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「Tamagoyaki」観劇 [┣Studio Life]

Studio Life若手公演「Tamagoyaki」を観劇。
場所は、恵比寿のエコー劇場。名前からしてそうかなーと思ったが、テアトル・エコーの本拠地らしい。
テアトル・エコーといえば、「ルパン三世」の山田康雄さんとか、熊倉一雄さんとか、今はミュージカルにも出ている安原義人さんとか、松金よね子さんとか、劇団の芝居は知らないが、声の世界でもおなじみの方々がいらした。
「カリキュラ・マシーン」だったかな、原始人が出てくるコントみたいなのを、この劇団メンバーがやっていたんじゃなかったかな?
…と、ちょっと子供時代に気持ちがワープしつつ、劇場へ。

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平成20年度文化庁芸術団体人材育成支援事業
次世代を担う演劇人育成公演(4)

「Tamagoyaki」

作・演出:倉田淳
照明:森田三郎、山崎佳代
音響:竹下亮(OFFICE my on)
美術・舞台監督・ムーブメント指導:倉本徹
衣裳:石飛幸治
振付:TAKASHI

本公演は、Studio Lifeの『若手公演』という位置づけである。
Studio Lifeにはもう一つ、『新人公演』という公演形態があって、昨年10月に「WHITE」という芝居を上演している。『若手公演』は、新人公演出演者プラス、もう少し先輩も出演しているという感じだ。そして、昨年の「決闘」同様、この公演も、文化庁の『次世代を担う演劇人育成公演』となっている。
育成公演は、育成対象者を文化庁に提出しなければならないのだが、今回の公演は、ジュニア8とジュニア9のメンバーを対象としているようだ。
とすれば、問題点がある。

この中で、主役の3人(時男・翔・蟻巣)を演じているのは、仲原一人だということだ。
昨年の「決闘」(ジュニア7とジュニア8が対象)の時は、対象者以外でメインキャストだったのは、青木だけだったので、そんなに違和感はなかったのだが。
本当は、子役をベテランで固めて、主役トリオをジュニア9にさせるくらいの公演をしてもいいのに!と思う。どうせ文化庁からお金をもらっているんだから。

新人公演の代表的演目となっている「WHITE」同様、この作品は、演じ手が、自分の過去と向き合い、演技とはなんだ?ということを真摯に考えられるような作りになっている。
演技とは、まず脚本を理解し、そこで浮かび上がった役の人物像を、過去の経験と想像力で構築していく作業である。新人は、脚本の理解力が低く、過去の経験が乏しく、そして役を構築する技術が低い
そのために、どこにでもいる現代の若者を主人公にして、彼らに少年時代に封印してしまった暗い出来事を追想させる物語を、「タイムマシンで過去に行って、過去の自分に出会う」という、これ以上ない分かり易さで、表現させる。
演技者は、そこで、登場人物のセリフや行動を通して、ACTとは、アクション(セリフも含めて)を起こす者と、受ける者が一体となった作業であることに気づく。セリフにしても動作にしても、自分が一方的に言ったりしたりするのではなくて、相手のセリフや動作を受け、その後、自分のセリフと動作に繋げていく。そういう当たり前のことに気付きやすい、教科書的な芝居だと思う。

だからこそ、育成対象者に大人になった時男・翔・蟻巣を演じてほしかったんだけどな。
奥田なんか、今さら、こんな役やらなくても、十分うまいの分かってるし。
もちろん、過去の3人、小学5年生の時男・翔・蟻巣を演じることも、ライフの役者としては、すごく大切なことなんだけど(子役多い劇団だし)、日本の次世代演劇人育成公演としては、若手に失敗してもいいから、大人の芝居をさせる機会にしてほしかった。
ま、そこはそれ、大人の事情なんだろうな。

新人公演で繰り返し演じられている「WHITE」と違って、この「Tamagoyaki」は、10年ぶりの再演となる。当時最下で出ていたのが、曽世海司だ。
初演は、1988年。当時は「ブーイングシティ改訂版」のタイトルで上演されていたとか。
1990年に、改題され、「Tamagoyaki」として、上演され、多摩パルテノン小劇場フェスティバルに参加、最優秀劇団賞を受賞。
そして、1995年の再演時に、この作品を関係者が観劇したことから、萩尾望都「トーマの心臓」上演へとつながったらしい。(まじかよ?)

これから先は、ネタバレになるので、「Time Ago Year Key」からお入りください。(タマゴヤキを英語風にした、劇団作成の言葉で意味はありません)

 

Wキャスト配役は、パックンチョ公演/おっとっと公演の順に記載。☆印は育成対象者

物語は、小学校からの腐れ縁トリオ、時男(奥田努/仲原裕之☆)、翔(小林浩司)、蟻巣(三上俊/青木隆敏)は、キャバレーで働いている。(←時代としては現代なんだから、キャバクラに変更しておけ、と思う)
店長(大沼亮吉)は暴力的で、店はぼったくりで、彼らは人生に疲れている。

さて、ここで、翔は「対人恐怖症」というキャラクターになっている。ところが、過去の翔は、全然人に臆するところがない。どこで、あんなに人が変わったんだ?
つか、普通、「対人恐怖症」なんていうキャラが出てきたら、それを劇中に利用しないか?
最初の場面だけ?もったいない。
ちなみに、蟻巣も、女にモテるちゃっかりキャラということになっていたが、それも過去の蟻巣に生かされない。小学5年生の3人は、3人なりにキャラ立てされているのだが、そこと現在の特徴がリンクされていない。それがもったいないと思う。

店のショータイムなのだろうか?女の子3人=アップルちゃん(仲原裕之☆/奥田努)、レモンちゃん(青木隆敏/三上俊)、パインちゃん(石井昭裕/原田洋二郎)と、サングラスの男たち10人位のダンスタイムがある。
曲は、「Funk-a-ねーちゃん」(米米クラブ)だった。すごい選曲…

蟻巣とWキャストになっている、レモンちゃん役の、青木と三上は、どちらも綺麗だった。(あとの二人は、アップルちゃんは、キャラクターとして成立していたが、パインちゃんは、恐ろしくて、あまり見たくなかった。

その暴力ぼったくりキャバレーに客として現れたのが、博士(藤原啓児)。彼はタイムマシンを開発しており、助手の稲葉君(下井顕太郎)が行方不明になって困っていた。

キャバレーのホール担当蟻巣は、三上がめちゃくちゃ上手い。絶対ああいう人、いる!と思える。場内アナウンスが実にうまい!ドンドコドン!という景気づけのセリフまで決まっている。バイトしてんのか?っていう位、すごかった。
青木の蟻巣は、それに比べれば分が悪いが、顔がいいだけでキャバレーには不向きな青年という役作りと考えれば、違和感がない。青木の裏返った声は、切羽詰まるシーンの連続するこの芝居では、効果的だった。
そこへ、時男と翔に乗せられた博士がやってくる。
博士の話は、研究一筋だった男にありがちなつまらなさで、テーブルについたレモンちゃん(青木隆俊/三上俊)をイラつかせる。
場末のやる気のないキャバ嬢を演じる、青木の雰囲気がめちゃくちゃいい。自分勝手で、すべてを客のせいにして、客相手にすごんで見せたり…。しかも、女役を作りこんだ時の、青木の作った声が、また場末感を盛り上げる。(逆に三上は、らしさを作っているのだが、どうしてもカワイ子ちゃんに見えてしまって、場末感がない。)

文無しの博士をテーブルにつけてしまったために、代金100万円の回収を命じられる3人。
すべてがいやになって、爆発する。
その爆発のダンス曲が「ボラーレ」

あれ、これ、もしかして、「ボラれる」にかけてる?
いや、ボラれたのは、博士だけど。それも払う気ないけど。

奥田は、汗びっしょりになって踊っている。同じダンスなのに、どうして奥田一人こんなに、すごい汗なんだ!1列目なんか、完全に汗かぶってるじゃないか!
と思ったが、翌日も仲原一人が汗をかいていた。
時男のダンスは、汗をかくらしい…
ここのダンスは、迫力の中に虚無感と怒りを交えた、奥田の迫力がよかった。
というか、パックンチョ(奥田・小林・三上)チームの方が、キャラ立ちしてる。

100万円を払うのがイヤな博士と共に、3人は、タイムマシンで過去に旅立つ。
3人が幸せだった小学5年生の世界に…。

ここで3人は、担任だった音楽の先生、百合子先生(吉田隆太)に呼び出された、いたずらっ子トリオに出会う。
それが過去の3人だった。過去の時男(神野明人☆/緒方和也☆)、過去の翔(原田洋二郎☆/石井昭裕☆)、過去の蟻巣(谷屋桃威☆/堀川剛史☆)は、小学5年生のいたずらっ子。彼らにいじめられながらも、いつもつるんでいるのが、真似木(大沼亮吉)。ここで、ドSの店長を演じていた大沼が、いじめられっ子の真似木を演じるあたりが、過去の世界=パラレルワールド感を醸成している。

3人が、過去の自分たち、百合子先生に出会う時間は、3日間だけ。
そこで、3人は、小学5年生の子供になって(どうやら、過去世界の人々には、彼らが子供に見えるらしい)、もう一度その3日間を追体験する。
心に封印をして忘れていた3日間を。

翔の母親は、卵焼きをつくるのがうまいらしい。それを子供の翔が、大人の翔に分けてあげていた。翔は、その卵焼きをかみしめる。小林の表情が、卵焼きを通して母親への郷愁を表現していて、さすがベテランなのだが、大人になった翔と母親の関係が客席に知らされていないので、ついていけない。
死別したとか、東京へ出てから不義理をして帰ってないとか、別になんでもいい。翔が母親を思って、胸がいっぱいになるようなその感情のモトを、客席にも分けてほしいのだ。それだけで、ぐっと観客が舞台に心を寄せられるのに…。

で、これは「WHITE」の時にも感じたことなのだが、ここまで、芝居を引っ張ってきたのは、能動的なキャラクターの時男だった。ところが、ここへきて、急に翔に過去と現在を繋ぐ、タイトルにもなったエピソードが登場する。すると、主役は誰?というか、どこに目線をやっていいのか、不安になる。
別に3人が主役でもいいのだ。しかし、3人の中で、役の重みが移動するのは居心地が悪い。こういうのは、脚本のいろはじゃないのか?

みんなは遠足に行く。そして、ある場面が来た時、3人はようやく気づく。
今日は、百合子先生が、真似木を助けて死ぬ日だ、と。
彼らは、何もできず、百合子先生は、川で溺死する。
翌日、オルガンの前で、しーんとしている、子供時代の3人。オルガンがなければ、百合子先生に教えてもらった歌が思い出せない、と3人は嘆く。
そこへ、真似木がやってくる。
百合子先生との約束を破って、川に入ったのはこの3人だった。後をついてきた真似木が溺れたから、百合子先生は、真似木を助けて、死んでしまったのだ。
百合子先生は、直接は真似木を助けたが、真似木が溺れるきっかけは、3人にある。
そのことを、認めたくないから、3人は、よってたかって真似木をいじめる。

大人になった3人は、もう気づいている。自分たちが、どうして、百合子先生の死を忘れていたのか。そのことに付随して思い出す、真似木への理不尽ないじめの記憶を抹殺したかったからだ。
そして、今、目の前で繰り広げられている、真似木へのいじめを止めようと、翔は、オルガンの鍵盤を力任せに叩く。
ピアノの音。
(3人の記憶とここの出来事が唯一違っているのが、教室にあったのはピアノだったはずなのに、ここではオルガンが使用されていること。)
そして大人の3人が歌う。百合子先生と最後に歌った、「故郷を離るる歌」を一生懸命。
三上の声は、よく通るハイバリなので、3人で歌っていても、はっきりとそれとわかる。いい声してるなー、歌が好きなんだなーと思える歌で感心。仲原の歌は、心配していたが、3人で歌えば気にならなかった。
子供3人は、歌に託した、大人3人の気持ちを汲んで、いじめをやめる。
そして、真似木の伴奏(こちらはオルガン音)に合わせて、仲よく歌う。
百合子先生を好きだった堤先生(冨士亮太)が現れ、子供達は、帰って行く。仲よく、真似木も誘って、翔の家で晩ごはんを食べようと。

こうして、現代に戻った3人は、自暴自棄なキャバレーの従業員ではなくて、翔はカメラマン、蟻巣は小説家のタマゴ、そして時男は、出版社の社員になったらしい。
いや、自由業はともかく、出版社の社員というのは、少し無理がある。編集のバイトか?
最後に、またまたドジな稲葉くんがどこかにタイムスリップしてしまって、芝居はドタバタのうちに幕となる。

決して不愉快な物語ではないし、新人公演などで上演するには、うってつけの脚本だとは思う。
しかし、再演するなら、キャラクター設計など不備な点を作り直し、3人の青年たちと3人の少年たちをもっと魅力的に構成すべきだろうと思う。
そして、育成公演なら、文化庁のお金=税金を使うんだから、ちゃんと育成対象者が育成されるような、使い方をしてほしい。これじゃ、ジュニア4までが出ないだけで、通常公演とほとんど同じではないか、と思った。

※追加※
「故郷を離るる歌」のブレスを入れるところが、なんか小学生らしい、歌詞を無視した、「いかにも」なところが、すごく臨場感があったと思う。“カキネ、ノチグサ”とか。


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