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ミュージカル「グランドホテル」観劇(GreenVer.) [┣ミュージカル・音楽劇]

ミュージカル
「グランドホテル」

脚本:ルーサー・デイヴィス
作詞・作曲:ロバート・ライト&ジョージ・フォレスト
追加作詞・作曲:モーリー・イェストン
演出:トム・サザーランド
振付:リー・プラウド
音楽監督:マイケル・ブラッドリー

翻訳・訳詞:市川洋二郎
美術:大橋泰弘
照明:勝柴次朗
音響:山本浩一
衣装:前田文子
ヘアメイク:鎌田直樹
演出助手:河合範子
舞台監督:北條孝、中西輝彦

1993年に宝塚版を観劇して以来の「グランドホテル」。
今回の「グランドホテル」は演出家の意向により、GREENとREDという2パターンの公演が行われている。なにしろ、主な出演者は、ホテルスタッフのエリック(藤岡正明)以外全員Wキャスト。これは両方観なければ…[exclamation×2]
まずは、宝塚OGがメインキャストを務めるGreenVer.から観劇。

演出は、「タイタニック」新演出版を成功させたトム・サザーランド。そして、装置は、宝塚のベテラン装置家、大橋泰弘。
最初に度胆を抜かれたのは、装置の素晴らしさだった[黒ハート]
以前観劇した宝塚版は、とてもシンプルだった記憶がある。回転扉だけがポーンと存在する、みたいな…。(でも、宝塚版の装置も、大橋泰弘。すごいな、自分の業績に固執しない柔軟な脳みそ[ぴかぴか(新しい)]
今回は、実は、センターに回転扉はない[exclamation×2]「グランドホテルなのに回転扉がない」代わりに、装置が回転する[どんっ(衝撃)]とにかく、やたらゴージャスなのだ。その上、フロントのテーブルを出演者が動かしまくる[exclamation]やたら、装置が動き回るのが面白い[ひらめき]
惜しむらくは…
これらの楽しい演出が、メインのストーリーの邪魔になっていたことだった…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
(気になるんだよね…)

物語は1928年のベルリンを舞台に、そこで一番豪華なホテル、「グランドホテル」でのわずか2日間の出来事を、ここに宿泊している様々な人物を通して描く…という、いわゆる「グランドホテル形式」のミュージカル。(この手のドラマの嚆矢が、映画「グランドホテル」だったため。そしてもちろん、この映画が、このミュージカルの原作である。)

このホテルに長逗留している老医師、オッテンシュラッグ(光枝明彦)が、訪れる人々を皮肉な目で眺めている。でも、この医者も自分にヘロインを注射してるようで、ちょっとヤバい感じの医者。(第一次世界大戦のガス攻撃の苦しみを逃れるためらしい)
宿泊客はそれぞれ、問題を抱えているが、それでもグランドホテルにとっては、「客層」の枠内に入っている。
そんな中に、突然、異邦人が訪れる。
庶民の、しかもユダヤ人の、オットー・クリンゲライン(中川晃教)。彼は、心臓に重大な問題を抱え、「人生を知る」ためにこのホテルにやってきた。全財産を現金に換えて。しかし、お金があって予約をしただけでは泊まれないのがグランドホテル。しょっぱなから苦境に陥ったオットーを助けてやるのが、ホテル住まいの貴族、フェリックス・フォン・ガイゲルン男爵(宮原浩暢)。貴族とはいえ、金に困って宿泊費は7ヶ月滞納、ヤバい方面からお金を借りていて、ホテル内でコソ泥を働いている。が、男爵のおかげで宿泊できることになったオットーは、感謝でいっぱいになる。
8回目の引退興行中のバレリーナ、グルシンスカヤ(安寿ミラ)は、バレエへの情熱も、自分の踊りへの自信も失っている。付き人のラファエラ(樹里咲穂)や、興行主(金すんら)、マネージャー(杉尾真)が何を言ってもムダ。もう本番には出ないとゴネている。
タイピストのフリーダ・フレム(昆夏美)は、ハリウッドに憧れる軽薄な若い女性。自らを「フレムシェン」(可愛いフレム)という名で売り出そうなどと妄想している。でも、どうやら妊娠したらしい。
実業家のヘルマン・プライジング(戸井勝海)は、会社の業績が伸びず、株主からの攻撃にさらされている。

こんな人々が一堂に会することで事件が起きる。

男爵は、高価な宝石を所有するグルシンスカヤの部屋にコソ泥に入るが、彼女はアンコールがかからず早めに戻ってきてしまい、鉢合わせ。咄嗟にグルシンスカヤへの愛を口にしたところ、なんだかんだで彼女の心をゲットしてしまう。
プライジングは、株主に対して誠実であろうとするが、過去の実績より目先のことにしか興味のない株主たちへの怒りから、破談になった合併が「ある」と言ってしまう。追い詰められたプライジングは、愛妻家の仮面を捨て、雇ったタイピストのフレムシェンと愛人契約を結ぼうとする。
ラファエラは、グルシンスカヤへの許されない恋慕を押し隠せなくなっている。
オットーは、男爵のすすめにより、初めて株に投資、一晩で大金を手に入れる。その財布を手に取る男爵だったが、お金がないと幸せに死ねないと言い張るオットーを前にして、それを奪うことができない。
こうして、今度は、プライジングの部屋にコソ泥に入った男爵だったが、フレムシェンがプライジングに乱暴されかかっているのを聞き、助けに入る。そして、拳銃を奪われ、殺害されてしまう…
そして、この二日間、エリックの妻は、分娩の苦しみの中にいるが、エリックは職場を放り出せない。

グランドホテルから人々がチェックアウトしていく。
グルシンスカヤは、駅で花束を抱えた男爵が待っていると信じて。ラファエラは、男爵が殺されてしまったことに口をつぐんで。
プライジングは、警察に拘束されて。
そして、オットーとフレムシェンは共にパリを目指す。オッテンシュラッグは、オットーに忠告するが、オットーはフレムシェンを信じている。そして彼女が妊娠していることに喜びを見出す。
エリックは、息子の誕生を知らされる。

人々が旅立った後も、グランドホテルは存在し続ける。中では、今日も、幾多の人生模様を繰り広げながら…
ってのが、作品の大きなテーマだと思っていたのだが…あれれれれ[exclamation&question]

突然、ヒットラーのあの特徴的な演説が流れる中、整列した宿泊客が、次々に従業員にボコられ、カバンを奪われ、積み上げられたカバンの上でエリックが赤ん坊をあやしている…というシュールな場面が展開する。
そして、ボコられながらも、宿泊客は、揃ってエリックを助け、赤ん坊とエリックが客席を抜けて旅立っていく。見守る宿泊客。ハイル・ヒットラーのポーズをとる従業員と運命のダンサー(湖月わたる)。

なんか、腑に落ちなかった。いろいろと…

たしかに、この日のグランドホテル宿泊者は、ヒットラーの気に入らない種類の人間が多い。
ユダヤ人、同性愛者、芸術家、アメリカ志向…
そういう人々は、これから10年もしないうちに、すべて駆逐される。
でも、舞台上の人々は…オットーとフレムシェンはパリへ出発するし、グルシンスカヤとラファエラもウィーンへ。彼らは、非常事態に陥ったドイツには戻ってこないだろう。プライジングは監獄に入ってるし。
つまり、この人たちそのものは、決してボコられない。つまりは、彼らは、何らかの象徴としてボコられているわけだが、役として最後のラインアップに出ているのに、最後になって「象徴と化す」のは、水を差された感じになる。

そういうことをすべてわかった上で、演出家が提示したこのエンディングを劇場が受け入れたということは、

暗い時代は、誰も気づかないうちに始まっている

という示唆を劇場側が観客に提示したかったってことかもしれない。

昨今の演劇界、ドラマの内容の枠を超えて、危機感を訴える芝居が多いな、と思う。
戦前のいびつな時代、作家や演劇関係の人間が多く投獄され、拷問を受けたということが、いまだに演劇界のトラウマなのかもしれない。そして、今の時代は、そんな時代に近づきつつある、と感じる人が多いのかも…。

私個人としては、政治的にリベラルでありたいと思うけれど、正直、舞台を観に行って、政治的な主張を滑り込ませられると、鼻白んでしまう。
もちろん、テーマが、もろにそれだったら、覚悟して観に行きますよ。小林多喜二のドラマとかね。
でも、「グランドホテル」を観に行ったんだもん、私は、最後まで1928年のベルリンを観たかったです。

出演者感想は、「REDVer.」の感想の方にアップしますね。

“今日は何の日”
【4月20日】
北条氏綱が河越城をめぐり、上杉・古河連合軍と戦い、勝利(1546=天文15年)。
(←旧暦。新暦では5月19日となる。)


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