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「ガマ」観劇 [┣演劇]

「ガマ」


脚本:古川健
演出:日澤雄介
舞台美術:長田佳代子
美術助手:小島沙月
照明:松本大介
照明オペレーター:長谷川楓
音響:佐藤こうじ
音響オペレーター:泉田雄太

音楽:佐藤こうじ
衣装:藤田友
沖縄ことば:今科子
小道具製作:佐藤区役所

舞台監督:本郷剛史、藤本貴行
演出助手:石塚貴恵
演出部:椎木美月、安原あいか、浦田大地、いまい彩乃
スタンドイン:古瀬大樹、小川哲也(平泳ぎ本店)、須藤瑞己

宣伝美術:R-design
写真:池村隆司
撮影:神之門隆広、与那覇政之、松澤延拓、大竹正悟、遠藤正典
タブレット字幕:G-marc(株式会社イヤホンガイド)
web:ナガヤマドネルケバブ
制作協力:塩田友克、瀬上摩衣
制作:菅野佐知子


<配役>
東秀達…岡本篤(劇団チョコレートケーキ)
安里文…清水緑
山城松介…西尾友樹(劇団チョコレートケーキ)
岸本昭吉…青木柳葉魚(タテヨコ企画)
井上市太…浅井伸治(劇団チョコレートケーキ)
知念孝元…大和田獏
声…アリソン・オパオン、東谷英人、粟野史浩、今里真、緒方晋、照井健仁、村上誠基、黒沢あすか、椎木美月、蓑輪みき、本宮真緒、谷川清夏、中野亜美、中神真智子、柳原実和、永田理那、宇田奈々絵、麗乃


劇団チョコレートケーキが、東京芸術劇場のシアターイースト、シアターウエストを同時に使って「戦争」関連作品六作を一挙上演する企画「生き残った子孫たちへ」をこの夏観劇することにした。
とはいえ、このうち、5篇は再演作品で、今回観劇した「ガマ」だけが新作とのこと。(私は全部初見でした!)
そして、この「ガマ」だけが、現在進行形で戦争が続いている状況の物語ということになるのだそうだ。
そっか…「その頬、熱線に焼かれ」は1955(昭和30)年のアメリカ、「帰還不能点」「追憶のアリラン」は、昭和25年の日本が舞台だし、「無畏」は昭和21年、「〇六〇〇猶二人生存ス」だけは戦争中だけど事件自体は、訓練中の瀬戸内海が舞台だったからな…。


太平洋戦争の中で、唯一、日本国内で地上戦が行われた沖縄。
ガマというのは、沖縄本島南部にある、石灰岩で構成された鍾乳洞。沖縄戦の時、このガマは、避難壕や病院壕として利用されたそうだ。
とあるガマに、中学教諭の山城と、一校女の女学生、文が、一人の兵隊を背負ってやってきた。このガマは無人のようだったが、後で奥を調べてみると、集団自決の痕跡があった。
兵隊は、調べてみると将校のようで、看護要員として病院壕で働いていた文は、テキパキと処置をし、山城に看護を頼むと、働いていた病院壕まで行って、必要なものを取ってくる、と言う。山城は、最初、危ないと言って止めるのだが、もしかしたら彼女は逃げるつもりなのかもしれない、と思い、行かせることにする。
しかし、彼女は戻ってくる。それが当然であるかのように。
将校の東は回復し、下級兵士(たしか軍曹と二等兵だったかな?)の岸本と井上、そして、現地の老人・知念がガマの住人に加わる。山城を含む彼ら全員が、それぞれの事情で、このガマにやってきた。少しずつ、お互いの事情を語ったり、何か語れない事情がある風情を見せたり…という毎日が続く。ガマの奥に残された人骨を丁寧に拾い上げ、供養したりしながら。
そんな中、アメリカ軍から、拡声器で投降の呼びかけが聞こえてくる。東は、将校の自分は自決すべきと言うし、岸本と井上は、特殊任務の命令を受けていることに鑑み、今すぐ逃げて任務に戻るか、投降するか本気で悩み、山城は、生徒を死なせている自分に生き残る価値があるのかと考え、しかし、全員が、文だけは生き残るべきだと考えている。
一方、文は、最後の一人になるまで戦うのが当然で、アメリカに降伏するなんて、先に死んでいった仲間たちに申し訳が立たない、私たちは日本臣民なのだ、と、強く反論する。
将校である東は、この戦争において、日本軍は、沖縄を犠牲にしようとしている、それは、本土のどの県でも行われないことだ、沖縄だからやっているのだ、と言う。岸本たちも、日本のほかのどの県だって、ここまで軍に協力的な県はなかった。その沖縄人の純真な心を軍は利用したのだと言う。
知念は、「うちなんちゅ」も「やまとんちゅ」も「アメリカー」も命に区別があるはずがないと言う。
後半は、投降に向けて、頑なな文の心を、大人たちがどう溶かしていくか、に焦点が当てられている。その中で、沖縄人の「同化政策」の根の深さや、沖縄差別の痛みが浮き彫りになってくる。


沖縄県の歴史は、その地理的条件も相俟って、とても複雑だ。
江戸時代の初め、琉球王国に薩摩藩が攻め入り、支配下に置いた。(王国は存続したが、薩摩藩と中国のふたつの宗主国の支配下で独自の文化を築いていく。)
沖縄が「日本」となったのは、1872年の「琉球処分」以降。それまで日本と清の両属状態だった「琉球」を明治政府が併合している。沖縄県誕生は1879年。その後、沖縄の「日本化」が進められていくが、その中で、差別や沖縄文化の否定が、あからさまに続けられていった。
そんな「日本化」教育の中で、一校女の女生徒たちは、純粋に「神国日本」の勝利だけを信じて、そのお役に立ちたい一心で、つらい病院壕勤務に耐えている。麻酔なしで手足を切ったり、薬もなくて死んでいく兵士に付き添ったり…平和な世界でしか生きていない私には、想像できない世界だ。
もうひとつ、今の私に想像できないことがある。価値観の崩壊だ。「日本の臣民として、天皇陛下のために命を投げ出す」という価値観でずっと生きてきて、既にそれを信じてたくさんの友達が死んだのに、沖縄は捨て石にされたんだ、誰も沖縄の人間を日本の臣民だなんて思ってないなんて聞かされたら、それは生きていけないほどの地獄だろう。いくら想像しても、私自身の経験の中には、そんな価値観の崩壊はない。
壊れていく文が痛くて痛くて、つらかった。
その痛みやつらさこそが、戦争中から、今もなお、私たちが沖縄に強いているものなのだろう、と思った。


熱血愛国少女の頑なさを、こちらが苦しくなるほどの熱量で演じきった、清水緑さん、本当にすごかったです[exclamation×2]そして、文の痛々しさをつらく感じたり、「沖縄」に対する本土の人間として罪の意識の重さに打ちひしがれそうになった時に、温かい沖縄言葉で、登場人物だけでなく客席までも癒してくれた大和田獏さんの人間力に感銘を受けた。素晴らしい沖縄のおじいでした[ぴかぴか(新しい)]


きっとまた再演されるだろうから、初演作品である「ガマ」のラストについては詳しくは書かないが、照明が美しく、印象的だった。


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