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宝塚月組バウホール公演「Anna Karenina」ライブビューイング [┣宝塚観劇]

Musical
「Anna Karenina-アンナ・カレーニナー」


原作:レフ・トルストイ
脚本・演出:植田景子
作曲・編曲:吉田優子、甲斐正人
振付:御織ゆみ乃、麻咲梨乃、大石裕香
装置:稲生英介
衣装:有村淳
照明:氷谷信雄
音響:大坪正仁
小道具:福井良安
歌唱指導:飯田純子
演出助手:中村真央
舞台進行:表原渉
舞台美術製作:株式会社宝塚舞台
録音演奏:宝塚ニューサウンズ
制作:溝部誠司
制作補:西尾雅彦
制作・著作:宝塚歌劇団
主催:阪急電鉄株式会社


宝塚ファンを30年やってきましたが、この作品は、映像でも一度も見ておりません。なので、同じ景子先生の作品ながら、「THE LAST PARTY」は、観劇しながらゆうひさん版を思い出しただけで終わってしまったのに、こちらは、まっさらな気持ちで、しかも、めちゃめちゃ入り込んで観てしまった。
景子先生らしさ満載ながら、文学的かつ宝塚らしいな~と思った。
私は観ていない初演(2001年)…そういえば、この年のバウホール公演はすべて柴田先生監修の文芸作品を上演するという縛りがあったんだった…[exclamation×2]
ちょっと振り返ってみよう。
花組 「マノン」(アベ・プレヴォー作『マノン・レスコー』より)中村暁/瀬奈じゅん
星組 「イーハトーヴ 夢」(宮沢賢治作『銀河鉄道の夜』より)藤井大介/夢輝のあ
雪組 「アンナ・カレーニナ」(レフ・トルストイ作『アンナ・カレーニナ』より)植田景子/朝海ひかる
宙組 「フィガロ!」(ボーマルシェ作『セヴィリアの理髪師』『フィガロの結婚』より)太田哲則/水夏希
月組 「血と砂」(ブラスコ・イヴァニエス作『血と砂』より)齋藤吉正/汐美真帆&大空祐飛
このラインアップだと、本作は、一番生真面目に作られた作品だったのだな…と思わずにはいられない。唯一、何度も再演されるわけだよ。この作品があったればこそ、文芸シリーズもやった甲斐があったというものです[爆弾]


一方、トルストイの「アンナ・カレーニナ」といえば、ちょうど半年前にスタジオライフで上演していた。それが私の最初の“アンカレ”経験なので、こちらの感想もよかったらご覧ください。


「アンナ・カレーニナ」は長編小説なので、舞台化するためには、物語をエッセンスとして凝縮する必要がある。なので、この物語を構成する登場人物を料理のメニューに見立てて、サックリ紹介してしまうやり方には、手練れを感じた。
ヒロイン・アンナの兄のスティーバ(光月るう)は、浮気が妻のドリィ(楓ゆき)にバレて、家の中はてんやわんや。ドリィの末の妹、キティ(きよら羽龍)は、コスチャ(夢奈瑠音)に愛されているが、アレクセイ・ヴィロンスキー(美弥るりか)にプロポーズされるのを夢見ている。こんな状況の中、スティーバの妹、アンナ(海乃美月)が兄夫婦の仲裁のためにモスクワを訪れる。
アンナは、ヴィロンスキーの母(五峰亜季)と同じ列車に乗っていた。その列車に一人の女が飛び込み自殺を図る。
(原作では、鉄道員の死亡場面なのだが、こうすることで、ラストシーンを暗示する設定になっている。)


こうして、ヴィロンスキーとアンナは、出会う。そもそも、ロシアの大貴族という狭い世界の人々なので、この機会がなくても、どこかで出会っていたとは思う。しかし、出会いの印象が強烈な方がドラマチックではあるし、また、この出会いだったからこそ、ラストの悲劇に繋がった部分もあったんだろうな、と思う。
そして、ベッツィ・トヴェルスコイ公爵夫人(美穂圭子)主催の舞踏会で再会すると、もはや二人の恋は止めることができないものになってしまった。そして、この舞踏会で、ヴィロンスキーとのラストダンスを夢見ていたキティは、夢破れ、立ち直れないショックを受ける。このキティが、アンナと対照的な裏ヒロイン的な存在でもあるのだが、今回、研1のきよらが演じたせいか、少し印象が弱く感じた。というか、景子先生的に、キティという女性を魅力的に書く気がないような気もしている。
ヴィロンスキーとの出会いに運命的なものを感じたアンナだったが、自分には夫と息子がいることを思い、すぐにペテルブルクに帰京しようとする。が、ヴィロンスキーは、そんなアンナの後を追い、ペテルブルクへ。駅に降りた二人を待っていたのは、アンナの夫、カレーニン(月城かなと)だった。
数日、留守にしただけで駅まで迎えに来るなんて、すごく愛妻家だと思うのだが、カレーニンは、それを認めようとしない。たぶん、カレーニンが妻を愛していると言いさえすれば、アンナはヴィロンスキーを愛さなかったのでは…[exclamation&question]と思うのだが、とにかく、甘い部分が最初から全然ない夫との結婚生活の中で、彼女が折れそうになっていることに、本人ですら気づいていない…というのが、物語の発端になっているようだ。
美しい妻を愛しながら、その強い思いをどう表現していいかわからない、エリート男性の無骨な愛が、許容された時代の物語よね…という風にも思いつつ、月城のカレーニンを見ると、宝塚の男役になら、今もまだ許される、と言いたくなる。(すみません…)


というわけで、夫の住むペテルブルクだから、普通なら不倫が進行するはずはないのだけど、社交界を牛耳るベッツィの協力により、二人の関係は深くなっていく。どうやら、帝政ロシアの社交界では、ちょっとした恋愛沙汰もまた、大貴族の暇つぶしみたいなものらしい。でも、それは「ちょっとした」恋愛沙汰であって、我を忘れるようなみっともない動揺を見せる恋愛沙汰は、タブーだったりするのね。競馬場で、友人のセルプホフスコイ(英かおと)とレースをする中、落馬したヴィロンスキーを見て意識を失うアンナは、そもそも、そういうことに向かない性格だったわけで…第一幕の終りあたりで、二人の愛は、破滅に向けて一直線に進むことが運命づけられているように感じられた。


まあ、そこからは、アンナがヴィロンスキーの子を産んで、産後の肥立ちが悪くて死にそうになって、カレーニンが彼女を許したり、ヴィロンスキーが自殺未遂を起こしたり、二人がイタリアへ旅したり、と少しずつ破滅に近づいて、最後にアンナが汽車に飛び込み、ヴィロンスキーは戦場に行く…という展開になっている。
当然のごとく、スタジオライフにあったような、男は現実を生き抜くために悩み、女は愛の成就だけを夢見て悩む…というようなすれ違いではなく、ヴィロンスキーもアンナも、互いへの愛ゆえに、思いやりゆえに悩み苦しんで破滅し、それが美しい…という物語だった。そしてカレーニンもまた。
それが、植田景子先生の美学として描かれ、その美学を、ひたすら美しい出演者が三次元世界に紡ぎ出す。それをスクリーンという二次元で日本中に発信し、これを唯一の機会として観ている私…世界はフクザツね。


そんなカタチで見た「Anna Karenina」の世界は、もちろん物語世界に引き込まれて、胸が痛くなるほどの苦しみを受け取っているのだけど、その一方で、美の暴力に蹂躙されているような、そんな興奮もおぼえる時間だった。
とにかく、美弥るりかが美しい。
どの瞬間、どの角度から見ても美しい。
そして、美弥と、海乃美月が並んだ姿の美しさ。長椅子を使用したラブシーンの完璧な角度は、かつての『Hollywood Lover』を彷彿とさせる。タカラヅカは、これでなきゃーと思わせる様式美。
そして、海乃を挟んで美弥月城が並ぶ美しさ。その暴力的なまでの美の洪水と、来る悲劇が当然のようにリンクして、そのあまりの情報量を一度に受け止める作業が難しく、途中から、口をあんぐりしながら観ていた気がする。


美弥るりか主演作品をバウホールのみの公演にしたことは、どういう理由だったのか、永遠の謎だが、たしかにこの作品は、バウホールのサイズがピッタリなのだ…というのは、理解できる気がした。だから、バウ+ライブビューイングという方法は、ひとつの解決法として、今後も提案されるべきだな、とも思う。
ただ、その場合、日曜千秋楽はマストなんじゃないかな。今回は頑張っちゃったけど[あせあせ(飛び散る汗)]


その他の出演者に対する感想もあれこれあったのですが、ライブビューイングでしか見ていないので、詳細は割愛します。別の機会に、それを含めて書けることがあればいいな、と思ってます。


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