SSブログ

映画「ネリー・アルカン 愛と孤独の淵で」 [┣本・映画・テレビその他エンタメ紹介]

パルコが仕掛けた映画×演劇×小説のコラボ企画が「ネリー・アルカン」だ。(ディスカバー・ネリー・アルカン、略してDNAという企画らしい。)
私は寡聞にして知らなかったが、カナダに36歳の若さで縊死した女性作家がいた。その筆名がネリー・アルカン。1973年に生まれた彼女は、元高級娼婦。その経験をもとに書いた半自伝的な小説「ピュタン」で2001年に文壇デビュー、一躍時の人となった。
その経歴や、彼女自身の美貌もあって、小説というよりは、ネリー・アルカン自身が注目され、話題になることが多く、肝心の小説は、デビュー作以上のヒットに恵まれないまま、8年後の2009年、自宅アパートで縊死した。


松雪泰子や霧矢大夢が出演する舞台「この熱き私の激情」は、ネリー・アルカンをテーマにした舞台だが、その上演と同じ時期に、この映画の上映、そして、デビュー作「ピュタン」の発売…パルコ、やるなぁ…[わーい(嬉しい顔)]
「この熱き私の激情」のチケットを購入すると、映画のチケットがついてきたので、ラッキー[揺れるハート]とばかりに、恵比寿ガーデンシネマまで行ってきました[るんるん]恵比寿ガーデンプレイスには何度も行ったことがあるが、映画は初めて。コンパクトだけど見やすく、落ち着く劇場だった。


さて、映画の中身ですが…
ヒロインのネリー・アルカン(ミレーヌ・マッケイ)は、幼い頃から異性への興味が強かったが、あまりモテるタイプではなかった。ただ、妄想力がハンパなかったのは間違いなく、経験と想像を駆使して小説家への道を歩み出す。映画は、化粧っけなく、いつもパンツスタイルで髪をひっつめている小説家のネリー・アルカン、恋と薬物に溺れる黒髪のヒロイン、エスコートガールと呼ばれる高級娼婦のシンシア、そしてセクシーアイコンとしてネリー・アルカンの代わりに人前で奇抜な行為を重ねるブロンドの美女、マリリン…少女時代のネリーを含め、これらの女性たちが、交互にそれぞれの物語を進めていく。
少女時代を除いて、すべてマッケイが演じているため、この女性たちはどこかで一人の女性に集約されるのか、と思ったが、彼女たちはそれぞれの世界で自己崩壊し、同じように死の世界に引き込まれていく。
なぜ、こうなっちゃったのかな…と思うに、彼女たちは、(実際には、ネリー・アルカン自身が)「自分がどうしたいか、どうありたいか」より、「他人からどう見られているか」の方に絶対的な価値観を見出しているからではないだろうか。
エスコートガールになりたての頃、ネットに書かれている客の男たちの娼婦評を満足そうに眺めているシンシアと、発売された本を宅配しに来た配達員の若い娘にネリー・アルカンであることがバレた時、「小説は全部読んでいるけど、デビュー作が一番好き」と言われた時の複雑な表情のネリーと、客から会った瞬間に「ババァだな」と言われた時のシンシアと…[もうやだ~(悲しい顔)]


人は誰も他人からの評価が気になるものだけど、それがすべてになってしまうと、自己崩壊しか残っていない気がする。


けっこうパズル的な難しい映画だったが、ネリーの心象風景に少し踏み込めたような気がした。
デビュー作が一番売れた作家、作品よりも派手な私生活が注目される、そして夭折…女版、21世紀版のフィッツジェラルドだったのかな…なんて感じた。だから、惹かれるのかもしれない。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。