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「子どもたちは未来のように笑う」観劇 [┣演劇]

「子どもたちは未来のように笑う」

作・演出:宮沢章夫(遊園地再生事業団)

音楽:杉本佳一
舞台美術:濱崎賢二
照明:富山貴之
照明オペ:山岡茉友子
音響:泉田雄太
衣裳:正金彩
衣裳アシスタント:井上茉南
舞台監督:中西隆雄、吉成生子
宣伝美術:相馬称
絵:はっとりさちえ
演出助手:山本健介
制作:赤刎千久子、有上麻衣

協力:文化服装学院スタイリストコース

芸術総監督:平田オリザ
技術協力:鈴木健介(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)

企画制作:遊園地再生事業団/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場

劇作家・演出家にして、サブカルチャー界の伝道師、宮沢章夫氏の新作。朗読のワークショップから始まって、舞台化された。

宮沢氏のことは、とあるワークショップ(?)を受けて突如気になり、ずっと舞台を観たかったのだが、なかなかチャンスがなくて。脚本だけを手掛けた「ひょっこりひょうたん島」は、WOWOWの舞台中継を見たのだが、宮沢の脚本(山本健介との共同脚本)と、串田和美の演出が、私には噛み合っているように思えず、やはり、宮沢脚本・演出の舞台を観たいと熱望していた。

で、大満足[exclamation×2]

まず、舞台セットがすごい。
八角形の鳥かごの中で、芝居が進行する。これは、結界なのか、夢殿なのか。
網部分は、役者の顔に当たる部分は、網目が特大になっていて、それ以外のところも、大きめなので、視界が遮られることはない。むしろ、八角形を形成している柱の方がネックかな。

まず、ひとりの男(上村聡)が踊るようにしてセットの中に入ってくる。その踊るような様を眺めている間、客入れが粛々と行われているのが、かなりシュールな光景だ。最後は、階段部分をつぶして客を入れるので、一人ずつの案内になる。それで、時間がかかるのだ。初日付近の、超満席じゃなかった頃は、このシュールさは、なかったのかな。全員が息をつめて、この踊りのようなものを見ていたのだろうか。

で、登場人物は、踊りながらセットに入ってくる。とりあえず。
そして、いきなり、なんと、セックスシーンから始まる。出演者は、服を着たままなので、エロティックというよりは、微妙に面白い。そういう時に口走る言葉って、冷静に考えると意味不明で面白い。「終電で帰って」とか「タクシーで帰って」と言っている間に再び始まってしまうと、行為の間なのに、ずっと「終電」とか「タクシー」と言っていたり…いかにもありそうな感じがいい。
女優さんの方が、超ベテランの松田弘子というのも、安心材料だったかも。妙齢の女子だと、やっぱり、いくら服を着ていても、正視できなかったかも。
で、その時、15分だけ、この世界中で、たった1組しかセックスをしていない時間があった。そんな奇跡の時間、女は妊娠する。で、生まれた子供が涼子(藤松祥子)。それから20年して男は死んだ。49歳だった。死んだから、ナレーションをしている。死んだから、奇跡の瞬間があったことを、奇跡の子供が生まれたことを知っている。
涼子は成人し、結婚し、妊娠する。妊娠中に羊水検査をしたら、染色体異常がわかった。悩んだ末、涼子は出産を決意する。
冒頭のシーンが、おそらく、時系列的には一番後になると思われるが、この芝居がワークインプログレスという、ワークショップ状態だった時からこの設定はあったという。ハッキリと言葉で表現されていないが、ダウン症の子ども…母親の涼子は、明るく振る舞っているが、友人の優奈(鄭亜美)が、「あなたが生きていると周囲が迷惑する」と言って、こっそり首を絞めようとする場面には戦慄した。
現実は、演劇の何倍も恐ろしい。(芝居は、ちゃんと母親が帰ってきて、この場面は終結する)

その前後、左右、あっちこっちの物語が交錯し、そこに、既存の本や雑誌の朗読シーンが加わる。
雑誌に掲載された山口智子のインタビュー記事が、「ことば」として耳から聞くと、読むよりさらに衝撃的だった。


私は特殊な育ち方をしているので、血の結びつきを全く信用していない。私はずっと、『親』というものになりたくないと思って育ちました。私は、『子供のいる人生』とは違う人生を歩みたいなと。だからこそ、血の繋がりはなくとも、伴侶という人生のパートナーを強く求めていました。

その他、佐野洋子の赤裸々な出産体験をつづった小説とか、チェーホフの「かもめ」もニーナを“子どもを産んで、失った女性”という視点で取り上げる。エッセイ、小説、戯曲…ありとあらゆる媒体の「妊娠・出産」を次々と抜き出して提示していく。
ニーナ役を三人の女優(長野海・黒木絵美花・大場みなみ)が割台詞のように演じるのは、とても画期的だった。彼女の中の、何かに引き裂かれた部分は、ひとりの女優が演じるより、言葉が伝わる[exclamation]でも、これ、普通の「かもめ」の舞台に三人のニーナが出てきたら、真剣な芝居に見えないから、こういう形で実験するのって、とてもいいアイデアだな、と思った。
そして、そんな「妊娠・出産」の洪水の中、いきなり、「ぼくらが非情の大河をくだる時」の一節が登場し、小寺悠介大村わたるが、客席の階段を昇って、一度外に出ていく場面を作ったのは、先日亡くなった蜷川幸雄氏への追悼だったのだろうか。しかも、プログラムにだけ記載されている小寺の役名が“石江”で、大村の役名が“蟹橋”…これは、初演で兄弟を演じた石橋蓮司と蟹江敬三を思い起こさせる。蜷川さんへのオマージュだよね[exclamation&question]
二人が出て行った先には、新宿の街があったはずだ…と思いつつ、実は、駒場なんだけどね。
(宮沢さんの講座(Eテレのサブカルチャー講座含む)を受講していれば、かなりの確率で「ぼくらが非情の大河をくだる時」の話は出てくる。ここで「[ひらめき]」と思えることは、宮沢ファンの基本ですが。)

三人のニーナは、「三人の佐季」にもなる。佐季は、イタリアンレストラン(先ほど石江と蟹橋が空腹を抱えてやってきたレストラン)の従業員。時々客にブチ切れる。
彼女は、子供がほしいのに、授からない。それで情緒不安定になっている。
店にはいろいろな客が訪れる。
明らかに研究生を狙っている演劇学校の講師(大村)とか。「君、胸大きいね」ばっかり言っていて、アホちゃうか、と思わせる雰囲気がGJだった。
そういう客にキレて、客にケンカを売るホールってどうなんや[exclamation&question]と思うけど、妊娠できないプレッシャーって、全世界にケンカ売りたいくらいのものなのかな、と感じた。それを三人が畳みかけるように言うのだから…[あせあせ(飛び散る汗)]
一方、その職場でホールとして働いている岡崎麻由()は、三人の佐季の前で、「アタシ、今、妊娠した」と呟く。ちなみにカレシとは半年前に別れたそうで…これで妊娠してたらSFなのだが、その数か月後、三人の男(妻が妊娠していて定期健診にやってきたのを待っている、という設定で、いかにも素人っぽい発言で笑わせる)が話しているところに、本当に大きなお腹で現れる、という不条理な展開もあったりする。

そして、この佐季(ここでは一人)が、家族で食事に来て、そこで羊水検査の結果について告白する涼子に対して、「そんな子は産むべきじゃない」と言い出し、売り言葉に買い言葉で、涼子は絶対に産む[exclamation]と宣言する。
世界で15分だけ、の奇跡の子ども、涼子は、こうして母親になった。奇跡の子どもの母親に…

もっと、今の日本で子どもを持つことは…とか、そういう難しいテーマかと思っていたが、短いスケッチの連続によって、「妊娠・出産」にまつわる人々の心の機微をたくさん見せてもらい、大満足。1時間半くらいの舞台だったが、仕掛けがいっぱいで、面白かった。
やっぱり、宮沢演出のミザンスはすごいな…[黒ハート]

“今日は何の日”
【9月21日】
銀座・三越呉服店で、日本初のファッションショー開催(1927=昭和2年)。

モン・パリ誕生の年には、やはり、モダンな試みがされているのですね。

416年前のこの日、潜伏中だった石田三成が、ついに捕縛されたとのこと。(旧暦)


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