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宝塚花組東京公演「巡礼の年/Fashionable Empire」観劇 [┣宝塚観劇]

ミュージカル
「巡礼の年~リスト・フェレンツ、魂の彷徨~」


作・演出:生田大和
作曲・編曲:太田健、斉藤恒芳
音楽指揮:西野淳
振付:御織ゆみ乃、上口耕平
装置:國包洋子
衣装:有村淳
照明:笠原俊幸
音響:大坪正仁
小道具:太田遼
歌唱指導:堂ノ脇恭子


週に一度は観劇するつもりが、一度しか観劇できなかった[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
おそらくそれすらも、幸運なのだろう。一ヶ月強公演が予定されていたのに、実際に公演できたのは、8月14日15:30公演から8月19日まで、そして9月4日の大千秋楽の8公演だけだったのだから。


「巡礼の年」は、作曲家・ピアニストとして活躍したフランツ・リストの物語。サブタイトルに「魂の彷徨」とあるように、魂の物語でもある。
リストの活躍した時代のパリは、王政復古の時代だった。とても危ういインターバルのような時代。フランスは、100年ほどの間に、王政⇒共和制⇒帝政⇒王政復古⇒共和制⇒帝政⇒共和制という形で政治が動いており、革命騒ぎもしょっちゅう起きていた。
一度革命を起こされ、奇跡的に復活した王制なのだから、過去の反省の上に立って、少しは質素な生活を送ればいいのに、相変わらず連夜の舞踏会三昧な貴族たち。社交界の中心にいるのは、ラプリュナレド伯爵夫人(音くり寿)。パリ高等音楽院に入学できなかったフランツ・リスト(柚香光)は、共に入国した父を失い、以後、貴族のパトロンたちの庇護を受けながら、日々を過ごしていたが、夫人のツバメになることで、一躍、社交界の寵児となった。
パーティーや舞踏会に招かれると、アクロバティックな演奏と美貌で観客の視線をクギヅケにし、夜は、年上の伯爵夫人の無聊を慰める…奉仕に次ぐ奉仕の毎日ーしれっと楽しそうに、観客を鼓舞するリストの内面を推し量ろうとする人はいない。唯一、夫との間に、大きな隔たりを感じているマリー・ダグー伯爵夫人(星風まどか)だけが、リスト自身気づいていない内面に思いを向け、「アルルカンの哀しみ」と評した。
マリーは、ダニエル・ステルンという筆名で、新聞に評論を載せたりしていた。(「ピガール狂騒曲」でも、男性名義でないと小説を発表できない…みたいな話が出てきたが、この時代の女性たちは、みんな苦労していたのね…)
この新聞の編集者に知り合いがいたため、ダニエル・ステルンの正体を知ったリストは、ダグー伯爵家に忍び込み、マリーに出会う。痛いところを突かれたショックで、最初は怒っていたリストだったが、マリーに出会って、彼女が自身の「彷徨する魂」の片割れだと感じる。
二人はそのまま出奔し、ジュネーブで愛の日々を過ごす。
しかし、人気者のリストをパリの社交界が手放すはずはなく、ジョルジュ・サンド(永久輝せあ)ら芸術家仲間が二人の住むジュネーブにやってきて、ラプリュナレド伯爵夫人の新しいツバメ、タールベルク(帆純まひろ)とのピアノ対決を!と、迫ってくる。
一度だけ、という約束でパリ社交界に戻ったリスト。でも、そこで、二人の運命はすれ違い始める。水害に見舞われた祖国、ハンガリーでの演奏旅行の依頼を受けたリストは、ハンガリーの人々に生きる力を与えたとして勲章をもらい、ハンガリー貴族に叙せられる。それは、リストの権力欲に火をつける。伯爵夫人だったマリーとの身分差を気にしていたのかもしれない。リストは、世界各地の演奏旅行に出かけ、たくさんの勲章を受け取る。



マリーの方は、リストの友人の芸術家仲間、特にリストの元恋人のジョルジュ・サンドの影響を受け、執筆の道に進み、彼らとともに、「諸国民の春」に繋がる革命運動に身を投じていく。
もはや、二人の魂は、まったく相容れないものになってしまい、そのまま別れてしまう二人だったが、ここは宝塚なので、ここで、二人は時空を超えた魂の世界で邂逅する。一方、病が重くなったショパン(水美舞斗)は、ジョルジュ・サンドに看取られて亡くなる。サンドは、ようやくショパンへの愛に気づくが、すべては遅かった。
昔から、天才=夭折のイメージを持ち、自分は早く死ぬだろうと思っていたリストだったが、実際に夭折したのは、ショパンだった。長生きする計画のないリストは、これからどう生きよう…と途方に暮れるがー


サブタイトルは、「リスト・フェレンツ、魂の彷徨」。魂が彷徨しているのはよーく分かったが、リスト・フェレンツというのがいまいち、分からない。
リスト・フェレンツは、フランツ・リストの出生名。ハンガリーで叙勲されるシーンで、一度だけその名を呼ばれるが、リスト自身が、ハンガリー出身であること、自身のアイデンティティーがリスト・フェレンツ名義にあることに固執しているようには見えない。
むしろ、マリーとラブラブだったころ、「私たちはただのフランツとマリー」と言われて、にまにましていた。(次はルドルフとマリーな二人)せめて、ここで、「僕の本当の名前は、フェレンツ」と言って、二人の間では、フェレンツ呼びするなら、タイトル通りだったとも思うが…。
ストーリー展開は、現実の物語が粛々と進行したのち、突然魂の世界というか、あの世的空間に行って、時空を超えるような物語を最近、あちこちで観ていたので、ああ、そういう展開ね…と思っていると、数十年後の現実世界に戻ってキレイに終わる…というのは、ああ、宝塚だな~と感じた。
リストの芸術家仲間の面々、プログラムを見ると、有名人揃いなんだけど、一気に紹介される場面、作れなかったのかな~。芸術家ソングのところで、個々の名前を歌うだけでも全然違うと思うのだけど…。
いずれにせよ、ユーゴー(高翔みず希)は、あの革命運動を「レ・ミゼラブル」に昇華し、ドラクロワ(侑輝大弥)は、「民衆を導く自由の女神」に描いた、ということなのね。とすると、あの自由の女神は、マリーだったのかもしれない。


金髪のアシンメトリーな髪を振り乱して女性ファンのハートを鷲掴みにするシーンで、かっこいいのに、なぜか滑稽さを感じさせる芝居が、まさに「アルルカンの哀しみ」だった柚香光、夫に対して冷たく心を閉ざしているシーンから、リストとの愛を知った場面の艶やかさまで、自在に魅せた星風まどかトップコンビは、もう充実期と言っていい。
水美舞斗が演じたショパンは、過激な人物ばかり出てくるこの芝居の良心ともいえる良い役で、ショパンが居るから、どうにかまとまった物語だった。永久輝せあは、ジョルジュ・サンドを、美しさも醜さも力強さも意地の悪さも全部見せて、タカラジェンヌとして攻めた作りこみをすることが、男役が演じる意味だという答えを出してきたように思った。
音くり寿は、正統派娘役としてではなく、キワモノ的なキャラクターで最後の作品に臨んだ。あっぱれな怪演だった。飛龍つかさは、美しく賢い妻の前でどう振舞っていいかわからず、愛人に逃げていた男の、最後の矜持が美しかった。


ショー グルーヴ
「Fashionable Empire」


作・演出:稲葉太地
作曲・編曲:太田健、高橋恵、長谷川雅大
音楽指揮:西野淳
振付:御織ゆみ乃、若央りさ、平澤智、百花沙里、三井聡
装置:國包洋子
衣装:河底美由紀
照明:氷谷信雄
音響:大坪正仁
小道具:加藤侑子
映像:石田肇
歌唱指導:西野誠


プロローグのフード付き革ジャンは、夢に出そうなくらいにファッショナブル[爆弾]だった…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
私、河底先生のセンスとは、つくづく合わない気がする。
ドリームガール(星風)が、素敵なドレスでランウェイを歩きたいという場面も、登場したドリームガールの方が不思議の国のアリスみたいな可愛い衣装で、変身後の衣装の方が微妙だったり。
水美センターの場面では、帆純まひろが女役として登場するが、同じ衣装の他の二人が可愛い娘役(美羽愛・星空美咲)なので、帆純のゴツさが際立って、残念だった。
トップコンビのデュエットダンスの衣装は、着こなしの美しさも相俟って、チョコミントっぽいデザインだったが、美しく思えた。「カサブランカ」の時のデュエットダンスも、茶系の衣装だったから、同じ音楽(As Time Goes By)を聴いて思い出したのかもしれない。
1回しか観ていないと、書けることも限られてしまうが、花組らしい華やかさのある、ショーになっていたと思う。衣装の件は、好みの問題もあるので…ね。


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