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「まさに世界の終わり」観劇 [┣演劇]

フェスティバル/トーキョー19連携プログラム
青年団若手自主企画vol.79 ハチス企画
「まさに世界の終わり」


作:ジャン・リュック=ラガルス
翻訳:齋藤公一


美術:渡邉識音(グループ・野原)
照明:吉本有輝子(真昼)
照明オペレーター:花輪有紀
音響:カゲヤマ気象台
音響オペレーター:増田義基
衣装:原田つむぎ
ドラマトゥルク:前原拓也
舞台監督:海津忠(青年団)
宣伝美術:有佐祐樹
制作:飯塚なな子
総合プロデューサー:平田オリザ
技術協力:大池容子(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)


著作権代理:(株)フランス著作権事務所
協力:グループ・野原、東京デスロック、ヌトミック、真昼、三浦雨林、森山直人、得地弘基、伊藤侑貴、早坂彩
企画制作:ハチス企画/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)
   独立行政法人日本芸術文化振興会


あれから1年過ぎて、全公演寝倒したことを(こら[爆弾])ずっと後悔していて、さて、「まさに世界の終わり」とは何だったのか、自分の中で消化しないと納得できない…ということで、小竹向原まで行ってきました[exclamation×2](文化庁の助成金を使ったお芝居なのね。ちゃんと貰えますように[exclamation]
初めての劇場だったので、迷うこと20分あまり…まさか、こんなところに劇場が…[がく~(落胆した顔)][がく~(落胆した顔)][がく~(落胆した顔)]間に合う時間に辿り着けてよかった[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]


登場人物は、ルイ(34)、シュザンヌ(23)、アントワーヌ(32)、カトリーヌ(32)、母親(61)…そうなんです[exclamation]ここでは、ルイは長男。
石丸さち子演出版は、映画「たかが世界の終わり」に寄せてルイとアントワーヌの兄弟を逆にしていたけど、原作はこっちなんでしょうね。じゃないと、代々跡取り息子にルイと名付ける話がおかしくなるものね。


舞台…というか、アトリエでの上演。
横に長いスペースなので、下手側に物干し台に見立てたセット、センターの手前側は庭っぽいセット、奥はフリースペースで、上手にダイニングテーブル、その奥の見えないところに出入口がある(見えない)ような家の作り。
冒頭のルイ(海津忠)の独白は、フリースペース。
そこから、ルイの訪問になり、上手の出入り口付近でルイと語る家族に対して、フリースペースから返事を返すルイという演出は、ああ、こういう方法もあったんだなと思った。
この作品は、ルイの長い独白と芝居が交互に展開されていて、芝居はすべてがスケッチになっている。書きたい場面だけが書かれていて、間の流れはない。だから、そこは暗転で場面を繋ぐ。その辺りは、石丸演出と同じだった。
それと、どうにも、気持ちが悪く感じるセリフの応酬&独白については、この演出では、ルイやアントワーヌ(串尾一輝)がまっすぐに立つのをやめ、身体をくねくねと歪めることで、表現されていた。あと、紙袋を顔にかぶせられたり、荷物を背負わされたり。
この芝居って、「あ、もしかしたらこうなのかな[exclamation&question]」って纏めに入ろうとすると、見計らったかのように、「そういうことじゃないんだよ」って振り出しに戻るような、難しい脚本。歪んだ肉体というのは、たしかに、歪んだ構成に呼応する。脚本を制圧しようとして、うっちゃられた自分が、出演者によって具現化されたように感じた。


シュザンヌ(西風生子)は、姿は一番若いのに、声(&話し方)が大人っぽい。それもひとつの歪みかな。シュザンヌのセリフは断片的というか、ポエムというか、短いセンテンスの連続なんだけど、西のやわらかい声は、その行間を埋めてくれる力がある。終盤のアントワーヌとのやり取りも、そんなにささくれ立つような感じではなく、観ていてつらくならずに済んだ。この美声を生かして、将来は、池谷のぶえさんのような女優さんになってください。(勝手な希望)
アントワーヌは、ルイと兄弟だな~と思った。どこか通じ合っていて、ただ、家族の中で、なんか貧乏くじひかされちゃった感を背負って生きているんだな…というのが、よく伝わった。きょうだいの中で、自分ばっかり親から「あなたがちゃんとしなきゃ」って頼られている感じ[exclamation&question](本当は、大人になった今は、そういうこともないんだけど、そう思ってきた年月が長すぎて、思い込んでるというか。だから、ルイが憎いんだよね。)でも、似てる…って思える二人。そこが良かった。串尾は、ねじくれてしまったアントワーヌを、それでもできるだけ普通の人に見えるように努めていて、だから、今日はどうかしているだけで、ルイのせいで調子が狂っただけで、本当は、ちゃんといい人のはず…と、思えた。
カトリーヌ(原田つむぎ)は、すごく怯えている。たぶん、ルイの存在に。なぜ、こんなに怯えているんだろう[exclamation&question]と思ったら、それは、自分の息子にルイという名を付けたことに、どこかで罪悪感を抱いているからかもしれない。ここに、ルイの方が兄であることが生きる。夫の言う「兄貴には子供がいないし、これからもできないだろう」を真に受けて、ああ、そういうものか、とまだ見ぬ義兄ゆえに、深く考えずに息子をルイと名付けてしまった。でも、実際に義兄がやって来ると、ごく普通の34歳の男性で、これからいくらでも結婚して息子を持てそうな気もする。とすれば、自分を恨んでいるかもしれない…みたいな。今回の芝居では、ルイがゲイである(少なくとも家族はそうだと思っているか疑っている)設定は、あまりクローズアップされていなかったので、余計、カトリーヌの不安が強く心に残った。
母親(根本江理)は、スリムな身体をフォークロア風の衣装に包み、三人の子供たちをまっとうに愛している田舎の品の良い婦人という感じ。いきなり34歳の息子が現れて、若干狼狽し、でも少し浮かれている。でも、ルイにとっては、シュザンヌや母親との会話は、この人達に自分が死ぬことは伝えられない…と確信する結果しかもたらさなかった。そして、やはりアントワーヌに言わなければ…という方向に話が進んで、アントワーヌをさらに傷つける…と。その辺の流れは、しっかりと伝わってきた。


というわけで、今回、わかったのは、一年前、「寝ていて知らなかった」部分はなかったということ。すごく寝倒したイメージがあったが、実は、そうでもなかったのね。わからなかった=寝ていたからに違いない…と思ったけど、起きていてもわからないところはわからないということが、「わかった」。
ただ、そんなに簡単にわかった気になられては、いやなんだろうな、ラガルスが。
なんとなく、ああ、そういう気持ちわかる…という部分と、え、それどういうこと[exclamation&question]また分からなくなった…という部分の繰り返し感。それが「まさに世界の終わり」の正しい鑑賞法なのだと、ラガルスのために理解した。
だから、私は、この作品を忘れないだろうし、これからも観るだろう。


ねこじゃらし.jpg


舞台を彩っていたねこじゃらし。(小川のまわりの草みたいにセッティングされていた)
ひとつ300円で販売されていたので、記念に購入。
ちなみにこの公演は、多田直人主催の「ごーROCK」会場でチラシを見つけていく気になったもの。こういう出合いもあるんですね。


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