴隷のタマルも、命懸けでカラフへの無償の愛を貫く。女だけではない。旅の途中で知り合った盗賊の首領・バラクもカラフのために命を投げ出すほどの友情を感じている。
そんなカラフは、亡国の王子でありながら、国の再興も考えず、トゥーランドット姫に一目惚れすると、無謀にも各国の王子が敗れて死んだ姫の謎かけに挑戦し、老いた父も放置する。必死で愛を訴えるアデルマ姫を全力で振る。奴隷のタマルが死んでも、1分後には、トゥーランドット姫を抱いてご満悦。バラクのことは、たぶん思い出しもしないだろう。
愛され男、カラフは徹底的に無慈悲であり、ドS男[爆弾][爆弾][爆弾]


カラフの側から見ても、木村先生のマッチョ幻想(ハードボイルドだぜっ[手(チョキ)])…といえるかもしれない。


話だけ見ると、本当に腹の立つ舞台なのだが、今回の月組公演、実は、それほどの悪印象ではなかった。というか、ステキだと思った。


それは、物語の欠点を補って余りある、トップコンビの魅力にほかならない、のだろう。珠城りょうのおおらかさが、役から透けて見え、無慈悲なモテ男の内側に誠実さや計り知れない懐の深さを表現するのだろう。
愛希れいかの心身の柔軟さが、頑なに見える姫を支えているから、彼女が愛を受け入れる過程が、気持ち悪くならない。トゥーランドットは、多くの理不尽な男たちの所業を見聞きし過ぎて、「男」とはすべからくそういうものだと思ってしまった。それ以外の男を知らなかったのだ、父親を含めて。けれど、彼女の心は柔軟さをなくしていなかったので、世にもまれなカラフという男の美点にちゃんと気づけたのだ。気づいたら、「世にもまれな男」をゲットするしかないでしょう。(たぶん愛希なら、タマルが自殺する前にそこに気づけたはずだが、そこは木村脚本のせいで間に合わなかった…[むかっ(怒り)]
その他、ティムール王に扮した箙かおるの、もはやひれ伏すしかないような、神々しさ[ぴかぴか(新しい)]とか、タマルを演じた海乃美月の硬質な美しさ[かわいい]とか、皇帝を演じた輝月ゆうまの絶対感とか、コメディリリーフ的な紫門ゆりや千海華蘭の安定感[ダッシュ(走り出すさま)]とか、宙組公演では、2番手娘役のポジション(だったらしい…と、後に彩乃かなみが、博多座公演でタマル⇒アデルマになったことで知った…)だったアデルマ役を、恋する女の狂気を交えて演じ切った麗泉里の大胆さ[ひらめき]とか…本当にキャストあってこその公演。
プログラムを見る限り、木村先生、全然自覚がないみたいだけど…[爆弾][爆弾][爆弾](いや、春日野先生を持ち出したあたり、一定数の批判があることはご存じなのかもしれないが。)


ツアー公演で、セットが簡素化されている中、朗々と歌う珠城の姿に、トップとしての自信と矜持を感じた。


ショー・ファンタジー
「CRYSTAL TAKARAZUKA―イメージの結晶―」


作・演出:中村暁
作曲・編曲:西村耕次、鞍富真一、青木朝子
作曲・編曲・録音音楽指揮:手島恭子
振付:御織ゆみ乃、若央りさ、平澤智、AYAKO
装置:新宮有紀
衣装:任田幾英
照明:嶋田友紀子
音響:加門清邦
小道具:松木久尚
歌唱指導:彩華千鶴
演出助手:熊倉飛鳥
衣装補:加藤真美
舞台進行:日笠山秀観


“クリタカ”って、たしか、私が珠城完落ちした作品だったよね…[あせあせ(飛び散る汗)]と、観劇中に気づいた。懐かしい…[黒ハート]
このショーは、前トップ龍真咲時代の月組ショー(3年半前)なので、出演者もずいぶん変わってしまっているし、全体の雰囲気はずいぶん変わっていた。

ダンサブルなプロローグの最後に、トップ珠城の客席降りがある。これがあるから、全ツは好き[黒ハート]
続く場面は、メンバーがざっくりと変わって、Mr.シンデレラが月城かなと、魔法使いマーリンが紫門、ジーニーが叶羽時大劇場から続けてママを演じる輝月が、相変わらず目を奪う。ディズニー映画「シンデレラ」の継母、ケイト・ブランシェットばりに美人で大きくて意地が悪い。
大劇場では、美弥るりか凪七瑠海が出ている場面だったので、二人が主役のシーンに見えたが、今回は、Mr.シンデレラに焦点が当たるような形になっていたような。具体的にどの辺が違うか、と聞かれると微妙だけど。
続くコッペリウスの場面は、コッペリウス博士役が千海に変わり、人数も大幅に減ったが、愛希の素晴らしい人形振りはさらに磨きがかかり、非情に満足[グッド(上向き矢印)]
大劇場では大興奮だったCRYSTALSのシーンは、紫門・千海・輝月・蓮つかさの4名で。人数減もものともしない、イケメンぶりだった。
中詰は、ジプシー・キングスメドレー。この中詰好きだった~[るんるん]と思い出す。
そして、「しずく」の場面。場面前のソロは月城素直な歌声が心地よかった。
しずくの群舞も懐かしく、全国ツアーメンバーだけの少人数にもかかわらず、パワーがすごかった。
フィナーレは、愛希を中心とした少人数娘役シーンが、大劇場でも好きだったが、今回もステキだった。愛希は、歴史に残るトップ娘役の一人になったかもしれない。


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ショー「Bouquet de TAKARAZUKA」感想 [┣宝塚観劇]

タカラヅカレビュー90周年
「Bouquet de Takarazuka(ブーケ ド タカラヅカ)」


作・演出:酒井澄夫
作曲・編曲:吉田優子、鞍富真一、竹内一宏、青木朝子
音楽指揮:御崎惠
振付:名倉加代子、若央りさ、AYAKO、鳥居かほり
装置:新宮有紀
衣装:有村淳
照明:笠原俊幸
音響:実吉英一
小道具:増田恭兵
歌唱指導:ちあきしん
イラストレーション:永田萌
演出助手:谷貴矢
衣装補:加藤真美
舞台進行:久松万奈美、香取克英


第1~3場 プロローグ
ブランコからトップスターが降りてくるという典型的なレビューっぽいプロローグで始まるが、結構、攻めの内容で、すみおちゃん、まだまだ進化しようとしてるのね、と思うショーだった。
プロローグは、男役も娘役も、落ち着いた色味のパステルカラーの衣装に花がたっぷりと付いている。娘役の衣装に花やリボンが付いているのは珍しくないが、男役の衣装にも付いているのは、かなり珍しい。そもそも男役がベージュ系の衣装でプロローグというのも相当珍しい。しかし、いやな感じはしなくて、懐かしさと優しさが沁みわたる、素敵なプロローグだった。


第4・5場 恋の花咲く道
続く場面は、礼真琴を中心とする一景。
若者()が銀橋を渡りながら一曲。その歌声が素晴らしい。男役の声を封じることで、若さの表現になる。それでいて、若さ=溌剌みたいなステレオタイプではなく、夢見る青年的雰囲気が出ている一曲。
彼はそこで、蝶や花と仲良くなり、一人の少女(天彩峰里)と出会い、また旅立つ。
ここで彼が歌う曲と対話するように演奏される「すみれの花咲く頃」。なんて美しいのだろう。
衣装は、旅する青年=吟遊詩人みたいな定番ではなく、ちょっとハードなバックパッカー風なのもいい。
そして最後に、もう一度逆から銀橋を渡り歌うのだが、その時は、曲の盛り上がりのところで少し男役の歌い方を入れている。そしてまた最初の透明感溢れる歌声に戻る。その自在な歌声にまた痺れる。


第6~10場 シャンソン・ド・パリ
ここから少し早いが中詰へ。 エッフェル塔を背景にシャンソンで繋ぐという定番のシーンだが、途中で少しドラマチックな場面や、コント的なシーンを取り込んで目新しく作っている。
それぞれは焼き直し的なものでも、全体のまとめ方が新鮮。
特に、七海ひろきを中心に音波みのり、愛水せれ奈が恋のさや当てを演じる“アパシュ”の場面は秀逸。
美男美女の激しいやり取りと、その後の展開にハッとする。この公演で退団する愛水が思い切りのいいダンスを見せていて嬉しい。
そこからカラフルな衣装に身を包んだのソロになり、中詰らしい雰囲気に。
ピギャル、アパシュの各シーンの出演者がダンサーに加わり、以外は89期、91期だけの場面は、退団者がいる期ということでの贐かな。
古典「夜霧のモンマルトル」は、紅ゆずる。この枠は、トップスターというよりは、歌ウマ枠だと思っていたので、ちょっと意外。
ここから「セ・マニフィーク」でのパレード。ファン歴長いものにとっては、懐かしい&新しいステキな中詰だった。


第11場 サ・セ・ラムール
若手グループの銀橋渡りは、95期瀬央ゆりあ&96期紫藤りゅう&98期天華えま。この三人は芝居でもトリオだったし、今後の星組の「若手」枠はこのメンバーにシフトしていくんだろうな。


第12~14場 赤い薔薇
三角関係的な芝居っぽいシーンは、わりとやりつくされていると思ったが、まだパターンがあったらしい。
ジプシーの男(凪七・七海ら)に囲まれて我儘に振る舞う美女(綺咲)。そこにスパニッシュ風の男()が登場して、美女と情熱的に踊る。ところが新たに闘牛士風の男()が登場すると、美女はそっちになびく。
の争いになる。ここでは圧倒的にが強い。はナイフを取り出す。が、のナイフを奪い取り、振り上げる。そこで美女が叫んだのではナイフを捨てる。
助かったは、駆け寄る美女を振り払って去っていく。美女や他のジプシーもを追って去っていく。
一人残されたの慟哭の歌でシーンは終わる。
トップなのに、理不尽な目に遭う、なんじゃこりゃーなシーンだけど、なんか好きだった。


第15~20場 フィナーレ
ロケットは、すみれの花のロケットということで、淡い紫と緑の衣装。色的には少し微妙かな。
続く、金の衣装の群舞(宝塚我が心の故郷)は素敵だった。サヨナラの三人の場面もあったりして。
三組のデュエットダンス(赤・白・青の衣装)は、曲が「花夢幻」。これを洋装で踊るのが新鮮だと思った。最初はが歌うのだが、途中からシンガー役として凪七が登場。この歌が良かった。ダンサー・音波の背中の美しさに痺れた。
エトワールは天彩。組替えしても頑張ってほしい。


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宝塚星組東京公演「ベルリン、わが愛」観劇 [┣宝塚観劇]

ミュージカル
「ベルリン、わが愛」


作・演出:原田諒
作曲・編曲:玉麻尚一
音楽指揮:清川知己
振付:麻咲梨乃、AYAKO
装置:松井るみ
衣装:有村淳
照明:勝柴次朗
音響:大坪正仁
小道具:三好佑磨
歌唱指導:山口正義
映像:栗山聡之
演出助手:栗田優香
衣装補:加藤真美
舞台進行:久松万奈美、香取克英
協力:株式会社シネヴィス


夜野の天敵、原田先生の作品。今回もナチスの無神経な使い方や、歴史を結果からしか見ない中二脳に怒り心頭[むかっ(怒り)]どうして評判のよかったショー作家に転身しないのか、ほんと、迷惑この上ない。


初っ端、ドイツの映画会社UFA(ウーファ)の超大作『メトロポリス』(1927)の映像が流れる。…1927年と聞いただけで気分が悪くなる[むかっ(怒り)](「華やかなりし日々」の舞台は1927年のNY。)
この映画、100年後の未来を舞台にしたディストピア映画で、この製作費が原因でUFAが倒産したと噂される超大作。(ただ、史実としては、ドイツより前にアメリカでも公開されているし、必ずしも失敗作と認定されているわけではないようだ。)
一応、この舞台では、この映画を“金食い虫の失敗作”と認定しているようだ。でも…映画のフィルムまで借りておいて、ずいぶん失礼な話だ[むかっ(怒り)]Disるんなら、架空の映画でも、架空の映画会社でもよくない[exclamation&question]


その映画の監督フリッツ・ラングをはじめとして、作家エーリッヒ・ケストナー、後のナチス宣伝相ゲッペルス、ジョセフィン・ベイカーなど著名人も多数登場するこの作品だが、その人を使う理由…ある[exclamation&question]くらいの薄さだったりする。
この辺りは原田先生あるあるとして放置するとしても、ケストナーが絵本作家だなんて聞いたことないし。(ケストナーはたしかに児童文学作品を多く書いていて、その本はそれゆえに挿絵が入っていたが、そういうものを“絵本”とは呼ばない。)
歴史上の人物を使う時は、せめて、その人へのリスペクトは持って使ってほしいと思う。
絵本作家の件もそうだが、ケストナーは、生涯を共に暮らしたルイーゼロッテと、結婚していない。そこには、ケストナーあるいはルイーゼロッテの事情なり考えがあったと思う。恋愛を描く芝居は、宝塚には不可欠だが、そういう実在のカップルに敢えて舞台上でプロポーズのシーンを作るというのは、全然リスペクトのかけらも感じられない態度じゃないかな。


そして、この物語は1927年からスタートする。
この年、『メトロポリス』の失敗の穴を埋める作品として、主人公のテオ(紅ゆずる)がトーキー映画を製作することになる。
その映画、『忘れじの恋』の公開は翌年くらいだろうか。そこで、映画好きのゲッペルス(凪七瑠海)が、小さな役で出演していたジル(綺咲愛里)を見初める。
でも…ナチスがドイツの第1党として政権を掌握するのは、1933年なんだよね…
反ユダヤが国是となったのは、当然それ以降なわけで、1928年の段階では、ヒトラー自身は反ユダヤをスローガンにしていたけど、政権政党にならない限りは、政策は実行できない。一部のユダヤ人が危機感を感じて亡命を始めたのも、ナチスが政権を取った1933年以降になる。
原田先生は、デビュー作『Je Chante』でも、政権掌握前のナチスドイツが、フランスでユダヤ人弾圧をする…とか恐ろしいことを書いているが、さすがのナチスも、そんなことはしていない。
ナチスドイツを書いておけば、単純に悪と認定出来て楽だと思っているかもしれないが、バウホールデビュー作から、全然その姿勢が変わっていないとは[むかっ(怒り)]
歴史上の事件も、人物も、自分の都合で動かし、その人を描こうとか、その人の人生を知ってもらおうとかいう意識がまったくない。そこが8年近く経っても全く変わらない。この人にドラマを書いてほしくない気持ちは募るばかりだ[ちっ(怒った顔)]


というわけで、不快モード全開で観劇し続けたものの…出演者には罪はないよね…
以下、出演者感想を書いて、気分を紛らわせたいと思います。


紅ゆずる(テオ・ヴェーグマン)…ドイツの映画会社UFAで助監督をしていたが、『メトロポリス』の赤字を埋める低予算映画の監督に立候補し、映画監督デビューすることになる。
明るく元気で前向きな青年役が、それほど似合う気がしなかった。の本来のキャラクターからすれば適役なはずなのに。やはり、台詞に実がないせいだろうか。あと、この公演では、台詞回しもすごく気になった。


綺咲愛里(ジル・クライン)…ネルゾン劇場のレビューガールだったが、映画女優に立候補した同僚のレーニに誘われ、映画女優の道を歩むことに。最初は小さな役だったが、そこで頭角を現し、UFAを代表する女優に。しかしユダヤ人の血を引いていることが問題になり…という風に物語は進んでいく。
ネルゾン劇場のジョセフィン・ベーカーのショーでは、端の方で踊っていたのがリアルだったが、あの出し方では、そこに綺咲がいるのがわからない。(何回か観ると、最初から探すのでもちろん大丈夫だが)
ヒロインの出し方について、演出家にはマジで考えてほしい。ライティングとか、なにかドジるとか、なんかあるでしょう[exclamation&question]トップ娘役は、それなりにファンもいるのだから、ちゃんと客席に配慮してほしい。
デビュー後は、そりゃすぐに頭角を現すでしょう[exclamation]と納得できる美貌。好演だった。でも、前回も女優役だったよね…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


礼真琴(エーリッヒ・ケストナー)…絵本作家(本作ではそういうことになっている)で、テオの親友。テオの処女作の脚本を担当する。カフェのウェイトレスをしているルイーゼロッテと恋仲。
すごく魅力的な青年。しかし、終わって家に帰ると、彼の役割ってなんだっけ[exclamation&question]と思ってしまった。それは、のせいじゃないけど、ケストナーの無駄遣い、そして、礼真琴の無駄遣い感が強い。爽やか好青年がニンに合っていて、ステキだったことは、もちろんなのだけど。


凪七瑠海(ヨーゼフ・ゲッペルス)…ナチスの全国宣伝指導者で映画愛好家、だそうです。やはり、まだ、宣伝相ではない時代の話らしい。恐妻家のせいか、可憐な美人が好みのタイプらしい。ジルに対しては権力ずくで我がものとしようとするが、拒絶され、彼女の出自(ユダヤ人)をネタに、UFAに対するいやがらせを始める。
ありがちなステレオタイプの悪役だが、二枚目の凪七が演じると、あまり説得力がない。ジルに固執しなくても、女なんてよりどりみどりだろうと思っちゃうからかな。それでもジルに拘る…みたいな、偏執狂的な部分を宝塚の二枚目男役に求めるのって、どうなんだろうか。
凪七がどんな役でも誠実に取り組もうとしているだけに、どうも…ね。


壱城あずさ(アルフレート・フーゲンベルク)…ナチス寄りの大実業家。赤字がかさんだUFAを買収する。
色好みで、ユダヤ人への偏見バリバリ。ゲッペルスを出さずにフーゲンベルクをラスボスにする手もあったんじゃないか、というか、私ならそうする。
まあ、そうしたら、壱城には回っていないんだろうけど。
見事にアーリア人で、見事にイケメンで、見事に悪かったです[黒ハート]


七海ひろき(ニコラス・カウフマン)…UFAのプロデューサー。まったく書き込まれていない人物。それを、数字と人情の間で葛藤する人物、映画関係者への愛に溢れる、温かい、血の通った人物に作り上げた七海の造形力に、感服した。
とはいえ、芝居の好きな人に、芝居をさせてやれよ[ちっ(怒った顔)]と、思ってしまった[むかっ(怒り)]


天寿光希(ヴィクトール・ライマン)…サイレント映画のベテラン俳優。テオたちの溜まり場、カフェ・フリードリヒスホーフに若い頃、日参していて、現在は女将をやっているゲルダ(万里柚美)とはいい仲だったらしい。最初はテオの映画への協力を断るが、第2作である「ビスマルクよ永遠に」には、ビスマルク役で出演することを快諾する。
ゲルダとの場面がけっこうな尺を取っている辺り、原田先生は天寿という役者をお気に入りなんだと思う。そして、天寿は、ちゃんと期待に応える実力を持っている。全編を通して、この場面だけは、納得できる名シーンだった。


音波みのり(レーニ・リーフェンシュタール)…ネルゾン劇場の踊り子の一人。テオが来た時にしっかり自分を売り込んで、「忘れじの恋」のヒロインを射止める。しかし、人の意見に耳を貸さない姿勢が災いして、1シーンだけの出演だったジルに話題をさらわれる。それをテオの依怙贔屓と決めつけて騒ぎを起こした上、フーゲンベルクの愛人に収まって、ジルの出自を彼にばらしてしまう。
頭の弱そうな、底意地の悪そうな、ステレオタイプの金髪美女を、これでもか[exclamation]と見せつけつつ、娘役の矜持を守り抜く姿に、ほろっとしてしまった。音波なら、腹芸でレーニのキャラを演じることもできただろうに、演出指示なのかな…という不満は残ったけど、振り切る力も素晴らしかったです[ぴかぴか(新しい)]


夏樹れい(ジョセフィン・ベイカー)…有名なレビュー歌手。これまでも宝塚の芝居には数々登場してきた魅力的なスター。本当に素敵だったが、これがサヨナラの男役に当てる役だったんだろうか…というのは少し思った。もちろん、目立つ役なので本人は嬉しかったと思うけど、ファンの方が複雑だったのでは…という気がした。
そして、あんまりジョセフィン・ベイカーを出す意味を感じない…[爆弾][爆弾][爆弾]


瀬央ゆりあ(ロルフ・シェレンベルク)…カフェ・フリードリヒスホーフに出入りする若手俳優。歌の上手さを買われて、「忘れじの恋」の主人公に抜擢される。
瀬央と、紫藤りゅう天華えまのトリオが、顔もよくスタイルもよく、三人並ぶと非常に目立つ。映画のスクリーンでも瀬央の顔立ちは、美青年そのもので、納得の配役だった。


有沙瞳(ルイーゼロッテ)…カフェ・フリードリヒスホーフのウェイトレスで、ケストナーの恋人。ケストナーに献身的に尽す。
星組に来て、すっかり可愛い娘役になったなぁ~と思った。典型的な若手娘役用の役だったが、ちゃんと淡い色の役も自分のものにしていたと思う。


次の公演は、みんなの個性がちゃんと生きる舞台になりますように……ちょっと不安だけど…[あせあせ(飛び散る汗)]


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宝塚専科バウホール公演「神家の七人」観劇 [┣宝塚観劇]

ミュージカル
「神家の七人」


作・演出:齋藤吉正
作曲・編曲:手島恭子
振付:若央りさ、百花沙里
装置:稲生英介
衣装:加藤真美
照明:佐渡孝治
音響:山本浩一
小道具:下農直幸
歌唱指導:山口正義
パペット製作:清水千華
演出助手:谷貴矢
舞台進行:表原渉
舞台美術製作:株式会社宝塚舞台
演奏:宝塚ニューサウンズ
制作:渡辺裕
制作補:松倉靖恵
制作・著作:宝塚歌劇団
主旨:阪急電鉄株式会社


久々の専科バウ公演。前回も良かったので、今回も期待いっぱいで、行ってきた。


タイトルが「神家の七人」なので、西部劇の「荒野の七人」のストーリーを下敷きにするのかな…と思っていたら、全然そんなことはなく、戦争から帰ってきたギャングの息子が、一家を廃業して幹部たちと一緒に神父になる修行をするという荒唐無稽な物語だった。
そして、観終ると、荒唐無稽にもかかわらず、なんだかほっこりしてしまう…そんな素敵な舞台だったし、専科生に囲まれた月組生の頑張りに胸が熱くなる公演だった。


第二次世界大戦後のアメリカ、ボルチモアが舞台。
全編を、DJ(早乙女わかば)がリクエスト曲を届けるラジオ番組を背景に進めていく。芝居の中のナンバーも、リクエスト曲のように紹介されたり、DJを介すことで、全体がひとつの劇中劇のような、フィクション感が増すため、荒唐無稽な物語が、より受け入れられるような下地になっている。


第二次世界大戦の欧州戦線で戦ったイヴァン・ターナー(轟悠)が帰国した日、それは、父である、マフィア企業の社長、ウィリアム・ターナー(華形ひかる)の葬儀の日だった。
急死したターナーを慕う幹部の6人の前で、イヴァンは、組織(ターナーズコーポレーション)の解散を宣言する。そして、自身は、見習い神父として、修道院に入ると言い出す。心の優しい子供だったイヴァンは、戦争経験を経て、二度と人を殺すことはしたくない、と固く心に決めていたのだった。
6人のおじさんたちは、悩んだ末、イヴァンと一緒に修行の道に進むことを決意する。そのメンバーは以下の通り。
クライド・モリス(汝鳥伶)…59歳。筆頭幹部。あがり症で、肝心な時に致命的なミスを犯す。こっそりと猫を飼っている。
アルフ・ブラウン(一樹千尋)…55歳。やたら気性が激しい。思慮も浅いらしい。
ハリー・スミス(悠真倫)…52歳。酒と女に目がない。
ルイス・フィッシャー(春海ゆう)…53歳。真面目なビジネスマン風。組織の頭脳。
ミック・タイガー(蒼瀬侑季)…48歳。マフィアなのになぜか、おねえキャラ。
レイ・カールズ(周旺真広)…67歳。耳と記憶があぶない。
つまり、これ、研33のが25歳の青年を演じる一方で、専科の芝居巧者3人と月組の研6~8の若者たちが、同じような年齢のおじさんを演じるという、ものすごいチャレンジ作品なのだ。
そもそも、こんなにたくさんの台詞しゃべったことないだろう、という生徒たちに、専科の重鎮に伍して、彼らの友人で仲間である芝居をしろというのだから、どれほどの無理難題…[爆弾]しかも、急死したボスの幽霊が現れ、その存在は、息子のイヴァンにしか見えないという設定のため、この自由な専科さんからも、さんざんいたずらを仕掛けられるという…[たらーっ(汗)]
月組下級生の皆さんの頑張りは、どれだけのものだったか、想像するだに、頭が下がります。でも、貴重な経験だったよね[exclamation×2]


そんなこんなで神に仕える生活に入った七人(だから「神家の七人」[ひらめき])だったが、イヴァンの前に、死んだ父の幽霊が現れる。そして、息子の身体を乗っ取り、かつての幹部たちと酒を飲んで大騒ぎ。翌朝、イヴァンは二日酔いでボロボロ…以後、ターナーはたびたびイヴァンの前に現れて、彼の身体を乗っ取るようになる。
ということは、演じ手ベースで考えると、これ、轟悠の一人二役ということになる。品行方正でおとなしいイヴァンと、豪放磊落なウィリアムを一瞬で演じ分ける。しかもコメディ。齋藤先生じゃなきゃ、トップ・オブ・トップにこんなこと、やらせられないわ[あせあせ(飛び散る汗)]


その分、乗っ取った方の華形は出番が少なくなるのか、というと、ちゃんとそこは仕掛けがあって、第二部は、25年前の若かりしウィリアムの恋の顛末が描かれる。
なぜ、イヴァンには母親がいないのか、生前、父は何も言わなかったが、そこには悲しい恋の物語があった。
ここで、早乙女わかばは、ウィリアムの恋人=イヴァンの母親の役を演じており、まあ、それが本役ということになるのかな。


最後の心残りとして、別れた妻の行方を探す父の幽霊(実態はイヴァン)は、やがてひとつの真実にめぐり会う。
欧州戦線でイヴァンの命を救った古いライター、それは、父がプロポーズの時に母に渡したものだった。イヴァンの母もまた、姪の身体を乗っ取ってイヴァンに会いに行った=その頃に亡くなったということらしい。
(姪も早乙女が演じており、回想シーンの叔母との演じ分けも見事だった[ひらめき]
父と母はどうやらあの世で再会することになりそう…と綺麗に纏まったような話の脇筋で、クライドの愛猫をめぐる爆笑の物語もあって、これがまた、最高に面白い。


主演のは、若者役ということで、少し高めの声を使っていたせいか、かなり声がしゃがれていて、歌も大丈夫かな[exclamation&question]という状態だったが、どんなことにも挑戦する柔軟さを失っていないので、次回は、もっとよい状態で観られることを願っている。
華形の自由さは、まるで銀ちゃんのようで、この人の銀ちゃんが観たいな~[黒ハート]と、ふと思った。
銀ちゃんと言えば、宝塚の生徒多しとはいえ、二度も遺影になって葬式が行われた人って他にいないのではないかしら[exclamation&question]しかも、その遺影が素晴らしすぎて、これ見てるだけで幸せな気分[わーい(嬉しい顔)]
愛すべき六人の幹部と、紅一点の早乙女の素晴らしさについては、なんと語ればよいのか。
早乙女は、物語全体のヒロインというべき、ロビン・ホワイトと、その姪、そして、きゃぴきゃぴしたラジオのDJ、さらにまさかのおじさんDJまで演じ分け、ただの娘役のとどまらない魅力を放出した。
月組下級生も含め、6人いるのに、それぞれのキャラがしっかり立っていて、生徒の学年差なんて飛び越えて、ちゃんとチームになっていたことの素晴らしさ、その一方で、ギャングとしてポーズを取った時の、男役としての経験値の差が如実に出るところ、どっちも真実で、どっちも感動した。
役者としては、経験値なんて関係ない、ガチ勝負[ひらめき]専科生を差し置いて、下級生がさらう場面もあった。
でも、ただギャングとして立つ場面だと、経験値が勝つ。芝居じゃなくて、居方だから。それは、長年培ったものが、意識しなくても出るかどうかのこと。
宝塚とは、問答無用の実力(華なども含めた意味で)世界であると同時に、男役・女役としては、経験値の世界でもある。だから、その一筋縄ではいかない世界に魅せられるんだな~[るんるん]と、あらためて感じることのできる、とてもいい公演だったと思う。


バウホールだけの公演は、少しもったいないと思う一方で、バウホールだからこそ成立した公演だとも思う。そういう意味でも、ほんと、一筋縄ではいかない公演。観られて幸せでした[揺れるハート]


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宝塚雪組大劇場公演 [┣宝塚観劇]

大劇場公演に行ってきました。


ひかりふる3.jpg実にフランス革命っぽいロビーのお花[黒ハート]


さて、私は、幼少の頃から「ベルサイユのばら」に慣れ親しんでおり、あの作品世界の登場人物が大好きで、刷り込まれまくっている。実在の人物についても。
だから、「1789」の時も、こんな風に文句を書いている。
三つ子の魂百まで、恐ろしい…[爆弾]
(あ、いえ、3歳じゃなかったですよ。ちゃんとマンガ読める年でした[あせあせ(飛び散る汗)]
そんなわけで、「ベルばら」(原作ですよ、念のため[パンチ])的なロベスピエールとサン・ジュストでないと、カラダが受けつけないらしい。
そうじゃないかとは思っていたが、かなり重症らしいと、このたび、気づいてしまった。
前途多難…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


というわけで、ここでの記事は、話半分、いや、十分の一に聞いてくださいませ。
いつものように、箇条書き形式で記載しております。


・これは「革命家」ロベスピエール(副題)の物語なのか[exclamation&question]
革命が成功した後、「苦悩する政治家-しかもあまりいけてないーロベスピエール」の物語に見えた。(生田先生の作品、前回も副題に違和感あったなぁ~[爆弾]
あ、政治家としてダメだったのは、彼の本質が革命家だからですよ、というエクスキューズか[exclamation&question]
他の多くの先行作品で描かれている「革命」シーンは、手垢がついているということで敬遠したのかもしれないが、まっすぐに革命を達成したロベスピエールをまず描いておかないと、単なるダークヒーローになってしまうと思った。
生田先生はダークヒーローの方が好きかもしれないが、私はそうじゃないから、消化不良[爆弾]


・一番気になったのは、物語が動いていく時、そのキッカケとなる重要な“キーワード”がイケてないこと。
たとえば、国王の死刑を決めるサン・ジュスト(朝美絢)の有名な演説。“敵だ”の連呼になっていて、頭悪そうに感じる。
たしかに要約(演説自体はけっこう長かったらしい)をよくよく読んでみると、“つまり敵である”というようなことが書いてあるが、えー、それなの[exclamation&question]そこなの[exclamation&question]と思った。
議会が、元国王ルイ・カペーが在任中に犯した罪のひとつひとつについて、死刑に値するかを吟味する中、いや、国王を裁く法律なんてない、と言うジロンド派、いや、そうじゃない、共和制が成立している以上、国王はその存在が罪である(人は罪なくして国王たりえない)、王とは、王制の下に君臨するか、共和制の下に滅びるか、それ以外の道はないと断じたのがサン・ジュスト、弱冠25歳。これがかっこいいのに…[ちっ(怒った顔)]
それを受けて、ロベスピエールが「国が栄えるため、ルイは死なねばならない」と断じて、さらにかっこいいのだ[ひらめき]
民衆にアピールする場面なら、分かりやすい言葉を連呼するのもアリだが、議会での発言なので、議論として成立するように描いてほしいというのがひとつ、そして、一番重要なこと、なんで国王の死刑を決める重大な演説を、「革命そのもの」だというロベスピエール(望海風斗)がしないの[exclamation&question]なにより「革命そのもの」のロベスピエールが、どうして国王の処刑を決めるその場にいないの[exclamation&question]
そんな人、革命家でもなんでもないやん[ちっ(怒った顔)][ちっ(怒った顔)][ちっ(怒った顔)]
(もちろん、史実では、その場にいて、上記のようなカッコいい発言をしています。)


・さきほどのサン・ジュストの演説(史実)について、一応、背景的な部分を少し書いておきたい。
国王がなぜ君臨できるか、というと、王権神授説というのがあって、それによれば、王権は神によって与えられたものだから、その不可侵性は神によって保証されていることになっている。
で、当時のフランスは、既に、王制を廃止し共和制を宣言している。
ということは、上記の説は完全に否定されなければならない。
神によって与えられた権利だ、と言って自由であり、対等であるべき人民の上に勝手に君臨したのだから、その罪は万死に値する。王であることは、共和制フランスにおいては、それだけで罪(ClimeだけでなくSinでもある。勝手に神のお墨付きを得ていると言っていたわけだから)だということかなーと私は理解している。


以下、さらに少々私見を述べさせていただくと。(研究家ではない一人の現代人の感覚なので、感覚のズレや見識違いなど、ご指摘いただけると嬉しいです。)
地続きであるヨーロッパの多くの国は、まだ絶対王政の中にいる。
民主主義国家が多数を占める現代であれば、革命が起きたら、王様は亡命すればいい。
でも、絶対王政に囲まれた唯一の共和制の国から国王が亡命したら、他国の力を借りてフランスを攻めてくる可能性がある。他国は、その絶対王政を否定する思想が地続きの国境を越えて自国に及ぶのを極端に恐れるだろうから。
だから、フランスとして共和制存続のためには、国王は処刑するか、生涯幽閉するか、以外の選択肢はない。
それでもジロンド派らが、処断できなかったのは、この世界史上ほぼ初めての事態に、新政府や国民議会がどう対応していいかの戸惑いを持っていたからだし、彼らの心に刷り込まれている権威(王権)への畏れは、相当強烈だったのではないかと推察する。そしておそらく、国王であったルイ・カペーは非の打ちどころのない良い人だったのだろう。
これに対して、「国王=罪」というのは、とても新しい概念だ。個人の資質とか、在任中にどんな罪をおかしたかとか、一切関係ない。彼が国王であったというまぎれもない事実が、彼を断罪するのだ。


・思ってもみなかった新しい概念を聴かされると、人は沈黙する。動揺する前に、理解できなくて沈黙する。私はそれが見たかった。人々の心に新しい楔が打ち込まれる瞬間を。
議会は議論の場だ。(日本にいると、時々、そうじゃないかもしれないとは思うが。)客席にいる私たちが、おおーっと思うような演説で、ジロンド派を駆逐してほしい。むしろ、話を盛ってもいいくらいだ。
なんだよ、「敵だ」って。そこからの敵味方入り混じっての大騒ぎって。演説が効いてないじゃないか[もうやだ~(悲しい顔)]


・ここですっかりしょんぼりしてしまった私は、たぶん、あまり、丁寧に舞台を観ていない。
その、なんとなく、眺めている私をさらに打ちのめしてくれたのが、ダントン(彩風咲奈)だった。
なんか、この人、頭が悪い…。
「るろうに」の齋藤一に、間違って佐之助が合体したような…。
この人には難しい言葉が通じない。本人も言葉より気持ちを大事にしているようだが、それだったら、嫁の気持ちくらい気づけ[exclamation]とも思う。(女の気持ちには鈍感っていう、例のエクスキューズですね…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]カッコ悪い…)


・そんなダントンが失脚した後、呼び戻すデムーラン(沙央くらま)。
策のないダントンをただ呼び戻したら、彼を窮地に陥れるだけなのに、なんでそんなことしたの[exclamation&question]
インテリの君が言葉を弄してもだめなことを、頭が悪い上にクリーンじゃない(とマクシムはレッテルを貼っている)ダントンがなぜ覆せる[exclamation&question]友達なら呼び戻すなよ~[もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)]


・このへんでもう、「ひかりふる路」どころか、脳内が暗黒状態になってしまったので、トップコンビの「物語」は、すでになんとなく…の記憶しかない。
が、マリー=アンヌちゃん、何をして暮らしているのか、不思議でならない。(印刷所のお世話になる前…ね)


永久輝せあが演じたル・バが、革命家の中では唯一の救い。この人を観ている時はつらくならない。まあ、そんなに描きこまれた人物ではないので、演じる側の自由度が高いのかもしれない。=単に私が生田先生の感性について行けないということか[あせあせ(飛び散る汗)]


・結局。ロベスピエールにとっての「ひかりふる路」が見えないまま、年を越すことになりそう。来年の東京で、少しは理解できるかしら[exclamation&question]


ひかりふる4.jpg休憩時間には、お酒で気持ちを落ち着ける…どうどう[ダッシュ(走り出すさま)]

・ショーは既視感たっぷりだったが、男役さんが1場面ずつ脚を見せてくれるのは、とても幸せかも[るんるん]


・三角関係の果てに誰か一人が死ぬという設定の結末は、こういうのも、こういうのも、こういうのもあるよね、というケーススタディをゆうひさんのサヨナラ公演で実演してくれたっけなーと思いつつ、宙組版との違いに思いを馳せた。
やっぱ、寿組長は稀有なスターなんだなぁ~、三角関係の一翼になるんだから。そして、自ら手を下さないのね、と、すっしーさんのボス感に、あらためて感動したりして。


・でも、可憐さは、うらら様よりあーさかも。(ちなみに同期)


・あやなちゃん(綾凰華)のロケットには驚いた。なんか超脚の綺麗な人が後から出てきた[exclamation]と思って顔を見たら[exclamation×2]いやー、組替え最初からしっかりアピールできてよかった。


・ひとこちゃん(永久輝)の女装については、お尻から脚のラインが実に見事だな~と、見惚れていました[黒ハート]


・雪組の誇るおねーさま陣、退団で様変わりしたけど、ちゃんと新しいおねーさまが育っている。よかった[揺れるハート]今、伸び悩んでくさっている娘役さん、雪組では、研10越えてからもうひと花ありますよっ[手(チョキ)]


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