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岸和田城 [┣続百名城]

大阪ライブの前日がゆうひさんFCの会合。何も考えずに、いつも宝塚を観る時の新幹線を予約してしまっていた。いったいその時間まで何をしよう…[あせあせ(飛び散る汗)]日程が近づくにつれ、頭を悩ませる。雪組大劇場公演も考えたけど、移動がバタバタしそうだったので、化粧タイムのことなど考えて断念[爆弾]
というわけで、続百名城のひとつ、岸和田城に行くことにした。
初めての南海電鉄に乗り、「蛸地蔵」駅で下車。グーグルマップ様の導くままに歩いていると、いきなり、視界が開けた。
岸和田城‐1.jpgおおー[exclamation×2]お城だ[exclamation×2]


こちらの天守閣は昭和29(1954)年の再建。
成立時期は正確には不明だが、江戸時代に大坂の「南の守り」として西国への備えとなっていたそうなので、江戸時代に整備された城郭の特徴を持っているように思った。


岸和田城‐2.jpgその一番の特徴が、この百間堀。
広い水堀で城をぐるりと取り囲むのは、江戸城もそうだが、「大砲で城を狙える」ようになって以降も拠点と考えられた場所。
城を整備する時に、大砲の射程距離を考えて堀の幅を取っているというのが、江戸時代に現役だった証拠かな。(天下泰平の世になって御役御免となった城は多い。)
岸和田、重要な場所だったんですね。
(岸和田といえば、きりやんなので、力がはいる[わーい(嬉しい顔)]


岸和田城‐3.jpg現在では、城をぐるりと巡らせるところまではできず、一部、埋め立てられているとのこと。
この辺でどんずまりみたいですね。


岸和田城‐4.jpgさあ、お城に入りましょう。
天守閣は、鉄筋コンクリート三階建て。それほど高いものではないので、眺めはまあまあかな。


岸和田城‐5.jpg真下にあるのが、こちらの「八陣の庭」。
昭和28(1953)年に、重森三玲(しげもり・みれい)によって設計、作庭された庭園。天守閣の前にこんな風にどどーんとあって、目を引く。
ナスカの地上絵かと思ったけど、中世城郭の縄張図を現代風にアレンジしたもので、諸葛孔明の「八陣法」をイメージした石組が配置されているんだとか。
詳細は、いつの日か、写真帳の方で解説できればいいな~と思いつつ…いつになるやら。


岸和田城‐6.jpg石垣もステキだったけど、この石垣も実は再建なんだとか。
すごく暑い日だったので、このたっぷりとした水を眺め、少しだけ涼を感じることができた。


とはいえ、まあ、暑いです。


岸和田城‐7.jpg二の丸は、馬出しのようになっていて(広島城もそんな作り方だった記憶)、そこに、イタリアンレストランがあったので、少し早めのランチをいただき、帰りに、近くの岸城(きしき)神社に行き、ゆうひさんのライブの成功をお祈りして、大阪まで戻った。


化粧は、どろどろに溶けていて、大阪で一生懸命直したものの…記念写真の到着が怖すぎます…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


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