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SHINGO十番勝負「ぼくらの時代」篇 その九 [┣行ってきました!(旅・花・名所・展覧会)]

この「SHINGO十番勝負」は、落語家の古今亭文菊さんが、先輩の胸を借りるというシリーズだった。SHINGOは、文菊さんの本名。その昔、「新吾十番勝負」という映画があったので、それにかけてるんですね。十番を終了後、シリーズが一新され、今度は「ぼくらの時代」篇となった。同じ世代の、違う分野の芸術家との共演。今回は、清元三味線方の清元斎寿さんがゲスト。
すごいイケメン男子でした[黒ハート]てか、この方、尾上右近さんのお兄さんなんですね[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)](紹介時には、そのようなフレーズはまったくなかったので、全然気づきませんでした。)
今回は、「代々木能舞台」さんでの開催。雰囲気のある場所なのですが、演者さんには、だいぶ寒かったようです。実は、この落語会にお邪魔するのも2年半ぶりなんですが、この会場は、第2回の時にお邪魔しておりました。すごく雰囲気のある場所なので、会場を知って久しぶりに行ってみようかな、と思いました。その時の記事はこちらです。


まず、前座の柳亭左ん坊さんによる、「出来心」。
向いていないのに、泥棒の親方に弟子入りしているダメなやつが主人公。まずは、空き巣からやってみろと言われ、空き家を探すがなかなか見つからない。ようやく入った空き家で羊羹を勝手に食べているところへ、家の主人が二階から降りてきて、絶体絶命。ほうほうのていで逃げ出すが、羊羹は食べちゃったし、一応空き巣には成功したのでは…とか前向きに考えてみる。しかし…慌てていて、草履を履かずに出てきてしまったというのがサゲ。
左ん坊さんは、口跡がよく、真摯に取り組んでいるのが伝わった。
前座さんは、落語以外に、座布団を裏返したり、お茶を出したり、出演者の名前をめくったりするお仕事があって、そのたびに、長い橋掛かり(能舞台なので)を行き来しなければならず、さらに一度は手違いで既に「めくり」が変更されていて無駄足だったこともあって、前座さんにはとても大変な舞台だったとおもいます。お疲れさまでした。


続いて文菊さんの落語その1「安兵衛狐」。
六軒長屋の住人、源兵衛は、長屋の二人組から「酒なんかぶら下げて、花見に行くのかい?」と聞かれ、とっさに、「おれは墓見に行くんだ」と答えてしまった。なんで墓に行くなんて言ってしまったのか…と後悔しながら、せめて女の墓の前で酒を飲もうとする。すると、その墓から骨がのぞいている。源兵衛は、気の毒に思って酒を注いで供養してやった。
その夜、女の幽霊が源兵衛の家にやってきて、お礼をしたいと言う。いろいろあって源兵衛は女を女房にすることにした。
源兵衛の家に女がいるらしいことは、続き部屋になっていた安兵衛にはすぐ伝わった。正直にことの次第を話す源兵衛に、安兵衛はさっそく谷中に行って骨の出ている墓を探すが、そんなものはなかなかない。あきらめて帰るところに、猟師が狐を捕まえている現場に居合わせる。これから皮を剥ぐと聞いてかわいそうになり、なけなしの金を払って狐を買い取り、逃がしてやる。
その夜、一人の女が安兵衛の家にやってきて、泊めてほしいと言う。若い女を泊めるのは無理だ、女房になるってなら話は別だが…と安兵衛が言うと、それでもいいと言う。こうして安兵衛も女房を持った。女は「おコン」と名乗り、言葉の端々に「コン」と言う。つまりあの時、助けた狐の化身だった。
隣人たちは、昼間は姿を現さない源兵衛の女房は無理なので、安兵衛の女房に話を聞きに行く。すると、「コン」と言ったりして、どうも普通じゃない。
これは経緯を聞きにいかないと…と、安兵衛のおじさんのもとを訪ねる。このおじさん、耳が遠いらしく、話が全然通じない。大きな声で「安兵衛さんは来ないですか?」と聞いたところへ「安兵衛は来ん!」と言われ、やはりおじさんも狐だったと思われるというサゲ。
結構長くて、源兵衛と安兵衛、ふたつの物語がそれぞれ面白かった。


ここでゲストの清元斎寿さんを迎えて、文菊さんとお二人で対談。
まず、清元について、それから、今日演奏する曲について、文菊さんの進行でお話しされた。清元節とは、豊後節という浄瑠璃の系統で、常磐津節⇒富本節⇒と進化して江戸後期に創設された、比較的新しい流派であるとのこと。今日の演目「三社祭」には、若干のアレンジが加えられているという話が出て、「いいんですか」と文菊さんが驚いていた。(アレンジあっても、素人にはわからないけど…)
途中、文菊さんのエンタメ論も聞けて面白かった。西洋から来た演劇は、圧倒的なエンタメ力で客席を圧倒するが、日本のエンタメは、客席と空気を交換して、一緒に作り上げていくというような話だったと思う。これは、※プロセニアムアーチ論とも繋がりそうで面白いネタだと思った。
※プロセニアムアーチとは、劇場の舞台の「枠」のこと。この「枠」で舞台上とその外側(客席)を仕切り、外と内を分ける。近代演劇は、プロセニアムアーチと共に発達し、現在、それが徐々に壊れつつある。円形劇場や三方(あるいは四方)に客席を配置する手法、緞帳を下ろさない舞台などが、プロセニアムアーチへのアンチテーゼになっている。


休憩後、斎寿さんの三味線、清元國惠太夫さんの浄瑠璃により、「三社祭」スペシャルバージョンを聴いた。
最後の方に「隅田川」をプラスしたり…と、いろいろ仕掛けがあったそうだが、初めて聴くので、ただただ「へ~」という感じ。社会人学習で歌舞伎を学んでいて、先生が常磐津の歌い手なので、毎度、常磐津を一緒に歌うという無理筋な日があるのだが、清元は常磐津と同じ系統というのは、なんかわかる気がした。逆に違いはよくわからない…みたいな。たしかに見台(譜面台)は違うけど。
歌詞カードも配られていて、配慮が行きわたっているな~と、嬉しかった。


最後は、文菊さんの落語で「うどん屋」。
江戸では、そばは人気があったが、うどんはそうでもなかったらしい。
「なべやきうどん」の屋台をひいている男。だが、なかなか止めてくれる客がいない。小声で呼び止めてくれる客がいれば、それは、人目を忍んでの大量注文(賭場など)かもしれない…と望みを託して流していると、酔っ払いに呼び止められ、火鉢にあたりながら、知人の子供の結婚の祝いに行った話をくだくだと話し続ける。何度も同じ話を聞かされたあげく「おれはうどんは嫌いなんだ」と言われ、逃げられる。
女の人に呼び止められて向かうと、赤ん坊が寝たばかりだから、静かにしてくれと言われる。
と、ひそひそ声で呼び止められたので、これが、人目を忍んでの大量発注か、と勇んで行くと、注文はひとつ。いや、もしかするとこの人は斥候で、おいしかったら大量発注かもしれない…と、こちらも声を潜めて応対する。
が最後に代金を払う時、男は言った。「あんたも風邪をひいたのかい」というサゲ。


久しぶりに落語を聴けて、楽しい宵だった。あと、やっぱり、代々木能舞台という不思議空間が楽しかった。吹き曝しの演者さんには大変だったと思うけれど。


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