SSブログ

フィッツジェラルドの午前三時⑤ [┣宝塚作品関連本等の紹介]

『ゼルダの病院へ向かう細い道のうえで、ぼくは希望をもつ能力を失った』
と、スコットは書いている。
1930年、スイス、レマン湖のほとりにあるサナトリウムで、ゼルダは精神分裂症の診断を受ける。(月組ファンにとっては、たまらない偶然ではある)
診断によれば、発症は5年前で、スコットはその発病を遅らせることはできたかもしれないが、遅かれ早かれゼルダはこうなる運命だったと言われる。

『なぜ、自分が作ったこの悲しみの家庭の請求書の支払いをするために働つづけるのだろう、と自問していたことを思い出す』
1930年夏、とうとう投函されなかった手紙をスコットは大切に取っていた。
『ぼくたちは道を失ったが、正直いって、ぼくたちがお互いを失ったと思ったことは一度もない』
その頃、ゼルダが書いた手紙が、ラスパに登場するあの感動的な手紙だ。
『この世に正義があるのなら、あなたは幸せになれるでしょう』

ただ現実のフィッツジェラルド夫妻は、ドラマよりもずっと自己破壊的だったらしく、その辺はさすがに植田景子先生も、筆を弱めたのだろう。
関係者のこんな証言がある。
“スコットがゼルダを監視しているときの、彼の顔に浮かんで消えた悲劇的な恐怖の表情をわたしはけっして忘れないだろう。彼らは愛しあったことがあるが、いまやそれは終わりを告げた。しかし、彼はいまだにその愛を愛しており、その愛を棄てることを嫌っているのだ。彼が大事に面倒を見て、慈しみつづけていたのは、その事実だったのである”
現実は、ドラマほどやさしくはない。

フィッツジェラルドは、自らの破天荒な行いを恥じたのか、青年になってからは教会を避けて生きていた。
が、その精神は、かなり保守的であり、デビュー作の中に性的な魅力溢れるヒロインが登場しはするものの、実際のスコットは、奔放な女に惹かれながらも、性を謳歌する女性を軽蔑するところがあったようだ。
それもまた、スコットの分裂的傾向である。
彼の好みは派手な、時代の先端を行き、旧来の体制を打ち壊すような女性だった。にもかかわらず、性的な意味では、カトリックの教義を必死に守ろうとし、そういう女性を求めた。
スコットにとって女性とはなんだったのか。
スコッティーが生まれたとき、彼が思わず口にした言葉は、そのままノートに書き込まれ、「華麗なるギャツビー」に引用されている。
『女の子のこの世でいちばんの取り得は―ばかで、きれいなことだから』

では、きれいな男の子というのは、取り得になるのだろうか?
実は、フィッツジェラルドは、プリンストン大学での相互投票で「いちばんきれいな男子」部門で第一位になっている。
「これは名誉なんかじゃなく、屈辱の平手打ちだった」とスコットは語った。

1936年のフィッツジェラルド。
「ニューヨーク・ポスト」の新聞記者がインタビューにやってきて、フィッツジェラルドのありのままの姿を暴露している。当時、彼は鎖骨を骨折していて、風邪とリューマチを併発していた。
“ベッドから飛びおり、またそこに戻る苛立たしげな様子、たえず行ったり来たりする行動、両手の震え、引き出しに酒瓶の入った書き物机のところまで頻繁に足を運ぶこと”
この記事が発表された時、発作的にスコットは自殺を図っている。
『30年代には、友人が必要だった。40年代になると、友人は愛と同様、われわれを救ってくれないことに気がついていた』
とスコットは書いた。40年代の最初の1年がスコットの人生最後の1年になってしまうのだが。

スコットは寂しがり屋な人間の常として、友人をとても大切にした。大切にしすぎて、時におせっかいとも思える助言を行ないもしたが…。
そんな友人の一人に、リング・ラードナーという男がいる。彼はスコットより少し年長で、記者あがりの物書きだった。スコットは彼の短篇をスクリブナーズ社から出版する手伝いをした。
ラードナーもまた、アルコール中毒の男で、1933年に48歳で死んだ。スコットが雑誌に書いた追悼文は、実に見事なものだった、という。ドロシー・パーカーは“かつてこれ以上感動的な文章を読んだことがない”と断言した。
スコットの“友人”は、ほかに、アーネスト(ヘミングウェイ)、トマス・ウルフ、ジョン・オハラ、アンドレ・シャンソン、ジョン・ビショップ、モーリー・キャラハン…その多くはスコットがスクリブナーズ社に紹介し、契約した作家たち。
が、スコットは友人を裏切らなかったのに、この友人達の多くはスコットを裏切った…とスコットは感じていたようだ。(アル中の酔っ払いにくどくどと自分の小説への助言をされ続けたら、たいていの作家は、少なくとも積極的に付き合いたい気持ちを失うだろうが。)

“友だちがしてくれるのは奇妙なことです。アーネストは「キリマンジャロの雪」に無礼なことを書き、あの哀れなジョン・ビショップは「ヴァージニア・クォータリー」誌にエッセーを載せ(彼の文学的経歴を高めるためにぼくが十年も務めてきたことへの素晴らしい返礼です)、またハロルドはいちばん苦しい時期に突然ぼくを放り出し、その結果、彼らは友だち以下のつまらぬ存在になりました”
ヘミングウェイが、ゼルダへの軽蔑を夫であるスコットに振り向け、「キリマンジャロの雪」という作品の中にスコットを登場させたのはあまりにも有名な話だ。(マックスは、最初実名で書かれたこの登場人物の名前を変更させることに注力した)
ビショップは、プリンストン時代のスコットが金持ちに追従したとエッセーに書いている。
そして、ハロルド・オウバーは、この時期、スコットからの「前借り」の依頼を初めて断ったのだ。

あと1回くらいで終われそうです。

【去年の今日】
とうとう組長から始まらない「おとめ」が発行される、という事態について書いた記事。恐ろしいことに翌年も当たり前のようにそういう「おとめ」が発行された。そして、前代未聞の伝説を増やしながら、もうすぐ退団公演の大劇場千秋楽になる…。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0