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金山城 [┣百名城]

今年5月に四国を回った城友とは、毎年、年末頃に近隣の城を訪れている。もう近場の百名城には、だいぶ行ってしまったので、今年は、群馬県にある金山城に行くことにした。


金山城-1.jpg東武伊勢崎線太田駅下車。途中単線になるので、どんなにさびれたとこに行くの[exclamation&question]と不安になったが、太田駅は、かなり立派なターミナル駅だった。
マスコットキャラクターもいた。
「おおたん」だそうです。


金山城-2.jpgしかし、太田には、おおたんよりずっと先輩のキャラクターがいる。
「新田義貞」さんです。
駅前に銅像がありました。
(右側で跪いているのは、弟の脇屋義助らしいです。)
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を楽しんでいる身としては、その鎌倉幕府にとどめを刺した新田義貞公のルーツの地にたどり着く年の瀬…ということに、なにか、しみじみしたものを感じます。
てか、鎌倉行きたかったな、今年。


四国でもやったように、観光案内にまず行き、「ガイダンス施設」を紹介いただく。ガイダンス施設までは、タクシーで時間短縮。
施設は、隈研吾氏設計の素敵なところで、ここで、金山城の歴史を勉強した。金山城は、15世紀に築城された山城。新田一族の岩松氏によって築城され、明応の乱、享禄の変を経て、横瀬氏(由良氏)が実権を握り、その後、上杉謙信・武田勝頼に攻められても守り切り、難攻不落と言われた。北条氏に城主の由良国繁、弟の長尾顕長(まんばちゃんの作刀を命じた人ですね!)が軟禁され、助命のため開城、やがて、小田原北条氏の支城のひとつへと変遷した。(開城されなかったら、まんばちゃんも生まれなかったのね…)北条氏滅亡に伴い、廃城。明治時代に、本丸跡地に新田神社が創建され、現在に至っている。


金山城-3.jpg城オタクに嬉しいのは、コンパクトな中に、城の機能のすべてが配備されているところ。
こちらは、竪堀。写真だと分かりにくいかもしれないが、エグい堀が作られています。


金山城-4.jpg竪堀の辺りでは、おおっ!とテンション上がったものの、そこからの山道がきつくて、これを見る頃には、あっけなくへばっていました。
情けない…[爆弾]
山城を攻めている時は、さすがにマスクは無理ですね。私は、政府広報が何と言おうとも、基本マスクの民なのですが、さすがに久しぶりにマスクを外しました。
山城、おそるべし。(前回のノーマスク行動は、備中松山城でした。)


金山城-5.jpgそして、これは、さすがに写真でもハッキリと分かる「堀切」です。深い…[爆弾][爆弾][爆弾]
堀切とは、尾根伝いに攻め込まれないように、尾根を切ったもの。少し緩やかな斜面は、ほとんど堀切されていました。
さすが、難攻不落。
小田原城の大堀切も見事だったけど、ここもすごいです。まあ、金山城も最終的には北条氏の支城になっているので、北条氏の手がどこまで入っているか不明だが、影響も少しはあるのだろうか…などと思った。
この堀切を見たところで、これまでの疲れが一気に抜けて、再び元気いっぱいになれました。


金山城-6.jpgここが大手虎口。この先が本丸への道になります。(けっこうこの先も急な坂や階段があった気がするものの、施設も目白押しだったので、そんなにきつかった記憶がない。ゲンキンなものである。)


金山城-7.jpg南曲輪の少し平坦な場所に、カマドの跡が発掘されたらしい。
この辺で、兵が留まることのできる施設があったということなのだろう。


金山城-8.jpg南曲輪付近の景色。段々に石垣が組まれていて、とても美しい。(クリックで拡大します。)
右手前側に、井戸跡もあります。跡…てか、枯れてなかった[exclamation×2][exclamation×2][exclamation×2]


金山城-9.jpgさらに進んで、実城(本丸)に近づきます。
こちらは、樹齢800年の大ケヤキ。金山城ができた頃から、この地を見つめていたのですね。


金山城-10.jpg先ほども書いたが、山頂は現在、新田神社となっている。
源氏ということになっている(いち早く源氏であることを表明したため、後に征夷大将軍に任じられることができた!)徳川家康。新田義貞の流れを汲んでいるとしているため、江戸時代、新田氏のルーツである新田金山に寺が作られたり、金山城山頂が新田神社になったりしたらしい。
せっかくなので、新田神社にお参りしてきた。
高松宮様による記念植樹。ここまで登られたのでしょうか[exclamation&question]
昭和54年だと、もう、70歳を超えていたと思われますが。


金山城-11.jpg新田神社のちょうど後ろ側に、実城(本丸)の石垣があるとのことで、本丸を取り囲む「武者走り」沿いに見学に行く。


関東の城で石垣を使っているところは少ない。その理由としては、石垣に使えるような石がない、ということになるのだが、この付近は例外的によい石が採れたようで、金山城は石垣の宝庫となっている。
このため、関ケ原以降に築城された「西日本の石と技術を使用した」関東の城と、この金山城は、石垣のタイプがまったく違っている。
石の種類や大きさ(ひとつひとつが小さい)、積み方…一番下に「あご石」という、すこし突き出した石を置いて石垣の安定をはかるやり方など、見所がいっぱいあって、ここでもかなり盛り上がった。


金山城-12.jpgいやいや、大満足[黒ハート]
さすが、難攻不落の城。現代人の私も、すっかり、落とされました…[ぴかぴか(新しい)]


帰りは、途中のモータープールまでタクシーを呼び、車で太田駅まで。
その時点でもまだ2時台だったので、登頂記念の乾杯は都内に戻ってから…にして、さっそく電車に乗り込んだ。


金山城-13.jpg途中停車した春日部駅には、しんちゃんが[exclamation×2]
東武伊勢崎線、群馬県・栃木県・埼玉県にまたがって動いているんですね。
途中、3月に行った足利市駅にも停車したりして、風景が懐かしかったです。金山城主の弟が、足利城主というのも、納得できる位置関係でした。


2022年もたくさんの城に行けました。
次はどんなお城に出合えるかな[exclamation&question]


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