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宝塚花組KAAT公演「蘭陵王」観劇 [┣宝塚観劇]

ロマンス
「蘭陵王ー美しすぎる武将ー」


作・演出:木村信司
作曲・編曲:長谷川雅大
雅楽師・作曲・編曲・録音演奏:東儀秀樹
編曲:萩森英明
振付:花柳寿楽、麻咲梨乃
ファイティング・コーディネーター:渥美博
装置:稲生英介
衣装:有村淳
照明:勝柴次朗
音響:秀島正一
小道具:市川ふみ
歌唱指導:飯田純子
所作指導:袁英明
演出助手:熊倉飛鳥
舞台進行:岡崎舞
舞台美術製作:株式会社宝塚舞台
録音演奏:宝塚ニューサウンズ
制作:井塲睦之
制作補:恵見和弘
制作・著作:宝塚歌劇団
主催:阪急電鉄株式会社(KAAT神奈川芸術劇場公演)


美しすぎるため、仮面を付けて戦ったという古代の武将、蘭陵王をモデルに、ほぼ全編オリジナルで構成された作品である。まあ、ほとんど「美しすぎる」しか情報がない人のようなので、思い切り創作されまくっていた。


だいたいの物語は、拾いっ子⇒苛められて育つ⇒拾いっ子の事実を知り、家出⇒ひとりの男に養育されるが、同時に性的に愛玩される。ただ本人は、それが何なのか気づいていない⇒村が盗賊に襲われ皆殺しに⇒美しすぎて助かるが、盗賊の愛玩物となる⇒ようやく世の性的な欲の存在に気づく⇒盗賊が捕まり処刑される⇒そこで、王子であることが判明。やっと王族としての教育を受ける⇒武将としてのたぐいまれな才能が開花する⇒戦場でも大活躍⇒皇帝から褒美として20人の側室を賜るが、一人を除いてすべて断る⇒ひとり残った洛妃(らくひ)は、間者と見破って、残したのだった⇒洛妃は、いつか寝首をかくとか言いながら、彼を守り続ける⇒強すぎる王子に、皇太子(セクマイ)の側近らが危機感を抱き、暗殺計画を立てるが挫折⇒皇太子の恋人が彼に飲ませるはずの毒酒を呑んで死亡⇒逮捕⇒処刑として毒酒を賜ることとなったが、洛妃の進言により、直前に戦って逃げる道を選ぶ⇒強すぎるので無事に二人で逃亡できた、って感じかな[exclamation&question]


少年時代からすべてを主演の凪七瑠海が演じていて、初登場場面で、その素直なソプラノの歌声の美しさに、まず感動した。そして、この作品は、語り部として、京三紗が、情景や、主人公の美少年(⇒高長恭⇒蘭陵王)の心情を語っていく。の深みのある温かい美声も聴いていて心地よかった。


さて、この物語、全体の8割くらいがセクシュアル・マイノリティーの物語になっている。(蘭陵王自身もある意味セクマイだという前提で。)それが非常にザツでざっくりなところが、気になって気になって、気になり過ぎているうちに、ドラマが終わった感じ。最後は、ヘテロセクシャルの平凡な物語になって…なんだったんだ、コレは…[exclamation×2]
性の多様性は、今に始まったことではなく、差別もまた、今に始まったことではない。
その時代には、その時代の描かれ方というものがあって、たとえば、「はいからさんが通る」の藤枝蘭丸の描き方を、現代に合わせて変更することは、却って差別があった時代を隠すことになるから、表現はそのまま残して、注釈をつけたりしている。
でも、本作品は、木村先生のオリジナルで、舞台となった時代は6世紀だが、書かれたのは2018年なのだから、2018年の価値観を反映しているべきだし、どうやら、そういう方向性で書いているっぽくもある。でも、ザツなんだよね、色々と。
まず、主人公である蘭陵王自身の性的志向がまるっとスルーされている。おそらく、木村先生の中では、彼はヘテロセクシャルという前提なのだろう。最近では、生まれついてのヘテロセクシャルという概念からしてアヤシイとされているのに、なんという固定観念[exclamation×2]
最初の相手である村の長者(航琉ひびき)に出会った時は、まだ子供で、それがなんであるかを知らない。自分に固有の特別なことなんだろうと思ったりするのだが、たとえば、「いやなこと」とか「恥ずかしいこと」という感覚がない。そんなわけないと思う。だって、入れ墨を調べるために服を脱げと言われた時、嫌がってたもん。
盗賊(澄月菜音)に出会って、彼の愛撫を受けた時、ああ、みんな自分にこういうことをするんだ、と思ったそうだ。世界で自分だけ、じゃなく、これは誰もがすることなのだと。そしたら、少なくとも、ここで、(盗賊相手に抵抗するかどうかは別にして)何らかの感情があるんじゃないだろうか。
やがて大人になった高長恭は、皇帝から褒美として20人の側室を賜るが、すべて断る。美しい女性を見て、心を動かしていない。女性たちは、彼は女性に興味のない性志向なのだろうと噂する。それは短絡的な発想だが、間違ってもいない気がする。この時点で、ヘテロセクシャルという選択肢はほぼない。…ということが、木村先生にわかっているのだろうか。
人は、社会生活の中で、それが自然だ、それが普通だと言われて、色々な知識や経験を身につけていくものだ。性自認や性志向も、大概の人が、そういうものか、と思って育っていく。ここで疑問を感じるものだけが、セクマイ(セクシャル・マイノリティ)としてカウントされていくのだ。そう考えると、彼の人生においては、性とは強き男に愛玩されるもの、だ。そこに基礎があって、自分はそうじゃない、自分は女性の方が好きだ、性欲を感じる、と思うのであれば、自由になった後、20人の側室を娶る。そうでなければ、彼が過ごしてきた幼少期とバランスが取れない。
しかし、長恭は、たった一人選び取った洛妃に身の回りの世話をさせながらも、彼女と同衾はしていない。(もし、関係を持っていたら、ラストシーンでの洛妃の告白は不要だからだ。性的なテクニックを教え込まれた女性だということを、あえて告白するのは、それを彼が知らない=二人の関係がプラトニックだからだろう。でなければ、所作が完璧=間者と見破るほどの長恭なのに、おかしい。)
この時点で、私は、長恭は、Aセクなのね、これは新しいわ、と思った。(が、違った。)
一方、彼のライバル的に登場する皇太子⇒皇帝の高緯(瀬戸かずや)は、乙女キャラである。彼の場合、性自認も女性であるトランスジェンダーではないかとも思われる。高緯は、男性が好きで、男性に性的欲望を抱いている人のようで、もし彼が女性だったら、差別を受けずに、苦しまずに過ごせただろうな…というキャラクター。(木村先生が、その辺の細かいところを、あまり考えていない可能性も十分にあるけど。)


幼い頃、名もない美少年だった高長恭は、村の長者や盗賊から性暴力を受けていた。幼く、性的な興味も持たない者に対して、一方的に性的接触をはかることは、そこに殴る蹴るの一般的な暴力がなかったとしても、「性暴力」と言われる。
大人になり、誰よりも強い武将になった彼は、皇帝となった高緯から、愛人になるなら命を助けてやると言われ、そこで自分がかつて性暴力の被害者であったことを初めて自覚する。そして、全力で高緯を拒絶するのだが、「キタナイ手をどけろ」とか言っちゃうわけですね、この時。
いや、それも、セクハラだから…
最後の最後にセクハラする主人公、これ、あかんやつ。
ヤラセロと権力をかさに着る高緯は、ダメなヤツだけど、彼は、ここで性暴力を振るわなかった。正当な裁判(かどうか、わからないが、とにかく皇帝の裁定を受けること)なく、逍遥君(帆純まひろ)を殺害(自分が飲むはずだった毒酒を無理やり飲ませた)したのだから、まあ、殺人罪で死刑と言われれば、死刑もありかもしれない。それを甘んじて受け入れるか、生き恥をさらす気であれば、皇帝の愛人にしてやってもいい、選択肢を委ねると、かなり寛大な皇帝のお言葉なのだから、はねつけるにしたって、流儀は必要だ。
それを、「キタナイ手」と主人公に言わせるのは、木村先生自身が、それを正当だと思っていることにほかならない。
だって、ここ、主人公の見せ場だから。
ここで主人公の格が決まるところだから。
めっちゃ、最高のセリフでキメないと、凪七瑠海が生きない。それが「キタナイ手」なんだから、木村先生の多様性への認識は、その程度なのだ…めっちゃ、凹むわ、これ。
その上、高緯の描き方に、多様性を見た、素晴らしい[exclamation]というネット上の書き込みが多く、さらに私を落ち込ませた。


「#MeeToo」運動と「LGBT」という言葉の普及に伴い、様々な価値観を持つ人々が、差別なく、生きやすい世の中になっていくことが、21世紀の日本の急務であると、いつも思っているのだが、現状は、「共感してますよ。差別してませんよ」と言うことで、同情という差別をしている人が大半なのではないか…そんな気がする。
かく言う私も、その端くれだったのかもしれない…と、自戒を込めて、書いています。


本当に、多様性をしっかりと描くのであれば、洛妃(音くり寿)が実は男性だった、くらいの展開が必要で、には、それくらいできたのではないか、と思っている。それでこそ、21世紀の宝塚として挑戦的な舞台になった、と。
洛妃は、間者で、しかも少年だった。
だから、皇帝に恥をかかせないために、彼だけを引き取った。
でも、手は出さない。なぜなら、相手は少年だったからだ。それが、どんなに少年の心に傷をつけることか、自身の経験で知っていたから。
そこからの物語は、そのまま使っていい。徐々に思いを通わせ合う二人が、それを口にしないのは、同性を好きになってしまったから…と考えれば、より自然だし、最後の生きるか死ぬかのところで、自分の想いを口にするというのも、なるほど、と思える。
高緯を拒絶するのは、彼が「キタナイ」からではなく、自分には、もう愛する人がいるからだ。
こんな物語だったら、私は全面的に支持したい。
今のままだと、流行のテーマを軽く入れてみました、的ファッションかな…と思ってしまうんだな…


古代の中国の物語なせいか、ところどころ、「王家に捧ぐ」や「鳳凰伝」のモチーフが出てきて、懐かしく、装置なども面白くて、退屈はしなかったし、褒めたいところも多々あったのですが、逆鱗に触れちゃったので、あんまり覚えてなくてもったいなかったです(笑)
ちなみにフィナーレナンバーは、「エマーソン・レイク・アンド・パーマーみたいな感じで…」というリクエストがあったらしいです。
亡きキース・エマーソンは、「イブの息子たち」ヒース・イアソンのモデルで、あの作品は、私も大好きだった。…でも、今は、あの価値観ではやっていけない時代なんだよね…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]そして、それでいいと思っています[グッド(上向き矢印)][グッド(上向き矢印)][グッド(上向き矢印)]


では、ミニ出演者感想。


凪七瑠海(蘭陵王)…少年時代のソプラノが最高に美しい。美しすぎる武将というキャッチフレーズは、宝塚という世界においては、意外と切り札にはなりにくいものだな…という気はした。だってみんな美しいし、彼だけが美しすぎるとも思えない。外部でやったら、間違いなく美しすぎるのだろうが。
男たちに蹂躙されながら、表情ひとつ変えずに、凛と立っている風情は、凪七に似合う演目だな…というふうには思った。


音くり寿(洛妃)…美声と小さな身体をいっぱいに使った軽やかな動き…彼女の個性に似合う、よい役を得られたと思う。あのキビキビ感は、むしろ少年のそれだな…と思い、そこから、上記のストーリーをつい妄想してしまった。でも、絶対その方が好み[るんるん]
ラストのぢいさんばあさんみたいな部分には、ほっこり[ハートたち(複数ハート)]


瀬戸かずや(高緯)…最初に登場した場面のソロは、「ファラオの娘だから」のパロディみたいで、インパクト大。この役は、本作におけるアムネリスなのだから、彼が最後に訪れたのも、アムネリスが最後にラダメスのもとを訪れたのとまったく同じ展開。そこに愛と未練はあっても、それはパワハラではない。死刑が相当であり、逃がす方にパワーを使うのだし、選択肢を相手に委ねているのだから。蘭陵王も、ラダメスのようにきっぱり断ればよかっただけなのだ。
持って生まれた肉体上の性が男と女の違い…それが、木村先生の偏見を受けて、可哀想な末路を辿ったが、単なるコメディリリーフにならず、高緯の苦しみも、ダメなところも、等身大で描いて見せた瀬戸かずやがいたからこそ、多くの観客が彼の姿に多様性を見ることができたのだと思う。
フィナーレは、もっと目立つ衣装を着てほしかったな。


京三紗(語り部)…最後の最後に、ああ、そうなのか、そうだよね…という、「この母も」というセリフが登場し、だから、単なる語り部ではなく、あれだけの慈愛をもって、この物語を語りつくしたのだな…と、納得したが、そうでなかったとしても、彼女の語る力には、ただ感動しかなかった。


悠真倫(斛律光)…まりんさんが出てくるだけで、なんだか、いろいろ納得してしまう…特に、ケガを負った洛妃を介抱する…なんて将軍なのに頼まれてしまうのだって、そりゃ、ここはまりんさんに頼むしかないよね…と納得させてしまうのは、本当にすごい。


花野じゅりあ(広寧王の妻)…戦場などで、語り部に迫力を追加したい時に登場する語り部2のような役柄。広寧王の妻と言われても、広寧王が誰だか知らないので、どう返事をしていいかわからない。相変わらず、オトコマエでした。だから、この役なのね…と。


帆純まひろ(逍遥君)…美貌を生かした役だな…と思った。高緯の恋人で、彼を守るために蘭陵王の暗殺作戦に加わるのだが、露見して、暗殺の道具であった毒酒を飲まされる。最後の最後、開き直った時に、オネエ言葉で毒づいて死ぬところが、なかなかかっこよかった。
まあ、死ぬ時だけオネエ言葉になるのも、変だけどね。


美花梨乃(芍妃/鄭氏)…長恭に与えられた20人の側室の一人、芍妃と、暗殺作戦のために、それと知らず用意された、蘭陵王の結婚相手。どちらも相手にされない可哀想な女子の役なのだが、気の強い芍妃と、光栄にただドギマギしている田舎の美女、どちらも美しく、キャラクターを掴んでいて、良かったと思う。娘役さんたちは、みなさん、美しくまばゆく登場したかと思えば、兵士たちもやっていて、そんなところも、「王家に捧ぐ歌」を彷彿とさせていました。


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kiriishi

出演のみなさん熱演で素敵でした。
皇帝になった高緯から、愛人になるなら命を助けてやると言われて、自分が性暴力の被害者であったことを初めて自覚するので、子どもの頃と同じ事をする手をどけろと全力で拒絶するのかなと感じました。男性が好きと歌詞にあっても誤解されてかわいそう、洛妃とプラトニックな関係なのも、心に傷を受けた昔を思い出したくないのかなと思いました。男前の女性似合ってくりすちゃんかっこいい、と思いました。少年役までは発想できませんでしたが、おもしろそうですね!私は、バスティーユの何分の1かの兵士でしたがこれからという時に暗転した続きをダンスで観たかったです。長々と失礼しました。
by kiriishi (2019-01-04 23:45) 

夜野愉美

kiriishiさま
新年初コメントありがとうございます。
皆さん、熱演でしたね~♪

私も、ドラマとして、主人公の態度が理解できないわけではないのです。
ただマイノリティの悲哀を描くのであれば、今は、そこに制作上の制約が必要な時期なのではないか、と私は考えるものです。あくまでも私の考えですが。
マイノリティの哀しみを知らずに好きに書けていた時代

配慮して言葉など選んで書くべき時代←イマココ

マイノリティへの差別がなくなり、逆に一人の人間として茶化してもいい時代
という感じでしょうか。

それとは別に、くり寿ちゃんのキビキビした動きに触発されたというのも事実です。これから、注目したいなーと思います。
by 夜野愉美 (2019-01-06 19:32) 

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