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盛岡城 [┣百名城]

日本百名城をめぐる旅、今年は、東北&北海道の旅となりました。まずは、東北新幹線に乗り、盛岡へ。


盛岡城-1.jpg盛岡駅で新幹線を降り、駅前に停まっていた循環バス「でんでんむし」号に乗って盛岡城へ。今回の東北旅は、いい感じにバスを楽しめた旅でした。


バス停に到着すると、いきなり、こちらの枝垂桜。これは素晴らしい[グッド(上向き矢印)]と気分が上がったのもつかの間、どうやら、盛岡城ご自慢の石垣が、現在大修復中なんだそうです。
盛岡城-2.jpg石垣好きとしては、とても残念…と思いつつ、気を取り直して少し遠回りをして盛岡城公園に向かうこととなりました。


ぐるりと外堀沿いに回って、看板を発見[exclamation]
園内には、たくさんの池があって、緑も多く、城に興味がなくても、散策を楽しめるつくりになっているようです。
まずは、いつものように、スタンプをいただくため、隣接する「もりおか歴史文化館」へ。
スタンプは、受付兼お土産コーナーの係の方に出していただきます。レジを使用しないため、接客中でも応対可能なようです。御城印希望の場合は、レジ列に並ぶ必要があります。


盛岡城-3.jpgこちらは、会館庭の桜。八重紅枝垂でしょうか。まだ、蕾も多くて、これから満開の時を迎えるのでしょうね。


東北は枝垂桜が多くて、弘前城でも染井吉野と同じくらいの本数を見かけました。
特に今年は、予想外に染井吉野が早く咲き、通常の花見を期待していた観光客には残念でしたが、その残念さを補って余りある、美しい枝垂桜に各地で癒されました。


盛岡城-4.jpg庭には、横に長く伸びた古い五葉松の木があり、(上に伸びる方の枝は枯れて切られており、横に伸びた脇枝の方が育ってしまったのでしょうね…)その立派さに、しばらくじっくり鑑賞してしまいました。これ、城と桜の旅行だったはずなのに。
枝が自重を支えきれないので、藤棚のようなもので保護していて、手厚さを感じました。


盛岡城-5.jpg園内には、もちろん、染井吉野もあったのですが、今年は桜前線が史上最速で北上していて、盛岡の染井吉野は、わずかに咲き残った花が、こんな感じでした。


さて、盛岡城の城主は代々南部氏ですが、奥州南部氏は、南北朝時代から江戸時代まで、北東北の主に太平洋側の広い地域を一族で治めていたそうです。
※「三日月の丸くなるまで南部領」と謳われるくらいの領土。
その城跡は、全部で14あり、御城印を集める「南部お城めぐり」という企画もあるようです。


盛岡城-6.jpgその南部氏、明治とともに当然藩主ではなくなるのですが、地元の名士ではあり、その42代当主・南部利祥が日露戦争で戦死したことを顕彰する騎馬像が、城内本丸に建立されたとのこと。
こちらが、その台座です。


青銅製の像だったため、太平洋戦争の時に、金属供出となり、現在は大きな台座だけがむなしく残されています。


盛岡城-7.jpg本丸の景色です。
建物はすべて明治の初めごろに取り壊されているので、広々としています。
天守台はあったのですが、天守は築かれず、代用の櫓が建っていたそうです。(のちに天守と改称。)
本丸の桜(染井吉野)はほぼ散っていて、既に新緑の季節に移行しているのを強く感じました。残念だけど、こればっかりは、自然のなせる業なので。


盛岡城-8.jpg門の台座とおぼしき部分。(道の両サイドにこれくらいの高さの石垣があった場合、門だった可能性が高いです。)
ここの石は大きめだし、隅石(角の部分)から左は、切込みハギ(巨石をまっすぐに切って、必要なサイズにして重ねる手法。新しい工法)になっていますね。その向こう側は、打ち込みハギ(石を加工しつつも本来のサイズ感を大事にする工法)なので、見栄えを考えて両方の工法を採用している感じですね。


盛岡城-9.jpgこちらは二の丸の「石川啄木歌碑」。文字は、親交のあった国文学者の金田一京助博士によるものだそうです。
私の幼少の頃は、辞書の編集でおなじみでしたが、今は、金田一くんの「じっちゃん」の名前のモデルと言った方が通りがいいのかな。


「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」


と書いてあるそうです。
不来方(こずかた)城は、盛岡城の前身の城の名とのことですが、一般的に盛岡城の別名と言われているそうなので、啄木もその意味で使っていると思われます。盛岡城は17世紀には完成しているため、啄木が行ったのは、当然、盛岡城のはずなので。


盛岡城-10.jpg修復中の石垣の石には、お目にかかれました。石を洗って天日干しにしているところだそうです。


盛岡城-11.jpg大きな石は、こんな風に天日干しにして、ひとつひとつに番号をつけて、再び組み合わされていくようです。


石のつなぎ目に詰めてある小石については、こんな風に山になっていました。いつか、美しく修復された石垣にも会いに来なければ…[exclamation×2]


※三日月の丸くなるまで南部領 というのは、南部氏の治めていた地域が、東北に三日月状に分布していて、三日月(の端が接近して)円になるようなくらいの領地という意味のようです。いただいたチラシに南部氏の城一覧が載っていたので、「三日月」を作ってみました。


盛岡の月.jpg圧巻の南部領ですね[exclamation×2] 


 


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