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「円生と志ん生」5 [┣大空ゆうひ]

「その4」はこちらです。


最後の場面は、昭和21年の初冬。「その4」のラストで紹介した場面(電柱の付近で円生と志ん生がニアミスをしたところ)から、2ヶ月ほど経過している。
シーツ類の大きな洗濯物が干してある場所に、円生(大森博史)が走り込んでくる。ここは、大連市内にあるカトリック系女子修道院の屋上。
円生は、様々な呼び方で志ん生(ラサール石井)を呼ぶ。この呼び方で、志ん生についてのミニ知識が増えた気がする。
最初の芸名が朝太(ちょうた)だったとか、芸名を16回も変えたとか。


舞台下手に設えられた小さな小屋から、らくだの上下にシーツを結び付けたようなかっこうで、無精ひげも伸び放題になった志ん生が登場する。円生はようやくホッとして、軽快な音楽に合わせて「この顔」を歌う。
このナンバーが、3曲出てくるリチャード・ロジャースの最後の1曲。
粋に背広を着こなし、帽子をかぶった円生が、歌いながらダンスも見せる。途中から志ん生も加わり、ちょっとショーアップされた場面。元がミュージカルナンバーだから、ちょっとミュージカルみたいな場面。てか宝塚っぽいかも[わーい(嬉しい顔)]
歌の最後で円生は感極まって、「神よ感謝します!」と志ん生の前に跪く。


その姿を、洗濯物を干しに来た見習い修道女のマルガリタ(太田緑ロランス)が見てしまい、慌てて駆け去る。
大げさな円生の姿に志ん生も驚くが、現在“セーキスピア”の「ベニスの商人」に出演中の円生は、ちょっとバタくさいモードになっているようだ。
それを聞いて、芝居をやることは、きっと落語にも生きてくる、という円生の話を覚えていたらしい志ん生は、「落語に外国人が出てくるか」と言って円生をたしなめようとする。が、逆に、円生が真顔になって志ん生を責める。行き倒れになる前にどうして自分を頼ってくれなかったのか、と。
それを聞いて、志ん生は、7月に日本に帰ると言って円生から五千円を借りたものの、密航船詐欺に遭ったことを告白する。さすがに体裁が悪くて行けなかったのだ、と。
そして、「密航船で日本に帰るのは、らくだが針の穴を通るより難しい」と言い出したのを、戻ってきたマルガリタと、彼女が連れて来たベルナデッタ(池谷のぶえ)が聞いてしまう。聖書に出てくるその言葉を聞き、二人は、きたない行き倒れのおじさんが、主・イエズス様なのではないか…と妄想したのだ。
そして、志ん生は、偶然なのか、どこかで聞きかじった(親切心から炊き出しをしてくれるようなところは、キリスト教系の場所が多かったのかも…)のか、次々に聖書に出てくる言葉を連発する。それを聞いて、どんどん確信を抱いていくマルガリタとベルナデッタ。
円生と志ん生がトイレに行った間に、盛り上がりまくって歌い始める。
この、「涙の谷から」という曲は、ベートーベン作曲。なんだかんだでベートーベンも3曲使われている。
二人が歌っていると、教育係のオルテンシア(前田亜季)が登場し、二人を指導する。最初は、マルガリタとベルナデッタが何を興奮しているか訝しく思っているオルテンシアだが、彼女も志ん生の言葉の前に、勘違いをしてしまう。
そこへテレジア院長(大空ゆうひ)が現れ、三人の修道女の勘違いと、それにワルノリする二人の落語家を叱責する。
「あなた方はいったい何者ですか」と聞かれ、二人は、噺家について説明する。
ここは、大森博史の面目躍如のシーンだ。
「生きている者はいつも涙を流しています。…生きると、つらいは、同じ意味なのです」と語り、笑いを「もともとこの世には備わっていないのですよ」と告げる院長に、円生は、「ところが、それをこしらえている者がいるんですよ。この世にないならつくりましょう、あたしたちは人間だぞという証にね。その仕事をしているのが、じつは、あたしたちはなし家なんです」と教える。
そうすることで、「貧乏を笑いのめしてステキな貧乏に変えちまう」のだ、と言ってのける。
そして、笑いに疎い4人に、小咄をいくつか話してみせる志ん生。最初は、笑いが出るまで時間がかかった4人だが、だんだんどっかんどっかん笑いが出てくる。
そして、円生がプレゼントした、あの「小さん全集」を院長が読み、みんなで爆笑している。
最後に院長は、宣言する。
「炊き出しは続けましょう。難民の方が最後の一人になるまで、ステキな苦労をしてみましょうね」


もう、ここで、ぶわっと、泣く。
大連は、ソ連に掌握されている。現在のロシアと違って、当時のソ連では「宗教は麻薬」と言っていた。
このカトリック修道院の本部はアメリカにあるらしい。そのアメリカの総本部は、それゆえにこれ以上の布教活動は不可能とみて、来週、アメリカ軍の潜水艦が大連港に入港を許されたので、それに乗って引き上げるように、との命令を出していた。
修道院の炊き出しがなければ飢えてしまう人がたくさんいるという状況と、修道女は従順の誓いを立てているので、上には逆らえないという自分たちの事情の板挟みになっている彼女たち。
でも、本当は、危険でも、上に逆らうことになっても、炊き出しをやめたくない、という思いが強い。
円生と志ん生が教えた「笑い」が、彼女たちの背中を押す。
そして、笑いの力にあらためて気づいた円生と志ん生…


こうして、昭和22年1月、志ん生が引き揚げ船に乗るところで物語は終わる。(円生は、事実婚のお相手を説得しきれなかったのか、今回の乗船は見送ることになった。)
4人の女優は、ここで引揚者に扮して登場し、カーテンコールも、そのモンペ姿だった。


ゆうひさんは、修道院の院長のテレジアさん。
杖をついていたし、動きやらなんやら考えると60代半ばくらいなのかな。もっと年上かもしれない。
(今回、20代、30代、40代、50代、60代のそれぞれの女性を演じ分けていたということになる。)
2014年の「La Vie」以来、おばあちゃん役というのは、ゆうひさんの貴重な抽斗のひとつになっているが、さらに洗練され、おばあちゃんというだけでなく、それぞれのキャラとして演じていて、違和感がない。
3人のシスターは、この場面、とにかく楽しんで演じていて、こちらも楽しくてしょうがなかった。
そして、院長先生の言葉で、胸アツになるのよね…
二人の噺家によって背中を押された心優しい院長先生と3人のシスターが、最後の一人まで炊き出しを続け、ちゃんと帰国できていますように…と祈りつつ、「円生と志ん生」の感想を終わりたいと思う。


性格も噺も全然違う二人の巨匠の、もう決して若いとは言えない時の経験が、二人の芸の円熟に大きな影響を与えたのだな~と思うと、人間、一生、勉強なのね…とあらためて感じるし、二人の俳優さんの優しさ、温かさを強く感じる公演でもありました。


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