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大劇場花組公演「愛と死のアラビア」編2 [┣宝塚観劇]

というわけで、後半です。
こちらも、ネタバレあり、悪口雑言あり、ですので、興味のある方&暴言に耐えられる方のみ、「L'AMOUR ET LA MORT」よりお入りください。
(当時のエジプト、ナポレオンの遠征があったため、フランス語を解する人が多かったそうですね)

 

(というわけで、ここからネタバレ区域となります)

砂漠では、勝者が敗者の持ち物をすべて手に入れることが許されている。
ヨーロッパ人のトマスは、そういう風習に馴染めずにいる。今回の戦闘で、彼が狙撃し、倒した敵の持ち物は、ベドウィンたちに与えてしまった。(でも同時にゲットした馬については、ここで言及していない。そこがちょっとした伏線になるのだが。)
そこへ、女が逃げ込んでくる。
盗賊たちは、ベドウィンに戦いを挑む前に、キャラバンを襲っていて、女を略奪していたのだ。アルマリク(華形ひかる)が、女を自分の戦利品だと言ってベールを剥ぐと、女は抵抗してアルマリクに斬りつけた。アルマリクは怒って、女を殺そうとする。腕を傷つけられ、倒れる女。
思わず、トマスは女を庇った。
トゥスンが諭す。保護してくれる一族の男を失った女は、奴隷になるか、快楽の館の女になるしかない。今は、アルマリクの戦利品だから、アルマリクが彼女に何をしてもかまわないのだと。
彼らの風習や世界観を野蛮だと決めつけるのは得策でないと判断したトマスは、自分の戦利品である馬三頭とその女の命を交換してくれないか、とアルマリクに持ちかけた。ベドウィン騎馬隊にとって馬は命と同じ。アルマリクは喜んで交換に応じた。
そんなトマスを見て、ザイド(悠真倫)は、不安を感じる。トゥスンは、トマスは我々を理解しようとして苦しんでいるんだ、と言う。
トゥスンって、そういう機微を理解できるキャラには見えなかったのだが、トマスのことは、深い心情まで理解できちゃうのかな?

傷ついた女をテントに入れると、トマスは見様見真似で、治療を始める。
ここで、冒頭のドナルドによる傷の手当てが生きてくるのだが、服の上から治療していたドナルドに対して、トマスは女の衣装を引きちぎってしまう
イスラムの世界では、女は、親族以外の男に肌を見せることは許されない。しかし、緊急事態なので、トマスは構わずに治療を続ける。
それは、服の上からでは治療ができないからそうじゃなければ、治療にかこつけて、女の肌を見ようとしたいやらしい行為になってしまう。常識的に考えて、あの場合、服を引き裂くのは当然なのだが、その“当然”を“当然”でなくしたのが、冒頭のシーンなのだ。
芝居というのは、必ずしも現実通りでなくていい。そういう芝居だけの中の約束事(ルール)は、その芝居上の真実として、舞台と客席の双方を拘束する。たとえば、この芝居では、習慣の違いに悩むことはあっても、言葉は最初から通じる、という約束事が成立している。
冒頭、服の上から治療ができる、という約束事を成立させてしまったのは、谷演出の不手際にほかならない。ここでは、服の上から治療できるけど、こっちはダメなんだよーというのは、都合がよすぎるし、あまり理解はされないと思う。
ところで、トマスは、見様見真似で、ドナルドと同じ傷の手当てをやってみせるが、ヤシム(望海風斗)はどうして治療の手順がわかったのだろうか?トマスは、必要なものを持ってくるように、とは指示したが、治療の方法は指示していない。
ヤシムのかいがいしいアシスタントぶりが、違和感ありありだった。(トマス一人が治療してもいい場面だったと思う。ヤシムには、ターバンを持ってくる、という仕事があるのだから。)
また、ここで、トマスが言う「傷口は残るだろうが」というセリフは変。「傷痕」じゃないのか?

女の名はアノウド(桜乃彩音)。侍女のサミーナ(白華れみ)の二人だけが、キャラバンの襲撃で生き残ったらしい。トマスは、身寄りのないアノウドに、自分を兄と思って安心して養生するようにと伝える。
しかし、翌朝、トマスはカイロに行くことになっていた。

カイロで、トマスはトゥスンの家族に面会する。
ハーレムでの女たちのダンスは、ちょっとベリーダンス風のテイストが入っていて、目の保養だった。花娘は可愛い子が多いと思う。まあ、できたら、腹と足はほんの少しでいいから露出してほしかったが。
イスラムの風習がどうの、というわりには、トゥスンの妹、ナイリ(桜一花)は、全身シースルーで、足のスリットも大きかったが、良家のお嬢様が、あのスタイルでいいんだろうか?
ここで、トマスは請われて、スコットランド民謡『うつくしき(The Bluebells of Scotland)』を歌う。この曲は、まさにスコットランド民謡という曲調。日本に入ってきたのも古くて、明治初期なんだとか。原曲は、ハイランドの若者の歌なので、トマスが歌うにふさわしい曲だったといえる。
しかし、谷先生は、英国が舞台の作品では、2曲以上民謡を入れるなぁ。よっぽど、好きなんだろうな。
この場面にしか登場しない、イブラヒム、トゥスン、ナイリの母であるアミナを演じる邦なつきの包み込むような温かさがいい。「ジャワの踊り子」の王妃もよかったが、東洋や中東の貴族を演じると、気品を感じるヨーロッパ系の作品だと、どこか蓮っ葉な雰囲気が出てしまって、あまり似合わないのだが、どうしてなんだろうか?不思議な専科さんである。
トゥスンは、ヨーロッパでは手にキスをするとか、そういう習慣は知っているらしい。それも、ナポレオン遠征の賜物なのだろうか?

翌朝、太守、ムハンマド・アリ(星原美沙緒)に面会したトマスは、エジプト正規軍の訓練将校に任じられる。
それは、とりもなおさず、トゥスンとの別れを意味していた。(同時に、アノウドともあのまま別れ別れになってしまう意味だったのだが、トマスがそれを思い出したかどうかは、わからない)
同時に、トマスは、親友のドナルドとの再会を果たす。
出会い、別れ、願いが叶うかどうか、すべては、神の思し召し…トマスは砂漠で生きるヒントに気付いている。それをトゥスンがアラビア語に翻訳する。「インシャラー」。トマス、トゥスン、ドナルドは、明るく“インシャラー”と歌いながら銀橋を渡る。

10ヶ月後、トマスの家に、イブラヒムが現れる。
トゥスンの初陣が決まったという。同行したいとトマスは心中願っているが、太守はこのままここで訓練将校を続けるようにと命じているらしい。ただ、イブラヒムはトゥスンがカイロにいること、明日、その任命が行われること、などトマスにヒントを与える。
もし、トマスが願うなら、直訴してみろ、ということなのだろう。
そして、身の回りの世話をする人間を連れてきた、と言う。
固持するトマスに、「それでは彼女の居場所がなくなる」とイブラヒムは謎の発言をする。
連れてこられたのはアノウドだった。奴隷としてトマスに仕えたいと言う。トマスは、奴隷なんて認められない、と言う。
イブラヒムは、アノウドに許された道は、奴隷になるか、娼婦になるか、早急に結婚するかしかなく、彼女はトマスの奴隷となる道を選んだ、と言う。
アノウドは、同じイスラムの男性と結婚するより、トマスの奴隷として生きたいと思ったらしい。あの日、トマスに命を救われたこと、その時に肌を見られたこと、そして兄として守りますと言ってくれたこと、その言葉をトマスのいない間もベドウィンたちが守ってくれたこと…そういう信頼が、アノウドに奴隷になる決意をさせたのだろう。まあ、それこそが、愛、なんだろうけど。
しかし、侍女のサミーナはどうしちゃったのかな?

トマスは、トゥスンと共に戦いたい、と太守に乞うが、それをこころよく思わないアジズ(眉月凰)に名誉を傷つけられ、決闘を願う。決闘は太守に認められ、見事にトマスが勝つが、敗れたアジズが後ろからトマスを狙ったため、トマスは、アジズを殺してしまう。
イブラヒムは、トマスの勇気を称えたが、オスマン帝国の将校を殺害した罪で、トマスは捕えられ、処刑命令が下ってしまう。

命乞いをするトゥスンを下がらせ、イブラヒムは、太守に、トマスを処刑することの不利益を語って翻意を願うが、太守は、既に決まったことだ、と言ってイブラヒムの助言を退ける。
太守が去った後、イブラヒムは、一つの心が二つに分かれたような、もう一人の自分、トマスを死なせたくない、と熱く歌う
決闘の後、イブラヒムはトマスに、「友よ」と呼びかける。
が、本当は、“友”ではなくて、“こうありたかったもう一つの自分”をトマスの中に見ているのかもしれない、と思う。厳しく育てられたイブラヒムは、弟のトゥスンを可愛いと思いながらも、普通の兄弟のように接することができなかった。
だからトゥスンも、年の近い兄がいるのに、普通の兄弟のように、わいわい過ごすことはできなかった。
そんなトゥスンに、兄弟のように接してくれる友=トマスができた。それは、長年、イブラヒムがこうありたいと、願っていた兄弟関係だったんじゃないだろうか
イブラヒムの心情としては、トマスと友達になりたいのではなくて、トマスが自分の代わりにトゥスンを慈しんでくれる、そのことに深い思いを寄せていたのではないか、という気がした。それが、「もう一人の自分」!
まあ、相当屈折した青年のようではある。

トマスが処刑される頃、ドナルドたち英国人捕虜は、捕虜交換で帰国することが決まった。
突然、ヨーロッパ風白い軍服で別れを告げに来るドナルド。どう考えても、帰国するだろう。言いにくそうにしていても、服装でバレバレだから!
「ロッホローモンド」をともに歌い、万感の思いを胸に、一人去るドナルドの心中を、愛音が大仰にならずに的確に演じている。「舞姫」効果だなぁ~と思う。こういう切ない芝居は、愛音の独壇場だろう。
しかし、諦めていない人々もいる。
トゥスンが、ベドウィンたちと一緒に、営倉に飛び込んでくる。
砂漠に逃げ込めば父上の軍も手出しはできない。そのまま、帰国してくれてもいい。逃げてくれ!と。
「あんたの苦しみは、俺らみんなの苦しみだ」
アブサランがかつての言葉をトマスに返す。
しかし、トマスは逃げる気はなかった。
なおも言い募るトゥスンに、遠くから声が聞こえる。
「女々しいぞ、トゥスン!」
イブラヒムが部下を武装させて、営倉に現れた。
兄弟が銃を向けあうのを見て、トマスは二人を止める。
「本当は、私を助けに来たんだろう?」
イブラヒムは図星をさされ、動揺する。
エジプト独立のために、処刑されることで、君たちの役に立ちたい、とトマスは言う。そして、それが神の思し召しだと。
明るく楽しいはずの「インシャラー」をここで万感をこめて、トマスが歌う。この演出もうまい。
泣きながら、ベドウィンたちが去っていく。トゥスンは、トマスの心を感じ、「インシャラー」を共に歌いながら去る。
イブラヒムは一人無言で去る。
去り際に、アノウドを引き入れて。

もし、トマスが、エジプトのために死ぬことを是としていたら…
イブラヒムは、彼が逃げなかった時のことまで想定していたのだろう。その時は、せめて、最後の夜を独りで過ごさぬように、アノウドを引き入れてやろうと。
なんて、気のつく男なんだろう!

トマスは、アノウドに求愛する。
夜が明けるまでの夫婦だが、それでも妻になってほしいと。そのためなら、改宗することも厭わないと。
二人の心がひとつになったところで、緞帳が下りてくる。

まじですか?
死んじゃうんですか?
史実と違いますけど?
実在の人物ですよ?
つか、「高潔なアラブの戦士となったイギリス人」の話になってないじゃん?

谷先生の作ったお披露目作品…
オオゾラさんは、もう慣れています。
どうか、「JAZZY…」同様、東宝までに、物語を変えてください!お願いします!

※物語は、史実通りでなくてかまわない。ただ、人の生き死にの問題については、史実と変更するのであれば、ちゃんと矛盾しないような落としどころは必要。
後にエジプトで出世したトマス・キースは、このトマスの名を借りた他人であった、とかね。本人は死ぬ気満々だけど、実はイブラヒムの取った次の作戦によって、処刑直前に回避されることが示唆されるとか。(これは原作通り)


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