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宝塚歌劇花組バウホール公演「フォーエバー・ガーシュイン」観劇 [┣宝塚観劇]

バウ・ミュージカル・ロマンス
「フォーエバー・ガーシュイン―五線譜に描く夢―」

作・演出:野口幸作
作曲・編曲:青木朝子、手島恭子
振付:羽山紀代美、麻咲梨乃、玉野和紀
装置:大橋泰弘
衣装:有村淳
照明:笠原俊幸
音響:大坪正仁
小道具:三好佑麿
歌唱指導:楊淑美
映像コーディネート:日本パルス
演出助手:樫畑亜依子
装置補:國包洋子
舞台進行:表原渉

野口幸作先生のデビュー作、そして芹香斗亜の初主演…花組公演も月組公演に引き続きフレッシュなバウホール公演となった。

主演の芹香は、ジョージ・ガーシュイン役。18歳の少年から、38歳で死去するまでの20年間を演じる。
ガーシュインの人生は、高校を中退後、音楽出版社で新譜を紹介するピアニスト(ソング・プラガー)となったことから花開いていく。彼は、18歳の時、偶然出会ったケイ・スウィフト(仙名彩世)の言葉に突き動かされ、一介のピアニストから、音楽家として一人立ちする勇気を持つ。
それからのガーシュインの前半生は順風満帆そのもの。
しかし、1929年の大恐慌が彼の人生を変える。ブロードウェイは、ミュージカルどころではなくなり、働く場所をなくしたガーシュインは、ハリウッドにその活躍の場を移す。
しかし、ハリウッドでは、才能の切り売りが当たり前、ガーシュインも過去の作曲家扱いを受け、プライドはズタズタ、才能も枯渇してしまったかに見えた。
そんなガーシュインを見ていられなくなったケイは、夫と別れてガーシュインのために生きようと決意する。しかし、ガーシュインは、今の自分ではケイを幸せにはできないと、その申し出を断り、一人で再起を図る。
が、ガーシュインの命の灯は、そこで突然尽きてしまう。38歳。あまりにも若い天才の最期だった。


若く、希望と才能に溢れた若者。運命も彼に味方。恋も仕事も順調そのもの。すべてが好転していたのに、大恐慌を機に運命が一転する。彼のアメリカン・ドリーム自体が、恐慌で傷ついたアメリカ人に疎まれ、その才能さえも疑われる。
昨日までのヒーローが、一転、いきなり人生の辛酸を舐めることに。そうなると、彼を華やかに彩っていた恋愛模様すら、スキャンダルとして彼を追い詰めることになってしまう。
新天地ハリウッドで、さらに傷を深め、心身を病み、再起を期すものの、既に病は若い彼を蝕んでいて…。突然の死、しかし、時を経て、今、彼の作品は、アメリカのスタンダードとして深く愛され続けている。


私、こういう話のバウホール作品に10年ほど前、足しげく通ったような気が…[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]
そう、作家と作曲家の違いはあるが、ストーリー展開は、まさに、『THE LAST PARTY』だった。
もちろん、パクリというのではなく、フィッツジェラルドの人生と、ガーシュインの人生が似すぎているのだ。アメリカっていう国は、天才をちやほやして、あっという間に使い捨てにする国らしい…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]

で、似ているので、どうしても比較してしまう。
すると、今回がデビューである野口先生の“足りてないところ”が、どうしても浮き彫りになってしまって…大和&大空ファンは今回の公演には、あまり納得できなかったかもしれない。

というのは、主人公をはじめ、登場人物の心の襞が見えてこない。
一番、その思いが伝わった人物、というのが、ケイの夫、つまり主人公から見て恋敵に当たるワーバーグ氏(瀬戸かずや)だったってのは、まずいでしょ?
この人、登場場面こそ、めっちゃ少ないながら、観客が感情移入できる唯一の人物だったので、少ない出番で大きな収穫!だったんじゃないだろうか?(もっとも、私が観劇した時は、すごく印象的な人物になっていたが、それより前に観た方によると、“当初と印象が変わった”らしいので、初日頃にご覧になった方は、違う感想を持たれているかもしれないが。)

心の襞だけでなく、事実関係もよく見えてこない。
ガーシュインとケイは、愛し合っているのは確かだが、まあぶっちゃけデキているのかどうか。
普通、デキていると思う。二人のキャラからして。でも、それにしては、ワーバーグ氏に会った時の態度が普通すぎる。恋人の夫に会ったら、なんか、態度に出るものだ。
あれじゃ、おもちゃ(仕事のパートナー)を理不尽に奪われて嘆く子供のような…[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]
それでも、ガーシュインは、もう会わないでほしいという夫の言葉に肯き、二人の関係は終了する。
“好き”だったり“愛している”だったりの中に含まれる、“人への執着”が、ここまで感じられない男、というのは、ちょっと私には理解できない。
そういう意味では、ケイも、まったくドロドロしていない。
二人とも、音楽への強い執着はうかがえるのだが、音楽を通じた“同志”以上の、互いへの思いが全然見えてこないのだ。それだと、最強の仕事仲間以外のなにものでもない。

野口先生、そんな話が書きたかったの?

すべての舞台が恋物語じゃなくてもいいと思う。
すべての宝塚歌劇が“恋こそ我が命”じゃなくてもいいと思う。(※これは、柴田侑宏『赤と黒』の初演時のタイトル。でも、そういうわりに、ジュリアンって“恋こそ我が命”な人生を送ったわけじゃなかった。ただ、彼の人生を振り返った時に、やっぱりそこに“恋”があったことは間違いなくて、それが柴田先生の脚本の妙だったと思う。)
だけど、恋を書くなら、客席の10代~90代の乙女をきゅん[揺れるハート]とさせるような恋を書いてほしい。
宝塚だから、そこは、譲れないぞ
[exclamation×2]

もうひとつ、若い研7の芹香主演バウ、わざわざガーシュインの『一生』を描く必要があっただろうか?
若き日のガーシュインが、『五線譜に描いた夢』だって十分だったんじゃないだろうか?
それは芹香が若いから、というよりは、野口先生には、ガーシュインの後半生を書く力が足りないから、という方が正しいかもしれない。
身の丈に合った作品を書いた方が、もっと素敵なデビューになった気がする。

そして、宝塚の作家に必要なのは、自分の思いを表現すること、ではなく、スターをより素敵に描くことだと思う。
私は、『月雲の皇子』を観て、気になっていた鳳月杏が大好きになった。そしてそれ以上に、好きでも嫌いでもなく、いい役者だなーと思ってただけの珠城りょうに落ちた。バウホールってそういう場所であるべきだと思う。
残念ながら、『フォーエバー・ガーシュイン』を観て、私は、気になっていた芹香斗亜にそれ以上の気持ちを抱けなかった。野口先生、そういう意味では、大成功とまでは、いかなかったように思う。

出演者感想は、別記事で。


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