宍道湖と松江 [┣行ってきました!(旅・花・名所・展覧会)]
祐飛さんの現役時代も全国ツアーをいろんな場所で観劇した。しかし、宝塚の全国ツアーは、現地で1日2公演なので、全国どこへ行っても観光する時間がない。今は、乗り打ち興行だと、夜1回公演が多いので、昼は観光に回すことができる。そんなわけで、祐飛さんが女優に転身してから、けっこう色々な土地を回っている。
今回は、まず、新幹線で岡山まで行き、特急「やくも」に乗車しましたよ~旅のお供は、岡山名物栗おこわ弁当です
おいしかった~大満足でした
しかし、外は…雪が深い…
この「やくも」で山陽の岡山から、山陰の松江まで、中国地方を横断するため、中国山地を越える必要がある。
途中の「備中高梁」駅は、かの備中松山城の最寄り駅。前回、祐飛さんの「HEADS UP!」倉敷公演の際、ついでに訪れる城の候補に、この備中松山城も入っていた。
結局、鬼ノ城を選んだのだが、実際に眺めてみると、備中松山城は、なかなか大変そう。タクシーで鬼ノ城に行ってよかったのかも…。
しかし、日曜の大雪はいつ止むともわからない感じだったが、この日はもう、そんなに心配はいらない感じ。観光のため、早めの松江到着を見込んでいた私としては、ホッとして、車中の旅を楽しむことができた。
松江の天気もまあまあ
ホテルに荷物を預けると、今回の目的地である松江城へのルートを確認した。
バスでも行けるが、徒歩でも20分ほどらしい。身軽だし…と、徒歩を選択した。
松江駅から松江城に行くには、大橋川を渡る必要がある。
何本か橋が架かっているのだが、せっかくなので、一番宍道湖寄りの“宍道湖大橋”をチョイス。ひたすら、宍道湖に向かって歩いてみる。
ちょうど突き当りに公園を発見。白潟公園というそうです。
こちらの写真は、公園から臨んだ宍道湖の風景。
公園は、松の遊歩道が整備されていたり、和風な景色も楽しめる。
この場所は、広い宍道湖の東端で、松江市内を流れる大橋川と繋がっている。
会社の友人が、ちょっと前に宍道湖に行って美しい夕陽を見た、と教えてくれたが、雨女の私なので無理…というか、観光スケジュール的に、ここで夕陽を待ってはいられない。
全然沈む気配のない太陽の写真でお茶を濁すことにしたい。ちなみに、こちらの写真は、宍道湖大橋を渡る途中で撮影したもの。
このまま、ここで粘っていても、位置的に湖に沈む夕陽という風にはならないかも…ですね。
対岸の陸に沈みそう…
宍道湖の美しい風景を胸に刻みつけ、大橋川を渡り切ると、松江城はこちらみたいな、案内看板がここまで来れば、もうすぐのようです。
方向を確認しながら歩いていると、やがて…見えてきました
国宝・松江城
これは、なんと、見事な
松江城の手前側には、島根県庁。その域内に、松平直政公の像がある。
松平公は、かの大阪冬の陣が初陣、しかも、真田丸で戦ったとのこと。
また、大坂夏の陣では、松平忠直に従い、忠直軍が、真田信繫など多くの首を挙げるのに貢献した。
戦功により、大名となり、その後、いくつかの藩を転々とした後、松本城主(ここも祐飛さんの公演で行った)を経て、寛永15(1638)年に松江藩へ。
藩主としては、キリシタンの弾圧が厳しかったらしい。まあ、徳川親藩だしね…
この県庁の向かい側にあるのが、島根県民会館。
そう、「磁場」の公演地。なんだかお役所っぽい外観だけど、裏側のホールは、とてもステキな会場でした。
正面の掲示板に、「磁場」のポスターが貼ってある。(黒いポスターです)
直政公の銅像も、県民会館も、まだ残雪が残ってましたね。
歩いている私は、暖かいので、“風情があるわ~”みたいな気分でした
こちらの写真は、松江城を建造した堀尾吉晴公。
福岡城の黒田官兵衛こと黒田孝高と同じく、城は建てたものの藩主にはなっていない。ただ、息子の忠氏も早世し、孫の忠晴も子孫を残さずに亡くなったため、松江城には、京極忠高が改易によって城主となった。
妻は、浅井三姉妹の次女・初。
でも、忠高も子がなくて死去したため、松平直政が入城し、そのまま、明治維新まで松平家がこの城を治めた。
改易の少ない城の特徴で、天守閣の中には、たくさんの史料が残されていて、ワクテカさらに、お堀巡りの舟にも乗り、ギリギリで松江歴史館にも潜り込み…と、松江を大満喫したのでした
地元のお店で食事をして、公演も満喫し、帰り道は、ちょっと浮足立ちつつ、松江大橋を渡って駅まで戻り、長い一日を終えた。
ちなみに、その時、たまたまテレビをつけたらやっていて、一目でハマってしまったドラマが「カルテット」。
このドラマが続く限り、松江の楽しかった時間が蘇るような気がしている。
お城の内部については、別記事で。
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