小峰城 [┣百名城]
白河にある小峰城を訪れました。
新幹線を新白河駅で降り、白河駅までは一駅だから…と、余裕でトイレに寄ったりなんかしてみたところ…
ちょっと待て~
これですよ、この電車間隔…
次の電車を待つ間、貨物列車が3台通り過ぎました
「東北本線」という、メジャーな名前に騙されました…
なにごとも東京の感覚で臨むと、思わぬ落とし穴にはまる…ということですね。
あとで調べたら、どうやら、新幹線の到着時刻とうまく連動するようになっているようです。トイレに10分もかからなければ、気持ちよく乗り継げたんですね。
ぼけーっと待つこと50分、ようやく到着した東北本線に乘り、またまたビックリ
無人駅では、電車がバス化している
東北本線の電車は2両編成なのですが、新白河駅や白河駅のような有人駅では、すべてのドアが開くものの、無人駅では、1両目のドアしか開かないのです
乗車する人は整理券を取り、降車する人は運転手さんに料金を支払う
カルチャーショック
白河駅のホームから、小峰城の三重櫓が見えます。これは、徒歩で行けそう
実際、iPhoneのグーグルマップ様のお世話になることなく、案内看板に従うだけで、無事にお城に到着しました
線路の下をくぐるトンネルが遊歩道になっていて、そこに白河の案内が載っていました。時間がなくてお城しか行けない感じでしたが、白河には史跡がたくさんあるんですね。「奥の細道」にも登場しますもんね。
歩くこと、5分程度でお城に到着。
石垣の改修工事が行われている、ということは、百名城のスタンプ帖にも書かれていたのですが…
絶賛工事中でした
生憎の小雨模様のお天気の中、クレーンの音が響きます。
修復にあたられている作業員の皆様、本当にありがとうございます全面修復のあかつきには、もういちど訪れたいと思います
この小峰城、東日本大震災で石垣が崩れ、修復が終わるのは2019年なのだそうです。
この景色を見て、そっか、そんなに大変なことなのか…と、あらためて、ことの大きさに胸が痛み、同時に、熊本城のことが頭をよぎる…
修復にあたられている方々に、深く感謝します
三重櫓には登れるとのことだったので、行ってきました。
再建なのに木造というのは珍しいんだとか。
中はすごく狭くて、一応、見張りや防戦ができるっちゃーできるような設備はあったものの、ここで戦争やれるとはとても思えない。
とはいえ、富士見櫓みたいな、城主が楽しむ空間という雰囲気もない。
櫓といっても、三重櫓になると天守代用として使われることもあり、各藩が勝手に城を作ったり改築できなくなって以降は、三重櫓を作るという申請をして、ほぼほぼ天守を作っている藩があったり…と、その辺、けっこうグレー。
小峰城は、明確に隅櫓としての三重櫓が本丸を守るように建っていて、江戸時代に改築された城だな~という感想をもった。(幕命による改築なので、この改築については、幕府のお墨付き。)
このお城の櫓と本丸の配置、本丸跡に立った時に、法隆寺の五重塔と金堂の並列配置を見たのと同じような衝撃を受けた。
斬新だけど、めっちゃ、座りがいい
三重櫓から前御門、多門櫓…と繋がって、その内側に本丸がある。本当にこぢんまりとしたお城。こちらは多門櫓のあった場所だとか。
小雨も降って寒い訪問だったけど、行けてよかったです
小峰城は、もとは南北朝時代に最初の築城があったとされる場所。戦国時代には、白河結城氏、蒲生氏、上杉氏を経て、丹羽長重が改築してからは、丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏…とあるじが変わった。
でも、もっとも有名な城主は、松平定信だろうと思う。そう、老中となり、寛政の改革を行った、あの松平定信
松平定信は、領民を大切にした藩主だったそうで、誰もが景観を楽しめる「南湖」という庭園を造営した。
誰もが楽しめるという意味で『士民共楽』、武士も民衆も共に楽しむという言葉を使ったとのこと。
しつこいけど、この言葉を見つけた時、「士民平等」じゃなくて「四民平等」と言った以上、「士農工商」を教えないのは、歴史の改ざんだよね、と改めて思った。
遊歩道に繋がる駅前のプロムナード。素敵なデザインだな~と思いました。
そして、駅前には、美しい秋バラが咲いていました。
“今日は何の日”
【9月19日】
平民苗字許可令により、平民の苗字使用が許可される(1870=明治3年)。(←旧暦。新暦では、10月13日となる。)
いきなり許可されたって、必要のない苗字をつけることは浸透しなかったらしく、5年後、苗字必称義務令が発布されたとのことです。
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