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宝塚歌劇専科バウホール公演「第二章」観劇 [┣宝塚観劇]

バウ・コメディ
「第二章」
―CHAPTER TWO by Niel Simon-

原作:ニール・サイモン
脚色・演出:石田昌也
翻訳:福田陽一郎、青井陽治
作曲・編曲:青木朝子
振付:AYAKO
装置:國包洋子
衣装:加藤真美
照明:安藤俊雄
音響:加門清邦
小道具:伊集院撤哉
歌唱指導:楊淑美
演出助手:岡本寛子
舞台進行:荒金健二

ニール・サイモン×石田昌也シリーズ第二弾は、4人だけのストレート・プレイ、『第二章』
前回が8人の作品だったので、半減ですよ[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]
出演は、専科の轟悠英真なおき、そして、星組の夢咲ねね早乙女わかば。この4人、英真が68期、が71期、夢咲が89期、そして早乙女が94期…と、まるで4つの年代を代表しているかのよう。
しかし、作品上では、が42歳の作家、英真がその弟で40歳の演劇評論家、そして夢咲が32歳の女優、早乙女は年齢がわからないが、英真演じるレオとハイスクールの同窓生であったという設定から、おそらく、夢咲より少々年上の女優という感じ(37歳位?)だろうか。

ストーリーは、妻と死別した主人公が、夫と離婚したばかりのヒロインと出会って恋に落ち、あっという間に再婚したものの、妻の死を完全に受け入れていない状態での再婚は、彼の心を苛むようになり、そんな主人公が、本当の意味で人生の第二章を切り開いていくといったもの。
ニール・サイモンならではの、ある、ある物語に感動しつつ、夫と離婚した32歳というワードが脳裏にひっかかる。
1980年放映のテレビドラマ『離婚ともだち』で、ヒロインの大原麗子が“32歳の離婚した女が…”という台詞を何度も言っていたハズ…。昔すぎて記憶が定かではないが…と、ネットで検索をしてみると、なんと、脚本は福田陽一郎。
『第二章』が書かれたのは1977年とのことなので、福田さんは、かなり早い時期にこれを観て、感銘を受けたんだろうなぁ。そして、インスパイアされてまったく別の物語を書いたんだなーと納得した。(覚えている自分にも驚いたけど…[あせあせ(飛び散る汗)]
その福田陽一郎と、青井陽治の翻訳に基づき(それぞれの訳本を使って…ということだろう)、石田先生が脚色として、かなりのメスを入れたと思われる宝塚版『第二章』、4人の出演者が、真摯に向き合って素晴らしい舞台を作っていた。
なによりすごいと思ったのは、外部の舞台劇なら当然のことだが、宝塚において26年の学年差をものともせず、4人の役者が対等に同世代人として芝居をしている、ということだ。
この作品は、4人の登場人物の出演シーンにそれほどの差がない。ベテランの英真も、新公学年の早乙女も、同じ重さでステージに立って、しかも、この二人は、恋愛をしちゃうのだ。
さすが、轟悠×石田昌也第二弾[exclamation×2]第一弾にも劣らぬ強烈さである。

セットは、下手の段上がりの部分にジェニファー(夢咲)の部屋を作り、その手前側にカーテン(本棚の絵が書かれている)を下ろすとジョージ()の部屋の全景となり、カーテンが上がり、上手のジョージの部屋を暗くするとジェニファーの部屋となり、カーテンを上げ、すべてに照明が入っていると、両方の部屋の状況が同時に見られるという作りになっている。
つまり、舞台転換のないステージだが、ちゃんと<場>はある。
そして、役者が引っ込む場所もいくつか作られている。
ジョージの部屋の入り口(舞台後ろ)、別の部屋のドア(上手)、階段を上がって二階の寝室のドア、ジェニファーの部屋の入り口(舞台後ろ)、キッチン・寝室に向かう通路…
ジョージの部屋は、脂の乗った時期の作家らしく、茶色っぽい落ち着いた色合いの一軒家。やもめっぽい散らかりっぷり。一方、ジェニファーの方は、コンシェルジュのいる高級マンションの一室。こちらは生活感に乏しく、白を基調としたシンプルで清潔な部屋。
時代は70年代、場所はアメリカ、ニューヨーク。
妻のバーバラを病気で亡くした作家のジョージ・シュナイダー(轟悠)が、ヨーロッパ旅行から帰って来た。気分転換のはずの旅行は、ろくでもないことの連続で、ジョージは鬱々とした気持ちが増しただけだった。弟のレオ(英真なおき)は、そんな兄に早く元気になってもらいたい、と真剣に願っている。
一方、同じニューヨークの高層マンションには、離婚したばかりの女優、ジェニファー(夢咲ねね)が、親友の女優、フェイ(早乙女わかば)に結婚生活の愚痴を言っていた。
コラーゲンだのヒアルロン酸だのという台詞は、もちろん、石田先生が付け加えたものだろう。
“じぇじぇ!”はいわずもがな。
それからしばらくして。
レオはジョージのために新しいガールフレンドを紹介しようとする。が、ジョージは、まだバーバラを忘れられない…と、消極的だった。また、無理やり会わせた女性たちも、ジョージのタイプではない“肉食系”の女子ばかりだった。
フェイもまた、ジェニファーのために、新しい恋の相手を探していたが、これもまた、プロテイン好きなマッチョなど、とてもジェニファーのタイプではない男ばかりだった。
そして、ジョージは、レオが書き残していったジェニファーの電話番号を、80代の図書館員の女性のものと勘違いし(悲しいかな、老眼鏡をかけていなかったのだ!)、電話を架けてしまう。そして、そのそっけない態度に、興味を惹かれ、デートの約束をしてしまう。
女性と付き合う気などまったくなかったのに、相手に誤解されてしまったことに、ちょっとだけプライドが傷ついて、深追いしてしまう…そのいきさつが、あるある!という感じで、一気に芝居の世界に入り込んだ。
こうしてデートにこぎつけた二人は、あっという間に結婚を意識するようになる。
酔ったジョージを介抱しようとして、ジェニファーは、ズボンのベルトを外し、ジッパーにも手を掛ける。
トップ娘役に何やらせるねん[がく~(落胆した顔)]という場面だが、轟と夢咲は、こんなシーンも軽く乗り越える。そして、二人が、二階の寝室に向かって階段を上っていくだけの場面の方が、ずっと色気がある。
ちょっと危ない場面があっても、それが下品に落ちないのは、出演者の技量
なのだろう。

また、石田先生オリジナルネタが集中的に投下されるシーンもある。
レオが妻に離婚を切り出されているという話のところで、夕方には家に帰ってほしいといわれるが、演劇は8時に幕が開く。午前中から[るんるん]バリハーイ[るんるん]なんてやってるところはない!とか…。
これは、英真が演じているからこそ、のネタ。
レオの娘が学芸会でピノキオのニシンの役を演じるという話では、ニシンとピノキオの役替り公演をやればいい!とか、転校する子のサヨナラ公演だとか。みどりのスモックを着てお花渡しがあって、親戚一同が出待ちする…的話を、ピアノ[るんるん]すみれの花咲く頃[るんるん]をBGMに展開する。
あ、徳光さんの司会で披露宴ってネタもあったっけ[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]
ヒロインの名前がジェニファーだからこそ、のギャグは、じぇじぇじぇ、ジェニファー[exclamation×2](‘jjj’)

ま、こんなおふざけ場面があっても、プロットはしっかりとしているから、揺るがない。
それはもう、さすがニール・サイモン先生というところだし、石田先生も基本のプロットが忘れられるほどのネタは投下しない。
また、妻に死に別れたジョージと、夫と離婚したジェニファーの、第二章へ向かう歩みのちょっとした差に、なるほど!と思う。
結婚生活に満足していたジョージは、相手の女性が気に入れば、一気に恋愛モードに入れる。が、結婚に失敗したジェニファーは、甘い恋愛が、幸せな結婚に繋がるとは、もう信じられない。
しかし、一度決意してしまえば、ジェニファーは、不幸だった結婚生活を忘れることができる。一方、ジョージは、幸せだったがゆえに、現実のジェニファーの前で、亡妻を思い出して悩むことにもなる。
そんなジョージの苦悩を見ながら、言いたいことをすべて吐露し、その上で寛容にもジョージを待っているジェニファーの強さ、孤独、家庭への憧れ…娘役としてギリギリの部分まで見せて演じる夢咲に、終盤、胸が熱くなった。
一方で、幸せな現状に飽き足らない、レオとフェイの乾いた欲望を演じる、英真早乙女は、宝塚をぶっちぎる大胆な演じっぷり。そんな二人のラストは、一線を越えずに、元の配偶者のもとにもどる、という結末。70年代という時代の芝居だから…なのかもしれないが、宝塚の舞台としても、スッキリとした終わり方で安心できる。

ひとつだけ、残念に思ったのは、ジェニファーとフェイが女優という設定なだけに、同じ衣装が何度も登場するのはいただけない。ここは宝塚という枠(主役よりたくさん着替えてはいけない!)を超えて、全場面違う衣装で登場してほしいと思った。
出演者感想は、別記事で。


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