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宝塚宙組東京特別公演「群盗」観劇 [┣宝塚観劇]

ミュージカル
「群盗」


脚本・演出:小柳奈穂子
作曲・編曲:手島恭子
振付:御織ゆみ乃、KAZUMI-BOY、AYAKO
擬闘:栗原直樹
装置:稲生英介
衣装:加藤真美
照明:勝柴次朗
音響:山本浩一
小道具:西川昌希
歌唱指導:彩華千鶴
演出助手:生駒怜子
舞台進行:押川麻衣
舞台美術製作:株式会社宝塚舞台
録音演奏:宝塚ニューサウンズ
制作:阿部望
制作補:三木規靖
制作・著作:宝塚歌劇団
主催:阪急電鉄株式会社


18世紀ドイツ文学に、シュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)という潮流があり、その代表的な作品が、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」であり、シラーの「群盗」である…らしい。
「若きウェルテルの悩み」は、かつて雪組で上演された(2013年「春雷」)ので、知っている。
この二作に共通する特徴が、シュトゥルム・ウント・ドランクであるならば、キリスト教的倫理観より、自己の真実を優先して突っ走る若者と、その自滅…そしておそらくは、自滅までも含めて、当時の若者の心をとらえたんだろうな…と、想像する。
「春雷」の直接の原作であろう映画『ゲーテ!』のラストシーンは、本作の出版後、青い上衣と黄色いパンツ姿(作中のウェルテルが着ていた服装)の若者たち@熱狂中に取り囲まれるゲーテの姿だった。なので、こういう作品が熱狂的に受け入れられたんだろうな…と思う。親の世代と同じ生き方ではない新しい何かを求めて、いつの時代も若者は焦れているのかもしれない。
それが、18世紀末のドイツでは、シュトゥルム・ウント・ドランクになり、1920年代のアメリカでは、フィッツジェラルドだったのだろうな、と、理解。(合ってるかな[exclamation&question])そんな当時のドイツでは、「…ウェルテル」と同じように熱狂されたが、現在の日本での知名度は雲泥の差がある、シラーの「群盗」を、小柳先生が取り上げた。
原作は、戯曲。つまり、通常は、そのまま上演できる。
が、読まれた方によると、相当、改変しての上演となったらしい。それは、時代的なものなのか、宝塚ゆえなのか…。


ドイツ・フランケン地方の領主、モール伯爵(凛城きら)には、カール(碧咲伊織)という息子がいた。父は厳格で、母のシャルロッテ(はる香心)は病弱だったが、カールは、乳母のズーゼル(花音舞)や、モーゼル牧師(風輝駿)らに大切にされ、従妹のアマーリア(陽雪アリス)と、子供らしい毎日を送っていた。
[るんるん]グノーのアヴェ・マリア[るんるん]が出てくるとは思わず、ここで一瞬腰を抜かした。よかったです、カッチーニは出てこなかったから(笑)
(スタジオライフの『トーマの心臓』には、この2曲が繰り返し出てくるのです…)
ある日、母を亡くしたばかりの父の庶子が引き取られてくる。名前は、フランツ(真白悠希)。彼が引き取られてくるには、紆余曲折があったらしく、父親である伯爵は、母親の身分(水車小屋の娘だとか…)のため、あまり良い顔をしていなくて、それを取りなしたのが、アマーリアの父親であり、伯爵の弟であるヘルマン(希峰かなた)だった。
このヘルマンは、生まれつき足の曲がった障がい児であったため、早々に爵位継承権を奪われており、そのことで、理不尽にも兄を恨んでいた。カールとフランツの養育を任されたヘルマンは、フランツの心にもある“闇”を利用して、兄とカールを葬り去ろうと、計画を練るのだった。
剣(なぜか短剣)のけいこをしている兄弟を眺めるように、大人の二人(芹香斗亜&瑠風輝)が登場し、戦う兄弟を見ている。やがて、大人の二人の戦いになり…という辺り、微妙にベルばらっぽいな~と思ってみたり。でも、何故、短剣[exclamation&question]子供の短剣は、まだ、子供だし…と思えるが、大人になったカールとフランツが短剣で戦うのは、なにかモール伯爵家の伝統でも[exclamation&question]と、まで思ったのだが、最後までこの謎は解けないのだった。
やがて、カール(芹香斗亜)は、18歳になり、ライプチヒの大学へ進学することになる。病弱だった母親は亡くなり、フランツ(瑠風輝)やアマーリア(天彩峰里)も大きくなった。遠方の大学に行くことに反対する父親は、ヘルマンが説得した。ライプチヒの領主・オイゲン公(水香依千)の監視のもとなら…と。
カールを愛するようになったアマーリアは、彼の手に母の形見の指輪を渡し、放蕩ずくめでお金がなくなったらこれを売って帰って来て、と伝える。二人の歌う[るんるん]故郷を離るる歌[るんるん]が美しい。これ、大正時代に作られた歌詞(中丸一昌作詞)がそのまま使われていて、文語調なのだが、ノスタルジーを感じるよい詞だと思う。
(これもスタジオライフの『Tamagoyaki』という舞台に使われていて、やたらとライフを思い出す公演だった。)


カールは大学に入り、そこで学友を得る。啓蒙家のシュヴァイツァー(穂稀せり)、詩人のラツマン(愛海ひかる)、芝居に夢中なシュフテレ(雪輝れんや)、画家のロルラー(なつ颯都)。彼らは、カールが貴族だと聞くと驚くが、すぐに打ち解け、カールを酒場に連れて行く。ここで歌われる[るんるん]学生歌[るんるん]は、シメさんが主演した「カール・ハインリッヒの青春」でも使われている。あれから、何年なんだ[exclamation&question](34年でした…[爆弾]あ、でも、まだ私は宝塚ファンではありませんでした。ギリギリですが…)そして、それから数年が過ぎ…
カールは、今日も学友と酒場にいた。どうやら、彼の行状が実家に悪く伝わって、勘当されてしまった、と、カールは悩んでいた。
その店には、女将のフロイデ(愛咲まりあ)、その娘のリーベ(華妃まいあ)、リーベの恋人・シュピーゲルベルク(秋奈るい)、そしてリーベの弟・グリム(湖々さくら)がいた。この店は、前年に亭主を亡くし、税金の滞納が続いていた。そこで小役人のヴァールハイト(鷹翔千空)が徴収に訪れていた。カールは、ヴァールハイトにアマーリアの指輪を渡し、もう少し待ってくれるように頼む。
そして、勘当され、自棄になったこともあるのか、カールと学友・そしてシュピーゲルベルクとリーベ、グリムは、義賊になる決意をし、この日運ばれることになっているオイゲン公の金を奪うことに成功した。“群盗”と名乗り、金持ちから奪って貧しい者にその金をばら撒くカールたち。
しかし、カールの正体が貴族の息子だということを公表するように…という、ヘルマンの作戦が見事に当たり、民衆は、群盗を見限ってしまう。オイゲン公の屋敷に忍び込んだカール達は、(ここで指輪を取り返す)グリムを死なせ、誰一人味方のないまま、ボヘミアの森へと逃亡していく。
そこへ、フランケン地方の村長の息子を名乗るコジンスキー(風色日向)が現れ、モール伯爵の死後、爵位を継いだフランツが重税を課し、抗議をした村長を処刑したと訴える。自身も追放され、恋人のアマーリアとも会えない。もう生きる望みもないので、群盗に加わりたい…とコジンスキーは言う。それを聞いて、カールは、コジンスキーの恋人がアマーリアという名であることに、深く心を揺さぶられる。
カールと仲間たちは、フランケンに向かう。が、カールがアマーリアという名前に反応したことに気づいたリーベは、一人森から姿を消す。
フランケンでは、半分気が変になった伯爵が幽閉されている。フランツは、そんな父のもとを訪れ、母のことを思い出させようとする。 父は語る。妻を愛していたが、妻は、結婚前に言い交わした相手がいて、彼には心を開かなかった。そんな自分に手を差し伸べてくれたのが水車小屋の娘で、いけないと知りつつその手を取ってしまった、と。
領主なんだし、側室の一人や二人、いいんじゃないのか[exclamation&question]と、思ってみたが、19世紀ヨーロッパでは、もはや、それはアウトなのだろうか[exclamation&question]
そして、伯爵は、息子のカールの身を案じる。カールのことは憶えていたのだ。
自分が誰かわからずに助けを求める伯爵の心にあるのは、今も妻とカールであり、母と自分は物の数ではないという事実にフランツは心をいためる。
さて、本当に伯爵が亡くなったと信じ、喪服で祈り続けるアマーリアは、そこへ戻って来たフランツが笑っている、とクレームをつける。 お父様が亡くなったのに不謹慎だと。
いや、待て。もう喪は、あけてるし、だから明日婚礼なんだろうし、笑うくらい許してやれよ[あせあせ(飛び散る汗)]それに、フランツは、モール伯爵が生きていると知っているんだし…って、これはダメか。
フランツがいなくなると、変装したカールが登場する。でも、あの指輪をしていたことで、アマーリアにはすぐに、カールとわかった。「もう遅い。明日はフランツとの婚礼」と告げるアマーリアに、必ず助けると約束するカール。
婚礼の席に現れたカール。そこで、モール伯爵が生きていることが発覚、さらに、ヘルマンらが、オイゲン公の手紙を偽造していたこともわかる。
カールは、モール伯爵のもとに急行するが、その前にヘルマンが伯爵のもとに現れ、彼を罵倒し、斬りつけていた。その振り上げた剣の前に飛び出して伯爵を庇ったのは、フランツだった。さらに、飛び込んだカールの剣先が、偶然ヘルマンを刺し貫いていた。
三人は、次々に絶命する。アマーリアは、カールに死なせてほしいと頼み、カールはその願いを聞いてアマーリアを刺す。
リーベの密告により、オイゲン公の手のものが、モール城に押し寄せる。すべてを失ったカールは、非合法な手段で正義を行うことはできなかった、として、一人捕まって処刑されるのだった。
てか、短剣の稽古してたのに、フランツ、いつのまにか長剣持ってるし、なんで今もって短剣しか扱わないカールが、フランツの腕が上がったとか言うのか、ほんとわからないな~と思っているうちに本編は終了したのでした。


フィナーレナンバーは、本編でも使われていたベートーベンの「月光」などの音楽で、短いが効果的なダンスナンバーとなっていた。
蘭寿さん.jpg月光では、全員が、この持ち方で燕尾服を持っていて、なんと、宙組にコレが来るとは[あせあせ(飛び散る汗)]と驚いた。振付指示なのかな、と思っている。
で、ドラマシティ公演の時、愛海ひかるだけが、途中から、別の持ち方をしていて、自己主張か[exclamation&question]と思っていたら、東京では、こちらの持ち方で最後まで通していたので、癖でやっちゃってただけなのかもしれない。
ただ、その愛海くんの持ち方を見て、案外このナンバーには、こっちの持ち方の方が似合うんじゃないかな…と思ってしまう私なのでした。
ま、2003.jpg私自身は、どちらかというと、こっち派なので、そう思うのかもしれませんが。


では、簡単に、演出と出演者についての感想を。
潤色・演出的には、今回、すごくザツだな~と感じている。
大学に行ったカールは、叔父と弟の奸計により、父の怒りを買い、勘当されてしまう。これが彼が群盗となる大きな要因になっているのだが、領主の息子でありながら、啓蒙思想に傾倒し、それゆえに特権階級による搾取を憎む…というカールの思想形成が、この大学でなされていた…ということは、重要なテーマなんじゃないだろうか。
そして、シュヴァイツァーたち学友が、群盗に加わったのも、彼らすべてが啓蒙思想に傾倒しているからであって、そうでなければ、勘当されて一文無しになったカールを金なら貸すから…と諫めたはずだ。
また、啓蒙思想で繋がっているカールと学生たちと、酒場に入り浸るシュピーゲルベルクとの間の後々の対立も、思想的義憤と、実際の生活苦という、背景の違いを鮮明にすべき部分だったと思う。そして、オイゲン公のもとで、市民たちがどれほど虐げられていたか、が具体的に伝わることで、カールが貴族の息子だというだけで、市民が一斉に手のひらを返した場面が際立ったのにな…と思った。
だって、オイゲン公に虐げられているのに、カールが貴族の息子というだけで、今、オイゲン公の城を襲うという群盗を裏切り、オイゲン公の味方に付くっておかしいもの。それには、貴族なんてしょせんどいつもこいつも…という深い彼らの絶望や、期待していた群盗に、貴族の人間が一人いるだけで、すべてを裏切られた気分になるほどの悲しみが必要なのだ。
まあ、その辺の浅さがシュトゥルム・ウント・ドランクなのだ、と言われればそれまでだが。


あと、アマーリアが不思議ちゃんになっているのも、すごく残念だった。
モール伯爵が亡くなって、新しい領主になったら、不作だったのに税金を減らしてもらえなかった。そのことに意見をしたら、いきなり村長が処刑され、息子が追放された。…というくらい長い時間がたっているのに、喪服を着続け、フランツが笑ったと言って糾弾するなんて。明日は結婚式なのに。
そして、自身は無傷なのに、私を殺して…とカールに迫るとか、ほんと迷惑極まりない。自殺するとまで言われたら、キリスト教徒としては、殺してあげるしかないではないか。
そして、演劇という媒体では、傷ついて、これ以上苦しむくらいなら…というケース以外、男が愛する女性を殺すのは、観ていて不快なのだ。もう理屈でなく。
この迷惑娘・アマーリアを涙を流して、情感たっぷりに演じ、こちらの気持ちまで取り込んでしまった天彩峰里には、感動を通り越して感謝しかない。歌声も本当に美しかった。


そして、ヴァールハイトがねぇ…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]わっかんないんだな~[爆弾]
ヴァールハイトは、「若きウェルテルの悩み」における、書簡の受取人・ヴィルヘルムに相当する人物なのかな。同時代に生きている若者なんだけど、主人公を俯瞰的に見ている人物…というか、傍観者というか。主人公に対比させるためのシュトゥルム・ウント・ドランクじゃない人物を出す…というのが、お約束だったのかもしれない。
とはいえ、傍観者にもほどがあるやろ…[パンチ]
出会う10年も前からの彼の人生を紹介しておきながら、けっこう心を寄せている雰囲気を出しながら、最後にリーベの密告を受けて、サラっとオイゲン公に伝えるって…[爆弾][爆弾][爆弾]
一応、期待の若手にやらせるんだから、役として書いてあげようよ。止めるとか、握りつぶすとか、なんか、彼の思いを伝える場面を作ってあげようよ。何のための宝塚バージョンなんだよ[ちっ(怒った顔)]
非常にバランスの悪いキャラクターだな…と、思った。無念。こってぃ、あなたは悪くないよ[exclamation×2]


というわけで、小柳先生の最近のヒット作に比べると、やや杜撰さが気になった、潤色・演出だった。
もちろん、この作品は、シラーの若書き作品で、それほど良作ではなく、シュトゥルム・ウント・ドランクの一作品であるという以外の価値はないという評価を受けている作品とのことなので、そのまま潤色したらつまらない作品になる可能性は高かったと思う。
でも、私は、小柳先生には、期待しているのだ。だから、若書きのフレッシュさと、辻褄を両立させることを期待していた。そういう意味で、厳しい評価を書かせてもらった。


出演者は、若手中心だったが、一人一人、しっかりとセリフを伝えてくれて、いい役者がいっぱい育っていることに、胸が熱くなった。ゆうひさんの愛した宙組だから、いい役者が育つのは嬉しいのだ。
特に、期待を裏切らない男・りんきらこと、凛城きら出てくるだけで、ドラマを感じる。
そして、普通なら専科が演じてもおかしくないヘルマン役を、見事に演じ切った希峰かなた。絶対いい役者に育つと思うので、長く居てほしいです。


最後に、この座組で、この脚本で、宙組生として初めてのドラマシティ主演をやり遂げたキキちゃん(芹香斗亜)。
美しくカッコいいだけでなく、座長としての度量の大きさを感じる公演だった。今後の芹香の活躍が楽しみ。


 


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K

こってぃがカールを助ける場面は描かれてましたよ。
撃とうとする兵士を止めたんだったかな。森で。
by K (2019-03-14 16:09) 

夜野愉美

Kさま
コメントありがとうございます。
そこは観ていました!だから、ヴァールハイトがカールを好ましく思っていることもわかりました。そういう咄嗟に命を助けるというのは、傍観者でもついやってしまうことですよね。
でも、縛についたらどうなるか知っていて、それでも密告を通してしまう…のは、彼の弱さなのか…こってぃのことを考えてあげるなら、彼は密告を握りつぶしたんだけど、オイゲン公にバレてしまうとか、ワンクッションあったら、もっといい人に描けたのにな…と思うのであります。
by 夜野愉美 (2019-03-14 21:55) 

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