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弘前城 [┣百名城]

弘前に一泊して、翌朝、早朝、再び弘前城へ。朝は、駅前にバスも停まっていなかったので、タクシーで弘前城へ。1,000円ちょっとかかったかな。


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青空に八重紅枝垂がよく似合います。


弘前城2-2.jpgさっそく、東門から入場。
空襲を受けなかった弘前城では、多くの施設が現存しています。この東門も重要文化財の指定を受けています。


建物(門や櫓)だけでなく、城内の樹木にもそれは言えるわけで、弘前城内には、樹齢百年を超す古木がいくつも存在していました。特に、平均寿命60年といわれる染井吉野の古木(樹齢百年以上)がたくさんあって、もしかしたら、都会の街路樹になっている染井吉野が60年くらいでバタバタと枯死しているだけで、本当は、けっこう強い木なのでは[exclamation&question]なんて思いました。


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こちらの霞桜は、正徳5(1715)年に藩士が苗木を城内に植えたものの1本ということで、樹齢は300年を超えています。


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こちらの染井吉野は、明治15(1882)年に旧藩士から寄贈されたもので、現存するソメイヨシノとしては、国内最古級とのこと。弘前公園内には、樹齢百年以上の染井吉野が400本以上立派に花を咲かせているとのこと。少しだけ、花も残ってますね。


弘前城2-5.jpgこちらは、二の丸東門与力番所。
江戸時代初期に建てられ、江戸時代中期に一度改修されたものと推察されている。
廃藩以降は、取り壊されることもなく放置されていたのを、大正4年頃に曳家移築し、以後、公園管理人宿舎や、作業員詰所として使用していたとか。
現在の建物は、昭和54(1979)年から3年をかけて復元移築したものだそうです。


弘前城2-6.jpgこちらは、二の丸馬場。
元禄7(1694)年に完成、明治4(1871)年の廃藩まで使用されていたとのこと。
復元整備は、絵図を参考に実施されたとのこと。
馬場は、この二の丸以外にも、本丸、三の丸、四の丸、西の郭、西外の郭、場外にもあったそうです。たくさんの馬がこの弘前城に轡を並べていたんですね。


弘前城2-7.jpg二の丸辰巳櫓です。南東にあたる辰巳櫓のほか、南西の未申櫓、北東の丑寅櫓が現存しています。
櫓といえば、この弘前城の天守も最初は、「三層櫓」として建設されたものなのだそうです。そもそも、弘前城(当時の名前は高岡城)の天守は、城の完成後15年で焼失(天守の中に火薬が保存されていたため、爆発したと伝わる)してしまったそうで、以後200年、天守のない状態だったのが、文化3(1810)年に、幕府に「本丸内に三層櫓を新築」願いを出して認められ、あくまでも「櫓」の体で作ったのが、現在の天守。
平和な時代に天守や櫓は不要なので、今あるものを取り壊せとは言わないものの、新たに作るのって、なかなか大変だったみたいですね。


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こちらは、二の丸大シダレ。
大正3(1914)年というから、宝塚歌劇団が生まれた年に、宮城県人会から寄付されたうちの1本だそうで、写真スポットとして人気だったそうです。
平成23(2011)年の大雪で根元から倒れてしまったそうですが、翌年、主幹の1/3を切除して立て直し、現在も治療中とのこと。
枝垂桜は、八重紅枝垂より早く咲くので、現在は、かなり花が散ってしまっていますが、由緒ある木を見られて、よかったです。


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中濠の辺りだと、少し花筏らしいものができています。


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石垣、全力で修復中。近くまで寄って見られる足場も作ってくださっていて、手厚いなーと思いました。


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こちらも花筏。


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こちらの松は、鶴の松と呼ばれているアイグロマツ。老鶴形に仕立てられているそうで、向かいの石垣の巨石「亀の石」と並び称されているとのこと。


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亀の石は、こちらでしょうか。
ここから先は「本丸」ということで、入園料(大人320円)がかかるのですが、4月15日~22日の間は、有料時間が午前9時~ということで、それ以前にこの辺りを抜けた場合は、天守内部も含め無料になるということでした。私が行ったの、4月22日だよ、ラッキーすぎんか[exclamation&question]


弘前城2-14.jpg弘前城天守。
バックに(左後方)岩木山が写りこんでいるの、見えますか[exclamation&question]
天守は、石垣修理のため、現在曳家となっていますが、この曳家状態だからこそ、岩木山とのコラボ写真が撮れるみたいです。
(青い空と白い雲を背景に、白い雪をかぶった青い山が写っているので、難易度高いですが、目を凝らして、ぜひぜひご確認ください[exclamation×2]→もし無理だった場合も、コラボじゃないですが、別途岩木山の写真もありますので、ご安心ください。)
ちなみに、破風や懸魚がついているのは、この位置から見える濠側の「東・南」の面だけで、本丸側の北・西面にはついていません。(前日記事の八重紅枝垂越しの天守をご覧ください。)


弘前城2-15.jpgこちらの幟の「卍」は、藩主津軽家の家紋ではなく、旗印として使われていたもので、そのまま弘前市の市章になっています。
卍というと、蜂須賀家を思い出してしまいますが、津軽家も使用していたんですね。


さて、櫓のところで書きましたが、現天守は、三層櫓として幕府の許可を受けて新築され、「御三階櫓」と呼称されることになりました。
御三階櫓とはいえ、この時代に天守の新築が許可された理由としては、幕末となり、ロシア船が津軽海峡を航行するようになったため、防備のために必要だということだったようです。


弘前城2-16.jpgそして、なんだかんだうやむやのうちに、いつの間にか「天守」っていうことになって、今に至っているそうです。まあ、実質天守ですからね、最初から、そのつもりですからね。


その天守に登って撮影した岩木山の写真です。
岩木山を背景に天守前広場に咲き誇る八重紅枝垂、壮観ですね[exclamation×2]


ちなみに最初の天守が焼失というか、爆発四散した翌年、当時の「高岡城」から「弘前城」に改称されています。この「弘前(ひろさき)」は、かの天海大僧正の命名によるものなのだそうです。
それなら、縁起がよさそう…[ぴかぴか(新しい)]


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もうひとつ岩木山の写真を。


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天守の近くにあったこの木は、鬱金ですね。かわいらしい花が咲いています。


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これが、天守があった元の場所。実際には石段とかがあって、少し高い位置に置かれているっぽいですね。石垣工事が終われば、曳家から元の場所に戻されるそうです。


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こちらの桜は「糸括(いとくくり)」。古くからある品種らしいですが、「手毬」に似ているのか、別名「大手毬」と古い書物に書かれているそうです。


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こちらは「雨宿(あまやどり)」。大島桜系の里桜らしいです。でも八重ですね。


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こちらは「天の川」。丸みのある花弁が可愛いですね。


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弘前城を堪能した後は、弘前駅へ。駅構内にねぷた祭りの山車が飾られていました。


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遮光器土偶の山車もあるんだ~[あせあせ(飛び散る汗)]


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