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演劇フォーラム [┣ヅカネタ]

本日は終業後、東京宝塚劇場で開催された「演劇フォーラム」を見て来た。

四部構成で、

  1. 「日本の民俗芸能・宝塚民俗舞踊シリーズについて」 講師:渡辺武雄氏・三隅治雄氏
  2. 「ヤマトタケルについて」 講師:吉田敦彦氏 ゲスト:大空祐飛さん・霧矢大夢さん
  3. 「MAHOROBAの作品意図について」 講師:謝珠栄氏
  4. 「MAHOROBAについて」 出演:謝珠栄氏・大空祐飛さん・霧矢大夢さん・遼河はるひさん・桐生園加さん 司会 織田紘ニ氏

という内容。これで18:30開始、20:10終了なので、ちょっと盛りだくさんすぎたような気がした。

出演の生徒さんは、グレー系のスーツで統一され、謝先生もモノトーンを着ていらしたので、コーディネートばっちりという感じだった。
内容については、CSでも放送されると思うので、そちらを見ていただくとして、祐飛さんは、最上級生として常に先頭を切って、積極的に発言したり、話をまとめようとしたり、一応していたように思う
祐飛さんが出るから見に行ったようなものだが、行ってみると非常に興味深い内容だったので、もっと講師の先生方のお話を長く聞いていたいようなフォーラムだった。

気になったところや、面白かったところだけ、メモしてみたので、よかったらご覧下さい。

入り口のところにレジュメが置いてあった。
その裏面に出席者のプロフィールが書いてある。
渡辺武雄(わたなべ・たけお)…1914年生まれ
三隅治雄(みすみ・はるお)…1927年生まれ
吉田敦彦(よしだ・あつひこ)…1934年生まれ
渡辺先生は、宝塚歌劇と同い年。三隅先生は、「モン・パリ」と同い年。吉田先生は、旧東宝劇場と同い年…奇しくも宝塚の歴史にとって、節目となる年に生まれた先生方のお話は、それぞれ非常に興味深いものだった。

今回の公演『MAHOROBA』は、日本の郷土芸能・民俗舞踊にスポットを当てた、30年ぶりの公演らしい。その一番のルーツは、渡辺武雄先生の「鯨」という公演で、昭和33(1958)年に雪組で上演された。
で、そもそも、どうして、そういう公演をやろうと思ったか、というと、海外公演の話があって、どんな作品を作ったら海外の方に喜んでもらえるだろうか、と考えた時に、民謡という意見が多かった。それで、白井鐡造先生の作品『春の踊り』に九州の「棒踊り」の場面を入れてみたら、非常に好評だった。
そこで、各地の民俗舞踊を真剣に取り入れようということになって、取材をしたり、三隅治雄先生に協力いただいたり、脚本を書いてもらったり、という形で20年間14本の民俗舞踊シリーズ、そして物語風土記シリーズ8作が制作された。
これらの元ネタである各地の民俗舞踊の取材フィルム・スライド・テープなどは、財団法人阪急学園池田文庫に寄贈され、将来的には一般公開を視野に入れ、DVD化や目録発行などを行っているところとか。文化財的資料といえそうだ。
渡辺先生の93歳とは思えない、楽しいトークの中に、「奥の細道」(昭和40=1965年)という作品の話があった。芭蕉と弟子の曾良が奥の細道を旅するのだが、この芭蕉は、「古池や~」の蛙が変身した姿…という設定になっているらしい。スライドに写っていた背景は、この「奥の細道」を与謝野蕪村が書き写し、画を添えた画管集というのを、小林一三氏がコレクションにしていたらしく、それが舞台に写っていた。今回の公演でも、バリの王家に伝わるガムランが小林一三氏コレクションから、舞台に登場していたり、本当にとてつもない大人物である。
鬼剣舞(おにけんばい)が出てきたのもこの作品だったかな?ちょっと記憶が曖昧。
下級生の誰かがお茶会で、「吹雪」の場面は、本当は鬼の面をつけた剣舞だったと言っていたそうだ。つまり、あのシーンは岩手県の民俗舞踊「鬼剣舞」をモチーフにした場面なのだろう。
義経・武蔵のスライドもあった。毛越寺(もうつうじ)の祭りの話も出ていた。その辺の話には非常に興味があったのだが、スライドが変わってしまって、そのままになってしまった。「奥の細道」も面白い題材だが、奥州藤原家の繁栄と没落、それに義経伝説も芝居の題材として面白い。
なんて書くと『この恋は雲の涯まで』(祐飛さんの初舞台作品。植田紳爾脚本作品)になってしまうか…。あの話も、第一幕の終わりに嵐になって、「なぜ女を船に乗せた?」という展開から、静御前が海に身を投げるっていう話だった。英雄流譚は世界中にあるが、日本のそれは、ヤマトタケルに始まって、義経に継承されたのかもしれない。
渡辺先生と三隅先生が一番長くお話しされたのは、沖縄の久高島(くだかじま)の祭りの話。ここでは、女性=神という信仰があり、そのため、29歳になった女性は一度は山に籠らなければならないという祭りがあって、それが12年に一度開催されていたという。今はもう廃れてしまったお祭りだそうだが、先生方は、かなりこの祭りにご執心のように見えた。

つづいて、吉田敦彦先生のヤマトタケルの物語は、ギリシャ神話のヘラクレス伝説に似ているというお話。こちらは、ゲストとして、大空祐飛さん、霧矢大夢さんが、マイクを持って吉田先生のお隣に着席し、先生の一大講義となった。
観客は、古事記ですら「?」マークの宝塚ファン。ギリシャ神話も「TAKARAZUKA舞夢」ならともかく、ヘラクレス伝説となると、ほとんど誰も知らなかったのではないか、という気がする。
そんなヘラクレスの生涯をヤマトタケルと比較しながら20分で説明する、という無謀な挑戦を試みる吉田先生。素晴らしい…でも、隣の美女二人が気になるのか、なんか物語が、…な方向へ行きがちだった。
まず、ヤマトタケルもヘラクレスも双子だったという出生の話から。
ところが、ヘラクレスは、ただの双子ではなかった。
ゼウスが、人妻であるアルクメネに思いを寄せ、夫に成りすまして思いを遂げる。その翌日、本当に夫が戻って来てアルクメネと交わり、それぞれの子供が双子として生まれた。そのゼウスの子供の方が、ヘラクレスだったらしい。(あり得ないことだが、ゼウスは神なのでなんでもありなのである)
というような話は、20分しかなければ割愛してもいいのに、わざわざ、「交わった」とか言い出す吉田先生なのであった。
それで、ヤマトタケルは双子の兄を罪の意識なく殺害してしまい、父に疎まれて西国遠征をすることになる。一方、ヘラクレスは、ゼウスの妻・ヘラによって一時的に狂ってしまい三人のわが子を殺してしまう。
その罪を償うために、アポロンの神託により敢えて難行に挑むヘラクレスを、吉田先生は、ヤマトタケルの西国遠征(クマソ征伐)になぞらえていた。
つづいて、だまし討ち事件。ヤマトタケルが、出雲建(いずもたける)をだまし討ちにしたように、ヘラクレスも、まず友達になっておいて、だまし討ちにしたことが一度だけある、という話。
あと、ヤマトタケルを助けてくれる伊勢の倭比売(やまとひめ)は、ヘラクレスを助けるアルテミスに相当するとかいう話。
続いてミヤズヒメの話。ミヤズヒメは、ヤマトタケルが東方遠征の途中に婿入りしたものの、まず東方を平定してから、ということで、初夜を待たせてしまった。その間に、月日が経ったので、ミヤズヒメの元に訪れた時には、彼女は月経のさなかだった。月経の女性と交わるというタブーを犯したヤマトタケルは、その後神罰を受け、最後には亡くなってしまう。
一方、ヘラクレスは、愛人を作り、妻を捨てようとした。その妻がかつて、蜜月だった頃、川を渡ろうとした時に、ケンタウロス族のネッソスが妻を担いでくれるというので、頼んだところ、妻を凌辱しようとした。それでヘラクレスは彼を毒矢で射殺した。死んでいくネッソスは、自分の血と精液を混ぜたものは媚薬になるからそれをヘラクレスの心を取り戻す時に使いなさいと、妻に言い残す。
はたして、愛人ができたヘラクレスの心を取り戻そうと、妻がネッソスの血と精液を混ぜたものをヘラクレスの下着に振りかけると、毒矢の毒が血と混じっていたので、ヘラクレスはその毒で死んでしまう。
どちらも、犯してはならないタブー(月経中の交接・浮気)を犯したので、因果応報となったものだという話。
そして、ヤマトタケルもヘラクレスも英雄として最後には昇天するという話。
この壮大なストーリーを20分で話してしまう吉田先生、すごいです!
そして、途中、どんどん話が下ネタになっていくにつれて、資料に視線を落としっぱなしの祐飛さん、明らかにリアクションに困っている霧矢さん、どちらもタカラジェンヌとして、立派に無表情を貫き通してえらかったと思う。
ちなみに、サダル、サルメの起源についても、吉田先生が簡単にご説明をしてくれた。
(この時のために、座っていたようなものなのだが)
サダルは、猿田彦伝説の起源が琉球の「サダル」にある、という説から取られた名前で、サダルには、先導するとか先んじるとか魁というような意味がある。宮古島ではサダルというと、赤頭巾をかぶったおばあさんだとか、早口でそんな話も出たが、繋がりが不明…。
サルメは、天孫降臨の時に、アメノウズメノミコトの子孫は代々サルメの君を名乗るように、といわれたところから取られた。あ、ここでも、胸乳と陰部を露出してアメノウズメノミコトが現れて…とか、吉田先生はおっしゃっていた。きりやん、笑うわけにもいかずにつらかったと思う。
(サルメの君というと、「花のいそぎ」に出てくる、ひかちゃんとふありちゃんが浮かんでくる。あれは、稗田の一族ということになっていたような…。)
最後にようやく、二人のコメント。祐飛さんは、伊勢神宮の近くにある猿田彦神社にお参りに行ったそうだ。きりやんは、お参りには行かなかったが、謝先生から、お守りをいただいたというようなお話をしていた。

謝先生のお話は、『MAHOROBA』をどうして作ったのか、というところから始まり、具体的な場面の設定や、演出意図など多岐に亙ったお話で、とても興味深かった。
一番最初に、こういう作品を…と思ったのは、数年前にNYに長期滞在していた時、勘九郎さん(現・中村勘三郎さん)の歌舞伎公演を見た時だったらしい。それで帰国して、いろいろと研究するうちに、宝塚歌劇団郷土芸能研究会のことを知り、資料を調べるうちに、日本の祭りをテーマにしたショーを作りたい、という気持ちになったそうだ。
あれは、なんだろう?という場面ごとの祭りや民俗舞踊についても、具体的なことがわかって面白かった。「稲穂」の場面は、鳥取・島根の傘踊りを参考にしたそうだ。あさこさんときりやんを中心とした踊りは、鳥取の「しゃんしゃん傘踊り」によく似ている。じゃあ…と、「島根 笠踊り」で検索すると……「安来節」がヒットする。あれ、安来節じゃないよね?違うよね?(泣笑)
「椿」の場面、あれは椿を「血」に見立てているという。そして、あの椿たちの踊りは「佐渡おけさ」をモチーフにしているそうだ。
全体的に「日本」がテーマになっているが、使う手法はもう少しグローバルというか、「アジア」を強く意識して作った作品だそうだ。

最後の座談会は、たぶんCSでもやると思うので、割愛するとして、祐飛さんはじめ生徒さんたちが、「(世界にひとつしかない宝塚の文化に)誇りをもって取り組みたい」と語っていたのが印象に残った。
あと、きりやんが古事記を調べる時に、インターネットで「古事記 マンガ」で検索して本を買ったというのが、すごくツボだった。最初から、マンガ狙い?でもって、きりやん、ネッターなの?(どきどき)
時々、顔を見合わせてくすっと笑う、祐飛さんときりやんが可愛かったな

【去年の今日】
「あかねさす紫の花」千秋楽、彦根公演。
ところで、彦根城は築城400年を祝っていたらしい。どうして行かなかったんだろう?
ちなみに、DVDを持って旅に行ったのは、あの時だけだった気がする。


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コメント 2

でるふぃ

夜野さま、詳しく説明してくださって、ありがとうございます。
おもしろそうな講義ですね。今度は、ギリシャ神話が読みたくなりました。
今日、ニュースで、紹介されてましたが、
吉田先生の講義は、ちょっとしか映らず、祐飛さん、きりやんのコメントの方がしっかり、映ってました。
ほんとに・・祐飛さんときりやんの、ほんわか、仲良しクラスメートっぽい雰囲気が、可愛らしいですね!!
by でるふぃ (2007-11-02 21:31) 

夜野愉美

でるふぃさま
コメントありがとうございます。
吉田先生の講義は…映すとこ、ないですよね、あのすみれコードぶっちぎりようでは…。
祐飛さんときりやんのほんわかムードがCSにも出ていたなら、よかったです。
by 夜野愉美 (2007-11-02 23:35) 

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