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継承されなかった深慮遠謀 [┣公演内容の考察・検証]

来年のカレンダーメンバーが発表になったが、今回は、大きな変化がなかったので、掲載月発表時に、まとめて紹介したいと思う。
今回は、スタカレ・パソカレに音月桂が入っている。
スタカレは、現主演コンビ、2番手(次期主演娘役・次期2番手はダメな場合もある)しか掲載されない、という非常に狭き門なので、これはすごいことかもしれない。しかし、近年、これを破って掲載された3番手(当時)が大空祐飛だけ、という事実は、キムにとって、吉か凶か、なかなか判断しづらい。

さて、これから博多座ミーマイの感想を書いていきたいが、その前に、納得できなかった改変部分の話を書いておきたい。

「ME AND MY GIRL」本邦初演は昭和62(1987)年、脚色・演出は、小原弘稔先生だった。
小原先生は、ブロードウェイミュージカルに特に造詣が深く、古今東西の文化にも詳しい方だったが、あまりご自身の知識をひけらかすような方ではなかった。むしろ、そんな知識の断片を作品のエッセンスとして、気がついた人だけがクスッと笑ってくれればいい…みたいなネタを仕込んでくださるような、そんな方だった。
そんなエッセンスのひとつ、Virgin Maryについて、昔、記事を書いたことがあるので、よかったら、こちらをご覧になってください。

平成7(1995)年の再演時には、小原先生は亡くなっていた。
演出は、初演で演出補を務めた三木章雄先生が担当した。三木先生は、小原先生のもとで、いろいろなことを学んだと思うが、知識をひけらかさない小原先生だけに、そのすべてが三木先生に継承されなかったような気がする。
演出助手だった石田先生に至っては、おそらく何にも継承されなかったんじゃないか…と思えてならない。(←遺作「コート・ダジュール」を演出した石田先生には、今でも文句を言ってやりたいと思っている。)

本邦初演の時、英国版から宝塚に置き換えるに当たって、小原先生は、改変について、版権元といろいろとやり取りをしているはずである。
ナンバーの入れ替えとか、オーバーチュア、送り出しのスコアとか、各登場人物の設定とか。
その中に、公爵夫人マリアとジャッキーの関係があった。
ロンドン版では、マリアとジャッキーは親子ということになっており、その後、東宝で上演された時には、この親子版を使用している。
なぜ、叔母と姪の関係にしたかというと、公爵夫人を演じた春風ひとみが、ジャッキー役の涼風真世のわずか2学年上の娘役スターだったから、というのが定説になっている。
その設定を、三木先生は再演版でも、再々演版でも踏襲した。ちなみに学年差は、再演(邦VS真琴)13年、再々演(出雲VS明日海)20年。
そして、博多座の京VS明日海は32年の学年差がある。専科生の乙女心を勘案しても、ここまで離れていれば親子でいいんじゃないか、とでも思ったのだろうか?
私は、ここで、マリアとジャッキーを親子にしなかったところに、小原先生のセンスを感じていた。
学年のことだけを言うならば、その後、「南の哀愁」で、春風は、1学年しか離れていないこだま愛の祖母役を演じている。
もしかしたら、英国の版権元を説得するために、マリア役を歌える唯一の女優が若いので、母でなく叔母にしてもらえないか、という交渉をしたかもしれないが、小原先生はそのことだけで、こういう変更をしたのではないと、私は思っている。

マリアは、ディーン公爵夫人である。
もし、ジャッキーがマリアの娘なら、ジャッキーは“公爵令嬢”ということになる。
マリアは、最後にジョン卿と結婚するのだから、“独身”でなければならない。すると、ジャッキーの父親である公爵は既にこの世の人でない可能性が高い。公爵が死んでいるとすれば、爵位はどうなっているのか?ジャッキーの兄か弟が継いでいるのでなければ、空位、もしくは、継承権のある他人のところに行ってしまっているのだろう。
とすれば、マリア・ジャッキー親子にとって、実は、ヘアフォード伯爵家の財産は喉から手が出るほど欲しいもの…ということになり、非常に生々しい芝居になってしまう可能性がある。

また、日本人は、ディーン公爵なら、苗字がディーンだろうと考えてしまう。
しかし、ジャッキーの苗字は、“カーストン”である。ミュージカルだから、説明する余地はない。苗字が違うから、他人にしてしまう方が、余計なことに観客が気を取られずにすむ。
(実は、ヘアフォード伯爵である、ビルの苗字も“スナイブスン”なのだが、これは、観客が勝手にビルの母親の苗字だと思ってくれれば、問題はない)

ついでに言えば、公爵=とてもすごい身分というイメージがあるので、ジャッキーが公爵令嬢なのに、伯爵と結婚しようと画策するっていうのも、日本人的感覚から言うと変な感じ。
爵位が既によそへ行ってしまった可能性は否定できないが、公爵家をジャッキーの兄が継いでいる設定なら、そもそもなりふり構わず、伯爵家を狙う意味がわからない。公爵令嬢としての彼女の地位は今も安泰だし、母親である公爵夫人が娘の婚約を破棄して、別人に乗り換えさせるという不名誉を選択したら、現公爵(マリアの息子)からクレームが出そうな気もする。

というわけで、小原先生が、叔母と姪にしたのには、学年よりもっと深い理由があったんじゃないか、と私は信じている。
ただ、初演から21年も経ち、小原先生自身が亡くなられているので、確かめる術はない。定説になっていることの裏に別の隠された意味があったとしても、一番近くにいた三木先生が改変してしまったくらいだから、たぶん、どこにも証拠はない。
ギャランドゥ伝説のように、春風ひとみが若かったから…だけが理由として語られていくのだろう。

しかし、本当に娘にするんなら、タキさんマリアの時にやるべきじゃなかったかな?32学年も離れているなら、娘より伯母と姪(亡くなったヘアフォード伯爵がマリアの一番下の弟)の方が近い。ただ、京さん、実際にはとても可愛かったので、やっぱり叔母と姪の方がよかったな…と、個人的には思っている。


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