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宝塚歌劇花組全国ツアー公演「外伝 ベルサイユのばら アラン編」観劇 その1 [┣宝塚観劇]

宝塚ロマン
「外伝 ベルサイユのばら-アラン編-」

原作:池田理代子
外伝原案:池田理代子
脚本・演出:植田紳爾
作曲・編曲・録音音楽指揮:吉田優子
編曲:鞍富真一
振付:羽山紀代美、尚すみれ、若央りさ
殺陣:菅原俊夫
装置:関谷敏昭
衣装:任田幾英
照明:庄村充生
録音音響:加門清邦
小道具:石橋清利
歌唱指導:楊淑美

「外伝 ベルサイユのばら」ジェローデル編の感想は、こちらこちらにあります。
雪組の外伝を観た時は、あまりのすごさと、そのすごさを超えて演じている水夏希はじめ雪組への尊敬の気持ちまで芽生えてしまった。
今回のアラン編では、ここまでのすごさを創造した植田紳爾に素直に感動し、彼の末路を最後まで見届けなければ…という気持ちが芽生えた。ツテのない星組だが、ベルナール編も必ず観てやろうと思った。観劇直後にこういう感想を持つ私が異常なのだろうか?それほどに、この作品を愉快に感じるのは、第一の贔屓が出演していないから…なのだろうか?

幕が開くと、深夜のベルサイユ宮殿。なぜか、ところどころ壊れている。そこまで荒れ放題になるか?ここへ「隻腕将軍」となったアラン(真飛聖)が現れる。
「あれから10年…」
アランの呟き。
つい3か月ほど前に観劇した、「外伝 ベルサイユのばら」では、西暦1795年、ジェローデルがナポレオン暗殺に失敗したことになっていた。プログラムには明記されていたが、舞台上では今年がいつか、という発言はなかった。それをいいことに、時代を変更したらしい
ちなみに、革命から10年後というと1799年なので、ナポレオンが皇帝になるまであと5年を残しているが、第一統領として、実質的に独裁権を握ったのがこの年である。
ところで、アランの現在の階級は「大佐」。「1781年の規則」(3代続いた貴族でなければ一切の昇進を禁止する法律。アランはこれにより、昇進の可能性を失った)は、革命によってホゴになったようだが、大佐は将軍とは言われないよね。
そこに現れるのは、妹、ディアンヌの亡霊(桜乃彩音)。ディアンヌは本編の途中で、楽しみにしていた結婚がダメになって自殺してしまう。アランやディアンヌは、貴族ではあるが、平民以下の貧しい暮らしをしている。同じような階級の貴族の青年と婚約しているのだが、その青年は、金持ちの平民の娘に乗り換えてディアンヌを捨ててしまう。アランの貴族への憎しみはさらに深まる…そういう設定を担っている女性なのだが、亡霊になって、すっかり能天気になってしまったらしい。
なお、ここに登場する墓掘りの星原美沙緒は、さすがの演技力だったが、シェイクスピア作品を彷彿とさせる墓掘りを登場させる辺り、植田先生はどこまでずーずーしいのだろうか?恥を知らないのだろうか?とひとしきり悩んだ。

というところで、プロローグに入る。
前回の「ジェローデル編」では、プロローグが最初にあって、そこから物語に入ったのだが、今回は、まず「現在」のさびれた雰囲気から始まり、華やかなプロローグを後回しにした。
統一性がないのは気になるが、結果としてこちらのパターンの方がよかったと思う。
プロローグの衣装などは、すべてのベルばらで共通になるらしい。
振付は羽山紀代美。
前回のベルばらの時にも思ったが、プロローグでは主演者も役としてではなく、「プロローグの紳士・淑女」として出演する。前回は、別にジェローデルとソフィアでもいいと思ったが、アランとディアンヌということはありえない。ここでは、赤い宮廷服と、白ドレスに赤いリボンという可愛いコンビぶりだった。
路線~中堅の男役は、その後プロローグの紳士(なぜかおかっぱ)から、士官として再登場するのだが、ここの振付が「曲、あまっちゃってますから~!」的にしょぼくて、どうして羽山先生、こんな振りにしちゃったの?という気分でいっぱいだった。
余韻のない踊り方をする花組生も悪いのかもしれないが…

全員出演のプロローグだったので、途中退場した扇めぐむ、祐澄しゅん、朝夏まなと、月央和沙が衛兵隊士として登場、すさみきった胸の内を語り、歌うのだが、場がもたない。
新公主演者である朝夏はもちろん、他のメンバーもバウ等で経験を積んでいるはずなのに、この導入部の弱さはどういうことなのだろうか?私が観劇したのは、大宮なので、その後のツアーで盛り上がったことを信じたい。
着替えが終わって、衛兵隊が揃った辺りで、ようやく場のテンションが上がってくる。
ここで、荒みきった衛兵隊にオスカルが転属してくる件が演じられる。この場面は、過去に何度も演じられているが、基本的に、2001年星組版(主演・稔幸)を踏襲しているようだ。なぜなら、その時、アランを演じたのが、真飛聖だからだ。
真飛は、植田先生の期待に応えるように、あの時と同じような鬘でアラン役に挑んでいる。最初に声だけが聞こえ、音楽とともに下手袖から登場するアラン、という設定はまさに2001年の再現で、植田先生、粋な計らいだ、と思った。
しかし、植田先生は、というか今回のスタッフは全員、ひどい勘違いをしている。
あの時は、オスカル編だった。相手役はアンドレである。
今回は、アラン編なのだ。主役はアランでなければならない。
そりゃ、準将であるオスカルがみすぼらしい恰好で登場することはありえないだろうが、なんでアンドレがあんな、いい衣装を着ている必要があるんだ?
原作ではアンドレは衛兵隊の隊服を着ている。
これまで、アンドレ>アランという役付だったから、アンドレの衣装をわざわざ別にしていただけで、アラン>アンドレなら、アンドレを目立たせる必要はないし、マントなんか絶対にいらない。…ということに誰も気づかなかったのか?
むしろ、アランは第一班の班長なんだから、襷を別のものにするとか、なんとか、目立たせる方法なんかいくらでもあるだろうが!
あの衛兵隊の中でひときわキラキラ輝いていた新進の真飛聖が、今はトップなのに、衛兵隊に埋もれている。そんなことが許されていいのか?
真飛の演技は、2001年のアランを思い出させるもので、すごく懐かしかったが、なにしろ相手のオスカルが当時はトップの稔さん、今は下級生の愛音ということで、格が違い過ぎる。この設定は厳しいな、と思った。
オスカルが4番手以下ということも過去にはあったが、アランが格上というのは、今回が初めてのはず。オスカルは、年齢も、軍隊における地位も、すべてがアランより上で、格が違う、絶対に超えられない壁がある。そうじゃないと、アランの思いのやるせなさが伝わらない。
それにしても、「止血はした」って、止血しないうちから言うのはどうかと思う。「…アラビア」同様、この人(愛音羽麗)の止血は信用できない。

などという文句が吹っ飛ぶほどの衝撃が次に控えていた。
前回の「ジェローデル編」は、一度回想になると、まったく現在に戻らなかったが、この「アラン編」は、回想からしょっちゅう現在に戻る。それは、娘役トップの彩音が亡霊として現在にしか登場しないからなのだが、この設定には無理がある。
アランに甲斐性がないばっかりに、一家は貧乏だった。
が、ディアンヌは、そんなアランのことを愛していたらしい。そして、アランが隊長のオスカルに心惹かれていくのを悲しい思いで見ていた。兄の出世のためになれば、と貴族と婚約もしてみた。しかし、結婚に破れ自殺してしまった。
「本当は、私が愛していたのは、お兄さんだったの!」
すべては兄への愛ゆえだった…という独白は、うすら寒かった。

次の場面は、面会を待つ衛兵隊の家族の場面で、娘役に出番がないから作りました的シーンなのだが、月に1回全員の面会日があって、その時しか食事を持ち帰れないなら、兵士が栄養失調になるわけないじゃないか!と思う。
保存がきくパンはともかく、肉は何日ももたない。
通常考えられるのは、第1班のアランとラサールとピエールは9月23日が面会日で、次の面会日は1ヶ月後、シャロンとヴェールとロセロワは9月30日が面会日…みたいに少しずつ面会日がずれていて、その時に、全兵士の分を訪れた家族がまとめて持って帰っていたってことなんじゃないかな?
あと、私達を処罰してください!と訴える家族の皆さん、軍隊は、軍人しか処罰できないですから!

この外伝は、2番手を孤立させる…という基本設定でもあるのだろうか?
「ジェローデル編」のフェルゼンは、たしかに活躍の場は限られる、とわかるが、「アラン編」のアンドレも、唐突に現れて唐突に歌っていることが多い。
しかも、物語の芯にいるオスカルは歌わない。
ツアーを追いかけているファンは、壮>愛音という番手だから…と納得するだろうが、「ベルサイユのばら」を演目に選んだのは、これを機に宝塚を知ってもらおうという新規開拓なんだから、歌わないオスカルと、唐突に歌うアンドレは、かなり奇異に映るんじゃないだろうか?

オスカルが衛兵隊に転属した頃から、職務第一に生きてきたオスカルにモテ期が到来する。
もちろんオスカル様は、宮廷の淑女たちのアイドルでモテモテではあったのだが、衛兵隊に行ってからは、男にモテ始めるのだ。
フェルゼンには振られてしまうが、それを機にアンドレが愛を告白、ジェローデルには求婚され、アランからも無理やりキスされる…。これ、オスカルが主役ならやってもいいが、アランが主役の場合、なんでやらなきゃいけないか、よくわからない。
2番手であるアンドレを少し目立たせようか…みたいな配慮だろうか?
まあとにかく、一人佇むアンドレ(壮一帆)のところに、ジェローデル(未涼亜希)が現れる。
そして、善意の押しつけのような言葉を一方的に吐いて去っていく。
オスカルが主役なら、モテモテは、ぜひ見せつけておきたいだろうが、今回はアラン編である。しかも、ジェローデルは、実はこの外伝シリーズを通して重要なキャラクターである。
なら、この一方的独りよがり善意の押しつけジェローデルを出さない方がいいんじゃないだろうか?
とは思ったが、未涼のジェローデルは、非の打ちどころのない完璧な貴族で、言っていることは超失礼なのに、どこにも悪意がないことがはっきりとわかる素晴らしい出来だった。ひとつだけ、残念だったのは、このジェローデルは、雪組・水のジェローデルと繋がらないこと。もちろん未涼のせいではないのだが、やろうと思えばできただろうなーと思うので。(けっこう水さんと仲良しだし)

意気消沈するアンドレを、今度はアランが追い詰める。
ここで、アランがアンドレの目が見えないことを見抜くのだが、そういえば、アンドレ、どうして片目を隠していないのだろう?もちろん演出指示なのだろうが、それが気になった。

長くなったので、ここで一度切ります。


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