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パルコ劇場「ドレッサー」観劇(詳細報告) [┣演劇]

「ドレッサー」
作:ロナルド・ハーウッド
訳:松岡和子
演出:鈴木勝秀
出演:平 幹二朗 松田美由紀 久世星佳 勝野雅奈恵 西村雅彦 他
あらすじ:1942年。第二次大戦下のロンドン郊外、戦火に荒れ果てた劇場。年老いた座長()が、彼にとって227回目となる『リア王』の開演を目前に控えている。しかし、彼は錯乱状態。ヒロイン役を演じる座長夫人(松田)、そして二十年近く劇団に打ち込んできた舞台監督のマッジ(久世)は協議の結果、公演中止という結論を出したが、頑固にも座長は「幕をあける」と言う。
ドレッサー、ノーマン(西村)は必死になって『リア王』の準備をさせようとする。

観て来ました。
ドレッサーというのは、衣装を着せる係という意味らしいが、日本で言えば、付き人という感覚に近い。俳優個人に付いて、彼が気持ちよくステージを務められるように道化に徹する。
俳優は平幹二朗。ドレッサーは西村雅彦この二人が主役の芝居だが、芸能界での格なのだろうか、座長は、芝居同様平だったようだ。
演出は鈴木勝秀通称スズカツさん。私は、「欲望という名の電車」(青山円形劇場/篠井英介主演)が印象に残っている。脚本の一言一句まで噛み砕いて舞台化している…そんな印象がある。プログラムによると、この作品を「依存」というキーワードで読み解いているらしい。
俳優は、ドレッサーに依存している。ドレッサーの前でだけは、理不尽大魔王になれる。卑屈に俳優に尽くしているようで、ドレッサーもまた俳優に依存している。そうやって尽くす相手を失ったら、彼は生きていけない。尽くしながら、毒づきながら、依存している。
そういう俳優とドレッサーの乾いているようで、実は、どろどろした関係が、このドラマでは描かれている。男と女だったら、あるいは、同性愛者だったら、簡単に読み解けるはずの関係が、ストレートの男同士だから、フクザツに絡み合う。
そんな、俳優とドレッサーの関係を、象徴的にあらわす存在が、久世星佳の演じるマッジという舞台監督。彼女は、俳優を愛していた。が、俳優は美人でもなく女優でもない女を愛するタイプの男ではなかった。彼女の恋は叶わず、彼女は仕事の面で俳優を支え続ける。けれど、男と女だから、その行為は正当化されてしまう。気の毒だが受容される関係。その思いを俳優も知っていて、一方的に恋されていることを楽しんでいる。
ドレッサーの思いは、誰にも理解されない。それは、俳優自身にすら…。

すべてが終わった後の皮肉な結末は、あまりにも気の毒なものだった。それすらも、彼はおどけてみせる。もはや、見る人もない部屋の中で。

西村雅彦は、この長いドラマの前半、滑舌に苦労していた。
この役は道化。道化が滑舌に苦労したのでは、ドラマは失敗。
というわけで、最初はなかなか入り込めなかった。終盤のぼそ、ぼそ、と呟くあたりの西村は、彼のキャラクターがよく出ていてよかったと思う。
初舞台の松田美由紀の好演が、西村の危機を何度も救っていた。松田は、平幹二朗を相手にも丁々発止。あっぱれでした。
のんちゃん(久世星佳)は、たぶん彼女の一番得意な役柄(冷静で男勝りな女性)を、無難にこなしていた印象が強い。ただ最後に「女だったのねぇ…」ってしみじみ思えるシーンがあって、そこで今までにない演技を見せてくれたと思う。スズカツさんは、のんちゃんの中の女を必ず引き出してくるなぁ。
ヅカ時代からのファンとしては、シャツにズボンっていうとってもオコトマエなかっこうで、背中を見せたまま10分以上立ち尽くしていて、その
後ろ姿がかっこよくて、懐かしかった。


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