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宝塚歌劇宙組東京特別公演「記者と皇帝」観劇 [┣宝塚観劇]

バウ・ポピュリスト・コメディ
「記者と皇帝」
 THE EMPEROR AND KING AND I

作・演出:大野拓史
作曲・編曲:高橋城、太田健、高橋恵
振付:伊賀裕子、玉野和紀
擬闘:清家三彦
装置:新宮有紀
衣装:河底美由紀
照明:氷谷信雄
音響:実吉英一
小道具:北垣綾
歌唱指導:矢部玲司
パペット製作:清水千華
演出助手:岡本寛子
舞台進行:宮脇学、荒金健二
舞台美術製作:(株)宝塚舞台
録音演奏:宝塚ニューサウンズ 

プログラムの演出家の言葉について、私はけっこう書いているような気がする。
作家は、作品が勝負であって、プログラムの作者言に何を書いたって、それが作品の評価を左右することはないし、第一プログラムを買わない客だって多い…ということは百も承知で、でも書かずにはいられない演出家の一言。
最近、その内容が痛々しいと感じるのは、私だけだろうか?
「記者と皇帝」は、“バウ・ポピュリスト・コメディ”とのこと。こういうのを“角書(つのがき)”と言うそうだ。宝塚では、角書は、書いたもん勝ちというか、“ミュージカル”と書いたからにはこうでなくちゃいけない、とか、“ミュージカル・プレイ”ならこうだ、とかいうのはない。かつて、“バウ・ライブ・アパシオナード”という意味不明の角書もあった。(さすが、後に“グラン・スカイ”とか書いちゃう多国籍作家!)
で、以前、“スクリューボール・コメディ”という素晴らしい分野を提唱してくれた大野先生なので、この“ポピュリスト・コメディ”にも大いに期待していたのだが、実は、“国民劇”という角書にしたかったらしい。
国民劇!
北翔海莉主演作にこれほど相応しい角書があるだろうか!
ちょっと昭和の香りがするけど、小林一三先生の思想に基づく由緒ある角書だ。
却下されたなんて、すごく残念!
一三先生に畏れ多いってことなのかなぁ?
外国の芝居なのに“国民劇”がおかしいというのなら、“国民劇”と書いた上に、“ポピュリスト・コメディ”とルビをふればいいのに。
と、今回も、演出家の言葉に反応してしまった。
ちなみに、この作品には英題が併記されていて、それは、「EMPEROR AND KING AND I」。もちろんこれは、「王様と私」(英題“King and I”)に掛けてある。ただ、ここでは、皇帝は「自称皇帝」であり、Kingは王様ではなく、主人公の姓だ。ちなみに、この主人公は、その名もアーサー・キング!(アーサー王)・ジュニアである。
という風に、ちょっと観る人の気持ちをくすぐるところが、大野先生らしいイタズラだ。観る前から、わくわくする。

舞台は19世紀後半のアメリカ西海岸。ゴールドラッシュが去った後のサンフランシスコ辺り…ということは、まさに私の大好きな漫画、「妙技の報酬」の時代。

妙技の報酬 (PFコミックス)

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  • 作者: 岡野 玲子
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2000/10
  • メディア: コミック


あー、祐飛さんとすみ花ちゃんで「妙技の報酬」が観たいなぁ~♪とか思いつつ、閑話休題。
途中、戦争はもう勝ったも同然だけど、北軍兵士を募集する、というシーンがあったので、1864-65年頃と推定される。
あの時代、サンフランシスコ辺りは、エスタブリッシュメントってのが確立していて、彼らが街を動かしていた。いわゆる街の名士。
そのチームのリーダーがブライアン・オニール(凪七瑠海)だ。彼らは、清掃局長のダリル・チェンバレン(風莉じん)を市長候補に推薦する。傀儡として。
というのは、最近移民が多すぎて、既得権を持つ彼らは、新興勢力には評判が悪い。市民派(非ブルジョワ)で、皇帝とも親しい、という点でダリルは利用価値があったわけだ。
アーサー(北翔海莉)も、本来なら、エスタブリッシュメント側。
しかし、親の決めたブライアンの妹、クリスティ(愛花ちさき)との結婚がイヤでヨーロッパ留学し、父の死で帰国したものの、やっぱり結婚はイヤだと逃げ出してしまう。
客席から登場したアーサーは、見事な金髪の美青年。髪形は、「Paradise Prince」のスチュアートみたいだった。えーと、眉毛がアンドレスでしたが、大丈夫ですか?金髪なんだから、ね、みっちゃん!
どういうわけか、彼はジャーナリストを志しており、親友のダグラス・リーヴ(蓮水ゆうや)に就職先を世話してもらう。
それが、サンフランシスコ・イブニング・ニューズ社で、皇帝(磯野千尋)の恋についての取材をして、いい記事を書いたら採用してもらえるという。皇帝というのは、浮浪者だったが、ある日、アメリカ合衆国皇帝にしてメキシコの庇護者であることに気づいてしまった男、ジョシュア・ノートン。ヨーロッパに留学していたアーサーは知らなかったが、今や、街のスターとなっている。
就職先を世話してもらったというのに、アーサーは、どこか、えらそう。
とりあえず、取材、ということで、パレス・ホテルに行く。ここで、噂のお相手、女優兼歌手のアデレイド・ニールスン(鈴奈沙也)を取材する。
ホテルに到着するなり、アーサーは、踊り子の一人にちょっかいを出す。それがロッタ(すみれ乃麗)。
アデレイドには、報道陣が群がるがビギナーズ・ラックというか、アデレイドの遊び心というか、アーサーが指名され、独占インタビューの権利を獲得する。一方、その頃、ロッタは、劇場の支配人ベンジャミン・ヘイワード(風羽玲亜)を振ったことから、スキャンダルをでっちあげられた上に、クビを言い渡されていた。
翌日、既に大記者気取りで新聞社に向かったアーサーは、そこで親友や、なぜか現れたロッタに向かって、気どり屋で嫌味な性格を存分に発揮する。が、記者に採用されたのは、ロッタだった。
彼女は、皇帝が女優に宛てたラブレターを手に入れていた。独占取材をしても、肝心な質問ははぐらかされていたアーサーの記事よりも、本物のラブレターの方が価値は高い。そう社主のマーク・スティーブンスン(十輝いりす)に言われて、これまで自慢たらたらだったアーサーは立場を失い、ロッタを逆恨みする。
が、もし、スクープを手に入れたら、記者にしてもいいと言われ、正式な社員記者となったロッタと取材競争を繰り広げる。
この時代、一番の新聞ダネは、皇帝を名乗るジョシュア・ノートンの一挙手一投足だった。

「ヘイズ・コード」もそうだったが、この作品も主人公が感じの悪い青年からスタートする。
この街の二大名士である、キング家とオニール家はライバルではあるが、仲は悪くないらしく、両家の婚姻は先代から計画されていたらしい。両家とも兄-妹という家なので、たとえば、ブライアンと、アーサーの妹のセーラが結婚しても悪くはないと思うのだが、なぜか、アーサーとクリスティーが結婚することがマスト要件になっている。
クリスティーは、婿候補の中で唯一イケメンのアーサーに固執している。これを逃したらバッドルッキングな男と結婚させられるからだろう。で、アーサーは逃げ回っている。なぜかはわからないが、たぶん、人に決められた人生がイヤ、とか、モラトリアムを満喫したい、とか、いつか出会える本当の恋人を信じている、とか、理由は色々あるだろうが、特に言及されていない。
が、男が女をストレートに拒絶するというのは、観客の大多数が女性である宝塚の世界では、観ていてあんまり気分の良いものではないと思う。なにしろ、父親が死んでから、この家は、年若い妹のセーラ(伶美うらら)が切り盛りしているのだ。普通だったら、少々の不満があっても、逃げていていい状況ではないだろう。
で、この感じが悪くて、お子ちゃまな主人公が、時を経て、明るく前向きな青年記者兼新聞社の社主代理に変貌する。皇帝の恋愛をめぐる一連の事件が、彼を成長させ、恋を成就させる。その辺りが、この芝居のポイントとなるのだろうが、残念ながら、ポイントの部分があまり見えなかった。
これは、どちらかというと、脚本よりは、主演者の仕事だと思うので、大野先生のコメディ」を楽しみにしてきた者としては、ちょっと残念な感じはする。
大野先生が、主演の北翔に「ヘイズ・コード」の安蘭けい並の期待をしたのだとすれば、歌劇誌で大野先生自身が語ったように、この人はあんまり北翔海莉を知らないんだな~と思う。北翔海莉がなんでもできるエンターテイナーだということは、いまさら証明して見せなくたって、みんなが知っている。そんな北翔に、今、求められているのは、エンターテイナーとしてのテクニックではなくて、1本の作品の主演者として、メインストーリーの芯を務め、ブレのない人間を表現し、そのことで観客の共感を得ることだ。これだけ盛り沢山の楽しい作品を与えられると、北翔という人は、“お客様を楽しませること”を第一義的に考えてしまう。それだと、“今までのみっちゃん”からの脱却ができない。
バウが成長の場というなら、今度こそ、そういう成長の見えるものを観たかった。


ところで、この作品は、モールス符号と、電信が大きなカギとなる。
靴音でモールスを打つ、というのは、つい最近上映された映画「相棒2」でも使用されていた。トンとツーの関係は、「相棒2」と同じく、トンが足踏み、ツーが床を滑らせる、だと思うが、タップの中に織り込まれるトンとツーは、明らかにツーが少ない。これ、本当にモールスになっているのか?
と、思い切り疑っている。いや、私には解読できないが。
それと、タップダンスが演目に加わったのは、ロッタ退職後というように見えたのだが。
ダンサーたちが、いつまでもカムバックしてこないと、新しい踊りについてこれなくなるわよ!と言ってタップを披露する場面があった。それに対抗して、アイルランド移民の子孫を甘く見ないで!と、リバーダンスを踊ってみせるロッタ。
この場面からは、ロッタがいる頃、彼女達は一緒にタップを踊ったことはなかったように見える。
だから、以前からタップでモールス符号を踏んでいたというのは、いささか矛盾しているようにも見えた。

そして、大野先生の一番悪いクセが今回も出てしまった。
時々、主役より、専科さんの方に比重が寄ってしまうことがあるのだ。
この物語で一番魅力的な人物は、どう考えても皇帝役の磯野千尋であり、次に魅力的な人物は市長選に担ぎ上げられる清掃局長の風莉じんだった。
アーサーと皇帝の間で、互いに影響を与えるやり取りがなかったのが、とても残念だった。

そういう作劇上の残念さはありつつも、最後の方の“愛の告白”連発は、スカッとしたし、新聞社存続のために、志を曲げてしまったマークの改心の場面が、爽やかな感動シーンになっていたのもよかった。
そして、磯野と風莉が留置所で昔語りをする場面…やっぱり、ここが一番じーんと来る。なんだかんだ言って、好きな場面だった。
そして、不思議な大女優アデレイドの皇帝に捧げる純愛も、とってもよかった。
大野先生のやさしさ満載の作品。国民劇として再構築しても面白いかも?と思っている。

出演者感想はまた後日。


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