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「仮面のロマネスク」考 [┣公演内容の考察・検証]

1997年の初演当時は、全組観るライトファンで、当時なりのご贔屓は雪組ではなかったので、一度しか観ていない。ただ、トップ退団公演についてはビデオを購入することにしていたので、公演ビデオは何回か観ている。
という程度なのだが、これが意外にあちこち憶えていて、ストーリーもほぼ間違いなく記憶していて、名作というのは、そんな風に人の心に残るものなんだなーと、改めて感慨に耽った。
さて、祐飛さん。
貴重なトップとしての大劇場公演なので、積極的には希望したことはなかったが、「ベルサイユのばら」のアンドレと、「風と共に去りぬ」のレット・バトラーは似合うだろうな~と思っていたので、セリ上がって来た姿が、「ベルサイユのばら」アンドレ編のプロローグっぽくて感動!
これで十分です
[揺れるハート]

初演の高嶺ふぶき×花總まりコンビは、美貌のトップコンビで、この公演は高嶺のサヨナラ公演でもあったので、とにかく衣装が豪華だった記憶がある。そして、心の底では愛し合っている男女の心理戦が、王政復古という特殊な時代背景と相俟って、緊迫感をもって胸に迫って来た、という記憶がある。一方、新たに革命を起こそうとしているブルジョアジーや、貧しくも逞しい一般民衆の場面が、せっかくの恋愛劇をブツ切れにしていてもったいないなーという気持ちにもなった。
原作はフランス革命の時代なので、わざわざ時代背景を変更した王政復古時代の背景は、どこか唐突感があったのかもしれないし、当時の多彩な雪組メンバーを効果的に使うためのこの配役に無理を感じたためかもしれない。
この後、柴田先生は脚本に専念され、謝先生の演出による初期三部作「黒い瞳」「激情」「凱旋門」へと繋がっていく。

1789年の設定を1830年に40年ほど下げたことで、主人公たちを取り巻く環境が大きく変わった。同じ貴族社会を描きながら、登場人物たちの知的レベルが上がっている、というか、革命⇒帝政⇒王政復古(→帝政復活→すぐに王政に戻る)の流れと幾度となく繰り返される戦争によって、賢く時代を乗り越えようという気概が貴族たちにも生まれていたり、一種のニヒリズムが感じられたりする時代になった。何も知らないということは、少なくとも美徳ではない。
この変更は、宝塚で上演する上で、効果があったんだなーと、今回は素直に納得できた。
ヴァルモンのような、アウトロー的成り上がりは、平和な時代には異端児でしかない。「オーシャンズ11」なら、さしずめテリー・ベネディクト辺りの役どころだ。しかし、王政復古の時代であれば、零落した家門をその才覚で取り戻したことは美談になる。
そして、ヴァルモンが時代に殉じる決意をして宮殿に向かうのにも、説得力が生まれる。
この時代、それ以外の生き方も可能だった貴族社会において、頭のいいヴァルモンが敢えて、旧態依然とした貴族として生き抜いた落とし前をつけるというか…。
その覚悟があるから、遊蕩児ヴァルモンなのに主役たり得るんだな…と。

今回の宙組中日公演は、初演のアウトラインを守りながら、より緻密に精密に作りこまれたドラマになった。
それは植田景子先生の女性らしいきめ細やかさが感じられる演出もあるし、大空祐飛&野々すみ花率いる宙組らしいリアリティのある芝居に柴田先生が書き換えてくれたせいもある。
その分、初演時の“なんかわからないけど色っぽくて綺麗”みたいな部分は少し弱まったかも…。でも、ビジュアルではやっぱり初演の方が綺麗だったからしょうがないか。
その分、初演時、主演コンビが美貌の裏側に隠していたものが、この主演コンビは台詞の裏側から浸み出してくる。だからといって、語り過ぎであるとか、観客に推察の余地がないというわけでもない。秘密をさらけ出してなお、ちゃんと想像する余地のある二人の思いそこが、今回の芝居のポイントになっている。
特に舞台上に三人しか出ていないクライマックスの場面で、それを感じる。

ヴァルモン(大空祐飛)が条件をクリアしたというのに、メルトゥイユ(野々すみ花)は、ダンスニー(北翔海莉)を誘惑してしけこんでいる。そこにヴァルモンが乗り込んでいく。そして、さんざんメルトゥイユを罵倒した後で、隠れているダンスニーに声をかける。セシルのことはどうするのか、と。
それを聞いたダンスニーは、自分の中で本当に大切なことは何だったのかを悟り、メルトゥイユに必死で詫びる。
この必死さ=人間としてのリアリティが北翔海莉という役者の良さであり、問題点でもある。これまでは、このリアリティに問題があることも多かったのだが、今回は、このトリオの良さを景子先生が導いたのか、大空が誘導したのか、それとも奇跡的にか、この場面ではうまく効いている。
若い貴族の青年を誘惑してしけこんだつもりが、必死に詫びられる=遊ばれたことにされてしまった。しかも、セシルという自分が歯牙にもかけない小娘を、ダンスニーは一瞬にして選びとったのだ。それも、ヴァルモンの前で。この屈辱に対する腹立ちのあまり、メルトゥイユは、ヴァルモンが既にセシルを自分のものにしてしまったことを明かしてしまう。
それは、メルトゥイユやヴァルモンの世界ではタブー。ヴァルモンもまさか彼女がそんなことをするとは思わなかったし、メルトゥイユ自身も考え抜いて口にした言葉ではない。
それを聞いたダンスニーは、セシルのためにヴァルモンに決闘を申し込むのだが、その展開に一番驚くのが、当のメルトゥイユ自身というところがきちんと描けていた。
ヴァルモンもそこまで予想はしていなかったが、言われてみればしごくごもっともな展開なので、一瞬の後にはこれを受け入れる。しかし、メルトゥイユは、こんな結末を望んで、セシルのことを明かしたわけではないので混乱する。
そして混乱の中で、彼女は、自身の心と対話する。
決闘という緊急事態が、彼女の心をクリアにしてくれる。
この決闘で、どうしても生き抜いてほしいのはヴァルモンだということが、ハッキリとするからだ。
その葛藤は舞台では描かれていないが、十分想像できるだけの空間がそこに広がっている。

ここからラストシーンに向けて、一気に物語は悲劇へと進行していくが、史実では、この後、国王シャルル10世は国外へ逃亡、民衆の支持を受けたオルレアン公ルイ・フィリップが国王となる。(この人は、ベルばらに登場する、黒い騎士を匿っていたあのオルレアン公の息子)
貴族社会は、ブルジョアジー階級を味方に引き入れることで継続し、7月革命は収束する。そして、18年後、さらなる革命(2月革命)を迎えることになる。そして、ナポレオン三世による第二帝政へ。
フランスを中心とするここ200年に満たないヨーロッパの歴史を踏まえて観ると、宝塚の各作品は二倍楽しめること請け合いなのだが、そんな先のことは知らない革命前夜、別れを前に踊り続ける男女。
「もうしばらくで、僕もおいとまするよ」
だっけ、たしか、その台詞が退団ワードだった気がする。(当時は、かならず退団者ならではの台詞を劇中に言う、みたいな儀式があった。)
負けると分かっている戦いに赴く男と、永遠に祖国を離れることを決意している女。
男が死ねば、自分の心も死ぬだろうことを女は知っている。万一、生きて再び再会したとしても、もう同じ二人としては会えないだろう。今しかない二人の別れのダンスが砲火とどろく中、いつまでも続く。

素敵なラストシーンだなーと思いながら、負けると分かっている戦いに赴く男っていうところが、なんだかレット・バトラーみたい!と、再び夢が叶ってしまった夜野さん、もはや思い残すことはござらん[わーい(嬉しい顔)]でございます[黒ハート]

初演の良さとは別に、今の宙組として、今のトップコンビとして、十分納得性のある芝居を見せてもらったと思っている。
初演神と思う方もいらっしゃると思いますが、21世紀版の「仮面のロマネスク」、本当に面白くて、今の宙組にピッタリの作品でした。
もしかして、今までで一番テンション高いかもしれません、私。(笑)

★ミニメモ★
すみ花メルトゥイユの“才気煥発”な魅力がたまらない。
美貌で男性を惹きつけるというよりは、その才覚が男性を捕えて離さないのだろうと思える。
衣装も花ちゃんのとはだいぶ違っていたが、どれも超可愛いくて。そんなメルトゥイユが、ヴァルモンを愛しすぎて怖いとかいう深層心理を見え隠れさせているのが、本当に素敵です。


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くろたん

夜野様

ご無沙汰しております!!
思わず又出てまいりました~

まったく同意の夜野様のご意見でした。
最後まで 観続けるぞー!!
by くろたん (2012-02-07 11:55) 

夜野愉美

くろたんさま
コメントありがとうございます。
とてもテンション上がっている私です。
通いまくりたい…でも、週末しか行けない…と身もだえしております。
by 夜野愉美 (2012-02-07 23:13) 

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