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クリスマスソングを聴きながら [┣生徒・演出家・劇団論]

クリスマスシーズンなので、車載CDは3年前に発売された「CHRISTMAS PRESENT」を演奏している。ドライブしながら、たった3年なのに、こんなにみんないなくなってしまったんだ…と、茫然とする。

ちょうどエンジンをかけたら「かりそめのスウィング」で、

♪去年の今頃さ …… 二人とぶように踊り狂った♪

という歌詞が出てきて、本当に去年の今頃は、あさこさんがサヨナラ公演で、踊り狂っていたなー、と思った。
あれから1年…
なんだか、1年とは思えない長い時間が過ぎたような気がする。あさこさん、もう女優だし。
CDの構成は、次の通り。

  1. Christmas Meley(柚希礼音・蘭寿とむ
  2. Pearl White Eve~恋人がサンタクロース(桜乃彩音・陽月華)
  3. Joy To The World(水夏希)
  4. Happy Xmas(War Is Over)(真飛聖
  5. サイレント・イヴ(遠野あすか)
  6. かりそめのスウィング(瀬奈じゅん)
  7. Last Christmas(大和悠河)
  8. The Christmas Song(安蘭けい)
  9. Amazing Grace(春野寿美礼)
  10. Song of X'smap(真飛・霧矢・大空・彩吹・柚希・蘭寿
  11. Grown-Up Christmas List(彩乃かなみ)
  12. アヴェ・マリア(白羽ゆり)
  13. クリスマスキャロルの頃には(大空祐飛
  14. When You Wish Upon A Star(彩吹真央)
  15. クリスマス・イブ(安蘭けい)
  16. O Holy Night(霧矢大夢
  17. Blue Christmas(瀬奈じゅん)
  18. White Christmas(春野寿美礼)
  19. Silent Night(春野・瀬奈・水・安蘭・大和)

複数で歌っている場合は、学年順じゃなくて組順・番手順の表記になっているみたい。とりあえず、在籍者だけ太字にしてみた。

トップはもう全部変わっちゃってるのか…というか、在籍メンバーが、16名中5名だけだもんね。まとぶんを入れても。3年というのは、そういう年月なんだよね、宝塚では。
現在もたくさんのアクセスをいただいてしまう、「春野寿美礼と瀬奈じゅん」とか「圧倒的な歌の力で~安蘭けい~」という記事は、このクリスマスCD発売の数ヶ月後のもので、彼女たちがみんな退団した今では、私自身の考えも変わっている。女優として彼女たちをとらえるようになったからだ。

そんな中、久しぶりにこのCDを聴いて、歌がうまいといっても、いろんなタイプがいるんだなーと、あらためて思った。
このCDでは、安蘭けいの「The Christmas Song」の後に、春野寿美礼の「Amazing Grace」が収録されている。
語りかけてくるような、情景が浮かぶような、安蘭の歌声。その直後に春野の声を聴いた時、“やっぱりDIVAだ!”と思った。そして、温かい家庭のクリスマスの情景を歌った、「The Christmas Song」を安蘭に、神と対峙してその恩恵を歌う「Amazing Grace」を春野に歌わせたキャスティングの妙に感心した。
二人とも素晴らしいシンガーだと思うが、たぶん音程の正確性は安蘭の方が勝っていると思う。でも、二人が一緒に歌うと、たぶん安蘭の方が分が悪い。春野の方が自由だから。ただ、それでも共演を願うのは安蘭かな?と思う。春野と歌うのは楽しいから。で、春野は、基本、誰と歌っても楽しい的な…って、あんまり考え方変わってないな。
やっぱり、タカラジェンヌとしての二人の評価は、私の中で確立しているらしい。

ところで、「Song of X’smap」のメンバーを見て、改めて…あ、6人で歌ったんだな…と思った。2番手の5人+大空…一人だけ、もう、いない…ゆみこさん…森くんか…
でも、事務所がなんと言っても、どう工作しても、SMAPのメンバーは今でも森くんを忘れていないし、仲間だと思っている。そしてファンも。そういうところは、宝塚も同じだと思う。


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秋風と宝塚 [┣生徒・演出家・劇団論]

一気に秋がやってきた。

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私のお気に入りの桜の木も、なんだか紅葉というよりは、枯れてるような、そんな葉の色になっている。
夏の暑さがしみたのか、木そのものが病気なのか、ちょっと心配。

そんな気持のまま、日本青年館公演「はじめて愛した」を観劇。
新生雪組は、こんな陣容で行くんだ!みたいなものを見せつけられたようで、なんだか落ち着かない。一気にそこまで持って行く意味が分からない。
いくら、世間が仕分けブームだからって、タカラジェンヌをそこまで仕分けしても、いいことなんか何一つないぞ、と思った。

今回、抜擢されている研1の夢華あみ。歌手としても女優としてもある程度、出来上がっているし、抜擢されるだけの技術を持っているのだが、娘役になっていない。今回は、敢えてそういう使い方をして、宝塚らしさみたいなものに風穴を開けようとしているのかもしれないが、回りがちゃんと娘役になっているので、一人素朴に女の子をやっているようには見えない。むしろ周囲より老けて、ふてぶてしい感じに見えてしまうのが残念だ。
雪組のホープらしい、彩風咲奈。まだまだ丸い。今回は演技的に全く向かないところを正塚先生に利用されて、ダメなギャングの2代目を演じている。頭が悪そうには見える。キレているようにも見える。が、怖くはない。手がつけられない感じもない。それでもこの役をさせた、というところに、不気味な何かを感じる。
一方で、唯一安心して場を任せられる沙央くらまは、役としての出番が少なかったり、晴華みどりや舞咲りんには歌の場面が全くなかったり、大湖せしるなどはチョイ役だったり…

新生雪組、こんな感じに進んでいくんだったら、それは全然面白くない。
最終的に彩風になっていくんだとしても、間の上級生が見せ場を作って行く間に、学んで盗んで、そうして成長してほしいじゃないか、と思う。
そして劇団の方針がどうであっても、そこをなんとか、うまく調整つけるのが、骨のある演出家のやることじゃないか。自分の好みの生徒にはいい役付けてるんだから、できないことはないと思う。

ハリ―…どこまで、私を失望させてくれるんだ…
そして、劇団は、どこに行ってしまうんだ…


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みりおショーヴランに思う [┣生徒・演出家・劇団論]

このブログを読んでくれているリアルなお友達から、“愉美さんって、みりお贔屓だよね”と言われたことがある。あんまり自覚がなかったが、そうかもしれない…と、最近思うようになった。(遅すぎ?)

さて、龍真咲ショーヴラン&明日海りおアルマンは大劇場で観劇していたので、東京まで持ち越しになっていた明日海りおショーヴランへの期待は、評判のせいもあって高まるばかりだった。舞台写真もかっこいいし♪
期待いっぱいで、初めてみりおショーヴランを観た時、「おー、頑張ってるな、よしよし」と思ったのだが、2回目に観た時、“頑張ってるみりお”じゃダメなのかもしれない、と、突然思った。
舞台では、ハッタリが利く、ということも重大な要素である。
が、芝居は、ハッタリが利く役ばかりで構成されているわけではない。ほとんどの演劇の、ほとんどの役が、緻密な演技構成と、俳優自身のキャラクターで演じられる役となっている。宝塚といえど、それは、あまり変わらない。違いがあるとすれば、俳優のキャラクターという部分に本名とは分離した芸名のキャラクター(男役・娘役)が確立していることだろうか。
明日海りおの芝居は、彼女の律儀で誠実な温かみのあるキャラクターに裏打ちされている。それが役に実在感を与え、記憶喪失のピアニストだろうが、1000年前のプレイボーイの貴公子だろうが、役として感情移入できる人物となっていた。新公での明日海が、少ない経験の中で、本役とは違うアプローチで説得力を持って役を演じきれていたのは、彼女のキャラクターと、役に向き合う姿勢の誠実さによるところが大きい。
そんな明日海にとって、今回の本公演でのショーヴラン役は、まさに挑戦だったと思う。
彼女が唯一、瀬奈じゅんから学ばなかったもの、それがハッタリかもしれない、と私は思ってきた。瀬奈の天才的なハッタリ術は、逆転ホームラン的に彼女を花組でスターダムに押し上げたものだが、花組の下級生時代の瀬奈は、明日海のように、役に向き合う姿勢の誠実さと緻密な演技構成が身上の人だった。その瀬奈が、さらに上を目指す時に手に入れた“ハッタリ”を、明日海に学ばせたい、と考えて、小池先生はショーヴランを振ったのだろうが、お手本となるべき瀬奈のいない最初の公演でそれはないよな…。
ハッタリと似たものに、“型の演技”というのがある。
“このセリフを言う時は、正面を向いて右手を上げてポーズ”みたいな、形で見せる芝居。もちろんセリフも、朗々と型にはまったもの言いをする。
どっちも、役の人物になりきるだけでは、うまく吸収できない。ハッタリの利く役者は、型の演技もすんなりこなしてしまうが、明日海のショーヴランは、その型にうまくはまりこんでいない、というか、型で処理する部分と、心で構築する部分がうまく連結できていないような、もどかしさを感じた。
ひとつには、小柄な明日海なので、型の芝居で大きく見せようとすると、大柄な役者以上に大仰な印象を与える、ということがある。子供が裃をつけたような感じに見えてしまうのだ。
今回、明日海が、型の芝居とハッタリに挑戦するにあたり、明日海自身の心の中では、宝塚の男役として上がっていくために、それもまた必要なテクニックであるということは、すんなり納得できているのだと思う。そして、ポーズの美しさ、不敵な笑い、悪役らしいセリフ回しをしている明日海は、また新しい魅力を発揮してもいるのだが、1本物公演の2番手役としての通し役なので、どうしても隙間が埋まらない。
明日海自身、この役を演じるに当たって、深く考えてきただろうショーヴランの半生が、セリフの行間に見え隠れし、それがとても魅力的であればあるほど、型で見せる部分であれ?と思う。その間をつなげて見せられるほどには、出番は多くない。2番手はおいしいと言われるが、2番手ならではの苦労というのも存在する。すんなり乗り切れないところに、研8という若さが見える。
その辺は、2年先輩の龍の方がすんなり乗れていたように思う。
ま、もともと存在がハッタリ(トリック)スターな龍真咲に比べて、明日海は、入念に役を作り上げていくタイプなので、華やかな容姿でありながら、実事の似合う役者だったりする。
でも月組のスターは、実事系の役者が主流のひとつ(榛名由梨、剣幸、久世星佳等)なので、そういう意味では明日海りおは、典型的な月組スターだという言い方もできる。
ただ、スターになる過程で、この人たちも型の芝居の洗礼を受けていて、その中でどう輝けるかを自問自答しながら成長していった部分がある。そういう意味では経験値が大切、ということで、今回は広い目で明日海の成長を待ちたい。

おまけ


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藤井くんと齋藤くん [┣生徒・演出家・劇団論]

こうして、色々と見ていると、藤井先生と齋藤先生は、作風が繋がっている。
というか、ぶっちゃけお互いに相談してるというか、お互いの作品に口出ししてそうである。

藤井先生は1992年入団。といってもとうこさんを“同期”と呼ぶところをみると、77期が研1の時に入団したのではないかと思う。対する齋藤先生は1994年の入団。退団した荻田浩一氏、そして劇団の女性演出家の先駆け、植田景子先生は同期入団ということになる。
この辺の人たちが、2000年前後に相次いで大劇場デビューし、そろそろ10年になろうとしている。
若手、新感覚と言われていた彼らも、そろそろ不惑に突入し始めている。

デビュー当時は、二人ともショー作家としてのデビューだったので、このままライバルとして切磋琢磨していくのかな?と思っていたし、実際、同じような立場で作品を書かされている。

                       藤井                      齋藤
1999年 シェイクスピアシリーズ から騒ぎ(月組)         TEMPEST(宙組)
2000年 大劇場デビュー        GLORIOUS!!(宙組)   BLUE MOON BLUE(月組)
2001年 バウ文芸シリーズ      イーハトーヴ 夢(星組) 血と砂(月組)

こんな感じで。
その後も、2004年に、三木章雄先生を入れた三人の共作という形で、花組公演「アプローズ・タカラヅカ!」雪組公演「タカラヅカ・ドリーム・キングダム」というショーを作っている。
そして2006年は、二人が競作する形で、若手によるバウ・ワークショップ「Young Bloods」が上演された。
花組「青春花模様」(主演・桐生園加)/齋藤
月組「Sparkling MOON」(主演・龍真咲)/藤井
雪組「魔夏の吹雪」(主演・凰稀かなめ)/齋藤
星組「Twinkle Twinkle STAR!」(主演・柚希礼音)/藤井
宙組「Cosmo∞(コスモ無限大)」(主演・十輝いりす)/藤井

ただ、大劇場公演では、藤井先生が一貫してショー作品を作っているのに対して、齋藤先生は、ショーと芝居の両方を手掛ける、石田先生タイプの道を歩んでいるようだ。

で、この二人は、仕事でよく組んでいるだけでなく、ツーカーな仲良しということで、お互いの作風にお互いが影響を受けている部分がある。だから、どっちの趣味なのかはわからないが、藤井先生も齋藤先生も、昭和な歌謡曲をショーによく持ち込んでいる。
あ、両方とも、そういうのが大好きで、だから趣味が合うのかもしれない。

2000年「GLORIOUS!!」(藤井)のデカい金マイクを受け渡しての歌謡曲リレー。ハナちゃんの「白馬のルンナ」で目が点になったのを覚えている。
2002年「Cocktail」(花組/藤井)のサザンメドレーも衝撃だった。男役がハントウ棒のようなものに絡んで歌う「エロティカ・セブン」、ゆみこさんの「OH!クラウディア」、そしてみどりちゃんの「逢いたくなった時に君はここにいない」もすごくよかったなぁ。
2007年「宙 FANTASISTA!」(宙組/藤井)では、まさかの「Venus」(タッキー&翼)が登場するし…。
…と、藤井作品ばかり例に挙げてしまったが、祐飛さん、ファーストDSでは、齋藤先生にジュリーを歌え、と言われてかなり面食らったと言っていたような…。
そして、今回の「RIO DE BRAVO!!」。
ま、もしかしたら、先輩の先生方にとっての海外ポップスが、単に藤井先生や齋藤先生の歌謡曲(青春の歌)だっただけかもしれないし、私もこの選曲、けっこう楽しんでいるので、これからも、この調子で頑張ってください(笑)


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「太王四神記」のミザンセーヌ [┣生徒・演出家・劇団論]

まだヅカに嵌まりたての頃、東京宝塚劇場で上演される公演は、すべて一回観劇だった。ま、好きな星組だけは、2-3回観ていたし、時々ムラにも観に行っていたけど。

今は、大空さんの出る公演は、東京だけでも10回位観ているし、他の組だって、最低でも2-3回は観劇するので、もうライトなファンとは、既に舞台の観方が違うのかもしれない。
さすがに、それだけ観ると、脚本の穴など気づかなくてもいいことに気づいたり、変なツッコミが増えてきたり、大好きな宝塚を観ているのに、気づいたら舟を漕いでいたり…と、ろくなことがない。
たとえば、今回の「太王四神記」は、お茶会のついでにムラで観劇した時は、あまりにすごいスペクタクルに気分が高揚し、これはすごい作品だと思っていたのに、だんだんと、セリフから見えてくる登場人物の心理状態に疑問が湧きはじめ…そうなってくると、アラばかりが気になってしまう。

で、ちょっと考えてみたのだが。

今回の「太王四神記」は、宝塚の作品的には「エリザベート」風の歌劇。
曲はミュージカルナンバー風ではなく、それぞれの楽曲は比較的短い。が、繰り返し何度も使われたり、同じフレーズを別の曲に使ったりしながら、リフレイン効果を出すようにしている。
小池先生は、楽曲にはかなりのこだわりを持っているそうだ。だから、今回の太田先生作曲の音楽は、小池先生のフィーリングに適った曲なのだろう。
そして、今回の「太王四神記」は、台本の仕上がりが遅かったと聞く。
ということは、台本より先に音楽ができてしまったんじゃないだろうか?その結果、曲の歌詞と、後から完成した台本の間には齟齬ができてしまったのでは?
つまり、プロット→台本第1稿・歌の歌詞を作曲家へ→台本練り直し→なかなか完成しない→曲はもうできてしまった的流れ。
そして、太田先生の曲に魅入られてしまった天才演出家・小池先生は、台本を直した後も、太田先生の完璧な音楽に手を入れることができず、その分、自分の台本をいじり直すなどして、(脚本家としての才能は、天才ではないので)さらに混迷を深めてしまったんじゃないだろうか?

なんて思えるほど、「太王四神記」の音楽はよかった。そして、脚本家としての才能はともかくとして、多少のパターン化はあったとしても、小池演出の手腕はさすがだと思う。なんといっても、ミザンセーヌがすごい。完璧に近い。
(敬愛する演出家・山田和也さんに倣って、ここでは基本的に「俳優等の導線や位置関係」という意味で、“ミザンセーヌ”を使用している。深い意味については、山田さんのブログ内に、飯島早苗さんとの興味深いやり取りなどもあるので、過去記事をご確認いただきたい。)
大胆なセットを回り舞台と仕切りで見事に転換して見せ、俳優の登場・退場もスムーズで、場面ごとの盛り上がりから、サッとハケて、次景にバトンタッチしていく展開がリズミカル。このミザンセーヌ術がなければ、2時間で24時間分を圧縮なんかできない。

何度も観劇して台本のアラに気づいてしまった方は、一度、小池修一郎のミザンセーヌを堪能するつもりで舞台をご覧になっては、どうだろうか?

※ミザンセーヌ(フランス語で、mise-en-scene)は、すごく難しい映画・演劇用語で、使い方も人によって曖昧。「演出」と言い切る人もいるし、「セリフ以外のすべて」と言う人もいる。
もともと映画用語で、ト書きに相当する部分を映像化すること、というような意味合いであるらしい。
だから、もちろん「俳優の導線や位置関係」も入るし、俳優の衣装・髪形・セットの位置・影の入り具合…そういうものがすべてミザンセーヌに当たるようだ、厳密に言えば。
そういう意味では、「俳優の」だけでなく、舞台装置を含めての立ち位置・導線ということもできるし、その意味でとらえるなら、小池修一郎は、まさに天才の域だと思う。


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圧倒的な歌の力で~安蘭けいの場合~ [┣生徒・演出家・劇団論]

「スカーレット・ピンパーネル」を観劇した。

「エリザベート」に少々食傷気味の観客としては、宝塚発東宝ミュージカルになりそうな、新しい作品の登場に心が躍った。やっぱり、「ファントム」も小池演出で観たかったな。小池の潤色能力の高さは、方々で言われていることだが、今の星組にピッタリ合ったキャスティングと、きめ細かい演出に、唸りっぱなしだった。
こういう、再演が最初から視野にあるミュージカルの場合、初演は絶対失敗が許されない。
手堅く安蘭のいる星組で初演したことも、成功の一因だろう。

以下、軽く感想。

トップコンビが歌えることには、なんの不安もなかったが、柚希礼音の歌には、やはり多少不安があった。ただ、同じワイルドホーンの「Never Say Good-bye」で、大和悠河が思いのほか歌えていたので、もしかしたら、柚希も今回は歌えるのでは?という期待もあった。
結果、期待の方が当たった。
1幕を観た時は、「こりゃ、大化けしたな!」と大拍手を送った。ところが、1幕も中盤を過ぎると、「柚希、お腹いっぱい」状態になる。難しい歌を音程を取りながら、しっかり発声して心もこめて歌っているが、ショーと違って、柚希の多面的な魅力を出せないため(=ショーヴランとして歌っているから)、そんなに何曲も歌われると、観ている方が疲れてしまうのだ。
つまり、緩急がないっていうことかな?
途中、いくつかのナンバーを1番だけにするとか、工夫次第では十分聴けると思うのだが。
そうしないのは、この作品、続演の可能性があるのかなぁ。

遠野の歌は、ちょっとキンキンし過ぎてるかな~と思ったが、それが気の強い女優っぽくもあり、その強さが、「ひとかけらの勇気」に結実して、鳥肌が立つほどの迫力。
全体的にトップコンビのキャラや衣装が、前回公演とあまり変わらなかったのが残念だが、安蘭の芸達者ぶりが素晴らしくて、それを観るだけでも価値があると思う。グラパンのキャラのまま、歌いあげるなんて、誰にでもできることではない。
才能と、努力と、そして積み上げてきた時間がなせる技なんだろうなーと思った。
そんな安蘭を観て思うのは、昨日の春野VS瀬奈の話…

ここから先は、戯言なので、お読みになりたい方は「戯言」をクリックしてください。

戯言


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春野寿美礼と瀬奈じゅん [┣生徒・演出家・劇団論]

春野寿美礼ファースト・コンサート「My Heart」に行った。

退団後最初のコンサートは、ステージも客席も温かくて、その温かさのスタンディングの中、幸せそうに春野は客席を見渡していた。本人は、二度とステージに立つことはないだろうと思いながら、宝塚を去ったそうだが、私は、音楽の神がこのミューズを手放すとは思えなかったので、1年以内に復帰することを信じて疑わなかった。
それは、私が春野のファンではないから、そういう風に冷静に信じられたのだろう。春野の性格も、バックグラウンドも何も知らず、ただ、音楽の神に憑かれた者は、音楽を捨てることはできない、それだけを確信していたにすぎないから。

コンサートの最初の何曲かが終わり、衣装を変え、客席から出てきた春野は、ドレス姿で「Feeling Good」を歌った。以前の月組公演、男役たちの大階段のダンスで瀬奈が歌った歌。あれは「レ・ビジュー・ブリアン」だったかな?
それでコンサートを聴きながら、瀬奈を思い出した。
かつては、オサアサコンビと呼ばれていたが、90周年の2番手特出のまま、瀬奈は月組に異動した。
春野とトップ-2番手の関係だったのは、博多座「あかねさす紫の花」「カクテル」と、「天使の季節」「アプローズ・タカラヅカ」の2作品のみ。大劇場でのたった1作が「天使の季節」じゃ、オサアサファンも浮かばれない。

けれど。

オサアサ解体は、単に人気者を分断することで、二倍以上の収益を上げようとした歌劇団の作戦のようなものだと思うが、このことが、春野寿美礼DIVA化に拍車をかけたように思う。

ここからは、私の独断と偏見かもしれないので、そんなもん聞きたくないー!という方は、以下の「独断と偏見」は決してクリックしないでくださいね。

 

独断と偏見


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シンデレラの誕生 [┣生徒・演出家・劇団論]

花組全ツ「ベルばら」配役については、こちらです。

博多座の「ME AND MY GIRL」を観て、ヒロインを演じた羽桜しずくを飽かず眺めていた。

羽桜しずく…まったくのノーマークというわけではない。
星組時代から美貌では定評があったし、祐飛さんファンは、初舞台時にお茶会ゲストだったこともあって、気になる生徒ではあったと思う。バウホールやDC公演では、目立つ役どころも与えられていた。そして、ミーマイの新人公演でもヒロインを演じた。
でも、バウヒロインだったり、ショーで場面のセンターだったりの経験はなかったので、“センターで踊るしずく”がどんなものか、まったく想像できなかった。

美貌だけは心配していなかったが、あとはドキドキしながらの観劇。
幕が下りた時、シンデレラ誕生!だと思った。
抜擢と、それに応える新鮮なエネルギー。若く、素直で、瑞々しい演技…
もちろん、まだまだ不足しているものがたくさんあることは、わかっているが、それを補ってあまりある、透明な清純さが、ランベスの幻想シーンのセンターで踊る彼女から、最後のデュエットダンスで微笑む彼女から、立ち上る。
センターに立つ、圧倒的な実力やスター性も大切なことだが、この子は、センターでの居住いができる子だ、と思った。
芝居もまだ上手ではない。でも、心の動きを丁寧に表現できるし、セリフも丁寧で聞き取りやすい。
歌は、まだ声も出ていないが、ちゃんと心を乗せているし、決してあきらめずに、声を出そうとしているのがわかる。
ダンスは、一番安心して見られるが、スカート捌きは、まだまだ乱暴。でもそこから覗く足が、細く長く美しいので、決していやらしい感じがない。
トップ娘役に相応しい気品が既に備わっている。

大事に育てて、大きく花開かせてほしいと思った。

きりやんは、きっと、彼女を厳しく指導したのだと思う。
その結果が、ちゃんと出ている。
そして、しずくも、その厳しさについて行って、決してあきらめず、どこまでも食い下がったに違いない。
だから、舞台の上で、最上の笑顔で、きりやんを見つめている。心から愛し、尊敬しているといった表情で。
こんなに美しいデュエットダンスを観たのは、いつ以来だろうか?もしかしたら、初めてかもしれない。

こんなに美しく可憐な花を咲かせた娘役と、華開かせた素晴らしい男役が、博多の地だけでなく、中央でもより大きな花を咲かせる日が、一日も早く来てほしいと思う。
いや、今の5人のトップさんが、どーのこーのではなくてね。


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新・花組主演男役 真飛聖の課題 [┣生徒・演出家・劇団論]

お披露目公演もいよいよ終わる。

中日公演に始まった長いお披露目期間が終わる今、書いておこうかどうしようか、ちょっと迷っていた件を、一応ここにまとめておきたい。
ちょっと苦言になりそうなので、花組だけにヒトゴトとして書くのもどうかな…と、躊躇してはいたのだが、やっぱり書かないと、この先、私のスタンスを明確にできないと思うので、敢えて書くことにする。

でも、これは、私が大空祐飛ファンであることとは、何の関係もない話なので、そこんとこ、よろしくです。

本人の意思とは関係なく、真飛聖は、下剋上スターだと思う。
1年先輩の朝澄けいが新公学年の間に、新公主演した(’99 「我が愛は山の彼方に」)のは、意外ではあったが、下剋上とまでは思わなかった。が、2001年の「ベルサイユのばら」でのアランは、完全に朝澄の扱いを抜いていた。
2003年に星組ではスターの退団・組替えが相次ぎ、当初は、汐美真帆、立樹遥に次ぐスターという位置付けだった真飛が、2004年早々に3番手スターという位置付けに変わった。
そのまま星組でトップになる人なのか、と思っていたら、突然、花組に組替え。その当初は、彩吹真央に次ぐ3番手という位置付けだったが、彩吹が雪組に組替えになったため、2番手に昇格した。
そして、春野退団に伴い、主演男役に。
90周年特出2番手のメンバーではなかったのに、研1から抜擢され続けた同期の大和悠河に遅れること、わずか1年弱でトップになった。

本人的には、トントン拍子の出世ということで、いまどき、めでたい限りだが、大和に比べると、ここに至るまでの露出ははるかに低く、準備万端のトップ就任とは言い難い。
まあ、研1から露出していても、お膳立て不足でも、観客動員にはそんなに影響がないようなので、それは、劇団側の不手際ではあるが致命的ではないと思っている。

むしろ、私が気になるのは、下剋上の連続でトップになった真飛の舞台での姿勢のことだ。

急激に立場が上がっていくと、当然セリフの量が急に増えることになる。
口跡がいいとか悪いとかは、訓練だけではどうにもならないこともあるので、気長に努力するしかないのだが、トップという立場は、圧倒的に舞台上にいる時間が長いので、その人が、芝居を回していく必要がある。
前任トップもそうだったので、口がまわらなくても、セリフが聞き取りにくくても、それで何もかもがダメだと断罪されるべき問題ではないと思う。宝塚という世界では。
問題を感じるのは、真飛は、(本人が気づいているかどうかも怪しいが、)セリフがぐだぐだになった時、途中でセリフをやめてしまうことがある、ということだ。私が観劇しただけでも、複数回そういうことがあった。
「なんか、疲れちゃったよ」
と言っている子供のようで、これはダメだと思う。
外部のベテラン女優ならいざ知らず、宝塚ではセリフを間違えたら、言い直すのが当たり前。途中でやめてしまうなんて、絶対にありえない。観客を信頼することと、観客に甘えることは違う。
同様に気になるのは、口がまわらないせいもあるのだろうが、セリフを勝手に自分流に音便してしゃべってしまう癖だ。
「気にすんな」「捕虜んなって」
等、よく口語で使われる音便だ。
「気にすんな」は、使い方によっては、無骨だったり、温かみがあったり、殺し文句にできる言葉なだけに、ダニエルもトマスも同じ「気にすんな」を使うのは、演技プランとしてどうなの?というだけでなく、勿体ないと思う。真飛が「気にすんな」と言うのが似合うだけに。
こういうワザは「ここぞ!」という時に使うと、ぐっと観客のハートを掴むが、毎回では、飽きられる。
一方、「捕虜んなって」の方は、ちゃんと「捕虜になって」と言うべきだと思う。子供じゃないんだから。真飛の音便多様は、大空のリエゾンと同様、セリフを必要以上に聞き取りにくくしている。こういうのって、その人のファンは慣れてるので、ちゃんと聞きとれていると思うのだが、そうじゃない人は面食らうので、要注意だ。

もちろん、このような欠点は、トップになる前に主演作を繰り返すことで、少しずつ改善されていくものだが、真飛の場合は、そういう時間が足りなかったのだろうと思うし、出世が早すぎて、徹底指導する時間もなかったのだろうと思う。
ただ、真飛は、白い王子様も絶対にできる人なので、この欠点は、ぜひ克服して欲しいと思う。王子様なのに、セリフはチンピラっていうのはいただけない。
それにしても、時間をかけて実力派トップになる人もいる中で、どうしてこういうもったいない人事が時々行われるのだろうか?適任者がゼロだったわけでもないのにね。


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花組・真飛聖 [┣生徒・演出家・劇団論]

「明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴」の感想を長々と書いてきて、ふと、真飛聖の演技について何も書いていない、と気づいた。
私の視点で、よかったら「いい」と書き、悪かったら「悪い」と書くだけのことなのに、そういえば、言及していない。評価を迷っているわけでもないのに。
雨宮潤一という役を的確に演じていたと思うが、的確に演じること自体が、現在の花組において、意味を持たない上に、非常に不安定な状況を生んでいる気がする。春野寿美礼をトップに置く花組は、「常春(とこはる)の国」だ。マリネラ王国のようなものだ。そこに普通の真面目な人がいたら、異質としか言えない。
春野のペットのような状態の壮、下手すぎて普通でない桜乃に挟まれているから余計に。

ショーの最初の場面、第2場が終わる時、もう一度最初のセットが左右から閉じて、それでトップコンビが銀橋デュエットになる。閉じる時、セットの向こうに真飛が残る。暗くシルエットだけになって。

もう一度、最初のセットに戻す必要があったとは思えないのだが、そこに真飛を閉じ込めることによって、あのショーにおける真飛の役割が見えたような気がした。
真飛が登場する時って、現実の向こう側の世界なのかな、夢のシーンの登場人物なのかな?
そう思った。
春野を頂点とする花では異質な存在。そして異質だからこそ、必要な存在。
今の花組は、春野さんスキな人たちで構成されている。
それは、この快楽を知ってしまった人たちにとっては、とても楽しくていつまでも過ごしていたい竜宮城のような場所で、だからこそ拒否反応を示す人がいたっておかしくはない。
真飛は、その中和剤なのだ。緩衝材なのだ。
花組の中で、一人だけ、向こう側の人にされてしまう真飛が、現実社会ではこっち側の人だ。
それは、いつか、この花組の魔法が解けたときに、機能する時限装置でもある。

今度の花組公演「あさきゆめみし」では、真飛だけが平安世界の外側にいる。
「TUXEDO JAZZ」で少しだけ見えた花組の構造が、完璧に具現化される。
観てみたい。一番現実な人が、一番現実じゃない芝居。時限装置の機能する時が、そう遠くないと思うからこそ、その前に、この異質な人のいる花組を楽しみたい。

ただ、時限装置は、単独で正常に機能するのだろうか?
本当に、何もかもが、真逆に動き始めるのだろうか?
ちょっと、単独では無理な気が…

【今週のアクカイちゃん】

第1位 「お茶会 春野寿美礼」
第2位 「お茶会 まっつ」
第3位 「お茶会 大空祐飛」

私、春野さんのお茶会には行ってないんですけど…

今週の笑ったフレーズ
「化粧が変」
それで、ウチに来るんですか?

こんなところで、こっそり上記記事への付け加え。
90周年の特出メンバーは、全員トップにする!と劇団が決めたメンバーだと思う。
最後の一人がトップにならないうちに、それ以外のトップは出さないはず。普通は。
ただ…真飛は、「すべてが単独コース」で、それだけに読みづらいのは事実。ポストカードに入ったのも一人だけ別の時期だったし、卓上カレンダーも一人だけ表紙に写りこんだのがスタート。同組に彩吹がいるにもかかわらず、2番手しか入らない去年のグラフにも載ったし…ほんと、わからん…

【去年の今日】
「ベルばら」雪組の感想第2部。
よっぽどアラン一家がうるさかったようで、あちこちに書いている。
家族がわらわら出てくる「ベルばら」はちょっと違う気がする。


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