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宝塚歌劇月組東宝公演「暁のローマ」観劇2 [┣宝塚観劇]

総論は1で語ったので、今度は場面ごとの各論を述べたいと思う。
しつこい!と思われた方は、どうぞスルーしてください。

緞帳前
霧矢
北翔による緞帳前の漫才(?)
これは、賛否あった。が、東京で変えて来なかった、勇気は買いたいと思う。

第1場 円形劇場
ローマ市民がわらわらと登場し、“カエサルはえらい”と歌う。
「王家に捧ぐ歌」のかの名曲“すごつよ”を彷彿とさせる素晴らしい楽曲である。(皮肉)
そこにカエサル(轟悠)が登場して、“来た見た勝った”と歌いだす。戦争で国土を広げ、豊かなローマを作る、戦争こそ作品だと歌うカエサル。
アントニウス(霧矢大夢)は、そんなカエサルに王冠を捧げる。
ここでオクタヴィアヌス(北翔海莉)はじめ、市民一同が、凍りつく。そして、オクタヴィアヌスが解説する。「ローマは王制を廃し、共和制となった歴史をもっているので、王様と聞くと市民達は凍りつく」のだと。
市民達はそれでいいが、オクタヴィアヌスがそこで凍りついちゃだめだろう。
彼は、カエサルの望みを正しく理解し、やがてローマ帝国を築くのだから。特に遺言状も見ないで、カエサルの遺志に気づいたのだから、最初から明確にカエサルの望みは知っていたし、それを助けたいと思っていたはずだ。
ちなみに、市民達のストップモーションは、このあともたびたび登場する。
どれもこれも絵画のように美しい。前作のラストシーンもそうだったが、演出家は、絵のようなストップモーションが気に入っているらしい
そこへ、ブルータス(瀬奈じゅん)がセリ上がってくる。
そして、王様、そんなものにあなたはなりたいのか?と、カエサルを非難する。
カエサルは、王冠を振り払い、「こんなものを私がほしがると思うのか?」とブルータスに言って退場する。

第2場 銀橋
ブルータスは「男はみんな王になりたい」と歌って銀橋を渡る。

第3場 円形劇場
歌い終わったブルータスのところへ、カシウス(大空祐飛)が現れる。
カシウスは、「一度不正に気づいたら、ブルータスはそれを見過ごせない」と持ち上げ、「ローマが世界を征服する前に、ローマを征服しようとする男がいる」と歌い上げる。
こうしてカシウスとその仲間たちは、ブルータスにカエサル暗殺を持ちかける。
一人悩むブルータスのところに、妻、ポルキア(彩乃かなみ)が現れる。ポルキアは、カエサルに王冠が捧げられた以上、ブルータスがカエサル暗殺に手を染めるかもしれないことに気づいている。が、ポルキアは、そのことへの直接の言及を避け、ただ「私がそばにいることを忘れないで」と歌う。
そこへブルータスの母にしてカエサルの愛人、セルヴィーリア(嘉月絵理)が現れ、ポルキアを追い払う。そして、男なら妻一人を愛するのではなく、女を口説け、と言う。そして自分はカエサルの愛人であることに誇りを持っていると。
すると今度は、カエサルの愛人たちがわらわらと登場。
そこに現れたカエサルは、愛人たちに薔薇とハンカチを投げる。
この辺りでは、愛人たちのリアクションに毎日笑わせてもらった。そして、美女ぞろいな愛人たちを眺めるのが密かな楽しみだった。
カエサルは、ブルータスに向かい、「悩まず、すべて許し、すべて与えれば、お前はもっと大物になる」と歌う。
そこへエジプト女王、クレオパトラ(城咲あい)が登場し、愛人たちは去っていく。が、カエサルはブルータスをその場に残す。
クレオパトラは、エジプトで生んだという息子をカエサルに見せる。その子を見て、カエサルは言う。「カエサルの子は、カエサルの名を継ぎ、このローマを治めるだろう」
その言葉にクレオパトラは喜び、「世界の王を世界の女王が待っています」と言って去る。
ブルータスは、この場面から、カエサルが王位を狙っていると判断する。
そんなブルータスに「多数決でよい国はつくれない」と言ってカエサルは去っていく。

第4場 ブルータス邸
ブルータスは懊悩する。カエサルは王になろうとしていた。
が、カエサルの偉大さを敬愛するブルータスは、カエサルを殺すことをまだ逡巡していた。
そんなブルータスに、ポルキアは語る。「私はあなたを愛している。あなたは誰を愛しているのか」と。「私はローマを愛している。が、カエサルの偉大さも愛している」と答えるブルータスに、「愛していれば、相手に嫌われようと意見が言えるはず。言えないのなら、あなたはカエサルを愛していない。怖れているだけ」とポルキアは言う。
ローマを愛している、だから、カエサルを暗殺しよう、と、ブルータスは決意する。
な、何故?いや、もちろんこうだからああで、ああだからこうなんだとは、わかっているが、結論がいきなりぽんと登場するので焦る。
しかも、暗殺を決意してポップに歌うブルータス夫妻の後ろで、楽しそうに踊るローマ市民たち…。この人たちは、今、恐ろしいことを考えてるんですよ、と教えてあげたかった。

第5場 カシウス邸
ブルータスが来ないので、カシウスは眠れない。
が、他の暗殺者たちは、寝言まで言っている。
彼らの寝言は「王になりたい」
そしてカシウスは歌う。「野心をくすぐれ」と。野心をうまくくすぐってその気にさせるのだ、と。
目覚めた男たちの前にブルータスが現れ、暗殺の計画がはじまる。
が、ブルータスはアントニウスは殺さない、と言う。
カシウスは納得できないが、ブルータスの意見が趨勢となる。
カエサルは悪人ではないが、王になろうとしたから殺す。アントニウスは策士だが、王ではないから殺さない。単純すぎるぞ、ブルータス…

第6場 元老院会議
カエサルの妻、カルプルニア(椎名葵)がカエサル暗殺の予知夢を見て歌う。
カエサルの妻にしては、初々しいと思われるだろうが、3番目の妻である。
そこへカエサル暗殺を予言した占い師(花瀬みずか)が現れて、まがまがしい歌を歌う。
ローマを春雷が襲う。
が、カエサルが登場すると、嵐は去り、青空が戻る。
安心した一同の前に、キンベル(研ルイス)が現れ、追放された兄を助けてくれるように願うが、カエサルは、これを拒絶する。
ブルータス、カシウス、暗殺者たちが、そろってお願いするが、「どんな悪い結果に終わったことも、もとは善意から始められた」とか言って、取り付く島もない。
しかし、キンベル兄がどうして追放されたのか、そして、それが「悪気がない」もので「許すべき」ものなのか、まったく分からないので、カエサルが厳しいのか、それが王として必要な厳しさなのか、こちらに伝わらない。
(実は原作も似たようなものなのだが、展開が上手いので気にならない)
だいたい、この後、「これがオレの答えだ」と、マギーが切り込むので、もし、カエサルがキンベル兄を許していたら、暗殺は腰砕けになっていたのか?という疑問がいつまでも胸に残る。
暗殺は、赤い照明の中、スローモーションで行なわれる。赤い照明、スローモーションも木村演出の定番である。が、はっきりいって、趣味が悪い。
ここで、必要以上に卑屈になるアントニウスは原作通りである。
そしてそれこそが、アントニウスの計算であることも。
が、原作アントニウスは、決して「後を継ぐつもりだった」とは歌わなかった。それが、アントニウス像に微妙な歪みを与えている、という話は昨日書いたとおり。

第7場 市民会議
市民達が、カエサルの死に動揺しながら現れる。
上手の段々に暗殺者一同が並び、そこからブルータスが市民に訴える。
カエサルの偉大さに敬意を表しながらも、王を願ったその野心ゆえに暗殺したのだ、とブルータスは説く。そして、ローマ市民である以上、すすんで誰かの奴隷になりたいものがいるだろうか?と、共和制存続のための行為だったことを説明する。
ここの説明が弱い。弱すぎて簡単に逆転されるあたり、誰が主役なんだろうか?といつも思う。だいたい、昨日も書いたが、ここの曲が使いまわしのあたり、かなりやる気がないと思う。
市民の同意をとりつけたブルータスは調子に乗って(?)、アントニウスに弔辞を読ませる。
カシウスは、その危険性にすぐ気づくが、能天気なブルータスは、「公平でなければならない」と言ってそれを退ける。
下手の段々に現れたアントニウスは、最初は「ブルータスを称えましょう」と言っていたくせに、だんだん牙をむく。そして、一般人にわかりやすい表現を使って、ブルータスの行為を糾弾する
ブルータスはカエサルが野心を持ったから暗殺したと言った。ならば、カエサルが野心を持っていない証拠をあげて、ブルータスの行為を不当なものにしようという論法だ。
しかし、カエサルは実際野心を持っていたし、副将アントニウスはそれを知っていて彼を王にしようとしていた。だから、承知の詭弁である。
ここで市民たちが、だんだんアントニウスの方に引き込まれていく陣形とダンスが絶妙だった。そして、ここに人間心理の妙を突いたアントニウスの狡猾さがよく表れていて、この場面があるからこそ、この作品が地に堕ちていないのだと思う。
人間の意見は、他者の影響で変わりやすいものだ。が、Aに傾倒していた人が、Bに説得されてBに傾倒すると、もう一度Aに説得されても二度と靡かない。さすがにそれはかっこ悪いと思うので、もう二度とAに靡かないように、Aの意見には耳を塞ぐくらいになっている。これはかなり重要なファクターである。
だからアントニウスは、まずブルータスを称えたのだと思う。ブルータスに傾倒した市民をこっちに引き寄せれば、ブルータスの再反論は誰も聞かないから。
そして、さらに舞台効果として絶妙なのは、陣形が変化した後、一度、カシウスとブルータスが背後から撤退して、上手花道に現れるという手法だ。
宝塚を観る観客の半数以上が「ご贔屓もち」だと思う。個人のFCに入るほどの熱烈なファンもいれば「○組なら●●」程度の贔屓までレベルは様々だが。
そして、ブルータスら暗殺者チームに贔屓がいると、どうしてもそっちをオペラグラスで観ていて、アントニウスの歌はBGMにしか聞いていないことが多い。
そこで一度暗殺者を引っ込め、アントニウスをセンターに配置して、彼の歌をじっくりと聴かせる。彼の慟哭は多分に演技であり、市民を扇動するための計算だ。それを超えて、聴衆(ローマ市民)の感動を全観客が体感しなければ、続く悲劇に繋がらない。
ご贔屓を暗殺団に持っているファンが、全員アントニウスに注目するように、一度暗殺団を引っ込め、その時アントニウスがセンターにいる陣形は、実に的確だったと思う。
そして上手花道に再びブルータスが表れた時には、市民たちは暴徒となり、ブルータスへの敵意に満ちている。
あれほど、市民に愛されたブルータスは、敵意を受けることに慣れていない。彼は壊れ、懊悩し、失地を回復しようと躍起になる。
ここで、アントニウスの策略に怒りながら、決して我を忘れないカシウスとの対比も面白い。演出なら、まず演出家を褒めたい部分でもある。カシウスは人気がない。(「ブルータスの人気、名声、このカシウスにないもの」と語っているので。)だから、彼は大衆から嫌われても耐えていけるのだ。
ここから次の場面に向けてのカシウスとブルータスの関係については、友情を大きく超えたもののように感じられる。それもまた、作者の(シェイクスピアではなく)意図を感じる。実にお手軽な意図だが。
ブルータスらが逃亡し、市民たちがはけると、アントニウスは一仕事を終え、大きなため息をつく。いや、本当にここ、お疲れ様!というくらい、気合いのこもった場面だったと思う。一日2公演これをこなし続けたきりやん、本当にお疲れ様でした。途中、声が苦しそうな時期もあったが、最後まで頑張り通し、また毎回迫力が途切れることがなく、すごい人だと思った。
ここで、ギリシャ遠征からオクタヴィアヌスが帰国。カエサルの訃報に接する。
「キミはカエサルの甥ではなく、息子になった」と聞かされ、即座に後継者に指名されたことを理解する。が、「ローマを一人で治めてもろくなことはない。私が1/3治める、君も1/3治めろ、残りはレピュドスにでも任そう」と勝手に決められ、不信感を露にする。
ここでオクタヴィアヌスが遺言状を見ないのは、相続にガツガツしていないことをアントニウスに示すためかもしれないが、やはり見ないと、次の歌には繋がらない。悠然と広げて、最初の一行を読んでハッとして、もう、それ以上読まない方がわかりやすい。
ローマ市民にさえ告げた「カエサルの名はオクタヴィアヌスが継ぐ」の言葉を、アントニウスはオクタヴィアヌスには言わなかった。遺言状を渡したのだから、阻止するつもりはない。が、口に出しては言いたくない。
彼は、後継に指名されなかったことを実力で跳ね返そうと、オクタヴィアヌスの若さをいいことに、すぐに画策をはじめる。その第一歩がエジプトへの介入だ。
愛するカエサルを失ったクレオパトラも、その意味では、女である前に女王であり、そういう政治的緊迫を背負って口説き、口説かれる二人の演技の迫真には見ごたえがあった
オクタヴィアヌスのソロは、ずっと緊迫してきた心を和らげてくれる味わいで、ここにこのソロを持ってきたことに対しては、座付作者として役者の能力を最大限利用してくれた、と思う。できれば、ここの歌唱は、ためないで歌ってほしかったが。

第8場 隠れ家(カピトリーノの丘)
隠れ家にセルヴィーリアが訪ねて来る。
カエサルの愛人でありながら、愛人の死より、息子を心配している姿に、感動した。が、息子との考え方の違いに驚き、去っていく。
ここで、ブルータスという人が非常に観念的な人だということがわかって面白い。自分達がどうなるか、より、とにかく独裁者カエサルがいなくなったのだから、自分達は滅びてもローマのためにはなっている、と思っているような部分が。
暗殺者たちは、自分のためにカエサルを殺したので、「これからどうなるんだ?」と戦々恐々。せめて「どうするんだ?」と聞いてほしいよね、リガリウスくん(青樹泉)。
落胆した暗殺者たちが去った後、カシウスがブルータスへの熱い友情を表明
で、本人達が超盛り上がっている時に、「アナター」とポルキアさん登場。
これ、ムラでは、暗殺を持ちかける時も同じような登場だったんだよね。その方が、引っ込みのきっかけになってやりやすかったと思うけど。
しかし、カシウスにとって、ポルキアは邪魔者という位置付けは、確定的
だからって、嫉妬深い目では見つめないっていうか、もともと、恋愛感情っていう関係じゃないからね、ブルータスとカシウスは。(もちろん、観客のリピート性を高めるために、瀬奈・大空が腹黒い画策はしたと思う。ただ、そこで、本当に“ボクラホモ”(某掲示板より)的センスを持ち込まなかった両者のギリギリの誠実な役者っぷりに(実はただの焦らしプレー?)一ファンとして感動していた。
妻・ポルキアは発狂していた。
夫を心配するあまり?でも、カエサルの血が付いて消えないという設定は、マクベス夫人の連想で、夫をけしかけた罪の意識が内在しているとしか思えない。すると「ポルキアは私を愛しているだけ」というブルータスは間違っていることになる。かなみポルキアなればこそ、夫を暗殺に駆り立て、愛しているからこそ、その結果に狂っていく妻の悲哀を見たかったが、そこまでやってる時間の余裕がなかったのだろうか?ただ愛しているだけの妻役は、彩乃かなみには役不足である。
大空祐飛が「洗濯?」と呟くたびに、くすっと笑いが漏れたのは、やはり、彼が濯熊だということが、広く知られているせいだろうか?
カエサルの亡霊は、原作にも登場する。血まみれのトーガを纏って銀橋を渡るセンスもちょっとグロいものがあったが、ここは少ない登場人物が緊迫した無言の演技を見せるいい場面だったと思う。

第9場 円形劇場(戦場)
冒頭、きりやんアントニウスの「戦争は作品」に乗せて、凱旋するローマ軍。槍に突き刺さっている人がいるんですけど…(死体っぽい)それが兵士がジャンプすると、一緒に跳ぶ…すごく不快だったが、すぐに陣形が変わるので、ぎりぎり耐えられた。
コーダ部分のアレンジがいつも余裕ですごく好きだった。きりやんの歌は、「あ~」とか「お~」とかいう、なんていうのかな、アドリブじゃないけど、そういうエクステンション部分のセンスがいい。でも、いつもそれを求められていて、ちょっと可哀相にも思う。
ここで、せっかく着替えたにも拘わらず、カシウスはすでに死体。
あの世から、「もうすぐ会える」と、予言して消えていく。
退場の方法が限られているとはいえ、セリ下がるっていうのは、なかなかおいしいんではないかと、個人的に思っている
ここで、退路を断たれたブルータスは、自分の世話をしていた奴隷のストラトーン(龍真咲)に命じて、剣を持たせ、そこに身を躍らせる。一人じゃ自殺も出来ないのか…。
なんだかよくわからないが、私は愛されて幸せだったと、突然、満足して死んでいくのだ。カエサルに愛され(寵愛)、ポルキアに愛され(夫婦愛)、カシウスに愛され(友愛)、ほかの人々にも(敬愛)、こんなに愛されて幸せだったと。
迷惑です。
今頃、愛されたことに満足して死んでいくなら、戦争なんかしないで、もっと早く死んでくれれば…と、ブルータス側の一般兵士は思ったに違いない。
ブルータスに刺されたカエサルは「ならばいい」と言った。
「ならばいい」とあのカエサルに言わせるほどの人生だったのだろうか?それが、この脚本からは見えなかった。いい人、正義の人には見えた。でも、普通の人なんじゃ?普通の人が、英雄を殺して、滅びる話?
ここで、「Based On」と言っていいのか?というほど、シェイクスピアとかけ離れた印象になる。なんだよー、そのとってつけたようなお話は!
この作品は、シェイクスピアの原作も、当時の少ない情報をもとに書かれているため、「何故、何のために」部分が弱いように感じる。(英雄の史実を元にしているので、創作もしづらかったのだと思う。)
が、シェイクスピアには、そこから先の人間心理に納得性が高いのだ。
ブルータスは、愛されたことに満足して死ぬような男ではなかった。求道者のような男だった。どうして、こんな終わり方にしたのか、残念でならない。

死んだブルータスを見て、「これこそ人間だったのだと」と、アントニウスが締める。ま、これはシェイクスピアのパターンだから許そう。
でもね、ヅカの舞台だと、これじゃアントニウス心底悪人だよね。
だって、すべてわかってて、「ブルータスを最大の敵」に設定したんだから。
カシウス&暗殺者ご一行は、一か八かで蜂起した不満分子だから、戦死してもどこか「以って瞑すべし」部分がある。ただひとり、担ぎ上げられたブルータスは、ローマのことだけを思っていた。
アントニウスがカエサル死後のローマに於いて指導的立場を維持するため、後先考えずに彼らを糾弾したならともかく、こりゃ、わかっててやっただろう!と観客がここで思ってしまったら…後味の悪い終わり方になってしまう。
しかも、オクタヴィアヌスが、アントニウスの部下のような位置付けっていうのも、さっきの独唱と反するようで、どうも気になる、いけてない終幕だった。

緞帳前
ここで、漫才が再び繰り広げられる。
こうして、なんとなくさっきの後味の悪さが中和される。
作劇術としては、反則だろうと思うが。

フィナーレ
カエサルとブルータス、そしてすべての登場人物が、登場し、和気藹々と歌い、踊る。ここで、さらに「ま、いっか」と思わせるのは、本当に最悪である。ドラマの中身で勝負してないから。
が、ここのカシウスが、それまでの目つきのわる~い美青年から、急に可愛らしいアライグマになるところが、好きでたまらなかった。
作者の悪意を感じる…。

そんなこんなんで、数えてみれば15回くらい全部で観劇したらしいです。
我ながら、唖然…でした。

【去年の今日】
住民税の納付書が市町村ごとに全然違う規格である点について。
これ、面倒なんだよね。
でも、今は、電子支払を使用する手数料が惜しい。
窓口で払えば無料なだけに。これじゃ、いつまでも普及しないと思う。


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コメント 2

ms

1からずっと読ませていただきました。
うなずきながら。
自分ではここまで深く認識できてなくて観劇していた部分も多くて。

いろんな思いはありながら。
私も何回観たんだというほど観ましたが。
暁に関しては、フィナーレ総踊りの満面の笑顔を見ると。
すーっと許せてしまうところに罠がありますね。

深くこのお芝居を考える事ができそうです。
ありがとうございました。
by ms (2006-08-28 16:30) 

夜野愉美

msさま
もう本当に、あの笑顔、あれはずるいですよね。
祐飛さんたら、劇団の手先なのか、と思いました。
いろいろと考えるところはありますが、もう気持ちが切り替わっている部分もあり…な、今日この頃です。
by 夜野愉美 (2006-08-29 21:16) 

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