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「一度きりの大泉の話」 [┣本・映画・テレビその他エンタメ紹介]

少女マンガ界のレジェンド、萩尾望都による回顧録「一度きりの大泉の話」を読んだ。



一度きりの大泉の話

一度きりの大泉の話

  • 作者: 萩尾望都
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2021/04/21
  • メディア: Kindle版



この回顧録が書かれる背景について少し。
このブログをご覧になっている方で、漫画家の萩尾望都先生を知らない方は、まあほとんどいないと思うが、少女マンガを読む人なら、誰でも知っているレジェンドのような作家。
こちらも誰もが知っている漫画家、竹宮惠子先生が5年ほど前に、「少年の名はジルベール」という回顧録を出版した。そこに、竹宮先生と萩尾先生が同居していた“大泉サロン”でのことが、書かれていた。
少年マンガ界における伝説の“ときわ荘”のようなものが、少女マンガ界にも存在していた[exclamation]その名も、“大泉サロン”[exclamation×2]
これを読んだマスコミ各社が、今こそ、竹宮先生、萩尾先生の対談を[るんるん]とか、かなり盛り上がっていたらしい。
そして、それに対して、竹宮先生が「萩尾先生さえよければ…」という回答をしたらしく、萩尾先生が断っても、断っても、この手の依頼が後を絶たなかったそうだ。
そこで、萩尾先生が、なぜ自分はこの手の依頼を断るしかないのか、ということを、一冊の本にしてしまったのが、本作。そこには、竹宮先生とは、20代前半に決裂してから、没交渉だということが明らかにされている。
50年の没交渉…少女マンガ家としてトップを走り続けた二人が[exclamation]


読んでいる間、とても苦しかった。
萩尾先生の痛みや苦しみが自分のものであるかのようだった。
萩尾先生が、マンガ家になることを認めてくれなかった両親への確執を抱えている、ということは、以前から知っていた。「残酷な神が支配する」などは、家族の中での子供の生きづらさを描く(描かれている内容は、非常に特殊なものだが)秀作だが、そこに、萩尾先生が抱える、家族内の確執や軋轢がなんとなく感じられるように思った。


親から子への愛情は、見返りを求めない無私の愛情と言われるが、そうでない場合、正確には、子がそうでないと感じてしまった場合、その子は、愛を条件付きのものとして、受け取る。
「いい子じゃなかったから、愛してもらえなかった」
という感覚だ。
それは、長じて、誰かに嫌われてしまったと感じた時に、「自分が嫌われる原因を作ってしまった」と反省し、「私なんか、目に入ることも不愉快だろう」と勝手に遠ざかり、ついには、相手が関心を持ちそうなこと自体、恐ろしくて手が出せなくなる。
相手からすると、「意識的に避けられている」としか思えない状態。


竹宮先生から萩尾先生の受けた仕打ちは、後に竹宮先生が告白しているように、竹宮先生側の一方的な嫉妬心に端を発している。それを自分のせい…と受け止めてしまった萩尾先生は、その後、ひどい体調不良に悩まされる。
そして、原因を探るうち、「少年愛」という分野に踏み込むと、地雷だということに確信を持つ。
それは半ば正しいのかもしれないが、その後も、竹宮さんが関心を持っていると聞くだけで、そこから逃げてしまうのだから、当時、萩尾先生とお仕事をされていた各界の方々は、突然萩尾先生に逃げられて、呆然としたかもしれない。その方たちが、萩尾先生と同じトラウマの持ち主だったら、また新たに萩尾先生のような被害者を生んでしまったかも…[爆弾]
本に記載されているだけでも、光瀬龍先生、寺山修司先生など、著名な被害者が…[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]お二人とも故人なので、その後トラウマに見舞われたかは、わからない。
また、「少年愛」は自分に関係がない、理解もできないと言い、竹宮先生が関心を持つ分野から逃げるようにしていると書いた萩尾先生だが、一方で、少年が登場し、同性愛の関係を持つ物語も、積極的に描いている。あれから、何十年も経ち、少年間の同性愛の登場する作品を描いても、竹宮先生の作風とは一線を画すものになると、確信したのだろうか。


萩尾先生をスタジオライフに結び付けてくれた、小学館の編集者、山本さん。この方が、小学館としての最初のコミックスを萩尾望都で発売したことが、すべての始まりだったのではないか…という気もして、山本さん、ツミだなぁ~とも思ったり。
少女マンガ好きな方は、ちょっと重いお話ですが、熟読をお勧めします。


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