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フィッツジェラルドの午前三時② [┣宝塚作品関連本等の紹介]

本日、ソネットのブログが大幅に変わった。トップページからして全然違っている。(このブログを「お気に入り」に入れている方には、何にも変わらないと思うが、同じソネブロ仲間の方には頷いていただけると思う。)

「共通テーマ」の区分もだいぶ変わっていた。
本来なら、新区分で区切り直すべきだと思うが、全部直すのはとても面倒なので、新年度(2006年4月1日以降)のみを変更した。
宝塚に関する内容は、今後「演劇・ミュージカル」という「共通テーマ」に区分することにした。それが、直接舞台に関係ないことだったとしても。
ちなみにこの「共通テーマ」、ブログの各記事の一番下のところに、ひっそりと出てくる。ソネブロのトップから入らない限り、あまり気にすることもない区分かもしれないが、念のため。

というわけで、昨日の続きを。
大都会での成功、という夢を達成したのはよかったが、スコットはいささか当惑してしまった。
“ぼくは最低の記者よりもニューヨークのことを知らず、リッツ・ホテルの使いっ走りのボーイよりも社交界のことを知らなかったから、そんな役割を演じることは不可能だったのに、その事実が証明されないうち、またたく間に、世代の代弁者にして典型的な時代の子という席に座らされてしまったのだ”
そしてさらに、
アメリカの若い娘の典型を作ったのがぼくの責任だとしたら、その仕事はまちがいなく失敗だった”
とか、1930年過ぎに親戚の娘がフラッパーを気取っていると聞いて、
“ぼくのつまらない若書きを真似しているのだとしたら、彼女に対して寛大にふるまわなければならない―ぼくたちに仕えようとして腕や脚を失ってしまった人に対するように
と言ったり。
おそらくは、
“ゼルダとぼくはほんとうに現実だったのか、あるいは、ぼくらはぼくの小説の登場人物ではなかったのか、分からなくなってしまうことがある”
という告白が、狂乱の20’sに対するスコットの偽らざる感想かもしれない。

とは言うものの…
「ジャズ・エイジ」という表現の発明者としての権利は執拗に繰り返したそうだ。
実は、ジャズという音楽には殆んど感心がなかったらしいが。
スコットによる「ジャズ・エイジ」の定義は、かなり厳密なものだ。
【この時代は、1919年5月1日、メーデーの騒乱鎮圧に始まり、1929年の株の大暴落に終わる、すなわち、ちょうどほぼ10年間の歳月なのだ】

スコットの伝説の始まりは、【人々に向かって、自分もあなたがたと同じことを感じていると言っただけ】だった、とスコットは語る。それが大きな成功をもたらしたことに、彼は驚愕していた。
そして、自分が人々を欺いているような気分になったらしい。
しかし、大学時代の彼は、自分は歳月の試練に耐える文学と同じくらい、商売になる本を書く才能に恵まれていると語ったことがあった。そして、どちらの道を選ぶべきか聞いたという。
すさまじいほどの自信と、成功者に相応しくないほどの謙虚さが、スコットの中に同居している。
しかし、それは、もしかしたら、「人々が、自分と同じことを感じている」わけではないことを、彼が生涯理解しなかっただけなのかもしれない。
このことに着目すると、彼のその後の人生が読み解けるような気がする。

その後の人生…そう、
【いうまでもなく人生はすべて崩壊の過程である】
と、書くにいたる、彼の人生―青春時代の夢を実現し、ずっと愛してきた女性と結婚した作家が、その女性によって作家としての才能を破壊される、長い物語―。

テーマが登場したので、今日はこのへんで。

今週から、決算後の資料を作っていく。
今回から、部下の子に作らせて自分はチェックを中心にしていこうと思っている。

【去年の今日】
ケロさんの話から、カエルグッズを買った話へ。
退団以来、ずいぶん多くのカエルグッズを買った。最近は少し落ち着いているけれど。友人のまりなさんは、今日も、なにやらカエルをアップしていたような…。


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