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フィッツジェラルドの午前三時④ [┣宝塚作品関連本等の紹介]

スコットは自分の作品を評して、歯医者で30分つぶすには好適という言い方をしているが、その一方、どんなものを書いても自分の作品がまったくだめだったことは一度もない、とも語っているそうだ。
自分の作品への冷静な視点と、自分の才能に対する自負と矜持を感じる。

「THE LAST PARTY」には、スコットがフェイ神父という人物に傾倒した少年時代の記述は見当たらない。しかし、このエピソードはスコットの伝記に必ず登場する。おそらく、神父が1919年、つまり「楽園のこちら側」出版の前に亡くなっているからラスパからは省かれているのだろう。「楽園のこちら側」は、フェイ神父に献げられているが、スコットはその名のつづりを間違っているらしい…。ちょっと微妙。

「楽園のこちら側」出版に関するエピソードは、だいたいラスパの通りだったようだ。「ロマンティック・エゴイスト」第1稿は、スクリブナーズ社に断られるが、この時、出版に好意的だったマックスウェル・パーキンズが建設的な批評を添えた。こうして、「ロマンティック・エゴイスト」第2稿が完成、またもスクリブナーズ社に拒否される。そしてこれを改訂した「楽園のこちら側」が送られてきた時、マックスは辞表を手に出版を勝ち取ったという。

さて、フィッツジェラルドの登場の仕方、日本で考えると誰なんだろう?と考えた。そして思いついたのが田中康夫、古くは石原慎太郎だった。
今は政治家の二人…では、スコットも政治への関心があったりしたのだろうか?どうやらスコットは「空想的共産主義者」だったらしい。このあたりが、「ラスト・タイクーン」にも反映しているかもしれない。
が、スコットは親友エドマンド・ウィルソンに対して、“1920年、ぼくは政治を君と君の仲間に任せた”と手紙に書いている。しかし、政治思想は持ち続けていたようで、生涯に亙り民主党に投票し続けたという。

スコットの若き日の夢、それは、「大都会での成功」と「ロマンス」
これは「マイ・ロスト・シティー」という作品に登場する。スコットは、ニューヨークを二つのシンボルに凝縮する。即ち征服と勝利を意味するフェリーボートと、若い娘、すなわち
しかし、ここに登場する第三のシンボルについては、ラスパには登場しない。「ラスト・タイクーン」を編集・出版したエドマンド・ウィルソンこそ、スコットの理想像だったのだが。これは、もしかすると、バニー(エドマンド・ウィルソンの愛称)こそ宝塚の男役らしい、かっこいい役になってしまうからかもしれない。

ラスパのスコットは、酒とパーティーに酔いしれながら、一方で自分の小説への批評を残らず読み、指摘された欠点を認めている。そういう二面性について、バニーは次のように評している。
【アイルランド人の例にもれず、フィッツジェラルドはロマンティックな人間だが、同時に、愛に関して冷笑的な態度をとり、有頂天になると同時に苦い幻滅にひたり、叙情的であると同時に冷淡でもある。プレイボーイの役をみずから引き受けるが、つねにプレイボーイを嘲笑している】
この二面性は、時に彼に分裂的行動を取らせる。
“親愛なるスコット、調子はどうだい?きみに会いたいと思っていた。ぼくはアラーの園に住んでいる。スコット・フィッツジェラルドより”
と、書かれた絵葉書が残っている。
「アラーの園」というのは、ハリウッドにあるホテルで、スコットはここにシーラ・グレアムと共に住んでいた。そう、ラスパ冒頭でスコットに届いたハガキのモデルはここだったのだ。

今日はこの辺で。

【去年の今日】
祐飛さんの「別格3番手」を認めてほしい、と熱く語っている。
その後、祐飛さんのポジションは限りなく路線方向に向かっている。劇団がどういうつもりなのか、問い詰められるものなら、聞いてみたい今日この頃である。


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